出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

値段の表示

2006年07月04日 | 出版の雑談
先日ようやく、以前からの希望だった「水仁舎」さんを訪ねることができた。(「水仁舎」さんのリンクは、このブログの下のほうにあります。)

最初は、「なんとかして傷まない本を作れないだろうか(細かいところを製本所に指定したら傷みが少なくならないか)」と、本作りをしている人たちのHPを訪問して見つけた。

ところがこう見えても私はモノづくりが大好きで、「水仁舎」さんの「流通に乗せる本とは違う、残しておく本」に、いっぺんにはまってしまった。今私がやってる出版とは、直接のつながりはあまりない。今やってる出版でイライラしたりギスギス感に悩まされると、ちょっと彼のブログを見にいったりして気分を変えている。

その仕事場を見せてもらいたくて、ずっとうずうずしていた。が、私のスケジュールに余裕があるときには彼が忙しそう(ブログを読んで探っていた)だったりして、なかなかチャンスがなかった。先日ようやく車で出かけていった。

そこでいろんな話を聞いたんだが、その中のひとつ。「商品に値段が書いてあるなんて、流通している本くらい」。服とかカバンにはついてない。

実は私は、あまりそのことを考えたことがなかった。

カバーデザインをしていて、「バーコードを作る」のが面倒ではあるが、邪魔だとまで思ったことはない。デザインを壊していると感じるほど、アーティーにこだわってないからだ。表はともかく、裏のデザインなんかはほとんどこだわらない。「もうすぐ全部(データが)出来上がる」ってな感じで、手抜きモードに入っているときもある。

直近の本は、カバーは包装のためというコンセプトで装丁を考えたが、結局は「カバーなしではちょっと…」という感じになってしまった。

それはそうと、例の「出版のこころ」という本に、全然違う観念が書かれていた。カバーなんかでなく、きちんと奥付に価格を表示せよ。つまり、書物というものは、内容と装丁と発刊の時期と当時の値段を一体にして残すことで、文化資料的価値も生む、というのだ。

私は文化資料的価値のために本を出したいとはこれっぽっちも思わない。が、かといって、なんで奥付だけに定価を書かないかも、考えたことがなかった。

最初に出した本を頼んだDTPデザイナーが作った奥付のフォーマットを今でも使っていて、そこに「定価はカバーに記載してあります」と書いてあったのでそのままになっている。

別に奥付に書いたって、何の問題もなさそうだ。

ほとんどの本で「定価はカバーに・・・」となっているということは、突然カバーだけ刷り直して値上げしてもいいってことだろうか。