消されたヘッドライン
2009年/アメリカ
本当のどんでん返し
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
‘ヒーローもの’同様にいわゆる‘ジャーナリストもの’も混迷を深めている理由は、社会自体もますます混迷しているからだが、その混迷さが作品の面白さに結びついているかどうかとなると疑問が残る。この作品を一度観ただけで理解できる人がいるのだろうか?
この作品の面白さを要約するならば、結局犯罪は個人に帰されてしまい、巨悪が生き残るということであろう(思い当たるような事件は日本にも多々ある)。スティーヴン・コリンズ議員は彼のもとで働いている職員で彼の愛人でもあるソニア・ベーカーの身辺調査を、彼が兵役に就いていた時の同僚であるビンガムに依頼するが、私のモンタージュの見間違いでなければビンガムが最後に「決着をつける」と電話をした相手はポイントコープである。つまりビンガムもソニアと同じようにポイントコープのスパイであるのだが、ビンガムを警官が射殺してしまい真相が明らかにならないため、コリンズも主人公の新聞記者カル・マカフリーもそのことに気がついていない。そして黒人少年スタッグとピザ配達人のサンドとソニアとその子供の死はビンガムを雇ったコリンズの罪とされて、カルはポイントコープを追いつめるどころか、その先頭に立って戦っていた親友のコリンズを失うことになる。
だからラストで記事を書き上げたカルがデラ・フライに記事を送信させた意図は一緒にネタを掴んだからというよりも、本当の悪を暴けなかったという不本意さからではないだろうか? そういう意味ではこの作品の邦題‘消されたヘッドライン’は珍しく秀逸なものだと思う。
毎日新聞夕刊の木曜日の芸能欄で連載されている田家秀樹氏の「70年代ノート」
を毎週楽しみに読んでいて昨日も読んだのだが、驚いたことが書かれていた。
1975年の年間シングルチャートの1位が、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」だと
書かれていたのである。冗談かと思って調べてみたが冗談ではなさそうなのだ。
私は「昭和枯れすすき」という歌は戦後辺り、「りんご追分」的な歌かと思っていた
のだが、1975年となると戦後から結構経っているから、この歌がどのような思いで
大衆に受容されたのか不思議に思う。今の私にはコミックソングにしか聞こえない
のであるが、1975年の人たちは涙を流して聴くことができたのだろうか しかし
1973年に「神田川」だから、その学生たちがいよいよ追いつめられたということ