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【ぼちぼちクライミング&読書】

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「殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く」長谷川博一

2012年06月28日 20時43分03秒 | 読書(ノンフィクション)


「殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く」長谷川博一

著者は臨床心理士。
登場するのは「有名人」ばかり。
宅間守、宮崎勤、畠山鈴香、加藤智大・・・。

獄中の殺人者と対話して、生育歴から犯罪の裏を読み解いていく。
それによって、(許されない犯罪ばかりだけど)異なる面も見えてくる。
もし、我々がその立場で生まれ育ったなら、と思ってしまう。
また、第10章など、真犯人は別にいるやんけ!と思ってしまう。
TVや新聞で報道される「事実」は一側面にすぎない、と分かる。

P21宅間守の言葉
「子どもたちには何の罪もない。自分が子どもの立場やったら、無念やったろうなぁ」
「初めて言うけどほんまはな、途中で、もうやったらいかん、やめないかん思って、そやけど勢いがあって止まらんかった。誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっとこれで終われるぅて、ほっとしたんや」

P59宮崎勤の言葉
「声明文を送りましたね?」
「知らない」
「今田勇子という名で・・・・・・」
「知らない」
「手紙を書いたこと自体は覚えてる?」
「覚えていない」

P181
裁判では、本人が気づいていない無意識への眼差しが欠けがちです。人は自分の心のはたらきをすべて把握しているわけではありません。このために「真相は闇に葬られた」の決まり文句で終わるような結果が招かれやすいのだと考えます。もちろんその眼差しがあればすべての犯罪をきれいに説明できるわけではありませんが、犯罪はその行為すべてが本人の意思でコントロールされているわけではないことを確認しておきたいと思います。

【ネット上の紹介】
閉ざされた記憶、明らかになる事件の真相…。勾留施設での面会と往復書簡から炙り出す、その凄絶な生育歴。
[目次]
第1章 なりたくてこんな人間になったんやない―大阪教育大学附属池田小学校事件・宅間守;
第2章 私は優しい人間だと、伝えてください―関東連続幼女誘拐殺人事件・宮崎勤;
第3章 ボクを徹底的に調べてください―大阪自殺サイト連続殺人事件・前上博;
第4章 私のような者のために、ありがとうございます―光市母子殺害事件・元少年;
第5章 自分が自分でないような感覚だった―同居女性殺人死体遺棄事件・匿名;
第6章 一番分からなくてはいけない人間が何も分からないのです―秋田連続児童殺害事件・畠山鈴香;
第7章 常識に洗脳された人間に、俺のことが理解できるかな!!―土浦無差別殺傷事件・金川真大;
第8章 私は小さな頃から「いい子」を演じてきました―秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大;
第9章 命日の十一月十七日までに刑を執行してほしい―奈良小一女児殺害事件・小林薫;
第10章 これって私の裁判なんですね。はじめて裁判官の顔が見えました―母親による男児せっかん死事件・匿名


「おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー」森絵都

2012年05月29日 22時26分29秒 | 読書(ノンフィクション)

「おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー」森絵都

タイトルどおり、福島原発20キロ圏内ペットレスキュー報告書。
いくつか文章を紹介する。

P39
福島でのレスキューが通常の保護と違うのは、犬猫たちは捨てられたわけではなく、飼い主と生き別れの身の上にあるという点だ。20キロ圏内で救われた犬猫は、だから最低でも1年間は預かりボランティアのもとで飼い主の発見を待つことになる。

P64
(前略)普段は泣かないのに、今回はやたらと涙が出る。皮しか残ってない犬や猫がたくさんいて、勘弁してよ、と思って。泣くことが恥ずかしいとは思わなくなっちゃっいましたね。見たくもないような量の見たくもないようなものを見ちゃって、泣くことでしか精神のバランスを保てなくて。
 自分がやってることが正解だとは思ってないし、もう何回もやめたくなりましたよ。なんのためにこんなことやてるんだろう、って。泣いて、吐いて、泣いて、吐いて・・・・・・長いことやめてた煙草もまた吸いはじめちゃったし。それでも、保護した犬の飼い主さんが見つかったよって報告がくれば、大喜びしますしね。そういう一つ一つが心の支えです」

P152
「今、地元の人の申請だったら、許可証はばんばん下りるんですよ。理由とかも全然チェックされない。なのに、ペットレスキューだけは申請が通らないって、どういうことなんだか」

P191
20キロ圏内に残された動物たち、そしてその飼い主の哀や苦を、彼女たちに代わって引きうける機能がこの国には存在しない。だから彼女たちがこうして命を賭している。何度も何度もここへ通って、線量の高い地区をめぐり、一体どれだけの放射能を浴びているの?死んじゃうんじゃないの?警察は彼女たちの何を恐れているの?彼女たちが実際に犬猫レスキューをしていることは、誰より警察が一番よく知っているはずなのに。

【関連リンク】
ねこさま王国

東北地震犬猫レスキュー.com

森 絵都『おいで、一緒に行こう』 | 特設サイト - 本の話WEB

【参考までに】
この作品は、「オール讀物」3月号に掲載された。
本作品は、その単行本化、である。(これほど迅速な単行本化は珍しい)
雑誌と単行本の異なる点は、カラー写真が多数収録されていること。(雑誌は白黒)

●「オール讀物」とは文藝春秋の雑誌で、キャッチフレーズは『わが国で最も長い歴史を有する中間小説誌』。
[特集情報]
直木賞掲載号 葉室麟「蜩ノ記」/森絵都「救出」ノンフィクション
◆女たちのペットレスキュー    森 絵都
残された動物を救うべく、原発20キロ圏内へ向かった女たち──。被災地に無償の愛をそそぐ人々の姿を、著者一流のタッチで描く。


「マリー・アントワネット運命の24時間」中野京子

2012年05月16日 22時33分34秒 | 読書(ノンフィクション)

「マリー・アントワネット運命の24時間~知られざるフランス革命ヴァレンヌ逃亡」中野京子

いわゆるヴァレンヌ逃亡事件をリアルに再現している。
しかも、分かりやすく迫真の描写で。

ヴェルサイユからチュイルリーへの移送を次のように説明している。

P9
喩えるなら、霞ヶ関という職場があるのに、首都から遠いディズニーランドに常駐して長年遊び呆けていたエリート官僚たちを、都民が力ずくで霞が関へ連れもどして仕事をさせたようなもの。

ヴァレンヌ逃亡の手筈を整えたのはフェルゼン。
次のように説明されている。
P42
このようにフェルゼンは、総勢七人の王族をパリから脱出させる手筈を――まさに八面六臂の活躍で――整えたのだ。(中略)総額は、現代に換算して120億円とも言われる。

P165
当時のフランス人口は2600万人、そのうち600万人がフランス語を全く話せず、されに600万人が片言しか話せなかったとの統計がある。想像以上の多人種多言語国家だった。

