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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ワイルド・スピード SKY MISSION』

2015-04-20 00:01:05 | goo映画レビュー

原題:『Fast & Furious 7』
監督:ジェームズ・ワン
脚本:クリス・モーガン
撮影:スティーヴン・F・ウィンドン
出演:ヴィン・ディーゼル/ポール・ウォーカー/ジェイソン・ステイサム/ミシェル・ロドリゲス
2015年/アメリカ

ひどく心を揺さぶられるアクション映画について

 もはや道路だけではなく空をも駆け巡る大規模なカーアクションは言うまでもなく、主演の一人であるブライアン・オコナーを演じたポール・ウォーカーの死により本作は今まで以上に情緒的な要素が強くなっている。それはリーダーのドミニク・トレットが自分たちを友人ではなく「家族(family)」であると何度も強調するが故に感傷の度合いがますます強くなり、ラストで別れも告げずにクルマで去っていこうとしたドミニクの後をブライアンがクルマで追いかけてきて、「さよならも言わずに行ってしまうのか」と文句を言いながら一緒に走り出し、やがて一緒に走っていた道からブライアンのクルマが車線変更する何気ないシーンでさえ、「別れも言わずに行ってしまったのはおまえの方ではないか」と思いながらひどく心を揺さぶられるのである。


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「天文学者」と「地理学者」

2015-04-19 00:07:10 | 美術

 国立新美術館の「ルーヴル美術館展」を取り上げるならばやはりヨハネス・フェルメール

(Johannes Vermeer)の『天文学者(De astronoom)』を語らなければならないだろう。

実物を見てみると意外と顔のフォーカスは甘いのであるが、気になったところは窓枠の下の

部分と地球儀の中心を取り巻く枠と人物の背後の絵の額縁の下の部分が一直線に並んでいる

ことで、それならば『天文学者』と対になっている作品と言われているフランクフルトの

シュテーデル美術館所蔵の『地理学者(De geograaf)』はどのような構図になっているのか。

人物が持っている分割コンパスの開いている形が、窓枠の下の部分とテーブルの上にある巻物が

作る三角状と類似し、さらに人物の後頭部のタンスによって出来ている影が三角状になっている。

この単純な「水平線」と「鋭角」の対照の妙が2作品の美の基礎になっているような気がする。


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「コローのアトリエ」を巡って

2015-04-18 00:01:43 | 美術

 国立新美術館で催されている「ルーブル美術館展」では別の発見もあって、例えば上の作品は

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot)の『コローのアトリエ

(The Studio of Corot)』(1873年頃)なのであるが、どこかで見たことがあると思っていたら、

三菱一号館美術館で現在開催されているワシントン・ナショナル・ギャラリー展の『芸術家のアトリエ

(The Artist's Studio)』(1868年頃)とそっくりだった。晩年のコローは売れっ子の画家で

大量の客の注文に応じていたらしく、このような同じ構図の作品が生まれたようであるが、2作品の

違いは『芸術家のアトリエ』で当初、犬がいる場所に『コローのアトリエ』においては鞄に置き換えて

いることで、犬の「視線」を除くことで絵を見つめる女性の視線を強めようとしたのだと思う。


『芸術家のアトリエ』


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「徴税吏たち」と「高利貸し」

2015-04-17 00:02:38 | 美術

 現在、国立新美術館において「ルーヴル美術館展(LOUVRE)」が催されている。上の作品は

マリヌス・ファン・レイメルスウァーレ(Marinus van Reymerswaele)に基づく模写として、

『徴税吏たち(The Tax Collectors)』(16世紀 End 1st quarter 16th century)が展示

されていたのであるが、どこかで見たことがあると思っていたら、Bunkamuraザ・ミュージアム

の「ボッティチェリとルネサンス」で展示されている、フィレンツェのスティッベルト博物館所蔵の

『高利貸し(The Usurers)』(1540年)で、同じマリヌス・ファン・レイメルスウァーレに

基づいたものだった。違いはほとんどないのだが、「両替商」から「徴税吏たち」と「高利貸し」

という微妙な解釈の違いが興味深い。


『高利貸し(The Usurers)』


『両替商(The Money Changers)』 マリヌス・ファン・レイメルスウァーレ


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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

