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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

三上延『ビブリア古書堂の事件手帳 栞子さんと奇妙な客人たち』メディアワークス文庫、2011年

2019年08月06日 23時33分34秒 | 

ヒロシマに原爆が落とされた日から、74年目。NHKスペシャルで「届け「ヒロシマの声」 遺品と写真が語る物語」をやっていた。亀井文夫監督「Voice of HIROSHIMA」を思い起こした。ヒロシマについては書かなければならないことがある。大野松雄さんのヒロシマでの記憶である。このことは、74年目のこの日に、ここに記しておきたい。

それと重なっているのか判らないが、古書や古書店についての思いが強い。出久根達郎の本、古書店での日記奇譚などなどこれまでも読んできたが、ライトノベル三上延『ビブリア古書堂の事件手帳』をひょんな関係で入手した。ある野生動物学者が古本を処分するというので、奈良の吉野で古本を収集して私設ライブラリーをしようとしている方にもっていってくれという依頼だった。そうも出来ない事情があったが、本を預かったなかに、この本があったのだった。このシリーズ文庫本が5冊くらいそろっていると思われたが、確かめている暇もないので、3冊くらいを取り出していた。幸い、シリーズの最初の本があったので、それを読み始めたのだった。夏目漱石、小山清、論理学入門(青木文庫!)、太宰などの古本をめぐる物語だった。面白かった。確か、これは、以前、テレビドラマでやっていたような。大金持ちの恋人で、プライベーツジェットで海外に行く女優が栞子さんを演じていた。

しかし、その読みかけの本がなくなってしまった(これはよくあること)。いろいろ探してみたが、ない。結局、ブックオフにいって、購入した。ブックオフでうるときは、5円くらいである。購入は100円だった。

というわけで、そのシリーズ第一作を読み終えた。そのなかで、主人公の一人栞子さんは怪我をして入院しているのだが、「わたしの怪我は骨折だけではありません・・・腰椎の神経も傷ついてしまったんです。・・・ひょっとすると一生不自由なままかもしれません」というセリフがある。その怪我はなおるのか、車いす生活になるのか・・・ちょっと古書以外にも興味がそそられる。それで、またつぎの本を読みたいと思った。

このような本に関する語りをしてみたい。


今野浩『工学部ヒラノ教授』新潮社、2011年

2019年08月06日 00時17分28秒 | 

国立大学(正確には、国立大学法人の大学)から、私立大学に移るとカルチャーショックが・・・。まあ、ソンなこともあり、この頃、大学や高等教育の成り立ちや慣行を考えることが多い。当座、「女子」大学の成立が問題意識(「女子」とはなにか?なで、「女子大学」なのか?)。そんなこともあり、ついつい、図書館で手に取ってしまった本が今野浩『工学部ヒラノ教授』である。

工学部、エンジニアなので、感覚がちょっとちがうのだが、異文化なのが面白いとおもうことと、前によんだ森博嗣の思考方法の不思議がちょっとわかったような気がした。以下のもの。

工学部の教え

「決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)/一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力あすること/専門以外のことには、軽々に口出ししないこと/仲間から頼まれたことは、断らないこと/他人の話しは最後まで聞くこと/学生や仲間をけなさないこと/拙速を旨とすべきこと

東大の工学部長の武藤清の訓示・・・「工学部に良く来てくれた。今日から諸君は僕らの仲間だ。これから訓辞を述べるから、良く聞くように。エンジニアは時間に遅れないこと、以上」

森口繁一学科主任などの組t業訓示・・・「おめでとう。諸君にはなむけの言葉を贈ろう。納期を守ること。これさえ守っていれば、エンジニアはなんとかなるものだ」(「とりあえず出来た分を提出して、率直にわびる」「100%完璧を期すと100時間かかるが、98%なら50時間ですむような場合には、まず98%をめざし、余った時間で残り2%に取り組むことだ」