P182に、ルイ・シャルルに残された短い人生が描写されている。
どのような最後をむかえたのか・・・読んでみて。

ルイ16世のアントワネットへの思いはどうだったのだろう?
P229
この1年後、処刑を前にして記した遺書には、こんな文面がある、「我が妻には、わたしのせいで彼女の身にふりかかってしまった不幸、そしてともに過ごした期間にわたしが彼女に与えたであろう悲しみについて赦しを乞います」。

それにしても、不幸な出来事である。
ルイ16世の趣味は、錠前作り・・・なんというか、マニアックというか。
絶対君主なのに、もっと他にやること、やれることがあるでしょうに。
ルイとアントワネットの結婚は、オシャレなネエちゃんとオタクのカップル。(ブルボン&ハプスブルク、超セレブ政略婚)
それでも、お互いを気遣い合っていたのが分かってよかった。

PS
よくこれだけ調べたものだ。
相当な資料を駆使して24時間を描写し、再現してある。
手に汗握るとは、このことか。

【ネット上の紹介】
亡命失敗、フランスに王がいなくなる日。刻々と迫る断頭台への道程。革命に翻弄された王妃の真実とは?―。マリー・アントワネットの立場から見るフランス革命。運命を狂わせたヴァレンヌ逃亡事件物語と絵でひもとく。
【目次】
1章 運命の六月二十日;2章 緻密に、大胆に;3章 脱出の夜;4章 フェルゼンを欠く;5章 「王が拉致された!」;6章 急がぬ旅;7章 踏みつけられた者の怒り;8章 追いつめられてゆく;9章 真夜中のヴァレンヌ;10章 運命の回転;11章 王は不動;12章 ヴァレンヌの朝

「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語/森健

2012年05月11日 21時31分00秒 | 読書(ノンフィクション)


「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語/森健

昨年7月このブログで文藝春秋臨時増刊された「つなみ」を紹介したことがある。→文藝春秋増刊 2011年8月号
今回紹介する作品は、その姉妹編にあたる関連作品。
「つなみ」で作文を書いてくれた子どもたちの「その後」を追っている。
その後どうなったんだろうか、と気になっていたので読んでみた。
今回の作品では、前作で取材した時の経緯も書かれているので、状況がより鮮明になった。

例えば、小学校2年中村まいさんの作文。
説明により、この作文が約1ヶ月後の避難所で書かれたのが分かる。

武徳(まいの父)は警戒感のこもった目つきで振り返った。趣旨を説明しはじめると、武徳はじっとこちらの目を見据え、黙って話を聞いた。表情は硬く、変化に乏しい。これは難しいかもしれないと思った。だが、聞き終わると、「どうですかね・・・・・・・」といったん保留にしたのち、子ども次第ですね、まいに聞いてみましょうかと応じてくれた。
「どうする、まい。やる?作文書いてみるか?」
 まいはこちらを見て、父を見て、またこちらを見て「うーん」と首をひねった。難しそうかなと思い、無理はしなくてもいいんですよと助け舟をだすと、まいは「書く」と小さく呟いた。(中略)
詳しい話を聞こうと武徳に向き直ったところ、だしぬけに彼はこう告げた。
「うちは妻をなくしたんです」

P24
作文をよく読めば、まいは母や弟の死について一言も触れていなかった。まいにとって母の死はまだ整理のつかないことなのだろうか。
 こちらが指摘すると、武徳は作文を手にとって言った。
「おそらく〈つなみのせいで大切なものもながされました。〉という一文に、その気持ちをすべて託したんじゃないですかね。家もなくなって、いろんなものもなくなったし。はっきりと書かなかったのは・・・・・・そうですね、僕に心配をかけたくないからなのかな・・・・・・。(後略)」

これだけ大きな災害だと、子どもも大人もダメージを受ける。
まいの父も仕事に復帰しても集中できず、苦しい日々が続く。(P37)

「こんな自分の元にいるよりも施設にいるほうがまいも幸せではないか――。
「それで児童相談所に連絡したんです。養育できそうもないので、施設に預けられないかと。そうしたら、児相はとりあえずお子さんと一緒に来てくださいというので、日程を決めたんです」
 その約束の日の前夜、武徳はまいに翌日のことを説明した。いまお父さんはまいを育てるのは難しい、だから、まいは施設に行ったほうがいいと思う。
まいは驚き、大泣きに泣いた。
「やだ。パパと離れるのはやだ。パパと一緒がいいよう。パパと一緒がいいよう」
 そこで武徳はハッと目が覚めた。いったい自分は何をしようとしているんだと。

こんな感じで、全部で10人の子どもたちとその家族が紹介されている。
先日5月6日(日曜)NHKスペシャル「ガレキの町の少女」があった。
その時、TVで紹介されたのが千代さん。(小学校5年)
この千代さんについても、P185で取りあげられている。
私は、TVと書籍で受ける印象も状況も異なって感じられた。
TVではお父さんしっかりしている印象だけど、書籍では正反対。
お父さんの方がぼろぼろ状態。
以下、父と千代の会話。

「この日、千代に聞いたんです。『何でそんなに元気なの?』と。すると、『パパがいるから』と千代は言ったんです。それで作文を読んで、はじめて千代の気持ちがわかったんだと私は言いました。つらくないかと。すると、『つらくないよ』『泣きたくなったら泣くし、怒るときは怒るから』と。私はボロボロ泣いていました。涙が止まらなかった。千代はそんな私を見て、『泣くなよ』という顔をしていたんですが」

TVだけでは分からなかったことが、この本により見えた。
(TVでは、元気な千代さんを「絵」として「泣かそう」とする意図が感じられた) 

これ以外にも、牧野アイさんを訪ねて話を聞く章がよかった。
このアイさんは、「三陸海岸大津波」(吉村昭)でも登場する方である。
吉村昭さんが取材した当時、アイさんは49歳。
今、存命していたら89歳か90歳のはず。
著者の森健さんが捜して取材訪問する。 
この章も圧巻である。

【関連図書】
 

【ネット上の紹介】
2012年 第43回 大宅壮一ノンフィクション賞受賞
[要旨]
18万部のベストセラーとなった作文集から生まれた、10の家族の喪失と再生のドキュメント。作文を書いてくれた子どもたちの「その後」。
[目次]
中村まい(仙台市若林区東六郷小学校二年)―大切なものを流されて;鈴木智幸(石巻市渡波小学校二年)―避難所という癒し;鈴木啓史(石巻市東松島高校一年)―不良息子奮闘記;平塚俊彦・真人(女川町女川第二小学校六年・四年)佐々木莉奈(石巻市釜小学校二年)―えびすご兄弟;佐々木悠(南三陸町志津川小学校六年)―みんな知り合いでみんな家族;鈴木愛(気仙沼市気仙沼中学校一年)―父と娘の「復興計画」;洞口留伊(釜石市鵜住居小学校三年)―理想のマイホーム;八幡千代(大槌町大槌小学校五年)―一番大事な娘と一番大好きな妻;黒沢菜緒佳(大槌町大槌中学校二年)―それでも赤浜で暮らしたい;牧野アイ(田老村田老尋常高等小学校六年)―「津波残り」として生きる;終章 悲劇はなぜ繰り返されたのか


「アジアにこぼれた涙」石井光太

2012年04月24日 22時25分45秒 | 読書(ノンフィクション)