2015-04-16 00:52:47 | goo映画レビュー

原題:『Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)』
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ/ニコラス・ジャコボーン/アーマンド・ボー/
    アレクサンダー・ディネラリス・Jr
撮影:エマニュエル・ルベツキ
出演:マイケル・キートン/エドワード・ノートン/エマ・ストーン/ナオミ・ワッツ
2014年/アメリカ

 現実をも超える大いなる「勘違い」について

 予告編からすっかりSF作品だと勘違いして観にいったら演劇に関する考察の物語だった。主人公のリーガン・トムソンはかつて『バードマン』という当たり役を得て一世を風靡したのであるが、シリーズはパート3で終了してしまい今ではしがない俳優として活躍場所を舞台に移して活動している。
 レイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を自ら舞台化してプレビューを迎えていたのであるが、共演するラルフの演技が気に入らなかったためにリーガンは「超能力」で天上のライトをラルフの頭に落として降板させる。そして舞台経験の豊富なマイク・シャイナーを起用し、その天才的な演技に魅了されるものの、マイクは演技と現実の見境がなくなる厄介な俳優だった。
  ニューヨーク・タイムズの演劇批評家であるタビサ・ディッキンソンは映画俳優のリーガンの舞台上の演技を全く認めておらず、リーガンは上演初日に酷評して潰すと宣告される。確かに『バードマン』を観た子供たちは「バードマン」を観に来ただけでリーガンを観に来たわけではなく、『愛について語るときに我々の語ること』を観に来る観客はレイモンド・カーヴァーの小説の「解釈」を観に来るだけの高齢者たちだと言われればそれまでなのである。
 娘のサムとマイクが一緒にいるところを偶然見てしまったリーガンは気持ちを落ち着けるためにタバコを吸いに裏口から外に出て吸っているとドアが閉まってしまい、ドアに挟まったガウンを脱いで白いパンツだけで表玄関まで行ったところをパレードを観に集まっていた大勢の人々に目撃されてしまう。大失態を犯してしまったと思ったリーガンはサムに教えられてその動画が評判を呼んで自分自身が「バードマン」のようにキャラクター化していることに驚くのであるが、自分の演技を見てもらいたいと思っているリーガンにとっては複雑な心境なのである。
 紆余曲折の末に向かえた初日、リーガンの役はラストで妻の浮気現場に遭遇し、自分が愛されていなかったことを知って絶望し拳銃自殺するというオチなのであるが、リーガンは本物の拳銃を用意して自ら頭部を撃ってしまう。運よくそれは未遂に終わり、ニューヨーク・タイムズの批評のヘッドラインにはタビサにより「The Unexpected Virtue of Ignorance」と書かれる。それを分かりやすく言い換えるならば「リアルと芝居の違いが分かっていない男がもたらした予想していなかった芝居の見どころ」という意味だと思う。そして「リアルと芝居の違いが分からない」もともと超能力者であったリーガンはキャラクターの「バードマン」ではなく、本物の「鳥男」となって病室から飛んで行ってしまうのである。芝居に「本物」があるとするならばそれは現実をも超える(=スーパーリアリズム)大いなる「勘違い」によって成り立つものなのであろう。

 全編をワンシークエンスショットによる撮影方法が『ロープ』(アルフレッド・ヒッチコック監督 1948年)から採られたことは言うまでもなく、ジャン=リュック・ゴダール的なタイポグラフィーの使い方や、リーガンが扉に挟まれたガウンを脱ぎ捨ててパンツだけで街を歩き回るシーンはチャールズ・チャップリンの芸風を想起させ、ジャジーなアントニオ・サンチェスのドラムソロのBGMはルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1958年)のマイルス・デイヴィスのインプロビゼーションを思い出させ、リーガンの『愛について語るときに我々の語ること』の劇場ポスターは『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ監督 1941年)を模倣するなど様々な映画的記憶も豊富で文句のつけようがない。


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『アパルーサの決闘』

2015-04-15 00:08:11 | goo映画レビュー

原題:『Appaloosa』
監督:エド・ハリス
脚本:エド・ハリス/ロバート・ノット
撮影:ディーン・セムラー
出演:ヴィゴ・モーテンセン/エド・ハリス/レネー・ゼルウィガー/ジェレミー・アイアンズ
2008年/アメリカ

