「こんなわたしで、ごめんなさい」平安寿子
デビュー当時から巧かった。
それは今も健在。
文章も私の好み。
シニカル&アイロニーでユーモアもある。
特に短編が巧い。
短編の名手と言えば、ロバート・シェイクリイを思い出すけど、
日本で言うと「ガール」の奥田英朗さんか?
私は平安寿子さんも、かなりのレベルと判断している。
P8
悪魔に魂を売ったがごとく、バカに景気がよかった1980年代末の20代たちは、高収入、高学歴、高身長を相手に求めたという。
そんなわがままが言えたなんて、信じられない。大体、この日本に三拍子揃った男がいたのか!?
P88
老後の安心のために結婚し、子供を産むなんて、不純だ!
などと正論をぶつには、泉は世間を知りすぎている。介護が必要な弱者となったとき、なんと言っても頼れるのは肉親だという現実を痛感する毎日なのだ。
仲が悪くても、家族は見放せない。それが人情というものだ。そのため底知れない軋轢も生まれるのだが、それでも、ことが起こると行政や警察は、血縁に責任をとらせようとする。
【参考リンク】
作家の読書道:第38回 平安寿子さん
【関連リンク】
「さよならの扉」平安寿子
「おじさんとおばさん」平安寿子
「神様のすること」平安寿子
「こっちへお入り」平安寿子
【平安寿子さんから中高年の皆さんへのお言葉】(他作品より)
五十を過ぎると、むしろ、跡がつくほど傷つく経験でなければ思い出になり得ないとわかる。人が自分の幸せに気付かないのは、ハッピーな経験ほど、メモリーにインプットされないからだ。
傷つかなければ、忘れてしまう。人間とはそれほど大雑把な生き物だ。
女であることはわたしの属性のひとつであって、全部ではない――これは、80年代フェミニズムのスローガンだ。
当時三十台の久美子は、こんな言い方をする女になりたくないと思った。
(中略)
ところが、更年期を過ぎたら、このスローガンがピッタリ!
解決できない問題を、いつも両手一杯に抱えている。立っているだけで精一杯。それが、五十台だから。
【ネット上の紹介】
欠点や弱点、悪い癖を自分から引きはがせずに、あがく女たちの悲喜こもごも。ユーモラスでシニカルな「平節」炸裂の短編集!名手の傑作コメディ7編!