「アジアにこぼれた涙」石井光太

石井光太さんの新刊。
アジア各地を取材して、全部で10作品収録されている。
時代は2000年から2008年にわたっている。
何らかの理由で「物乞う仏陀」「神の捨てた裸体」に洩れた話。
だから、「拾遺集」のような作品と思う。
内容はどうかなぁ、と思って手に取ったけど、うん、よかった。

ノンフィクション作家で、全作品を読んでいるのは石井光太さんだけ。
それだけ(私の中で)レベルが高い、と言える。
今回も期待した以上に充実していた。(今のところハズレなし)
いくつか文章を紹介する。

P189(タイの都市伝説「注射器娘」について)
注射器娘にはいろんな説があったけど、定説はパッポンのゴーゴーバーで働く23歳の女性だという話だった。ある夜、彼女がお客さんと一緒にホテルに行ったところ、十数人の男性が待ち伏せしていて、部屋のベッドで代わる代わる彼女を犯した。そのせいで、彼女はHIVに感染してしまった。彼女は半年後には田舎にもどって婚約者と結婚する予定だったのにそれも破綻した。
 それから、彼女は自暴自棄になり注射器に自分の血液を入れ、パッポンにいる外国人客や売春婦を襲いはじめた。みんなをHIV感染させ、自分と同じ苦しみを味わわせようと思ったみたい。それがこの注射器娘の正体にまつわる話よ。

この噂により、客足は遠のき、店の女の子達は辞めていった。バンコクの歓楽街パッポンが閑散とした。

P201-204
ゴーゴーバーを経営する男性にとって、この事件は衝撃だった。それまで、店の女の子は店長や客の言いなりになって働く奴隷のような存在だった。だが、エイズという問題に直面したことで、その力関係が完全に崩れたのだ。(中略)
「注射器娘の噂がなかったら、ああいう騒動は起こらなかっただろうな。店で働く女の子たちは注射器娘の話によって、真剣にエイズ問題について考えるようになった。ゴーゴーバーに勤める女の子たちがコンドームの使用を求めはじめたのは、その証だった」(中略)
「女の子の方からコンドームをつけてくれと頼んだのは事実です。今だから本音をいえば、お店の売り上げはそれによって確実に落ちると思っていました。だから、コンドームの使用がすっと受け入れられ、お客さんが戻ってきたときは信じられませんでした」(中略)
1989年には、政府が段階的にコンドーム・キャンペーンを開始。やがてそれは「100%コンドーム・キャンペーン」として全国に広がり、それまで14%だったコンドーム使用率がわずか5年で90パーセント以上に上がった。(中略)
こうした成果もあり、「十年後にはエイズで国が滅びる」とまでいわれたタイでは、少しずつエイズの嵐が収まっていった。1991年には14万人いた1年の新規感染者が、ここ数年は2万人を下回っている。こうして「世界でもっとも予防に成功した国の一つ」として見なされるようになったのである。

P240「幸せの国」ブータンについて
今でこそブータンは「幸せの国」として知られているが、歴史を見れば今日の体制を樹立するために多くの異端者を排除してきた事実がある。もともとブータンでは国王の政治的権力はそこまでつよいものではなかったが、1970年代に中央集権的な構造をつくることに成功し、一気に強大な力を握ることになった。
 当時、国内には様々な民族がおり、ネパール系民族も多かった。(中略)
  国王はこうした状況に危惧を抱いた。ネパール系民族が増えることで自らの王政が危ぶまれるのではないかと思ったのだ。そして、90年代の初頭に突如「一国家・一民族」という理念を掲げ、このネパール系民族を「不法な移民」として追放しはじめたのである。
 無論、ネパール系民族からすればこの政策は民族浄化に等しく、反対の狼煙を上げた。だが、国王は政策を変えるどころか、弾圧、拷問、投獄などの力によって押さえつけ、国民の2割以上にあたる十万から十五万人に上るといわれるネパール系民族を国外に追放し、国王を頂点とした「一民族」の国家をつくり上げようとしたのだ。そして国民には民族衣装の着用を義務づけ、近代化を押しとどめた国造りを「国民総幸福量」という概念のなかで推し進めていったのである。 

【ネット上の紹介】
アフガントラックに絵を描く父子、ジャカルタのゲイ娼婦、インド、フィリピンのストリートチルドレン、テロリストに息子をさらわれたイラク人。アジアの底で生きる人々の希望と絶望を描き出した10の物語。
[目次]
アフガントラックの絵師;ダルフールからやってきた兄と妹;ジャカルタの失恋者たち;イメルダが私に願ったこと;クリシュナと“長髪”の花園;歓楽街の注射器娘;はかない夢;誰がために金は鳴る;砂漠に消えた少年;白浜で踊る

【関連図書】

もし石井光太作品を読んだことがないなら「神の捨てた裸体」「物乞う仏陀」をお勧めする。
(どちらも文庫本になっている)


第43回大宅壮一ノンフィクション賞

2012年04月13日 23時57分26秒 | 読書(ノンフィクション)

第43回大宅壮一ノンフィクション賞が発表された。
ひとつが、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)、
もうひとつが、「『つなみ』の子どもたち」(文芸春秋刊)と「つなみ 被災地のこども80人の作文集」(森健)。


「つなみ」は、昨年7月このブログでも紹介したことがある。→文藝春秋増刊 2011年8月号
「『つなみ』の子どもたち」は、その後を取材し、再生への日々を追った作品。
気になるので、いずれ読んでみたい。

また、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」はタイトルが内容を説明している。 
このようなタイトルをつけられると、私も気になる。「なぜだろう?」、と。 
(前後の経緯は「空手バカ一代」で知られているので、多くの方が気になっている、と思う)
こちらも、いずれ読んでみたい。 

【参考リンク】
中日スポーツ増田記者が大宅壮一賞 柔道着はおり受賞の喜び
大宅壮一ノンフィクション賞に作文集「つなみ」
大宅壮一ノンフィクション賞


「ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死」石井光太

2012年03月05日 20時23分21秒 | 読書(ノンフィクション)


「ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死」石井光太

日本にもこんなディープな世界があったのか。
普段の生活から見えてこない日本の中の異人世界。
いくつか文章を紹介する。

P94
「韓国人風俗の出現は、日本の風俗店をまったく違うところから脅かしました。一つは価格崩壊ですね。五千円は相場が落ちたでしょう。これだけ下落したら、はっきりいって商売になりません。もう一つは、店側の女性の見せ方です。彼らのホームページを見ていただければわかりますが、全員モデル並みの美しさです。実はこれ、すべて画像修正しているんです。日本の風俗店では客にバレることを恐れてほとんど修正はやりませんが、韓国の店は過剰なまでにやる。日本の店もそれに対抗しようとする。それで混乱するようになったのです」

P231
日本の自動車メーカーは海外へ車を輸出する際、現地の物価に合わせて売れるようにするために部品を安いものにしたり、一部取りつけなかったりして価格を抑えるのです。たとえば、マフラーやシートを価格の安い部品に取り替えることで、日本で百五十万円ほどで売られているカローラを百万円にして東南アジアで売っているのです。