要するに、時間の問題なのだ(著者の専門は、もともと、応用物理学で、オペレーションリサーチ、金融工学などでの社会工学。意思決定の数理科学ということかな)。。

 


森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、2013年

2019年08月03日 17時00分29秒 | 

1月1日から8日まで、1日1時間書いて出来上がった新書。若者の仕事の悩みについての合理的なコメント(合理主義的なというべきか)。中だるみもあるが、そうだよなぁと思うことも多い。「仕事が「やりがいのあるもの」なら、いろいろいわずに夢中になってやってるやん。そうじゃないのは、時間を切り売りしているのだから、そう考えれば「やりがいのある」というのは幻想」・・・。

最前線の仕事について語っているところでは、「仕事の最前線というのは、誰も教えるほどノウハウをまだもっていない。ただ、過去の似た例を適用して、自分で工夫や想像をして臨むしかない。この過去の経験だって、なかなか人に伝達できるほど記号化されていない。これを使えることが、すなわち「仕事を覚える」という意味である」→「周囲の人がやっていることをよく観察するしかない」・・・「ついつい、学校のように、すべて教科書があって、先生が教えてくれるものだとい、と勘違いしてしまうのが、この頃の若者の傾向である。この点は意識を入れ替えて法がよい。学校で習ったことは、仕事を観察し、分析し、やり方を知るための基本的な道具だと思う。・・」(164-165)

「結局のところ、「どうだっていいじゃん」と自分に言ってあげられる人が、一人前の立派な社会人になれるのではないか。/「元気を出したら」なんて馬鹿なことは言わない。元気で解決できる問題というのは、そもそも大きな問題ではないからだ。そうではなく、「元気なんか無理に出さなくてもよいから、ちょっと元気のある振りをして、ちょっと笑っている振りをして、嫌々でも良いから仕事をしてみたら? それで金を稼いで、そのあどでその金をすきなことに使えば良い。それが君の人生化も」といったら、身も蓋もないだろうか。・・・そうとしか言いようがないのだからしかたがない。ただ、たいてい、みんなそれで元気になる。僕は不思議だ。理由が、僕には全然わからない。

アマゾンの内容紹介は以下の通り

―働くことって、そんなに大事?― 

私たちはいつから、人生の中で仕事ばかりを重要視し、もがき苦しむようになったのか? 
本書は、現在1日1時間労働の森博嗣がおくる画期的仕事論。
自分の仕事に対して勢いを持てずにいる社会人はもちろん、大学生にもおすすめ。

★著者より★ 
仕事に勢いが持てなくても、
すごい成果が残せなくても、
人が羨む職業に就けなくても、
きみの価値は変わらない
人々は、仕事に人生の比重を置きすぎた。
もっと自由に、もっと楽しく、もっと自分の思うように
生きてみてもいいのではないだろうか。
成功するとはどういうことなのか?
良い人生とは?
すり切れた心に刺さる画期的仕事論! 

■目次
まえがき
第1章―仕事への大いなる勘違い 
第2章―自分に合った仕事はどこにある?
第3章―これからの仕事
第4章―仕事の悩みや不安に答える
第5章―人生と仕事の関係
あとがき


『夢見る帝国図書館』のこと

2019年07月18日 20時53分37秒 | 

以前書いた中島京子の『夢見る帝国図書館』を読み終えた。喜和子さんの敗戦ののちのことがうすらぼんやりとわかりかけてきた。バラック暮らしで、そこで復員兵の2人の男性と暮らし、その一人が『としょかんのこじ』の作者となり、「帝国図書館」の物語を書いているというような・・・記憶は、書き換えられ、美化されたり、また、意図的に削除されたりもしているが、それを裏付けたり、辿ったりするのは、推理小説のようでもあり。合間に、「夢見る帝国図書館」の話題が挟み込まれている。

この鋏み込むというやり方ではなく、このコラムみたいなものをつなげて、第一部として通し、そして、喜和子さんの物語を第二部として通すというやり方もあるのではないかと思ったりした。

とはいえ、敗戦直後の「駅の子」の話が出てきたり、戦後憲法と女性の権利の実現に寄与する話題が登場したり、帝国図書館とそれが見つめてきた人たちの物語が重なって、戦前・戦中・戦後の歴史を考えさせられる小説だった。どう使おうか?

