「精神科ER緊急救命室」備瀬哲弘
救急車で運ばれるということは、緊急事態である。
一般に交通事故とかを想像するけど、精神科の緊急救命もある。
この本は、「東京ER」精神科でのドキュメント。
印象に残った文章を紹介する。
P92
(前略)怒りが衝動的だったり逆恨みしやすかったりする人は少なくないだろう。病気なのか、性格なのか。狂気なのか、正気なのか。自分が納得できるような答えすら簡単に出てこない。
P135
「死のうと思ったの?」
私は聞いた。
「死にたかったわけじゃないよ」
と、彼女は吐き捨てるように首を振った。
「消えたいとは思うけど、死にたくはないよ」
とつけ足した。
「死ぬ」ことを考えると、どうしても「生きる」ことに向き合うことになる。生きてきたこと、生きていること、生きていくことに。自らの生を正面から見つめるには、これまでの人生が重すぎた。きっと「消えてしまうこと」は「生きてきたこと」自体をなかったことにしたい気持ちの表れなのであろう。
【ネット上の紹介】
都知事の発案でより早く急患に対応すべく急遽開設された「東京ER」。その精神科は、日々、緊迫した空気に包まれている。パトカーや救急車でひっきりなしに運ばれてくる患者たち。父親から捨てられ自殺を図った兄妹。心のバランスを崩し、深夜の霊園で叫ぶサラリーマン。「愛が欲しい」と恋人の前で包丁を取り出す女性。極度の緊張の中、厳しい現実と格闘した現役精神科医が語る壮絶人間ドキュメント。
「心にナイフをしのばせて」奥野修司
少年犯罪がテーマ、ノンフィクション。
被害者に寄りそって、30年の苦しみが詳細克明に描かれる。
読んでいて、その閉塞感、やるせなさに苦しくなる。
この作品の特徴は、ノンフィクションなのに被害者側一人称で語られること。
これが圧倒的なリアリティと臨場感を演出している。
いくつか文章を紹介する。
P43
少年法に〈少年の健全な育成を期し〉と謳いながら、犯罪を犯した少年が少年院を出たあと「更生」したかどうかといった長期追跡調査がなされていないというのも不思議な話である。
P67(被害者に対してマスコミの無神経さについて。被害者の妹は当時中学1年)
家ではわたし1人で留守番をしていたと思う。
新聞記者が次から次へとやってきて、兄の写真がないかとしつこく訊かれたのを、恐ろしいほどはっきりと覚えている。そのときもわたしは1人で対応した。
「困ります、お願いですから外に出てください」
そんなことを言っても、あの人たちは平気でずかずかとはいってきた。
何人かが上がり框に座ってわたしを囲み、わたしにたずねるのだ。(中略)
兄が死んでなぜわたしが責められるのか?
黒塗りの車で乗りつけた人たちは、なぜわが家にやってきたのだろう。不安と恐怖と猜疑心で、吐き気がこみ上げてくるのを、わたしはじっとこらえていた。
P75
兄のお葬式をすませ、やがて初七日がすぎると、家の中は次第に凍りつくような、寒々とした空気につつまれた。恐ろしいほど静かなのだ。あちこちにガラスの糸が張り巡らされているようで、へたに動くと一瞬にして崩れてしまいそうだった。
P216(被害者の妹がリストカットする)
リストカットといっても当時はその言葉さえ知らず、ただ手首を切れば死ねるんだと思っていた。紙を切るカッターナイフを取りだし、思い切って手首を挽いた。
血は出たが、死ぬほどの量ではなかった。
もっと力をいれなければと思って再度刃を立てたが、駄目だった。ノコギリで挽くようにギコギコやってもみたが、手首を通っている腱が邪魔をして深く切れないのだ。
やがて猛烈な痛みが襲ってきた。
全身が痺れるほどの痛みだった。
そのときわたしは気がついた。痛みはわたしの中の苦しみを消し、一時的だが現実を忘れさせてくれることを――。
P257
少年の犯罪は「前歴」となっても「前科」にはならない。
「前科」とは、刑事公判によって有罪判決を受けたことを意味し、犯行当時15歳のAは、当時の少年法第20条〈16歳に満たない少年の事件については、これを検察官に送致することは出来ない〉という規定から、もとより刑事処分を科されることはなかった。
