オーケストラ!
2009年/フランス
2つの‘オーケストラ’
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
原題『Le Concert(=コンサート)』とあるように、この作品はラストのコンサートシーンにたどり着くまでの主人公のアンドレイ・フィリポフを初めとする人々の葛藤が描かれているという点で『奇跡のシンフォニー』(カーステン・シェリダン監督 2007年)と通じるものがあり、原題は尊重されるべきではあるのだが、では邦題の‘オーケストラ’が悪いのかとなると一概にそうとも言いきれない。
そもそも主人公のアンドレイ・フィリポフがパリに行けた理由は、KGBに所属しているイヴァン・ガヴリーロフもこの機に乗じてパリで開かれる共産党集会に出席したいためだった。
しかしイヴァンが出席したパリの集会は30年前とは比べものにならないほど閑散としていた。他方、30年前にコンサートの途中でKGBに妨害されて中断を余儀なくされて以来、沈黙を守っていた指揮者のアンドレイ・フィリポフが絶好の機会を捉えてタクトを振るうパリで催されたコンサートには多くの観客が集っている。
つまり主義主張の正しさが必ずしも人を引きつけるとは限らず、長い間、姿を隠していても人を魅了し続けるものもあるというアイロニーが描かれているのであり、言い換えるのならば、‘コンサート’というタイトルが正しいことは間違いない(=主義主張は正しい)としても、映画というものはオーケストラと同じように微妙な変化、例えば、アンドレイ・フィリポフが指揮をとるオーケストラにソリストのアンヌ=マリー・ジャケが加わるような変化が予測不可能な効果をもたらすこともあり、ここではタイトルを‘オーケストラ’とみなすことで2つの‘オーケストラ’の皮肉なコントラストを認めるべきであろう。
仙谷氏、保安官のコメントを厳しく批判 尖閣映像流出(朝日新聞) - goo ニュース
昨今の事件の分かりにくさは、敢えて犯罪者として扱われることを覚悟の上で
罪を犯す人の方が、自分にとって都合の悪いことは地検や報道機関に責任を
擦り付けて、自分には非など全くないと知らん顔をしている仙谷由人官房長官の
ような人間よりも信用できてしまうという現実にある。仙谷由人官房長官は「被害者
になろうが加害者になろうが、捜査期間中に捜査書類が流出する捜査機関を信用
できるか」とも語っているが、既に“捜査書類”であった元係長のフロッピーディスク
のデータを改ざんしていたことがバレてしまった大阪地検特捜部からして信用を
失っているのだから、今のところ日本に信用できる捜査機関は今の民主党政権も
含めて無いも同然であることを官房長官であるならば肝に銘じて欲しいものである。