「教養」が無力だった時代について

 1882年、ニューメキシコ準州のアパルーサという町でヴァージル・コールと12年間相棒を務めているエヴェレット・ヒッチが町の保安官を請け負った理由は、町の保安官ジャック・ベルを含めた3人が、ランダル・ブラッグが率いる強盗団の中でシカゴで男を殺し、その妻も暴行殺害した2人を逮捕しに行ったまま帰ってこなかったためである。
 一応、コールがリーダーと位置付けられているが、難しい言葉を言いよどむと代わりにヒッチが補い、あるいは町にひょっこり現れたアリソン・フレンチのピアノの下手さに誰も気がつかないようにアパルーサという田舎には決定的に「教養」が欠けている。
 その「教養」の欠落で、せっかく逮捕して裁判で死刑を宣告されたブラッグを列車で護送している途中で、権力者であれば誰にでもなびいてしまうアリソンを助けるためにコールの気持ちに配慮して解放してしまい、さらにはチェスター・A・アーサー大統領の税関で働いていたことで大統領とコネがあったために、ブラッグは今までの殺人に関しては無罪放免になってしまい、アパルーサに戻って来たブラッグは出所不明の大金でホテルを経営するようになる。
 必然的にブラッグはアパルーサにおいて有力者になり、アリソンはブラッグに惹かれるようになり、既に年老いて安定した生活を手に入れたがっていたコールの立場が危うくなりそうになった時、これでも違法な殺人は過去に一度しか犯していないと自負するヒッチは保安官を辞め、ブラッグに決闘を申し込み、撃ち殺してしまう。
 最も教養があるヒッチがお尋ね者として一人でアパルーサを離れることになるという皮肉が効いており、『ガン・ファイター(The Last Sunset)』(ロバート・アルドリッチ監督 1961年)同様に西部において教養は身を助けないのである。


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『ガン・ファイター』

2015-04-14 00:18:47 | goo映画レビュー

原題:『The Last Sunset』
監督:ロバート・アルドリッチ
脚本:ダルトン・トランボ
撮影:アーネスト・ラズロ
出演:ロック・ハドソン/カーク・ダグラス/ジョセフ・コットン/ドロシー・マローン
1961年/アメリカ

西部劇の中の「文学的素養」について

 主人公のブレンダー・オマリーは酒場で詩を詠んで酒代を稼いでその日暮らしをしていたのだが、殺人を犯した逃走犯で、昔の恋人であるベルを訪ねて彼女の今の夫のジョン・ブレッケンリッジの牧場にやって来て、テキサスに1000頭の牛を移動させる手伝いをすることになる。オマリーを追いかけてきた保安官のダナ・ストリブリングも同じ仕事をすることになり、テキサスでオマリーを逮捕するつもりでいた。オマリーが殺した男はダナの妹の夫であり、夫が殺されたショックで妹も自殺してしまったためにダナは例え流砂で助けられてもオマリーを許すことができないのである。
 お尋ね者のオマリーではあるが、なかなかの文学的才能を持ち、ベルや彼女の娘のメリッサ(ミッシー)に詩を語り、ベルはともかく例えば、「君は波が打ちつける大きな丸い岩になり、海の底をのぞき海にいる馬を夢みる。あまり知られてはいないが、海では人魚が海の雌馬に蹄鉄をつけている。見たものは少ないが、深緑の海底にはエメラルド色に光る洞窟もある。母馬はそこで子馬を夢に包んで隠している。これは誰もが知っている話だが、海面に立つ泡は母馬と子馬が遊んだ跡なんだ」と語られた、もうすぐ16歳になるメリッサはすっかりオマリーに夢中になってしまい、最初は子供だと思って取り合わなかったオマリーも、ベルと出会った頃のベルの黄色い服を着て現れたメリッサに当時のベルを重ねるように見てしまい、すっかりメリッサに夢中になってしまい駆け落ちの約束をする。
 ところが思いがけないことが判明し、メリッサと結婚できないことを知ったオマリーは、しかしメリッサを捨てるわけにもいかず、ストリブリングと一騎打ちを試みて射殺されてしまう。オマリーの銃の中に弾丸が入っていないことに関して、ストリブリングは自責の念からと考えたであろうし、ベルは(メリッサとオマリーはキスした後にシーンは翌朝に変わるのであるが)近親相姦があったとしてその責任をとったと考えただろうが、「あの太陽が山の向こうに沈む頃(=The Last Sunset)、君の元に戻る」と語っていたオマリーにとってはあらゆる罪を清算するためにストリブリングとの差しの対決を装って死ぬことがメリッサとの最善の別れであるからで、オマリーは自らの文学的素養があだとなって死んだのである。