この条項によって、Aの過去につけられた殺人者という犯罪歴は、少年院を出た時点で漂白され、国家によって新たな人生の第1歩を約束されるのである。
P277
現在のAは名誉も地位もある身である。優雅な趣味を持ち、恵まれた生活を送っているとも聞く。もちろん累犯歴もない。彼にすれば、アノ事件はすでに過去の出来事なのかもしれない。たしかに少年法の趣旨からいえば、彼は間違いなく「更生」したといえる。
だがその一方で、彼の「狂気」によって奈落に突き落とされた家族は、4半世紀以上も前の悲しみを、いまだに癒やされず背負い続けている。「更生」などといわれても、寒々しく響くだけにちがいない。なんと不公平なことだろう。「更生」は、彼ら被害者が少年Aを許す気持ちになったときにいえる言葉なのだ、と思う。
P290(現在の心境について)
あのときカウンセリングを受けられたら、あるいはこんなふうに苦しむこともなかっただろうと思う。だが、今となってはどうにもならないことだ。
わたしの心につけられたシミのような傷を消すことができるとすれば、あの事件に「決着」をつけられたときのような気がする。その「決着」のために、わたしはこの30余年、心の底にナイフをしのばせてきた。いつでも対決できるように――。
以上、文章紹介終了。
2004年度、日本政府が加害者の更生にかける支出は年間466億円。
一方、被害者のための予算が年間11億円。
(なお、神戸連続児童殺傷事件の前は被害者への予算1000分の1以下、だったそうだ)
民主主義の特徴は「効率の悪さ」である。(政治は足の引っぱり合いだし)
もし江戸時代だったら、ソッコー市中引き回し獄門さらし首でしょうね。
(別に、民主主義を否定している訳じゃないけどね・・・)
この問題を考え出すと頭が痛くなるけど、犯罪にもいろいろある。
どうしようもない、必然や偶然、歴史や宗教、国や民族でも価値観が異なってくる。
(普通に殺人を犯せば犯罪だけど、戦争なら英雄だし)
全ての犯罪を一律に論じることも出来ない。
(社会背景から家庭事情まで人それぞれ、千差万別)
100人いれば100とおりの犯罪がある、と思う。
数字に換算できない部分が多すぎて、統計をとりにくい。
それでも、思ってしまう・・・犯人が「改心」して「更生」する確率、ってどのくらいあるのだろう?
どこから少年で、どこから大人なんだろう?
人、って変われる・・・のだろうか?
PS
「犯罪」の濃さによって「改心」する確率が変化する、と思う。
「狂気濃度」を「鑑定」してグレーディングする作業が必要かも。
「このグレードなら、更生するかな」、とか。
【ネット上の紹介】
「あいつをめちゃめちゃにしてやりたい」―。40年近くの年月を経ても、被害者はあの事件を引きずっていた。歳月は遺族たちを癒さない。そのことを私たちは肝に銘じておくべきだと思う。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、司法を大きく変えた執念のルポルタージュ。
文藝春秋増刊 2011年8月号 つなみ~被災地のこども80人の作文集
被災地の子どもたちの作文集。
3.11、当日の様子を、知ることが出来る。
子どもたちの飾らない文章。
それだけに、かえってストレートに訴えるものがある。
両親や友人を失った子どもたち。
大切なものもながされました。(P24)
・・・このように書いているのは小学2年女子。
この子は、母親と弟を失っている。
主語として母親のことを書けないんでしょうね。
外はいつの間にか、雪がちらついていました。寒さで、目がさめたとたん体と手がふるえました。学校の時計はとまっていました。
今、気がつきました。こわさと不安とで、体がふるえているんだと思いました。(小学4年女子)P66
さて、批評もしておく・・・構成について。
もし、私なら地図、絵、写真を増やして、構成に変化をつけたと思う。
町や村の様子はどうか?
津波の来る前と後の写真や図で、説明したり。
子どもたちはどのような経路で逃げたのか?
