ニュー・シネマ・パラダイス
1989年/イタリア=フランス
無償の愛
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
フランシス・フォード・コッポラの1979年に公開された153分ヴァージョンの『地獄の黙示録』を観た時はよく分からなかったが、2001年に公開された202分の特別完全版を観た時には作品の意図がよく分かったように、この『ニュー・シネマ・パラダイス』も1989年の123分の劇場公開版を観た時にはその良さが分からなかったが、2002年の173分のディレクターズカット版を観てようやくその良さが分かった。
父親を戦争で亡くした、トトという愛称で親しまれているサルヴァトーレ・ディ・ヴィータと子供のいない映写技師のアルフレードは映画好きという共通点から親子というよりも友情で繋がる。アルフレードはトトの才能を見抜いており、二度と故郷に戻ってこないようにとトトをローマに送り出した。30年後、トトはアルフレードの葬儀に出席するために村に戻ってきた。確かにトトは映画監督として成功を収めたのであるが、彼はいまだにエレナに対する想いを断ち切ることができないまま、結婚をすることもなく私生活は荒れていた。30年振りにエレナと再会してトトはアルフレードがエレナとトトの駆け落ちを阻止していたことが分かり、トトの心の奥にアルフレードに対する不信の念が湧く。
兵士と王女の話が興味深い。兵士が王女の住む部屋のバルコニーの下に100日立ち続ければ王女と結婚ができるはずだったのだが、兵士は99日立ち続けた後、その場を立ち去ってしまうというアルフレードがトトにした話である。アルフレードは兵士の行動の意味が理解できないと言っていたが、トトは兵士が100日立ち続けても王女がその約束を破ってしまうと兵士は死ぬしかないから立ち去ったのだと解釈していた。しかしそのように相手を信用できないという解釈こそトト自身を30年間苦しめることになった原因であろう。おそらく兵士が立ち去った本当の理由は、兵士の王女に対する愛が王女という‘見返り’を求めない‘無償の愛’であることを示すためだったのである。
アルフレードに対する不信を抱えたまま、トトはローマに戻り、試写室でアルフレードの遺品であるフィルムを観ると、それは当時教会の‘検閲’でカットされた様々な作品のキスシーンが編集されたものだった。つまりアルフレードはトトと何気なく交わした約束を憶えていたというだけではなく、トトのエレナに対する情熱を十分に理解しながら、それでもトトとエレナの駆け落ちを阻止したのはトトの映画に対する可能性を信じた上での苦渋の決断であったことを示す。アルフレードはトトに兵士のような無償の愛を演じさせることでトトに大人になることを促したのであろう。
エレナがトトに残したメモの裏にミケランジェロ・アントニオーニ監督の1957年公開作品の『さすらい』というタイトルが書かれていたことは、まさにトトが‘さすらって’いるわけだから偶然ではない。映画館主が『さすらい』について「良い作品だが誰にも分からない」という通りにミケランジェロ・アントニオーニは愛の不可能性を描き続けた監督である。観て分かる通りに当時の映画館は観客がおしゃべりしながらテレビを観るような感じで作品を観るような賑やかな娯楽施設だったから、アントニオーニが描くような、主人公が自殺して終わり、観客を黙らせてしまう哲学的な作品は1日だけの上映になってしまったのであり、実際トトは愛を理解することに30年を要したのである。
1月19日(火曜日)に放送された番組『人志松本の○○な話』内での千原ジュニア
語ったエピソード内容はかなり酷いものだった。彼はある美術館内で絵画の鑑賞を
しながらフリスクを食べた時に美術館の職員に大声で注意されたことに全く納得が
いかなかったようで、その相手に対して「向こうにいるオヤジが爪をかんでいるのと
どこが違うのだ」と屁理屈を述べて、相手を黙らせたことを得意になって話していた。
私はこの美術館の職員に同情する。まずたかだか1時間程度の鑑賞時間内で
嫌がらせのようにしてわざわざフリスクを食べる必要はない。千原ジュニアがどの
ような美術館に行ったのか分からないが、他の美術館から作品を借りて展示して
いるのであるならば、なおさら細心の注意を払わなければならない。千原ジュニア
は美術作品の価値というものが全く理解できていないと思う。万が一ネタ作りの
ための行為であるならば最低の男だと思う。