【ネット上の紹介】
海外のスラムや路上を数多く取材してきたノンフィクションの俊英が、遺体の冷凍空輸、韓国系教会によるホームレス支援、夜逃げ補償つきの結婚紹介所など、在日外国人たちの知られざる生態を追う。そこに浮かび上がってきたのは、日本人も知らないこの国のもう一つの姿だった!「異文化交流」のスローガンが取りこぼしてきたリアルな人間模様をすくい上げ、新しい視点から日本文化を描く意欲作。

[目次]第1章 外国人はこう葬られる(エンバーミングされた遺体;遺体を冷凍搬送する;日本のイスラーム墓地);第2章 性愛にみるグローバル化(韓流セックスビジネス;「売春島」;中国人妻いまむかし;イスラエル人に魅せられて);第3章 異人たちの小さな祈り(韓国系教会に集まるホームレス;日本の宗教団体の海外進出;外国人占い師);第4章 肌の色の違う患者たち(外国人医療二十四時;HIV感染者のゆくえ


中央公論2012年3月号

2012年02月18日 22時45分25秒 | 読書(ノンフィクション)

 
中央公論2012年3月号

今月号は特集「新書大賞2012」。
いったい、どの作品が選ばれたのだろう?
さっそくチェックしてみた。

  
大賞「ふしぎなキリスト教」
2位「昭和天皇」
3位「TPP亡国論」
4位「武器としての決断思考」
5位「女子校育ち」
6位「キュレーションの時代」
7位「原発のウソ」
8位「伊藤Pのモヤモヤ仕事術」
8位「正しいパンツのたたみ方」
10位「パリ五月革命私論」

なお、撰者は書店員、書評家、各社新書編集部、新聞記者など67人。
これとは別に、2011年売上ベスト、ってのもある。
以下のとおり。

  
1位「官僚の責任」
2位「日本人の誇り」
3位「原発のウソ」
4位「日本人はなぜ世界でいちばん人気があるのか」
5位「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」
6位「知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物」
7位「新・堕落論」
8位「自分の始末」
9位「暴力団」
10位「知らないと恥をかく世界の大問題2」 

ダブっているのは「原発のウソ」だけ。
 

なお、サラリーマンとして気になる本は次の2冊。
   

番外編として気になるのは次の3冊
     

【参考リンク/過去の新書大賞】
http://www.chuko.co.jp/special/shinsho2010/ 

http://www.chuokoron.jp/2011/02/post_63.html 

【ネット上の紹介・・・発表! 新書大賞2012】 

 ・〈新書通六七人が厳選した〉年間ベスト10   
 ・大賞受賞記念対談『ふしぎなキリスト教』 対談 橋爪大三郎 大澤真幸  
 ・出版の意味が問い直された二〇一一年 
   新書はまだまだ捨てたものじゃない 対談 永江朗 宮崎哲弥 


「婚活したらすごかった」石神賢介

2012年01月22日 17時40分23秒 | 読書(ノンフィクション)

 
「婚活したらすごかった」石神賢介

このタイトルは巧い。
どうすごいんだろう?と気になる。
いくつか文章を紹介する。

P94
社会学者の山田昌弘氏とジャーナリストの白川桃子氏の2008年の共著『「婚活」時代』によって「婚活」という言葉が生まれ、一般化し、“結婚活動”することが恥ずかしくない社会に変わってきた。(中略)
なにしろ、年収400万以上の男性は5人に1人以下なのである。シングルの男性に限っていえば、さらに少なくなる。女性にとって、自分が求める高い経済力を持つ男性を捕まえるのは至難の業だ。それが明確になり、周囲の目を気にせずに婚活ができる世の中になった。
「世間の目などかまっていられない」
そんな切迫した結婚難が、婚活パーティの現実の充実につながった。


P116
実は婚活を始めた頃は、自分と年齢が近い女性の方が付き合いやすいと考えていた。歳が離れている女性は話が合わないように思えたし、若い人はわがままだという先入観を持っていた。
しかし、個人差はあるものの、思っていたイメージとは逆で、若い女性のほうが素直で、年齢を重ねるごとに扱いが難しいことが身に染みた。


P156
「人気のある男性会員の方は、概して退会が早いんです。数人の女性と対面して、気に入った方がいると、さほど迷わずに結婚を決める傾向があります」(中略)
「女性会員は、相性のよさを感じる男性と出会っても、なかなか決めません。目の前にいる人よりももっと素敵な男性がいるかもしれない、そう思われるみたいですね。私どもがお勧めしても、悩まれる。そうしているうちに、その男性はほかの女性会員とお付き合いを始めてしまいます」


P190
男が求める、容姿に恵まれてしかも従順な女性など、世の中には存在しない。
女が求める、年収が多くて優しくて浮気などしない男性など、世の中には存在しない。
そう考えておいたほうがいい。相手に多くを望まない自分にならなければ、パートナーは見つかりづらい。
その事実がわかると、「20代で結婚しておけばよかったなあ」と40代になってつくづく思う。
自我が育ちきっていない20代のうちに家庭を築かなかったことが、いまさらながら悔やまれる。しかし、育ちきってしまった自我を破棄することはもはや不可能である。


【ネット上の紹介】
突然、結婚したくなった四十代バツイチの著者が婚活で遭遇したのは、想定外の個性あふれる面々だった。初対面でホテルに誘うCA、情が深過ぎる銀座ホステス、八歳もサバを読むアナウンサー、詐欺スレスレの輩、やたらとムサい男たち…。現実はものすごいことになっていたのだ。ネット婚活、お見合いパーティー、結婚相談所、海外婚活の現状を体当たりで取材した前代未聞、抱腹絶倒ルポ。超実用的婚活マニュアル付き。


「なんにもないけどやってみた」栗山さやか

2011年12月07日 22時09分11秒 | 読書(ノンフィクション)


「なんにもないけどやってみた~プラ子のアフリカボランティア日記」栗山さやか

人というのは、滅多に変わらない。
劇的に変貌するのは、小説だけの話。
でも、時として、それが現実として訪れることがある。
そういう手記を読むと、身体が泡立つような感覚に襲われる。
これが、そういう本である。

著者は、今時の若い女性。
髪を茶色に染め、日焼けサロンに通い、化粧に余念が無い。
ところが、25歳の時、9歳からずっと仲の良かった親友が亡くなってしまう。
これが契機となって、自分と人生に向き合うことになる。
貯金をはたいて海外に出かける。
60ヵ国くらいをほぼ1人で旅し、流れ流れてアフリカに辿り着く。
エチオピア医療施設でボランティアとして働き始める。
この作品はその現場を中心に、出会った人たち、思ったことを綴っている。

PS
この本を知ったのは、次の紹介記事を読んだから。
「文章下手でごめんなさい」と本人が断っている通り文章自体は巧いと言えないのに、読むのをやめられない、読んだ後も忘れられない、すごい本だ。・・・まさにそのとおり。ある意味、全篇レクイエム、である。(by たきやん)
http://kaze.shinshomap.info/guide/85.html 