地図で分かりやすく説明したり。
そういうのが欲しかった。
だから、もうひと工夫ほしい、と感じた。
ちなみに、このような本を作ろうという発想は、「三陸海岸大津波」(吉村昭さん)からもらったそうだ。たしかに、「三陸海岸大津波」にも、当時の子どもの作文も挿入されている。
【ネット上の紹介】
●直筆文章を原稿用紙のまま掲載。(それぞれ写真と解説つき)
●カラーグラビア16ページ「子供たちの被災地スマイル+絵画作品集」
東日本大震災による津波に直面した子供たちが、地震の瞬間や、津波を目の当たりにしたときに何を感じたか。家族や親友を失った悲しみ、避難所の暮らし、そして今、何を支えにしているのかを綴ってくれた文集です。
「漂流するトルコ」小島剛一
4/21、「トルコのもう一つの顔」を紹介した。(→「トルコのもう一つの顔」小島剛一)
すばらしく面白かった。
専門的なことを書きながら、これほど面白い作品は珍しい。
さて、これは「続編」、である。
前作を読み終わってすぐ、続きが読みたくなった。
しかし、書店に無く、図書館にも無い。
出版社からの「取り寄せ」しかないが、これがなかなか来ない。
(待ちくたびれた頃に、やっと手元に来た)
前作では、1986年、「国外自主退去」させられるところで終わった。
著者には政治的意図は全くないのだが、少数民族の世界に立ち入り過ぎた。
トルコ政府も把握していないトルコ国内の事情に深入りしすぎてしまった。
そして、結果として「国外自主退去」である。
トルコ入国を諦めた著者だが、1994年トルコ入国をはたす。
政府関係者から「ブラックリストに載っていない」、と告げられたからだ。
そして、2003年再び「国外追放」となるまでのトルコ訪問を描いている。
P336
「先生は不思議な方ですね。決して政治思想や経済体制の議論には加わらないのに、言語に関しては私たちには言いにくいことをずばりと言ってのける。動詞の活用だとか諺だとか民謡だとか、浮世離れしたことだけを調べているのにラズ人やクルド人の心を惹きつける」
7月12日、アルハーウィ町へ戻って来たところで、私服警察4人に取り囲まれる。
イスタンブール空港で著者を見張る警察官が横柄な態度で口をきいてくる。
「俺たちゃ、何も知らされていないんだよ。お前、国外追放だなんて、いったい何をしでかしたんだ」
著者はラズ語を研究して文法書を刊行しただけ、と説明する。
「ラズ語の文法書だって?俺はラズ人なんだよ。そっちの同僚もそうだ。お前、ラズ語が話せるのか」
著者は、『ほんの少し』ラズ語の知識を披露する。その後、「お前」から「先生」に昇格する。
やがて、警察官の引継ぎで勤務交替があった。
この二人も、言語学者だという日本人がなぜ国外追放されるのか、興味津々の様子だった。質問にあれこれ答えているうちに、トルコの少数民族言語状況の講義のようになった。ある少数民族の名を挙げたときに、二人の目許が特徴的な微細な動きを見せた。喉仏も同時に動いたが、声は出さない。しかし互いに一瞬目を交わした。その時から二人は、私に対して敬語を使い始めた。やがて、そろそろ日付も変わる時刻になる。
(中略)
二人は、任務どおり、私をフランクフルト往きの航空機に搭乗させる。別れ際、二人揃って丁重に挨拶する。
「閣下、ご無事をお祈りします」
そう言いながら、年長の男が、手袋を外して、無言で握手を求めた。差し出す右手を固く握りながら、私はそこに左手を添えて固く握り返す。もう一人も手袋を外した両手を無言で差し出す。両手で固く握り返す。
「いつかまた逢いましょうね。トルコで」
「インシャッラー」
と、二人は異口同音に言い、二人同時に、敬礼した。
感動の「続編」である。
2作目になっても、まったく失速無し。
1作目同様、ミステリ小説のような面白さ。
この著者、只者ではない。
【ネット上の紹介】
政府に弾圧され続けるトルコの少数民族の言語と、その生活の実態を、スパイと疑われながら、調査し続けた著者。前著『トルコのもう一つの顔』(中公新書)が、まるで推理小説のようなスリルに満ちた物語と、著者の少数民族に対する愛情に涙が出たと絶賛され、長らく続編が待望されながら20年。前著でトルコを国外追放されたあと、再びトルコへの入国を果たし、波瀾万丈のトルコ旅行が開始される。著者の並外れた行動力と、深い知識、鋭い洞察力が生み出した画期的トルコ紀行。
「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」武田徹
いったいどうしてこんなことになったんだろう?
どこでボタンを掛け違えたんだろう?
