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「プロテスタンティズム」深井智朗

2024年04月05日 07時34分18秒 | 読書(宗教)


「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」深井智朗

読み返し。
 
マルティン・ルター      

PⅧ
プロテスタントは、ルターの改革以後に発生したさまざまな教会とその信者たちを指す。そしてプロテスタンティズムとは、いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは1517年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称だ。

P5
なぜキリスト教は北アフリカやパレスチナを離れ、北上し、その中心をヨーロッパへと移したのであろうか。諸説あるが、おそらくその理由の一つは、イスラムに地中海地域の覇権を奪われたからであろう。

P9
さらに教会はこう説明したのである。天国に行くためには教会の教えに従う必要がある。天国への道を知っているのは教会だけで、その道を通過せずには天国に行けないのだと。これがキリスト教的ヨーロッパの完成であった。教会は天国とそこにいたる通路を支配した。教会は「あの世」というきわめて宗教的な問題を取り扱っているのだが、実際には「この世」を支配した。

P29
贖宥状は便利なもので、信者の側からすれば罪の償いと天国行きの確約がお金で買えるし、取り引きできる。天国行きの確証を目に見える形で手に入れることができる。他方で教会の側からすれば、これを販売することで現金収入がある。そしてこれは人々が欲しいものだから、完全に売り手市場である。

P31
教会はその土地の支配者の私有物であり、貴族や諸侯の次男や三男がその職を聖職録とともに受け継いでいることが多かった。地方の聖職者の多くは聖書を読んだこともなく、ミサの順番さえ知らなかったし、キリスト教の教えを体系的に説明することなどもできなかった。

P40
1517年の贖宥状批判の狙いをここで確認しておこう。それは、西ヨーロッパのキリスト教であるカトリックのリフォームをめざしたものだ。新しい宗派としてのプロテスタントが誕生したわけではない。ルターはたしかに討論を呼びかけたが、新しい宗派を造ったとは考えていないし、そもそも生み出そうともしていなかった。

P59
もともと聖書はヘブライ語とギリシャ語で書かれているが、彼は新約聖書の部分を1522年に、旧約聖書は1534年にドイツ語に訳した。
   
P65
カール五世は自ら起草した判決文を読み上げ、破門となったルターを異端と宣言した。

P66
東方で急速な拡大を続けるオスマン帝国が1526年にハンガリー王国に勝利し、国教に迫る勢いを見せていた。そのためカール五世は国内勢力の結集のために、ルターを擁護する諸侯に対して強く出られなかったのであろう。

P72
ルターの教会制度批判が本気だと人々が確信したのはおそらく彼が結婚した時であろう。

カルヴィニズムについて
P96
東欧やオランダでは影響力を拡大し、フランスではユグノーと呼ばれるようになり、またスコットランドでは国教となっている。スコットランドでカルヴァンの影響を受けた人々は長老派と呼ばれるようになった。

ルターとカルヴァン(右)

P98
すべての信徒が聖書を読み、解釈する自由を認めたプロテスタントは解釈をめぐって争い、分裂し、互いに対立するようになった。「プロテスタントの宗派や教団についての本を書けばそれは必ず電話帳よりも厚くなる」という冗談があるほどだ。

P116
おそらく一番力を入れたのは、日曜日の礼拝の充実であった。(中略)
(礼拝は英語で「サービス」という)

P154
ニーチェはルター派の牧師の息子で、キリスト教をラディカルに批判し、否定したと理解されているがそれは正確ではない。ニーチェは、彼の父親にその姿を見たような権威主義的な教会と制度としてのキリスト教を否定したのであって、キリスト教を批判したのではない。

P168
大西洋を渡ったのはピューリタンと呼ばれる人々であったが、彼らは特定の教派ではなかった。ピューリタンには長老派、会衆派、バプテストやクェーカーまでさまざまなグループがある。(中略)
1620年9月16日であった言われる。(中略)この船は現在のニューヨークのあたり、ハドソン川の川口をめざしていた。ピューリタンと呼ばれたまさに新プロテスタンティズムの精神を具現化した人々41人を含む102名(そのうち29名が女性)がその船に乗り込んでいた。66日をかけて船は大西洋を渡った。


P185
カウンタビリティとは神学用語である。神の前での最後の審判において、人間が天国行きの最終決定を受けるための、自分の人生についてのアカウンタビリティである。神の前で人生を説明してみせるのである。

P186
アメリカの公共宗教研究所の2014年の調査によれば、所属する宗教ではキリスト教が78.2%であった。(中略)神を全く信じない人々は8%で、どの宗教団体にも属さない人が14%いる。ユダヤ教とイスラムはそれぞれ2%程度である。(わずか2%なのに、米国がイスラエルを擁護するってどういうこと?)

日本のキリスト教徒人口は193万人、国民の1.5%、プロテスタント人口はその半分(2016年12/3、文化庁の調査)

P199
隣国の韓国がほぼ同時期にアメリカの宣教師によってプロテスタンティズムを伝えられ、今日では人口の30%以上がキリスト教徒であるのとは対照的である。

【誤植】
P36
早くから理解され。

早くから理解された。

【追加】
「プロテスタンティズム」はとても良い本で、読売・吉野作造賞も受賞してたが、研究不正行為により受賞を取り消された。

【以下、Wikipediaより】
2019年5月10日、東洋英和女学院大学の調査委員会は研究活動上の不正行為(盗用および捏造)があったと認定し、同学院はこれを受けて開催した臨時理事会で深井を懲戒解雇処分とすることを決定した。調査では、深井が『ヴァイマールの聖なる政治的精神』で紹介した「神学者カール・レーフラー」は存在せず、その論文も捏造であることなどが認定された

本人は一部に関して「想像で書いた」などと説明し、意図的な研究不正を認めていない

【ネット上の紹介】
1517年に神聖ローマ帝国での修道士マルティン・ルターによる討論の呼びかけは、キリスト教の権威を大きく揺るがした。その後、聖書の解釈を最重要視する思想潮流はプロテスタンティズムと呼ばれ、ナショナリズム、保守主義、リベラリズムなど多面的な顔を持つにいたった。世界に広まる中で、政治や文化にも強い影響を及ぼしているプロテスタンティズムについて歴史的背景とともに解説し、その内実を明らかにする。
第1章 中世キリスト教世界と改革前夜
第2章 ハンマーの音は聞こえたのか
第3章 神聖ローマ帝国のリフォーム
第4章 宗教改革の終わり?
第5章 改革の改革へ
第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム
第7章 リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
終章 未完のプロジェクトとして

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