グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
1997年/アメリカ
「Good Will Hunting」とは?
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
「ウィル・ハンティング」をただ主人公の名前だと思ってこの作品を観賞したとしても、親の虐待で心を閉ざした天才青年が周囲にいる人々の理解でもって心を開いていくまでの物語として楽しむことは出来るのだが、敢えて視点を変えることで‘別の物語’も見えてくるのではないのか。
「グッド・ウィル・ハンティング」を字義通りに解釈すると、「良い(=Good)意志(=Will)探し(=Hunting)」となり、これは主人公ウィルだけのことではなく、ウィルの才能を見出したランボー教授や、ウィルのカウンセリングを担当したショーン・マクガイアにも当てはまることになる。つまりお互いが関わりあう中で自分にとっての「良い意志」とは何なのかをそれぞれが探していることになるのだ。そしてこの「良い意志探し」は彼らにとって誰でもいいわけではない。例えばウィルはショーンに出会うまでに2人のセラピストにカウンセリングを受けるのだが、彼らとは反りが合わない。彼らのカウンセリングは型通りのまま、つまり「本から得た知識」のままで、内から湧き出る柔軟な才能(=意志)ではなかったのだ(勿論、意志は意思ではなくこころざしである)。
それを示す象徴的なエピソードがある。ウィルが怒って、難解な問題を解いた解答用紙を燃やした時、ランボー教授が慌てて消した時の教授の以下のセリフだ。
「ここまで高度だと君と私の差をわかる人間も少ない。私にはわかる。君に出会わなければ夜も眠れて才能の差に苦しむこともなかった。君の堕落も見ずにすんだ」
教授は他人にはほとんど理解できないウィルの才能を理解できる以上、嫉妬以上に敬意が心から湧いてきて見捨てることが出来ない。あらゆる手を尽くして彼を助けようとする。これは正に「良い意志探し」ではないのか。それぞれがお互いに尊敬できる才能を見出せるから必然的に自分の「良い意志」を探すことになるのだ。
ラストシーンでウィルが全てを捨てて恋人のスカイラーのもとへ行ったのも、相手の自分に対する無償の「アイ・ラヴ・ユー」に答えることが、一番の「良い意志探し」だからであろう。
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