反対派と推進派は、永久に噛み合いそうにない。
中立の立場で書かれた本を読みたい、と思ってこの本を選んだ。
結論から言うと、明快な解答は書かれていない。
この書籍の元のタイトルは『「核」論』、である。
だから、核に関する一般概論を述べた作品。
編集部が、3.11以降に、タイトルを変えて増補した。
だから、タイトルと内容がマッチしない。
でも、中立の立場で、基本概論が述べられてるからヨシとしよう。
付箋を貼りながら、読んでいったけど、もう付箋だらけ。
すべてを紹介するのは不可能。
ほんの一部・・・「しっぽの先の毛」程度を紹介する。
P43
日本学術会議で原子力研究をいかに行うべきかの議論を繰り広げているときに、国際状況が変わった。1953年の国連総会でアイゼンハウアーが「原子力を平和目的に利用すべし」とぶちあげた。そしてこのスローガンに呼応するように中曽根康弘代議士によって「原子炉築造予算2億3500万円」が国会に提出され、可決されている。
これは伏見康治ら核物理学者を中心とする科学者サイドにしてみれば聖天の霹靂だった。学術会議は科学に関する重要事項を審議し、実現を図るための組織である。ところがその学術会議を飛び越して原子力関係の予算が通過してしまうのだ。
つまり安全や、国民の合意より、アメリカの意向、政治が優先された、ということ?
正力松太郎、って人物がいる。
1955年、原子力利用キャンペーンを行い、原子力委員会を設置し初代委員長に着任、初代科学技術庁長官として入閣も果たした。ところが恥ずかしいことに「核燃料」を「ガイネンリョウ」と読み上げて満場の失笑を買ったそうだ。(のちに社会党委員長となった成田氏から「カクですよね?」と質問されている)
さらに正力を補佐するために経済企画庁計画部長の佐々木義武氏が総理府初代原子力局長に就くが、彼もまたその指名を受けたときに「ハラコリョク局長とは何かね」と尋ねた・・・これが日本原子力政策の始まりなのか?あぁ、おそまつ!(P2-P73)
電源三法について(P159)
①電源開発促進税法
②電源開発促進対策特別会計法
③発電用施設周辺地域整備法
「東京に原発を作れない」原発は実は過疎地にしか作れないものだった。
なぜか?それは原子力損害賠償法に関わる。(P159-164)
アメリカのブルックヘブン国立研究所が原子力施設の事故に関する報告書を提出していた。WASH-740と名付けられたレポートは、アメリカで検討されていた原子力賠償法の参考となるべきもので、大型原子炉内部の核分裂生成物が最悪の気候条件の下で50%大気中に放出された場合を想定して、その被害を理論的に計算していた。(中略)
このレポートの存在は、日本の原子力関係者に衝撃を与えた。(中略)復旧措置のために財源をあらかじめ確保しておく必要がある。そのための体制作りをどうするか―。(中略)
万一の破壊力が想像できないほど強くなりえる核技術の平和利用は、原理的に保険という考え方となじまないのだ。しかしそうした性格についての真剣な検討はなしに、日本では61年6月8日に原子力損害賠償法が成立した。(中略)
「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」という資料がある。
①原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
②原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側は、低人口地帯であること。
③原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
(中略)
人Svの値を下げるために「人」数を減らすしかないからだ。こうして立地条件を限定することで原子力事故の賠償が天井知らずになることを防ごうとした。
これは、しかし、原子力発電所の運転継続を国が望む場合、その地域は過疎であり続けなければならないことにもなる。そうでないと立地指針によれば原発立地に相応しくなくなる。逆に言えば過疎化を前提とせずには、事故の際に現実的な範囲で、賠償可能の域に留めることは出来ない。これが原子力損害賠償法の裏側にあるリアリズムだった。
電源三法交付金は地域振興を本当に目的にすることは出来ない。では、それは何を目的としていたのかといことになる。電源三法交付金は永遠に過疎の運命を強いる事への迷惑料、慰謝料的な性格が強かった。
P174-175
事故の際の被害が見積もられ、そこからのリスク・マネジメントの発想から、原発立地には都市を避けるべきだと考えられていたことが、立地予定地をはじめとして充分に社会全体に知られていたら、歴史はまったく変わっていただろう。(中略)
電源三法を中心とした振興策の明るい面だけが無根拠に謳われる。その意味で日本の原子力を巡る状況を大きくねじれさせた分水嶺となったのは74年なのだ。
【参考リンク】
原子力損害の賠償に関する法律
・・・事故を起こした原子力事業者に対しては、事故の過失・無過失にかかわらず、無制限の賠償責任がある、とある。