【参考リンク】
モザンビークで暮らす日本人女性ボランティア

http://purako.jugem.jp/?day=20111017

http://justgiving.jp/npo/334

【ネット上の紹介】
109の元ショップ店員、渋谷系ギャルが世界放浪の旅へ。訪れたアフリカの医療施設で出会ったのは、HIVや末期がん、貧困に苦しむ女性たちだった。病気の苦しみから救うことはできなくても孤独からは救ってあげたいと、彼女たちに献身的に寄り添い、多くの患者たちの最期を看取ったプラ子さんが綴る感動の日記。


「遺体 震災、津波の果てに」石井光太

2011年11月23日 07時55分07秒 | 読書(ノンフィクション)


「遺体 震災、津波の果てに」石井光太

震災関連の読書。
3.11以降、何冊か読んできたが、リアリティではこれが一番。
ドキュメンタリータッチで、人々の行動と心理が詳細に描かれる。
その時、人はどう感じ、どう動いたか?
様々な人物にインタビューし、行動を共にしながら、「遺体」をキーワードにルポルタージュを作っている。

P262
東日本大震災によって死亡した人の数は、行方不明者も合わせて約2万人。一瞬のうちにこれほどまでに膨大な遺体があちらこちらに散乱したのは、六十六年前の太平洋戦争後初めてのことであり、震災に限れば関東大震災から八十八年の間で最大の規模の犠牲者数だ。

千寿院の住職惠應の話。
P228
ある老婆がつぶやいた「神も仏もない」という言葉についうなずいて、愚痴を漏らした。
「もう仏様なんて何の役にも立たないのかもしれないな・・・・・・」
仏に祈ったり、頼ったりすることの意味がもうわからなかった。
すると、同じ部屋にいた長女がふり返り、惠應を睨みつけた。彼女は強い口調でこう言った。
「お父さん、違うよ。仏様の教えがあったから私たちはこの逆境に耐えていられるんじゃない?今頑張れているのは、仏様の教えがあるお陰じゃないの?」
胸をつかれたような思いだった。たしかにこの苦境のどん底でも避難者を受け入れ、守ろうとしたのは仏の教えがあったからだ。自分はずっと仏に支えられてきたことを忘れていたのだ。


【著者の言葉・リンク】
遺体を映すべき?
動画&トークイベント
『遺体――震災、津波の果てに』刊行記念著者インタビュー
新刊発売 『遺体――震災、津波の果てに』

【ネット上の紹介】
2011年3月11日。40000人が住む三陸の港町釜石を襲った津波は、死者・行方不明者1100人もの犠牲を出した。各施設を瞬く間に埋め尽くす、戦時にもなかった未曾有の遺体数。次々と直面する顔見知りの「体」に立ちすくみつつも、人々はどう弔いを成していったのか?生き延びた者は、膨大な数の死者を前に、立ち止まることすら許されなかった―遺体安置所をめぐる極限状態に迫る、壮絶なるルポルタージュ。
[目次]
プロローグ 津波の果てに;
第1章 廃校を安置所に;
第2章 遺体捜索を命じられて;
第3章 歯型という生きた証;
第4章 土葬か、火葬か;
エピローグ 二カ月後に


「津波と原発」佐野眞一

2011年10月20日 23時12分18秒 | 読書(ノンフィクション)


「津波と原発」佐野眞一

これだけ大きな災害が起こると、節目として戦後史を振り返りたくなる。
どこで道を間違ったのだろう?
いい加減に処理したこと、後回しにしたこと、具合の悪かったことが、浮き彫りになってくる。
いくつか文章を紹介する。

P84
誤解を恐れずに言えば、大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。(中略)
放射能被爆の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれない。


浪江農場代表取締役・村田氏の言葉・・・
P92
――最後に、東電にいま一番言いたいことは何ですか。
「ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけだ」

P96
浪江農場長・吉沢氏は17日(水素爆発が起きた翌々日)車で夜通し四号線を走って東電本社に行ったそうだ。
――そのとき東電の総務担当者に、どんなことを言ったんですか。
「どうしてくれる、もう浪江に行かんねえし、電気もねえし、牛が死んじゃうと。あんたらのせいで、こうなっちまったよ、この300頭の償いは絶対裁判にかけるからな、と言った」
聞けば、吉沢氏は東京農大の元自治会委員長だという。さすがに啖呵のきり方が堂に入っている。吉沢氏は、そのあと、こうまくしたてた。
3月11日から17日の1週間、お前ら本当に何やってたんだ。本気で原子炉制御する気があんのか。おれだったら、死んでもいいから特攻隊になって、ホースもって原子炉に水かけるぞ。お前らのやってることは、後手後手で、本当にどうしようもねえ。お前ら本当に死ぬ気でやる気あんのか・・・・。
吉沢氏がそうたたみかけると、東電総務担当者の主任は泣き出した。


P99
「花兄園」取締役・平本氏の言葉・・・
オレは昭和41年からニワトリを飼い始めたんだ。(中略)
だいたいニワトリは設備に金がかかるんだ。1羽あたり最低でも7千円は必要だ。十万羽なら七億円だ。それにエサ代が月に百五十万、人件費が五百万、電気代、燃料代などを合わせると、月に千五百万円くらいかかる。従業員から給料はどうなるって連絡がくると、何とかするとは言っているけど、本当は途方にくれるばっかりだ。


P107
私たちは原発建設に反対しなかったから、原発事故という手痛い仕返しをされたわけではない。原発労働をシーベルトという被爆量単位でしか言語化できなかった知的退廃に仕返しされたのである。

P140
第五福竜丸の被爆で、マグロの値段が半分に暴落し、原水爆実験禁止署名運動が三千万人の賛同を得ていた頃。
日本に原発を導入する重大なシナリオが出来上がっていた。
数日後、柴田はワトソンに結論を告げた。
「日本には昔から、“毒をもって毒を制す”という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与えるほかはない」


P203
反対運動が盛り上がらなかったのはなぜだと思いますか。
元大熊中学校教諭・大和田氏の言葉・・・
「東電がうまかったからです。第一原発を稼動させると今度は第二原発をつくる。それだけでも反対運動が拡散してしまうのに、すぐそばの浪江、小高に東北電力の原発が建設されるという話になる。反対派は、第一はできてしまったから仕方なく安全にというほかなくなり、第二はこれ以上増やすな、浪江と小高は土地を売るな、と三つの活動を同時にしなきゃいけないことになった。そうこうするうちに原発でうるおう人が多くなり、反対運動ができにくくなってしまった」

P204
「田中町長が双葉町に君臨した背景には、原発利権を手中にしていたことがあります。とりわけ、福島県知事として権勢をふるった木村守江とは昵懇の仲でした」
あるとき丸添が議会で田中に「原発を推進すると言っているが、こんなことはいつまでもつづかない」という質問をしたことがあった。
「すると、田中町長は烈火のごとく怒ったんです。要するに『オレを誰だと思っているのか。オレに意見するとは何事か』ということなんです。彼の周りには土建屋の取り巻きが大勢いて、彼が社長をやっている田中建設の三階は朝も夜もいつも明かりがついていた。(後略)」


