加藤周一『日本文化における時間と空間』には、「今=ここ」にのみこだわる日本文化の現在中心主義が指摘されており、それが大勢順応主義にも通じること、その克服が課題であることが記されているという。
教育学部で、学生さんたちといると、子どもと関わっていることはよいのだが、そのことを発達や歴史の中に位置づけたりすることを拒む姿が気になる。「過去」よりも「今」が大事だとは、その通りなのだが、「過去」との関係を抜きに「今」を大切にすることはできない。
現場の先生方との話でも、「明日の授業につながるもの」をということを強調する。教師も、「今=ここ」にしか視野がないともいえる。はやりの療法なども、その心性に食い込むのであろう。「もう古い」「終わっている」といって「過去」を切り離して、新しいものをおうの姿は、自転車操業になっている滑稽な姿を露呈しているのかもしれない。
極端な場合、今年の前半部分でももう「過去」になって忘れ去られようとしている。
参議院選挙の争点となった「消えた年金問題」は、「最後の1人まで明らかにする。3月までにできる」と自民党は公約し、その後の政府の公約にもなったのだが、昨日、今日の報道によれば、「特定困難は1975万件」ということで、桝添厚生労働大臣は「来年3月が終わればすべて年金問題が、ばら色の解決ができて、全部終わっているという誤解があった」「期間はエンドレス。できないこともある」と居直り、福田首相は「解決すると言ったかな」ととぼける。率直に、選挙公約のからくりを述べたのが官房長官で「選挙だから、つづめていった」とのこと、選挙になったらウソをつくよと告白したようなものだ。
年金には日本の将来どころか、自分自身の将来の生活がかかっている。
「過去」「現在」「未来」についてよく考えたい。
教育学部で、学生さんたちといると、子どもと関わっていることはよいのだが、そのことを発達や歴史の中に位置づけたりすることを拒む姿が気になる。「過去」よりも「今」が大事だとは、その通りなのだが、「過去」との関係を抜きに「今」を大切にすることはできない。
現場の先生方との話でも、「明日の授業につながるもの」をということを強調する。教師も、「今=ここ」にしか視野がないともいえる。はやりの療法なども、その心性に食い込むのであろう。「もう古い」「終わっている」といって「過去」を切り離して、新しいものをおうの姿は、自転車操業になっている滑稽な姿を露呈しているのかもしれない。
極端な場合、今年の前半部分でももう「過去」になって忘れ去られようとしている。
参議院選挙の争点となった「消えた年金問題」は、「最後の1人まで明らかにする。3月までにできる」と自民党は公約し、その後の政府の公約にもなったのだが、昨日、今日の報道によれば、「特定困難は1975万件」ということで、桝添厚生労働大臣は「来年3月が終わればすべて年金問題が、ばら色の解決ができて、全部終わっているという誤解があった」「期間はエンドレス。できないこともある」と居直り、福田首相は「解決すると言ったかな」ととぼける。率直に、選挙公約のからくりを述べたのが官房長官で「選挙だから、つづめていった」とのこと、選挙になったらウソをつくよと告白したようなものだ。
年金には日本の将来どころか、自分自身の将来の生活がかかっている。
「過去」「現在」「未来」についてよく考えたい。