・・・ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない、と。
原子力安全委員会サイト→http://www.nsc.go.jp/
「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」も原子力安全委員会サイトに資料として保存されている。
ロバート・オッペンハイマー1904/4/22-1967/2/18
J. Robert Oppenheimer,
この時期(1946)、オッペンハイマーはアチソンの紹介でトルーマンに会っている。
自分が作り出した「悪魔の兵器」を、実際に使用する命を下したトルーマン大統領と初めて面会したとき、オッペンハイマーは彼らしい芝居がかったせりふを述べる。
「閣下、私の手は血まみれです」
トルーマンはそれに応えて言った。
「気にしなさんな、洗えば落ちる」
そしてトルーマンはオッペンハイマーが去った後にアチソンにこう語ったという。「あの泣きべそを連れてくるのはもうやめてくれ」。P120
ジョン・フォン・ノイマン(ハンガリー名ナイマン・ヤーノシュ、ドイツ名ヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン)
日本に対する原爆投下の目標地点を選定する際には「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」だとして、京都への投下を進言した。スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』の登場人物モデルの一人ともされている。
「・・・彼は原爆投下にあたっても、被害者に対する同情の念をほとんどもたなかった。〈徳盲〉が〈悪魔の頭脳〉をもった時、結末は真に〈悪魔的〉なものになる」『二十世紀数学思想』(みすず書房)
【ネット上の紹介】
唯一の被爆国でありながら、「豊かさ」への渇望ゆえに「原発大国」となった日本。「兵器としての核」の傘の下で、平和憲法を制定した日本。このねじれを推進/反対どちらにも寄らない筆致で検証。その視野は政財官から「鉄腕アトム」まで及ぶ。2011年の原発事故論を増補。
[目次]
一九五四年論 水爆映画としてのゴジラ―中曽根康弘と原子力の黎明期;一九五七年論 ウラン爺の伝説―科学と反科学の間で揺らぐ「信頼」;一九六五年論 鉄腕アトムとオッペンハイマー―自分と自分でないものが出会う;一九七〇年論 大阪万博―未来が輝かしかった頃;一九七四年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と;一九八〇年論 清水幾太郎の「転向」―講和、安保、核武装;一九八六年論 高木仁三郎―科学の論理と運動の論理;一九九九年論 JCO臨界事故―原子力的日光の及ばぬ先の孤独な死;二〇〇二年論 ノイマンから遠く離れて
「ルポ餓死現場で生きる」石井光太
石井光太さん最新刊。
飢餓現場での詳細が語られる。
過去の著書と異なる点は、具体的な数字データが豊富なこと。
数字データ+豊富なエピソードで構成される。
いくつか文章を紹介する。
アフリカは欧米のNGOが多数入っているため、一部の国や地域では児童労働を規制する動きが盛んになっています。かつてケニアのコーヒーの産地にある村を訪れたとき、不思議なことに女の子が非常に少ないことがありました。村の人は次のように説明しました。
「数年前に、欧米のNGOがやってきてプランテーションから子どもを一掃したんだ。そのせいで、子どもは地元で働けなくなってしまった。それで仕方なく、他の町に家政婦として出稼ぎにいくことになった。それで若い女の子が減ってしまったんだよ」P57
かつて、エチオピアにある売春婦が集まるバーの従業員が次のようなことをはなしていました。
「少女売春婦は、田舎から出てきていきなり売春をはじめるわけじゃない。最初は家政婦として働くんだ。彼女たちはそこでひどい性的暴行を受けて逃げ出す。けど、そこから先の行き場所がなくなるだろ。貧しい田舎に帰るわけにもいかないし。よそで働いても同じように性行為を強要されるのがオチだ。そこで、いっそう体を売った方がマシだと考えて売春婦になることが多いんだよ」(P85)
アフリカ内戦構造について(P206)
たとえば、フランスがある国を植民地支配していたとします。フランスはその国にいたA民族に政治権力を与えて分割統治をしていました。1960年になり、フランスは民族同士のいがみ合いをさんざん煽った挙句、突如として自分の国の都合によりA民族に権力を与えたまま独立を許し、軍隊を引き上げてしましました。すると、これまでA民族に冷遇されていたB民族やC民族が「A民族の支配下に置かれるのは嫌だ。俺たちに支配権をよこせ」といいだします。A民族はそんなことを許せば自分たちの立場が危うくなることを承知していますので、彼らを武力で押さえ込みます。すると、B民族やC民族は武器を手に取り、A民族を政権の座から引き摺り下ろそうとし、内線が勃発します。簡単にいえば、これがアフリカ諸国で起きていた民族紛争の代表的な構造なのです。
以上、如何でしょうか?