P213
「ただ、あとで調べてわかったんですが、県警も警視庁も含めてですけど、電力会社は、彼らのものすごい天下り先になっているんですよ。特に原発関係はすごいです。関電を調べているとき、地域対策室というのが関電本社の社長室の隣に直属の部署として置かれていましてね。そこで作ったコピーを見たことがありますが、敦賀原発が立地している地域全戸の家族リストが載っていました」

P219
福島第一原発はまったく収束のメドさえついていません。この状況をどう思いますか。
元赤旗記者、フリージャーナリスト柴野氏の言葉・・・
「飛行機でいえばダッチロール状態です。どっちに向かって、どう進んで行ったらいいか、誰にもわからない状態です。原発というのは要するに、運転しているときが、つまり動いているときが一番安全なんです。逆にいえば、止めた後が大変なんです。東電がオール電化を進めていたのも、原発を運転しつづけるという大目標があったからこそ、できたことなんです」

【参考】
3.11以降、震災関連で読んだ作品を羅列する。
今まで、次のような作品を読んだ。
どの作品も特色があり、読みごたえがあった。


文藝春秋増刊 2011年8月号2011年8月号 つなみ~被災地のこども80人の作文集
「大津波と原発」内田樹/中沢新一/平川克美
「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」武田徹
「三陸海岸大津波」 吉村昭


【ネット上の紹介】
日本の近代化とは、高度成長とは何だったか?三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、日本人の精神。東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む、書下ろし四〇〇枚。東日本大震災ルポの決定版。
[目次]
第1部 日本人と大津波(重みも深みもない言葉;志津川病院の中に入って;おかまバーの名物ママの消息;壊滅した三陸の漁業;熱も声もない死の街 ほか);
第2部 原発街道を往く(福島原発の罪と罰;原発前夜―原子力の父・正力松太郎;なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか)

 


「世界一やさしい精神科の本」斎藤環/山登敬之

2011年10月18日 21時19分35秒 | 読書(ノンフィクション)


「世界一やさしい精神科の本」斎藤環/山登敬之

思った以上におもしろかった。
中学生か高校生くらいを対象にした本だけど、大人が読んでもおもしろいし、勉強にもなる。
いくつか文章を紹介する。

ひきこもりについて。
日本のひきこもり人口は約70万人と言われている。(H22内閣府発表調査)
P57
日本と同じくらいひきこもりが多いのは、韓国だ。韓国の精神科医の話だと、だいたい30万人くらいいるといわれている。(中略)
若者の奉仕活動の義務化とか徴兵制をやればひきこもりがいなくなるとか、そういうことをいいたがる人がいかに現実をみていないかがわかるよね。


親と同居する子どもが増えているのは世界的な現象らしい。
それでも、日本と韓国がダントツに多いそうだ。
これは文化的な背景が理由ではないか、と。
「年功序列」「血縁主義」といった儒教文化が背景にあるからじゃないか、と。
P59
日本や韓国では、大人になることがなにを意味するかというと、「一人前になって親孝行すること」なんだ。親孝行するには一緒に住んでなきゃ無理。だから、子どもは家から出ない。

ある学会が中国と韓国と日本の3ヶ国で対人恐怖の比較研究を行ったそうだ。
P74-75
日本では対人恐怖が100だとすると、韓国は50で中国はゼロだった。(中略)
日本には世間体というものがある。これにかなり近いものが韓国にもあるんだ。「世上(せじょう)」というんだけど、これは日本の世間体とほぼ一緒の意味とのこと。韓国人は、そこで自分がどうみられるかをすごく気にするらしい。だから、そういう発想がある国ではどうも対人恐怖が出やすいんだろうね。


アメリカでは社会不安障害の人が多いらしい。
P76-77
生涯有病率が12%。ものすごく高い。これはうつ病とアルコール依存症に次ぐ、第3位ぐらいの高さなんだ。(中略)
いっぽう、ヨーロッパで同じような統計をとってみたら、だいたい2%から3%。今度はすごく少ないね。もっとびっくりしたのは日本と韓国、日本では1.4%しかない。韓国では0.2%。だから、対人恐怖とはまったく違うものなんだよね。

『スクール・カースト』について・・・これは興味深い。
P84
多くの学校には「教室内身分制」ってものがあるらしい。いわゆる「スクール・カースト」だ。上位から下位まで、だいたい3階層から4階層ぐらいまである。最下層はオタク。最上位はヤンキーだ。
何がこの較差を決定づけているかっていうと、すべて「コミュニケーション・スキル」なんだね。つまり、子どもたちの対人評価の軸は、いまやほとんどコミュニケーションの上手い/下手という1本になってしまっている。(中略)
こうやってコミュニカティブか否かで階層が分かれてしまうってことはたいへん大きな問題で、ほかの能力があっても、それはぜんぜん評価されないってことになる。さらにいうと、コミュニカティブであることの条件が厳しい。ただ会話が上手いだけじゃだめなんだ。笑いをとらなくちゃいけない。笑いをとることが最低条件。さらに人がいじれなくちゃいけない。マニピュレイティブ、つまり対人操作能力が高いことが、もっともコミュニケーション・スキルが高い人の特性なんだね。
最上部がヤンキーっていうのは比喩的ないい方だけど、要するにコミュニカティブで異性関係が活発な生徒っていう意味だ。いわゆる「リア充」ってやつだね。


抑圧と解離についての説明・・・わかりやすい。
P113
抑圧という方法が、漬け物石かなにかで上から押さえこんで深く沈めることだとすると、解離というのは、心の中に「壁」をつくって、いくつかの部屋に区切ってしまうことだ。そうやって、ひとつの部屋に悪いものを押しこめてしまうことで、ほかの部屋に影響がいかないようにする、そういう方法だと考えておいてほしい。

なぜ、日本に「多重人格」が少ないのか?、について。
P128
日本人っいうのはもともと多重人格的な作法で生きているので、わざわざそんな病気を輸入する必要はなかったのだ、と。相手によって敬語を使ったり、逆に偉そうにしたり・・・・・・これもキャラの使いわけだよね。そういうモードチェンジが日常化しているので、アメリカ人みたいに病気になってまで別人格を作らなくてもなんとかなってしまうとう、簡単にいえばそういう説なんだ。これを「超多重人格」といった人がいるけれども、もともと超多重人格なんだからいまさら多重人格なんかになれるか!みたいな話だよね。

P159
メラニー・クラインという、天才と呼ばれた精神分析医がいたんだけれども、彼女が提唱した決定的に重要な概念に、「妄想-分裂ポジション」というものがある。


文学やサブカルチャーにおける境界性人格障害、について。
世界でもっとも有名なボーダーライン文学はサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」。
P163-165
あれはボーダーラインの標本みたいな小説だから、共感しすぎるのはほどほどにしたほうがいい。あれは深いようで浅いようで深いというヘンな小説でね。少なくとも共感だけで読むとアメリカ版「あるあるネタ」みたいにも読める。(中略)
この小説が発表された50年代のアメリカっていうのは、ホモが統合失調症の原因になるといわれたぐらい同性愛を拒絶していた時代だから、これは非常にリアリティのあるエピソードとして受けとられたと思う。いま考えるとひどい話で、ホモは敵だといってるわけだ。差別丸出しといってもいいくらい。でも、この差別をするのがホールデンっていう汚れを知らない存在だから許されるという、2重3重にいいわけが用意されているという点ではずるい小説でもあるんだな。
ところで、境界性人格障害小説の日本のトップランナーはといえば、こちらは文句なしに太宰治ということになている。(中略)
太宰を超えるボーダーライン・フィクションといえば、やっぱりアニメの『新世紀エヴァンゲリオン』になるかなあ。


