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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『コッポラの胡蝶の夢』

2015-04-07 00:26:25 | goo映画レビュー

原題:『Youth Without Youth』
監督:フランシス・フォード・コッポラ
脚本:フランシス・フォード・コッポラ
撮影:ミハイ・マライメア・Jr
出演:ティム・ロス/アレクサンドラ・マリア・ララ/ブルーノ・ガンツ
2007年/アメリカ・ドイツ・フランス・イタリア・ルーマニア

コントラストの中の三番目のバラの置き場所について

 主人公の言語学者のドミニク・マテイの物語は、さすがミルチャ・エリアーデの小説を原作としているだけあって複雑に錯綜し、捉えどころがないまま「夢オチ」のようにして終わってしまうが、ストーリーの「骨格」は意外と明確で、例えば、落雷の直撃を受けたドミニクの肉体が若返りを見せるのとは対照的に、同様に落雷の直撃を受けたヴェロニカは精神が老いることで様々な種類の言語を語りだす。あるいはドミニクが言語の起源を探ろうと研究し始めると、ヴェロニカの肉体が老いだし、ドミニクが研究を諦めると、若いヴェロニカは2人の子供と共に列車でスイスに出立する。
 ドミニクは放電現象により増大させ、文献を読む前にその内容が分かってしまい、負けることがなくなったルーレットで資金を稼げる知的能力をナチスに狙われ、彼の知性を補うために鏡や夢の中に現われる「分身(アルター・エゴ)」と共に逃亡していたのであるが、第二次世界大戦が終わった後の「分身」が語る、善と悪は意味を失い存在は絶対の中で無と化す世界においては核戦争を受け入れ、電子パルスが未来世界の人間に無限の可能性を与える突然変異と新人類が誕生するという「理想郷」に激怒して、鏡を壊すことで「分身」を抹殺してしまうのである。しかし「来るべき未来」を否定することは同時に「起こったはずの起源」も葬ることを意味し、ドミニクは人生を賭けた仕事を成し遂げられないまま人生を終えてしまう。
 結局、人生を賭けてドミニクがしていたことは、例えていうならば最初のバラを右手に持ち、二番目のバラを左ひざに置き、三番目のバラの位置を探っているだけだったのである。「二元論」で考えている限り答えは見つからないのであるが、ドミニクが亡くなった後、彼は左手にバラを持つことになる。意外と身近にあると答えは却って見つけにくいものなのである。


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