古尾野先生のことは・・・大陸から引き揚げてきて、大阪に着いて駅の周辺ではぐれた経験 「日が暮れてくると、ますます人が増え、厚化粧の女たちやら、物乞いやら、得体のしれない物売りやら、それこそ駅の子と呼ばれた家のない子どもたちやら、そこをねぐらにしたり、客を待ったりしている連中が集まってきて、ひどいにおいが立ちこめて、なにがなにやら判らない」(360頁)古尾野先生は、少し苦しそうに二回ほどしわぶいた。「だって、あの当時いっぱいいたからね。駅の子と呼ばれた戦災孤児がさ。あの子どもたちくらい、ひどいめにあったのはないんだから。大人のはじめた戦争で親も家もなくしてね」(362頁)

それから「夢見る帝国図書館24 ピアニストの娘、帝国図書館にあらわる」はベアテ・シロタの「女性の権利」をGHQ憲法草案に入れる話。「わたしはこの国で五歳から一五歳まで育ったから、すくなくともほかのアメリカ人よりは、この国のことをよく知っている。この国の女の子が十歳にもなるやならずで女郎部屋にいられていることも、女達には財産権もなにもないことも

、子どもが生まれないといういう理由で離婚されてもなにも言えないことも、「女子ども」とまとめて呼ばれて成人男子とあっきらかに差部悦去れていることも、高等教育など受けさせなくていい存在だと思われていることも、おや名決めた結婚に従い、いつも男たちの後ろをうつむきながらあついていることも。わたしは知っている・・・・・・わたしが憲法草案をかくなら、・・・この国の女は男とまったく平等だと書く」(377-382頁)

 


西島京子『夢見る帝国図書館』文藝春秋、2019年

2019年07月16日 23時56分08秒 | 

西島京子『夢見る帝国図書館』を読んでいる。こんな本を書いてみたい。おびには次のように書いている。

樋口一葉に恋をし、宮沢賢治の友情を見守り、関東大震災を耐え、「かわいそうなぞう」の嘆きを聞いたー/日本で最初の国立図書館の物語を綴りながらわたしは、涙もろい大学教授や飄々とした元藝大生らと共に思い出をたどり 喜和子さんの人生と幻の絵本 「としょかんのこじ」の謎を追う。

 


青島幸男『わかっちゃいるけど・・・シャボン玉の頃』文藝春秋、1988年

2019年07月08日 00時07分19秒 | 

植木等伝をよんだついでに、その頃のことを関係者の書いた本でも読んでみたいと思って、青島のこの本を古本で購入した。驚いたことに、この本、僕が、はじめて就職した年に出た本だったこと。青島は、番組の作家、俳優でもある(「いじわるばあさん」はこの人が主役)。作詞もやるし、小説も書く(直木賞作家)、映画の監督もやったとのこと。実に多彩なのだが、それで、参議院議員をやって、その後、東京都の知事になって、なんにもやらなくって話題になった人。その青島が、シャボン玉ホリデーの頃のことを回想した本。

いろんな面白いエピソードがかかれているが、植木等のことや、谷啓のことなど、クレージーキャッツのことや、台本や曲の作詞などの裏話が面白い。どたばたで、はちゃめちゃで、そして、なんとかつじつまをあわせて、しかも、それあ面白いとくれば、この時代の人生に学ぶこともできるだろう。景山民夫が解説を書いている。