【ネット上の紹介】
ひきこもり、発達障害、トラウマ、拒食症、うつ…、心のケアの第一歩に、悩み相談の手引きに、そしてなにより、自分自身を知るために―。一家に一冊、はじめての「使える精神医学」。

[目次]
第1章 みんなのように上手にできない―「発達障害」について;
第2章 人とつながってさえいれば―「ひきこもり」について;
第3章 人づきあいが苦手なんです―「対人恐怖/社会不安障害」について;
第4章 やめられない止まらない―「摂食障害」について;
第5章 自分がバラバラになっていく―「解離」について;
第6章 トラウマは心のどこにある?―「PTSD」について;
第7章 「困った人」とどうつきあう?―「人格障害」について;
第8章 なぜか体が動かない―「うつ病」について;
第9章 意外に身近な心の病―「統合失調症」について

 


「日本人の坐り方」矢田部英正

2011年09月22日 20時31分15秒 | 読書(ノンフィクション)


「日本人の坐り方」矢田部英正

時代劇TVを観ていて気になる。
当時の人は、こんな風に坐っていたのだろうか?、と。
いつから正坐があたりまえになってしまったのだろう?、と。
そんなわけで、この本を見つけた時は嬉しくなった。
いくつか文章を紹介する。

P9
「ダルマ」というのは、もともとはインドの言葉で、万物の「摂理」とか、人の踏み行うべき「道」のことを意味している。つまり自然のなかにも、人間のなかにも、同じように存在する秩序あるはたらきが「法(ダルマ)」であって、その真実を見極め、体得するための根本に、ダルマさんはまず「坐る」ということを自らに課したわけである。

P41
もともと「アグラ」とは貴族が坐る「台座」や「腰掛け」などの「座具」の総称であった。「胡坐」と書いて「アグラ」と読ませるのはあくまで当て字だ。「胡」とは、中国の北方や西域の騎馬民族ことで、彼らは日頃馬に跨がって生活していたので、腰掛けを携えて移動し、坐る時にはそれを利用していた。このような腰掛けが日本にも伝わり、「胡坐」と呼ばれるようになる。これに腰掛けると足は楽なので、やがて「台座」や「腰掛け」を使って安楽に坐ることも「アグラ」と呼ばれるようになり、「胡坐」という漢字が当てられたようである。
本書では膝を開いて足を上下に組む坐り方を「胡坐」と呼び、これに対して足を組まずに前後に揃える坐り方を「安坐」とする。


昔の絵巻を調べると、いろいろな坐り方のバリエーションがあったことが分かってくる。
P74
江戸時代も中頃になると、浮世絵や肖像画のなかに正坐で坐る人たちがちらほら見られるようになるのだが、それ以前の室町時代や鎌倉時代、平安時代の絵巻のなかで、正坐をしている人の姿は極めて少ない。庶民も武士も僧侶も公家も、古代・中世の日本人は大半が「胡坐」や「安座」、「立て膝」などで坐っているのだ。

P75
資料でいろいろな坐り方を見ていると、昔の人は足首も股関節もとても柔らかかったことが一目瞭然で、たとえ正坐が一般的な坐り方でなかったとしても、やろうと思えば簡単にできただろう、ということも容易に推察できる。(中略)むしろ男性は膝を大きく横に広げて堂々と坐ることを好んだし、女性もゆったりとしたキモノの下で、自由に足を組んだり立てたりして、寛いで坐ることを好んだ。

P82
江戸時代になるとそれまでの常識が覆り、「端坐」という新しい価値が武士の間に定着しはじめる。それは「端正に坐る」ということの他にも、坐次を重視した殿中の儀礼においては「下座の端から坐る」という「折り目正しさ」も求められたことを意味している。将軍に拝謁するもっとも格式の高い儀礼のなかで、忠誠を誓う大名たちの坐法は、各々の存在をより大きく見せる安座や胡坐よりも、慎ましく膝を閉じて「かしこまった」坐り方がより好ましいと考えられたにちがいない。またそれは身分の高い者に対する「つくばう(屈服する)」という身体的な記号でもある。

P85
武士の儀礼に精通していた石州は、「端坐」で行われる拝謁儀礼の坐法をすぐに茶の湯に取り入れたわけでなかった。したがって、手前での坐は「立て膝」を正式としながらも、客によっては「安座」や「胡坐」でゆったり坐らせ、茶をいただくときだけ「立て膝」に正す、という作法を用いた。

女性にも「端坐」がひろまっていくが、これは寛永年間(1624-1644)、と。
幕府が反物の寸法を改定する禁令を出したことがもとで、キモノの身幅が急に狭くなっていく。
現在のキモノとほぼ同じ寸法に落ち着いたそうだ。
P88
室町時代には女性も普通に行っていた「胡坐」や「安座」の坐り方が、江戸時代の女性にほとんど見られなくなるのは、おそらく幕府が改定した反物の寸法と密接な関係があるだろう。

P95
「正坐だけが作法である、というような常識は、いつ頃どのようにしてつくられたのだろうか?」(中略)
明治13年(1880)には、当時の小笠原弓馬術礼法の当主である小笠原清務が礼法の必要性を東京府に申し立てたのが始まり、と。
「正坐」は、「学校で習った正しい姿勢」を示す言葉として、日本国民全体の共通言語となっていったのであろう。

P116-117
ひとつのわかりやすい基準が絶対的な価値として祀り上げられ、人々の思考を停止させてしまう。その硬直した精神構造は「偶像崇拝」と同じものである。あらためて思い返すと「正坐」という言葉は、近代以降、日本人の坐の概念を支配し続けてきた偶像だったのではないか、そう思われてならない。

P117
「正しい基準」というのは、それが定まると同時に基準と対立する「正しくないもの」を排除してしまう。近代以前は、「胡坐」も「安坐」も「立て膝」も有用な坐り方として生活のなかに位置づけられていたのだが、「正坐」が正しい基準になってからというもの、いつのまにか基準から外れた「崩れた作法」とのレッテルを貼られてしまった感がある。しかしそれは永い永い日本の伝統から考えれば、ごく最近につくられた近代文化のなかの基準のひとつにすぎない、というのが本当のところではないだろうか。

以上、いかがでしょうか。
興味深くて、おもしろいでしょう?
これ以外にも、「遊女は決して袴を穿かない」(P147)とか「正坐と言わない夏目漱石」とか(P112)が興味深い。
よかったら読んでみて。オススメ。