私が1番インパクトを受けて、『救われない』と感じたのは、第6章『子供兵が見ている世界』、である。
書店で見かけたら、手にとって読んでみて。
【ネット上の紹介】
飢餓に瀕して、骨と皮だけになった栄養失調の子供たち。外国の貧困地域の象徴としてメディアに描かれる彼らも、ただ死を待っているわけではなく、日々を生き延びている。お腹がふくれた状態でサッカーをしたり、化粧をしたりしているのだ。ストリートチルドレンや子供兵だって恋愛をするし、結婚をするし、子供を生む。「餓死現場」にも人間としての日常生活はある。世界各地のスラムで彼らと寝食を共にした著者が、その体験をもとに、見過ごされてきた現実を克明に綴る。
[目次]
第1章 餓死現場での生き方;第2章 児童労働の裏側;第3章 無教養が生むもの、奪うもの;第4章 児童結婚という性生活;第5章 ストリートチルドレンの下克上;第6章 子供兵が見ている世界;第7章 なぜエイズは貧困国で広がるのか
「三陸海岸大津波」 吉村昭
吉村昭さんのノンフィクション。
昭和45年に、上梓された作品。
明治二十九年の津波と昭和八年の津波をメインに書かれている。
(現在入手困難になっている本書であるが、なんとか探して購入できた)
当時存命だった津波経験者を訪ねて話を聞いたり、記録文献を調べてこの作品を書かれた。
何度も三陸海岸に足を運んで書かれた作品である。
P33
ようやく災害地にも、本格的に救援の手がさしのべられ、腐乱した死体の処理もはじまった。が、葬儀などをおこなうような状態ではなく、死体は流木の上にひとまとめにしてのせられ重油をまいて焼かれた。
肉親を探してあてどもなく歩く者が多かった。精神異常を起こして意味もなく笑う老女や、なにを問いかけられても黙りつづける男もいた。
P51
津波に対する恐怖以外にも、死体の散乱する海岸一帯は不気味な地域として人々に恐れられた。
死体の多くは、芥や土砂の中に埋もれていた。生き残った住民や他の地方から応援に乗りこんできた作業員たちの手で収容されていたが、掘り起こしても死体の発見されない場合が多い。
そのうちに経験もつみ重ねられて、死体の埋もれている個所を的確に探し出せるようになった。死体からは、脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油が湧く個所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ。
海岸には、連日のように死体が漂着した。人肉を好むのか、カゼという魚が死体の皮膚一面に吸い着き、死体を動かすとそれらの魚が一斉にはねた。
また野犬と化した犬が、飢えにかられて夜昼となく死体を食い荒らしてまわった。住民が犬を追いはらおうとすると、逆に歯をむき出して飛びかかってくる。犬は集団化し危険も増す一方なので、野犬退治が各所でおこなわれた。
P66
海は、人々に多くの恵みをあたえてくれると同時に、人々の生命をおびやかす過酷な試練を課す。海は大自然の常として、人間を豊かにする反面、容赦なく死を強いる。
PS
津波と言えば、3/11である。
過去の経験を生かす事ができなかったのか?
