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「女たちの明治維新」鈴木由紀子

2022年08月02日 07時28分13秒 | 読書(幕末/明治)


「女たちの明治維新」鈴木由紀子

P73
横井小楠の政治思想に深く傾倒していたのが勝海舟であり、それを具体的に実践していったのが坂本龍馬であった。

P75
まだ開国もしていない幕末に日本茶を世界に紹介し、製茶貿易の先がけとなって巨万の富をきずきあげた女性の貿易商がいた。

P136
のちに同志社総長をつとめた小崎弘道、横井時雄、海老名弾正などは、みな新島(襄)にならって妻を「あなた」という敬称でよんだといわれ、日本家庭に新しい風を吹きこんだことはたしかである。

大山捨松の名の由来
P138
官費で10年間も勉強の機会があたえられるという現代から見ればうらやましいほどの条件にもかかわらず、応募者は1人もいなかった。嫁入り前の娘を10年間も親元から手ばなすのは捨てたも同然であり、女性は15歳くらいで結婚した当時の感覚からすれば、婚期を逸してしまうのは目に見えていた。(中略)
母の唐衣は「捨てたつもりで待つ」との切なるおもいをこめて、咲子という幼名を「捨松」とあらためた。

P141
欧米列強と肩を並べていうには、優秀な人材を育成しなければならない。それには賢い母親となる女性の教育が先決だと感じたあたりが、いかにも明治の政府高官の感覚である。彼らには男性と対等の人間として女性をうけいれ、社会に貢献させようという発想もなければ、日本の社会もそこまで熟成してはいなかった。

陸奥宗光夫人・陸奥亮子
P191
25年も日本に滞在したイギリスの外交官、アーネスト・サトウはめったに日本女性の容姿をほめなかったが、かれの日記に「美人」だと記しているのは、亮子だけだという。
RyokoMutsu.jpg
1888年頃、亮子33歳頃の写真

【ネット上の紹介】
製茶貿易を先駆けた大浦慶、日本初の女医となった楠本稲、『小公子』を翻訳した若松賎子、外交の一翼を担った陸奥亮子…。幕末から明治への激動期をたくましく生きぬいた女性たちに光を当て、その足跡に迫る。逆境から道を拓いた女性たちの勇気と情熱をとおして、生きるための戦略が見えてくる。
第1章 変革への始動―常識を破る女たち(女囚高須久子と吉田松陰
松陰との再会と別れ ほか)
第2章 維新前夜―挑戦する女たち(日本茶を世界に広めた大浦慶
侠気で龍馬をささえた楢崎龍 ほか)
第3章 敗者からの転身―会津藩の女たち(同志社の母とよばれた新島八重
伯爵夫人となった大山捨松 ほか)
第4章 世界デビュー―外交官の妻たち(森有礼と契約結婚した広瀬常
陸奥宗光の杖となった亮子の献身)

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