「三陸海岸大津波」 吉村昭
吉村昭さんのノンフィクション。
昭和45年に、上梓された作品。
明治二十九年の津波と昭和八年の津波をメインに書かれている。
(現在入手困難になっている本書であるが、なんとか探して購入できた)
当時存命だった津波経験者を訪ねて話を聞いたり、記録文献を調べてこの作品を書かれた。
何度も三陸海岸に足を運んで書かれた作品である。
P33
ようやく災害地にも、本格的に救援の手がさしのべられ、腐乱した死体の処理もはじまった。が、葬儀などをおこなうような状態ではなく、死体は流木の上にひとまとめにしてのせられ重油をまいて焼かれた。
肉親を探してあてどもなく歩く者が多かった。精神異常を起こして意味もなく笑う老女や、なにを問いかけられても黙りつづける男もいた。
P51
津波に対する恐怖以外にも、死体の散乱する海岸一帯は不気味な地域として人々に恐れられた。
死体の多くは、芥や土砂の中に埋もれていた。生き残った住民や他の地方から応援に乗りこんできた作業員たちの手で収容されていたが、掘り起こしても死体の発見されない場合が多い。
そのうちに経験もつみ重ねられて、死体の埋もれている個所を的確に探し出せるようになった。死体からは、脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油が湧く個所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ。
海岸には、連日のように死体が漂着した。人肉を好むのか、カゼという魚が死体の皮膚一面に吸い着き、死体を動かすとそれらの魚が一斉にはねた。
また野犬と化した犬が、飢えにかられて夜昼となく死体を食い荒らしてまわった。住民が犬を追いはらおうとすると、逆に歯をむき出して飛びかかってくる。犬は集団化し危険も増す一方なので、野犬退治が各所でおこなわれた。
P66
海は、人々に多くの恵みをあたえてくれると同時に、人々の生命をおびやかす過酷な試練を課す。海は大自然の常として、人間を豊かにする反面、容赦なく死を強いる。
PS
津波と言えば、3/11である。
過去の経験を生かす事ができなかったのか?
特に、政治、行政、気象、原子力、防災関係者は、本書を読んでおいて欲しかった、と思う。
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[要旨]
明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。
[目次]
1 明治二十九年の津波(前兆;被害;挿話 ほか);
2 昭和八年の津波(津波・海嘯・よだ;波高;前兆 ほか);
3 チリ地震津波(のっこ、のっことやって来た;予知;津波との戦い)