特に、政治、行政、気象、原子力、防災関係者は、本書を読んでおいて欲しかった、と思う。
【参考リンク】
【関連リンク】
原発および原発事故をネットで読む
[要旨]
明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。
[目次]
1 明治二十九年の津波(前兆;被害;挿話 ほか);
2 昭和八年の津波(津波・海嘯・よだ;波高;前兆 ほか);
3 チリ地震津波(のっこ、のっことやって来た;予知;津波との戦い)

「トルコのもう一つの顔」小島剛一
これは驚いた、すばらしい。
言語学者が書いたトルコ体験記録、すごく面白い。
(特にトルコ少数民族言語について研究されている)
どういう経緯で、この本を見つけたのか忘れたけど、読んで良かった。
いくつか文章を紹介する。
P53-54
イスラーム神学では、「聖典の宗教」のうちユダヤ教とキリスト教は、最後の宗教イスラームにいたる前の漸進的な段階だと見なす。「遅れている」けれども間違ってはいないと見る。しかし聖典外の宗教は「基本的に誤った」ものだと考える。だからときどき、答えようのない質問をする人に出会う。「あなたは大学も出ているし、世界中を旅行していろいろなものを見てきたのに、どうしていまだにイスラームに改宗されないのですか」
P109-110
トルコ語かザザ語の歌を知っていたら一曲歌えと言う。サズで伴奏するから。
「一曲だけ習ったデルスィム語の歌があるけど」
「出だしはどんなふう?」
「こんなふうに始まる。ラララー・ララー・・・・・・」
「ああ、あの歌ね。知ってるよ。オワジュクのQ君の作曲だ」
私の歌はもちろん「ドゥイェ・ドゥイェ」。これを伴奏つきで歌うのははじめてだ。オワジュクで過ごしたばかりの日々を思い浮かべながら歌う。一番・・・・・・二番・・・・・・胸が次第に熱くなってくる。三番に入ったところで女たちの一人が泣き崩れた。もう一人が目を押さえ、男たちがうつむく。終わりまで歌ったころは皆が泣き腫らしていた。
友人の細君が訊く。
「オワジュクの人たちはこの歌の意味をあなたに教えてくれたかしら。誰が誰に話しかけているのか、あなたは知ってるの」
「今兵役に行く男が妻を慰めようとしているのだと聞いたけど」
「そう、そうよね。知ってるはずよね。でなければこんな歌い方はできるはずがないわ」
P130
真っ平らな土地の真っすぐな道を走り続ける。車の残骸がとうもろこし畑を背景に散らばる。Y氏はあまりにも変化のない景色に悲鳴を上げた。
「こりゃいくらなんでも退屈すぎる。少し本道をそれようよ。眠くなったら大変だ」
私はアドリア海岸のリエカに抜ける道を提案する。
「きれいなとこかい」
「リエカはまあまあだけど、その少し先のオパティアが一見に値するねオーストラリア・ハンガリー帝国時代の瀟洒な建物が並んでいて今は皆ホテルになっている。団体旅行の予約が多いから泊まるのは難しいかもしれないけど」
P135
美醜の普遍的な尺度が存在しないことは周知の事実であるが、ある種のものを見聞きしたときに「美しい」と思うかどうかも、民族により、時代により、人により、また環境によって異なることがある。お寺や教会の鐘の音を聞いて「美しい」と言う人も「喧しい」と言う人もあり、さらには「恐ろしい」と言う人もある。(中略)
私の出会った範囲では、トルコ人は山を見て「美しい」と思うことがほとんどないようである。薪を取りに、または狩猟をしに、あるいは湯治のために、はたまた宝探しのために山に登ることはある。しかし山そのものを歓びとするトルコ人に会うことは稀なるうちにも稀であり、Y氏と知り合う前には、山々の美しさを語って目を輝かすトルコ人に出会ったことは一度しかない。
P144-152
クルド人・・・特にクルディスタン独立の可能性について、著者がトルコ人外交官相手に(トルコ語で)検証していく。この薀蓄のすごさ・・・悶絶クラス、である。
ほんのごく一部を紹介する。
「クルド人の民族主義者が皆マルクス・レーニン主義だなどということはない。ムシュ県はいつの選挙でもイスラーム原理主義政党が勝つのは知っているね。クルド人はシャーフィイー派が多くて、『宗教は阿片なり』の一言を聞くだけで無条件に反共なんだ。ところがマルクス・レーニン主義者かつ信心深い回教徒という人も結構あるし、左翼だけど反ソというのがまた随分多い。モスクワの政府がソ連の少数民族の民主主義を非難するのはロシアの民族主義の発露にほかならないことを見抜いているからだ」
P160