ひとつだけ、エピソードを・・・植木等が歌った「ハイそれまでヨ」の歌のこと。

もともと、1ばん、2ばんがあって、そして3ばんがあった・・・。それを説明したうえで、「植木屋は持ち唄のメドレーの中でこの唄を唄うことあるが。もっぱら三番の文句だけを使う、しかも頭の二行を一番の歌詞と勝手に入れ替えているが、これは正解だと思う。」といっている。つまり・・・

1番の出だしは、「あなただけが生きがいなの/お願い お願い 捨てないで」ではじまり、「テナコトいわれて その気になって」と続く。その3番は、ちがう頭の歌詞があり、それが「女房にしたのが大まちがい」とつづいて、「掃除せんたくまるでダメ・・・ハイ それまでよ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー」となるのである。

 


赤木和重『アメリカの教室に入ってみた 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』ひとなる書房、2017年

2019年07月06日 21時01分09秒 | 

赤木和重『アメリカの教室に入ってみた』を読んだ。ニューヨーク州のシラキュースの学校事情を、公教育の崩壊と再生、インクルーシブ教育という観点から実態を垣間見せてくれる。面白い本。逆に、日本の教育が、とらわれている側面が明らかになると言うこともある。清水先生と越野先生と一緒に、シラキュースの小学校をまわったことがあった。もう10年も前になるか?貧困地帯の学校は紹介されず、中流から比較的裕福でインクルーシブ教育を推進しているところにいった。それでも、やはり、地域間の格差のにおいはしていたが。いいとこの学校は、フラッグシップとかいって、インクルーシブ教育を進めていたし、そのための資源も豊富だったような印象だった。もっと貧困な地域の小学校の実態を赤木さんの体験は伝えてくれる。

インクルーシブ教育を考えたいと思っている人は読むのがよい! とはいえ、出されてからもう2年もたっており、ぼくもようやく手にとって読んだところ(人間発達研究所などの通信への連載を本にしたもので、その一部はよんだので、まとめて読むことが遅くなった)。

内容紹介は次の通り

こんなにも進んでいて、こんなにも遅れている教育の国、アメリカ―発達心理学者が教室に入り込んで体験した、貧困地区の公教育の実態、さらには小さな私立学校で行われる「超インクルーシブ教育」とは。アメリカ教育の光と影を通して、日本の教育の新しいかたちを考える。

目次は次の通り

第一部 貧困地区の公立学校ー公教育の崩壊

シラキュースという街/貧困地区の公立学校/貧困地区の子どもの体/貧困地区で暮らす子どもの言葉と思考/遊びが消える幼児教育/チャータースクールの光と影/日本との違い/アメリカ公教育の底力

第二部 インクルーシブ教育の異なるかたち

公立小学校におけるインクルーシブ教育の実態/Mind your own business/卒業式/優れたインクルーシブ保育に学ぶ/優れたインクルーシブ保育に学ぶ(その2)/インクルーシブ教育の異なるかたち

第三部 インクルーシブ教育の新しいかたち

小さな小学校とインクルーシブ教育/New Schoolの概要/流動的異年齢教育/流動的異年齢教育を可能にするもの/流動的異年齢教育の意義/インクルーシブ教育の新しいかたち

結び アメリカを通して日本の教室を考える

 


『ヤンキー君と白杖ガール』第二巻

2019年06月27日 14時05分52秒 | 

「ヤンキー君と白杖ガール」第二巻がとどいたので、さっそくよんだ。第一巻の出会いのほうもおもしろかったが、第二巻はそれぞれの「事情」が語られていく。ヤンキー君とともにやってきたハチ子が視覚障害のユキコさんに八つ当たり、それでユキコさんも「ヤンキー君」のことを「ちゅき」といってしまうこと。「ヤンキー君」のこれまで、貧しい中を育ってきたこと、そして、顔に傷をつけられることとそれをしてしまったシシオの事情など。

 