【ネット上の紹介】
畳や床の上に直接腰を下ろして「坐る」。私たちが普段、何気なく行っている動作は、日本人が長い年月をかけて培ってきた身体文化だ。しかもそれは、「正坐」のみを正しい坐とするような堅苦しいものではなく、崩しの自由を許容し、豊かなバリエーションを備えた世界なのである。古今の絵巻、絵画、仏像、画像などから「坐り方」の具体例を抽き出して日本人の身体技法の変遷を辿り、その背後には衣服や居住環境の変化、さらには社会や政治の力学までが影を落としていることを解き明かす画期的論考。


「共依存・からめとる愛」信田さよ子

2011年09月14日 23時11分47秒 | 読書(ノンフィクション)


「共依存・からめとる愛 苦しいけれど、離れられない」信田さよ子

これはよかった、オススメだよ。
(とは言うものの、マニア向けかなぁ・・・どんなマニアだ?)
著者は臨床心理士でカウンセラー。
長年にわたる実践と経験から、複雑な人間心理を洞察している。
本作品では、「共依存」をキーワードに「愛」を分析していく。

P97
対象を自分なくして生きられなくしていくこと、依存されたい欲求を満たすこと、これらは暴力で相手を屈服させるよりはるかに隠微で陰影に富んだ快感をもたらしてくれるだろう。

P124
児童虐待防止法の第2条四によれば、子どもがDVを目撃することは「児童に著しい心理的外傷を与える言動」であり、虐待だと定義される。2003年に改正されたこの定義は大きな意味をもつ。これまでは父が母に暴力や暴言を行使しても、直接子どもに向けられなければ虐待ではないと考えられていたからだ。妻にDVをふるうことは同時に彼らが子どもを虐待することを意味する。

P141-142
かけがえのなさとは、交換不可能、唯一無二とも表現できる。恋愛において、このかけがえのはなさ相互的であると考えられている。だから、ふたりの結びつきは強固となり、「あなたしかいない」「君しかいない」という排他的な世界が構成される。
しかしかけがえのなさがいつも相互的であるとは限らない。たとえは、生まれたばかりの新生児にとって、母親とはかけがえのない存在である。生命維持のためにも、あらゆる発達のためにも、新生児にとっては親はかけがえのない存在である。しかし、親にとって新生児はかけがえのない存在だろうか。そのかけがえのなさは主として心理的・情緒的紐帯に限定されている。むしろ経済的・時間的には負担を強いられる存在でもあり、相互的とはいえない。
かけがえのなさが非相互的な場合、その関係は非対称的で権力的なものになる。つまりかけがえのない存在になったほうが、もう一方に対して強者となり権力的になりうるということだ。
親は、だから子どもにとって強者であり、権力的な存在である。子どもの虐待を見ればそれは明らかだ。親以外に自分を養育してくれるひとがいない(かけがえのない)ことを子どもはよく知っている。その親に殴られたり食事を取り上げられたりすれば、それは自分が悪い子だからと思うしかない。


P148
かわいそうな他者をわざわざ選ぶひと、なんらかの障害をもった他者に近づくひとは珍しくない。これらは、ヒューマニズムあるれる自己犠牲的選択に見えるが、「かけがえのなさ」が非対称的でれば、そこから容易に共依存という対象支配が生まれる。ところが相手に尽くしているとしか考えないひとたちは、支配していることに無自覚である。

P162
妻として母として彼女たちが家族を生き抜くためには、子どもを支配するしかなかったこと、そんな必然として共依存をとらえれば、明らかにマイナスのラベルであるこの言葉が、それ以外に残されていなかった選択肢であることがわかるだろう。そう自覚されることで、おそらく別の選択肢もぼんやりと見えてくるかもしれない。しかしそれは彼女たちにとって残酷なことでもある。自覚することによって、初めて彼女たちが子どもに行使した支配の責任が浮かび上がるのだから。

P167
おそらく、DVという言葉もない時代に、夫の暴力と浮気の日常に対処するひとつの方法は、夫を「大きな息子」として子ども扱いすることだった。過去形で書いたが、現在でもカウンセリングにやってくる女性たちの多くが、夫の行状(暴力、浪費、浮気など)を耐えてやり過ごすために「夫を3番目の子どもと思うことにしました」「男の人って、なんて幼稚なんでしょうね」と、夫を子どもの位置に、自分を母親の位置に立たせる。近代文学の登場人物の男性像が、多く「頑是無い子ども」として描かれていることとそれは無関係ではないだろう。日本では、男性(父)の「子どもの座の占有」は、広く社会的に容認されている。結婚した多くの女性も、不承不承それに慣らされていく。そのためには、夫を子どもとして支配し所有したという幻想が不可欠だ。

P170
子どもである夫と母としての妻という構図は、アルコール依存症の夫婦を例にするとよく見える。妻たちが、アルコール依存症の夫をケアし保護することで、却って夫の回復を阻害してしまうこと、これがそもそもの共依存の語源だった。夫を保護することが、まるで夫に依存しているかのように見えたので、嗜癖者に依存する「共依存」と命名されたのだ。彼女たちは果たして夫に依存していたのだろうか。むしろ、彼女たちは夫に依存しているというより、夫をケアし支配する快感を得、子ども扱いすることで、所有欲を満たされていたのではないだろうか。


最後に、著者は講演に行くとしばしば次のようなことを聞かれるそうだ。
「よくストレスが溜まりませんね、どのようにしてストレスを発散していらっしゃるんでしょうか」
これに対して、次のように書かれている。

P10
そもそも人生の暗部や家族の裏側の話を聞くことにストレスを感じるひとは、こんなハードな職業に就くべきではないだろう。むしろクライエントの話を聞くと、脳内麻薬(エンドルフィン)が放出されるようなひとこそふさわしいと思う。私は明らかにそのタイプの人間なのだ。この上なく悲惨で奇怪な話を聞くことで、人間の不可思議さに触れ、私の頭の中を秩序立てていたパラダイムが音を立てて崩れ落ちる瞬間の開放感を味わう。これを抜きにカウンセラーを続けることなどできないだろう。それはどこか文学を読みふけることで得られる満足感と似ている。

PS
この本を読もうと思ってチェックしたのは2年前のこと。
フリーライター前原政之さんのブログ・紹介文を読んだから。
(この方のブログは興味深い本を紹介してくれて、けっこう参考になる)

【参考リンク】
信田さよ子『共依存・からめとる愛』
 

【ネット上の紹介】
依存は悪ではない。鍵を握るのは依存させる人なのだ。「愛だったはずなのに、なぜ苦しいのか」への明快な答えがここにある。長年、家族援助をしてきたベテランカウンセラーである著者が、愛という名のもとに隠れた支配・共依存を解明する。
[目次]第1章 アダルト・チルドレンと共依存;第2章 共依存とケア;第3章 ケアする男たち;第4章 『風味絶佳』は「風味絶佳」だ;第5章 「冬のソナタ」は純愛ドラマか?;第6章 母の愛は息子を救えるか?;第7章 かけがえのなさという幻想;第8章 暴力と共依存;第9章 偽装された関係