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「地図と写真でみる半藤一利昭和史1926-1945」

2023年01月20日 05時40分50秒 | 読書(昭和史/平成史)


「地図と写真でみる半藤一利昭和史1926-1945」

半藤一利さんの「昭和史」の副読本とも言うべき作品。
写真と画像多数掲載により、理解しやすい。

有名な203高地の位置も知ることができた ↓

P32
のちに日本が軍縮条約から脱退してしまい、結果的に自由に軍艦をつくれるようになったが、海軍は、従来通りの超弩級戦艦中心の軍備を整えるべきだという「艦隊派」と、大きな軍艦などこれからは無用であり、そのぶん「中攻」を核とした航空兵力を整えるべきだとする「条約派」に分かれることになった。
もっとも、軍艦を自由につくれないということは、それだけ艦長や○○長といった役職(ポスト)が減ることと直結する。恩給(年金)にも関係してくるだろう。
海軍であろうと陸軍であろうと、公務員という立場を考えると、それだけで「反対」の声があがるのは今も昔も変わらない悪癖なのかもしれない。(国の命運が「恩給」に左右されたのね)

P47
(ノモンハン事件の)本質的な失敗は小松原(道太郎)のソ連軍への過小評価にあった。とりわけ火力差は圧倒的で、ソ連軍が多数の戦車を投入したのに対して日本はゼロ。化学戦車の火炎放射も日本軍を苦しめた。これに対して辻(政信)は、「師団の団結が薄弱であること、対戦車戦闘の未熟さ」と責任を現場に押しつけている。(中略)辻はのちにマレー作戦の際に作戦参謀でありながら任務を放棄し命令系統を無視して第一線で指揮をとり、また無理な作戦計画を立てて失敗している。(「昭和の名将と愚将」の愚将篇のなかで、牟田口廉也、服部卓四郎、辻政信が挙げられている・・・「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康

P56
ハル・ノートを提示した段階で戦争を覚悟していたルーズベルトは、自らの陸海軍に対しそれぞれの長官を通じて現場部隊指揮官にまで、さらなる条件をつけた。最初の一撃を必ず日本側に行わせることだ。これは、アメリカ国民向けに「日本が悪く、アメリカは正しい」を強調し、開戦に賛同させるためのルーズベルトの「最後の仕上げ」だったといってよかろう。

P64
昭和天皇は、張作霖爆殺事件に関する田中義一首相への問責、2.26事件における反乱軍に対する討伐命令、そして終戦の聖断という3つの局面で、政治への関与を見せている。

P77
「太平洋戦争でこれほど被害の少ない戦いはない。レーダー開発に長い時間と費用を費やしたことが無駄でなかったと証明された」と旗艦空母「レキシントン」の戦闘報告書にまとめられている。

P92
天皇は終戦の詔勅を用意するよう内閣に命じ、ラジオを通じて全国民にポツダム宣言受け入れを直接伝えると決断した。
この結果に、陸軍では阿南陸相に辞任を迫る動きがさらに起こったが、阿南は「聖断が下った以上、陸軍は一糸乱れず承詔必謹を貫くべき」として動かなかった。これが本来の統帥権尊重の姿勢だろう。(阿南は徹底抗戦派と言われることもあるが、これを読むとそうではないように感じる。なお、阿南は終戦の際に自決している。Wikipediaによると人柄について次のようにふれている。『陸軍でも家庭でも、大声をあげることも、他人を叱ることもほとんどなく、(中略)たまにする夫婦喧嘩でも先に折れるのは常に阿南の方であった』)





【関連図書】
 


「昭和史 1926-1945」半藤一利

「昭和史 戦後篇」半藤一利

「世界史のなかの昭和史」半藤一利

「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康 

「B面昭和史1926-1945」半藤一利

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