ガー・レイノルズ『世界最高のプレゼン教室』日経BP社、2016年

2019年06月26日 16時38分45秒 | 

奈良県教育研究所の教育フォーラムに参加した際、著者の講演を遅れてみた(レイノルズさんは生駒に住んでるんやて)。プレゼンについて、考えさせられることが多かったし、インパクトも大きかった。はじめから聞いておけばよかったと後悔もした。

それで、そこで紹介されていた本を買ってみたら(ガー・レイノルズ『世界最高のプレゼン教室』日経BP社)、これまた面白かった。これは、講演のDVDが集録されていて、本の内容と同じような流れ。考えてみると、90分くらいの講演を整理して、読みやすくして、写真やスライドのビジュアル面も構成の中に入れれば、読みやすい、わかりやすい本になるのだと思う。中心的な考え方は「ストーリーテリング」!!ーこれは重要!!。

ぼくらは、そのような読者にやさしく、プレゼンターになったつもりで、本も書かないといけないと思った。

目次は以下

イントロダクション/なぜストーリーが必要か(ストーリーの「パワー」と知る/ストーリープレゼンとは何か(ストーリーの「構造」を知る/ストーリープレゼンの作り方(ストーリープレゼンをつくる手順を学ぶ)/ビジュアル(スライドをビジュアルで表現する)/話し方(効果的な話し方を知る)/質疑応答(全部で140ページ弱)

 


岩波明『天才と発達障害』(文春新書、2019)

2019年06月24日 00時23分58秒 | 

岩波明『天才と発達障害』を読んだ。

マインドワンダリングの話があって、それが面白かった(現在行っている課題や活動から注意がそれて、無関係な事項についての思考が生起する現象)。目次は次の通り。

はじめに 天才と狂気/第一章 独創と多動のADHD/第二章 「空気が読めない」ASDの天才たち/第三章 創造の謎と「トリックスター」/第四章 うちに愛された才能/第五章 統合失調症の創造と破壊/第六章 誰が才能を殺すのか/参考文献

講義との関係では、『トットちゃん』(p.47-,p.222)。

ビィトゲンシュタインがオーストラリア人で失読症だったとのこと、アスペルガーとの関係はないのかと思ったりして・・・?

 


古橋信孝『ミステリーで読む戦後史』平凡社新書、2019年

2019年06月17日 09時58分40秒 | 

古橋信孝『ミステリーで読む戦後史』をようやく読了した。もともとは、水上勉の『海の牙』が水俣病を取り上げていることから、戦後史の中のミステリー、ミステリーの中の戦後社会問題について、概括的に記述したものとして読み始めた。しかし、この著者も、推理小説のあらすじを描くのがやっかいで放り投げそうになったということを著者も、あとがきで書いているように、この本、小説の概要を示しながら医術がなされているのだから、面白味がない。すじがわからないのであり、わかったら、逆にミステリー自身を読まなくなってしまうのだから、アポリアと言えばアポリア。目次は次の通り

序章 ミステリーとは何か/第一章 戦後社会を書く-1950年代まで/第二章 戦後社会が個人に強いたもの-1960年代/第三章 高度成長した社会の矛盾-1970年代/第四章 新たな世代の価値観と家族の再生-1980年代/第五章 時代に取り残された個人-1990年代/第六章 グローバルな社会、そして問われる歴史-2000年代/第七章 世界はどこに向かうのか-2010年代/終章 ミステリーが語る戦後社会/「戦後社会史&ミステリー史」年表

終章がまとめ、1968年が転換期として『氷菓』がとりあげられて、戦後ミステリーの語る歴史が概括される(pp.171-177)。なお、脊椎カリエスの仁木悦子、松本清張の『或る「小倉日記」伝』(p.72)、水上勉『海の牙』(公害告発:pp.75-77)、小杉健治『絆』(繋ぎとめる家族の絆:p.148)などが、障害関係のもの。