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「粛々と」という言葉を巡って

2015-04-13 00:51:02 | Weblog

菅長官「『粛々と』使いません」 上から目線と言われ(朝日新聞) - goo ニュース
封印したはずの「粛々と」…首相、答弁で使う(読売新聞) - goo ニュース
安倍首相も「粛々」使わず=「上から目線」批判に配慮―辺野古移設(時事通信) - goo ニュース

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設作業について、菅官房長官が

「粛々と」という言葉を連呼していた理由は、「上から目線」というよりもまさに安倍晋三首相が

「既にある法令にのっとって粛々と進めている」と答弁しているように、沖縄県民に対する

情を排して徹底的に法律に則って進めていくという国の決意の表明だったように思う。

だから菅官房長官が急に沖縄に対して「軟化」することには違和感がある。それならば

翁長雄志知事が当選した時点から会談すればよかったはずで、このように方針がころころ

変わってしまうからこじれてしまうのであるが、このような大事なことを肝心の首相が

共有することなく、後から慌てて自分も使わないと表明するところを見ると辺野古移設問題は

安倍首相の中では既に「解決済みの問題」なのだろうね。


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最近の女性国会議員について

2015-04-12 20:56:37 | Weblog

東国原英夫氏、上西議員へのアドバイス生かされず落胆「豹変されたのかな」(マイナビニュース) - goo ニュース
片山さつき氏、遅刻問題を陳謝 「注意していて…」(朝日新聞) - goo ニュース
中川郁子政務官が妻子ある自民議員と「路チュー不倫」 慰謝料請求されたらどうなる?(弁護士ドットコム) - goo ニュース

 基本的に選挙の際は、若い女性の候補者に投票しようと思っていた。男女比の大きな差の是正や

自身の政策が自らに降りかかるくらい若い方が真剣に仕事をするだろうと思っていたのであるが、

上西小百合衆院議員に限らず、片山さつき参院外交防衛委員長や中川郁子農水政務官

などの失態を見てしまうと投票に行く気が失せてしまう。もちろん失態ならば男性の議員も

犯しているのではあるが、人数としては圧倒的に少ない女性議員の失態は目立つのである。

上西小百合は神戸女学院大学を卒業しているようで、それならば神戸女学院大学の教授だった

内田樹の薫陶を受けているはずなのであるが、誰か内田樹にこの件に関して取材に行った

メディアはいないのであろうか しかしそもそも内田樹の薫陶を受けていたならば

維新の党から出馬するはずはなく、これほどみっともないことにもなっていなかっただろうね。

上西はボディーガードにやくざを雇っているのかと思っていたら秘書だったことに驚いた。


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『ジヌよさらば~かむろば村へ~』

2015-04-11 20:54:48 | goo映画レビュー

原題:『ジヌよさらば〜かむろば村へ〜』
監督:松尾スズキ
脚本:松尾スズキ
撮影:月永雄太
出演:松田龍平/阿部サダヲ/松たか子/西田敏行/二階堂ふみ/片桐はいり/中村優子
2015年/日本

政治色の濃い作品について

 主人公の高見武晴はかつて東京で銀行に勤めており、貸したお金の回収をしている内にその悲惨さから現金に触れることができなくなり、退職した後に農業で生計を立てる決意で「かむろば村」に移住してくるのであるが、そうは簡単にいかないのである。
 ギャグや笑いの質の良し悪しは評価の分かれるところだろうが、本作の本質は主人公の「お金アレルギー」よりも村長選挙への立候補にあると思う。「なにも売らない なにも買わない ただ生きて行く」という武晴のキャッチコピーは明らかに第18回統一地方選挙を意識してのものであり、本作が4月4日に公開された理由もそこにある。もちろんこの清廉潔白なキャッチコピーに込められた皮肉が実際の選挙に影響をもたらすことは無きに等しいであろうが、しばしば現れる「がんばっぺ東北」というポスターと共にこれほど「政治的」な作品はいまどき珍しく、その蛮勇だけでも個人的には本作を高く評価したいと思う。


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