戸井十月『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』小学館文庫、2010年

2019年06月14日 16時36分12秒 | 

戸井十月『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』が興味深い!これは、2007年に小学館より刊行されたものの文庫化されたもの。植木等の父親についての植木の著書のことについては、大学院生時代に生協の書評誌にかいたことがあった。今回は、植木等そのもののである。植木の役柄やその笑いについて、スマートさを巡って大阪と東京の違いを考えたり、高度成長の時代と反権力、それに対する現在の権力にいたる笑い(笑業)・権力にこびる笑い(阿倍首相と吉本の関係など)を思ったり、いろいろ考えるところがあった。それにしても、おおらかな役柄を実はまじめな植木等が演ずるというところがおもしろい。

目次

プロローグ:お呼びでない/第一章:めんどうみたョ(昭和元年~昭和20年)/第二章:だまって俺について来い(昭和20年~昭和32年)/第三章:コツコツやる奴ぁ、ご苦労さん(昭和32年~昭和38年)/第四章:そのつちなんちかな~るだろう(昭和38年~平成19年)/外伝 稲垣二郎かく語りき・谷啓かく語りき・小松正夫かく語りき/エピローグ こりゃシャクだった/解説(津野海太郎)/関連年表

ちょっとやみつきになりそう。青島幸男『わかっちゃいるけど・・・シャボン玉の頃』(文春文庫)や大林信彦『植木等と藤山寛美』(新潮社)などもよんでみたい


保坂正康『続昭和の怪物 七つの謎』講談社新書、2019年

2019年06月14日 16時24分05秒 | 

保坂正康『続昭和の怪物 七つの謎』をようやく読み終わった。これは、昨年、福岡教育大に集中で行っていたときに読んだものの続編。途中で、新書本が行方不明になり、図書館で借りたが、その日に車の中から購入したものが発見されたという逸話も付け加わった(人生の3分の1は捜し物をしている人間だから)。

内容(目次)は次の通り

三島由紀夫は「自裁死」で何を訴えたのか/近衛文麿はなぜGHQに切り捨てられたか/「農本主義者」橘孝三郎はなぜ5・15事件に参加したか/野村吉三郎は「真珠湾騙し討ち」の犯人だったのか/田中角栄は「自覚せざる社会主義者」だったのか/伊藤昌也哉はなぜ「角栄嫌い」だったのか/後藤田正晴は「護憲に何を託したか」/あとがき

最後の、角栄・伊藤(大平)・後藤田のあたりが興味深かった。


椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』(ポプラ社、2017年)

2019年05月06日 22時09分27秒 | 

椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』は、吃音の中学生の物語。中学に入学して一歩踏み出して、放送部に入部する物語。

目次

序章 言葉が出ない/第一章 「上手に声を出せるようになります」/第二章 はじめての友達/第三章 教科書が読めない/第四章 暗転/第五章 もう君としゃべりたくない/第六章 優しい人たち/第六章 僕は上手にしゃべれません/終章 伝えたいこと/あとがき

第六章 弁論大会の「僕は上手にしゃべれません」という吃音の自己表明の場面はコピーして配付してもいいかなと思う。中高生が読むにはよいよみものかも。大学生も。作者も吃音者。自身の経験と願いが込められている。

 

 


吃音をめぐる2冊の本:近藤雄生『吃音』と菊池良和『吃音の世界』

2019年04月19日 23時34分32秒 | 

この間、自分の若干の吃音を感じている。新しい環境に入ったこともあって、緊張するとうまくしゃべることが出来ないし、そのことを意識してしまう。司会者、料理研究家などなど、吃音の有名人もたくさんいるようだが、なかなかやっかいなものである。この1月、同時期、2つの本が出された。3月、4月と少しずつ読みながら、そうだなあ・・・、困ってしまうなあ・・・なぜなのかなあ・・といろいろ考えるところがある。いずれの著者も吃音の当事者。以下は、アマゾンの本の紹介とそれぞれの目次。

 

近藤 雄生『吃音: 伝えられないもどかしさ』(新潮社、  2019年1月)

国内に100万人―それぞれを孤独に追いやる「どもる」ことの軋轢とは。頭の中に伝えたい言葉ははっきりとあるのに、相手に伝える前に詰まってしまう―それが吃音である。店での注文や電話の着信に怯え、コミュニケーションがうまくいかないことで、離職、家庭の危機、時に自殺にまで追い込まれることさえある。自らも悩んだ著者が、80人以上に丹念に話を聞き、当事者の現実に迫るノンフィクションである。

目次

プロローグ 18年前


第1章 死の際に立ちながら
マリリン・モンローの悩み
100万人が持つ問題
『バリバラ』番組収録
髙橋啓太の35年
訓練開始

第2章 ただ“普通に”話すために
治療と解明への歴史
治すのか 受け入れるのか
羽佐田竜二の方法
叶わなかった殉職
変化の兆し

第3章 伝えられないもどかしさ
追いつめられたエンジニア
歯科医師の意志
電話番を外してほしい
人生を変えた軽微な事故
吃音者同士のつながり
初めてのスピーチ
吃音だけのせいではない

第4章 新人看護師の死
あまりにも辛い別れ
吃音者に対しての職場のあり方
断念した夢の先
ひどくちらかった部屋
みんなに追いつきたい
唯一の動く姿と声

第5章 言葉を取り戻した先に
うまく話したいとは思わない場所
訓練の果て
吃音がよくなったとしても

第6章 私自身に起きた突然の変化
進路としての旅
神様みたいな存在
「一杯珈琲」
吃音とはいったい何か

第七章 “そのまま”のわが子を愛せるように
子どもの吃音
小さな文字で埋めつくされた連絡帳
なんとかしてあげたいという思い
五年後の表情の変化

エピローグ たどりついた現実

あとがき

菊池良和『吃音の世界』(光文社新書、2019年1月)

吃音は、最初の語を繰り返す「連発」(ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは)と、最初の言葉を引き伸ばす「伸発」(ぼ―――くは)と、言葉が強制的に発話阻害される「難発」(………ぼくは)の三種類がある。吃音症の人は100人に1人の割合で存在し、日本では約120万人、世界では約7000万人いると言われている。近年、吃音の専門教育を受けた国家資格である言語聴覚士の誕生、障害者の暮らしやすい社会へ向けた市民の意識の変化、そして発達障害者支援法や障害者差別解消法の成立といった時代の変化の中で、吃音者をめぐる状況にも変化が生じている。幼少期から吃音で悩み苦しんできた医師が、吃音の当事者のみならず、私たちがより多様な社会を生きるためのヒントを伝える。

目次


まえがき

第1章 私の吃音体験
1・1 三つの症状
1・2 吃音の不思議
1・3 吃音を隠す努力
1・4 医者になる決心
1・5 吃音恐怖症
1・6 医師になる

第2章 吃音の発症の原因
2・1 吃音はいつ始まるのか
2・2 悪者は母親?
2・3 一八〇度の転換
2・4 急激な言語発達の〝副産物〟

第3章 吃音治療の歴史と現在
3・1 吃音治療の始まり
3・2 「吃音を治す」から「吃音とどう生きるか」へ
3・3 吃音の軽減法
3・4 薬物療法
3・5 吃音は軽減していく

第4章 吃音外来
4・1 年中 ――「吃音」という共通語を使う
4・2 年長 ―― 吃音はママのせい?
4・3 小学校一年生 ―― 吃音はそのうち治る?
4・4 小学校高学年 ―― 誤解されやすい二面性の疾患
4・5 高校一年生の女子 ―― 高まる社交不安障害
4・6 二〇歳 ―― 難しい就職活動
4・7 四〇代 ―― 吃音で退職を迫られる

第5章 吃音と社会のこれから
5・1 吃音者の社交不安障害
5・2 聞く力
5・3 時代の変化と吃音


あとがき