謙譲の美徳という概念はトルコにもヨーロッパにも実生活では存在しない。謙譲は、美徳ではないどころか、ことにトルコでは、愚劣なことである。「私にはなんの取り得もありません」と言えば、「本人が言うのだから間違いない。それにしても気の毒な人だ。なにもわざわざ言わなくてもいいのに」と誰しもが考える。「沈黙は金」も同じく空文である。口数が少ないことは日本では美徳のうちだが、フランスでは「頭が空っぽである証拠」と見なされる。誰にも好かれない。敬遠ではなく「《蔑》遠」される。
以上、文章紹介終了。
この作品を読んで、クルド人問題の「しっぽ」をやっと掴んだ気分。
「だからどうなんだ?」、と言われるかもしれない。
知ったからと言って、仕事に役立つわけでも、日常生活が便利になるわけでもない。
でも、読書とは(私にとって)そんなものである。
PS
清水義範さんが「夫婦で行くイスラムの国々」で、トルコについて書かれているが、「トルコのもう一つの顔」のほうが、ずっと面白い。トルコに入れ込んでいる年月、熱情、知識・・・これらに、圧倒的な差があるから。面白さのレベルに差が出て当然。知名度と面白さは比例しない例、である。
ちなみに、「トルコのもう一つの顔」をネットで調べてもらったら分かるけど、この作品を読んだ方は絶賛している。とても評判の高い本である。
【ネット上の紹介】
言語学者である著者はトルコ共和国を1970年に訪れて以来、その地の人々と諸言語の魅力にとりつかれ、十数年にわたり一年の半分をトルコでの野外調査に費す日日が続いた。調査中に見舞われた災難に、進んで救いの手をさしのべ、言葉や歌を教えてくれた村人たち。辺境にあって歳月を越えてひそやかに生き続ける「言葉」とその守り手への愛をこめて綴る、とかく情報不足になりがちなトルコという国での得がたい体験の記録である。
「飢餓浄土」石井光太
石井光太さん、最新刊。
過去の石井光太作品で、1番よかったのが「神の捨てた裸体」、
次に「物乞う仏陀」「レンタルチャイルド」がくる。(海外モノでは)
今回の作品は、それぞれの取材でこぼれ落ちた「ストーリー」、
さらに最新の取材で得たエピソードをまとめてある。
だからといって、質が落ちるわけでもなく、テーマにばらつきがあるわけでもない。
石井光太作品らしい、濃度の高い仕上がりになっている。
ボルネオ島、妊娠している(ようにみえる)娘と2人ペアで売春する母親を取材する(P93)
母親はベッドの端にすわり、結わえていた髪をほどいた。豆電球の下で、白髪が反射している。
目もとには無数の皺があった。
「ここにお客さんを呼んで、仕事をしているんですか」と私が尋ねた。
「ええ、1回につき、20リンギ(約530円)もらっているわ。外の宿をつかえば、お客さんはさらにお金を払わなければならない。けど、この部屋をつかえば、宿代も含めて20リンギでおさまる。インドネシア人の小娘なんか買うより絶対に得よ」
タイ北西部、ミャンマーとの国境に近い難民キャンプでHIV感染を取材(P110)
「ココナッツ・・・・・・どうしてそんなものをペニスに注射したんですか。麻薬と同じような効果でもあるとか?」
「いや、そんな複雑なことじゃありません。単純に、ペニスを大きくしたかったらしいんです。若い男なら、みんな巨根に憧れますよね。ペニスが大きくなれば女にモテると信じ込んで、仲間たちと集まってココナッツの汁を注射したそうなんです。どうやら、彼らの間ではココナッツの汁を注射すると、ペニスが大きくなるという迷信があるようなのです」(中略)
私はそれを聞いて、もし本当だとしたら、HIV感染が拡大している要因の1つなのではないかと思った。
1994年総人口の10分の1が、たった3ヶ月間で殺害された。
今は平穏なように見える、フツ族とツチ族も平和に共存しているように・・・。
ルワンダ虐殺の記憶について取材する。(P246-263)
「誰も語らないだけで、あのときの記憶は今もまだ脳裏にしっかり焼きついているんだな」と私はつぶやりた。
ルンドはうなずいた。
「忘れられるわけないだろ。永遠に忘れられないよ」
・・・これは、読んでみて、今回取材の中でも屈指の内容。
これと、枯葉剤の影響調査に、ベトナムに行った「奇形児の谷」(P133)が秀逸。
【参考リンク】
『飢餓浄土』刊行直前インタビュー
【ネット上の紹介】
人食い日本兵の亡霊、乳飲み子を抱くオカマ、奇形児を突き落とした産婆、人間の死体を食い漁る野犬……棄民たちの世界を象るグロテスクな「幻」が露にする、戦場・密林・路上の実像。
[目次]
第1章 残留日本兵の亡霊(敗残兵の森;幽霊船 ほか);第2章 性臭が放つ幻(せんずり幻想;ボルネオ島の嬰児 ほか);第3章 棄てられし者の嘆き(奇形児の谷;横恋慕 ほか);第4章 戦地にたちこめる空言(戦場のお守り;餌 ほか)
「感染宣言」石井光太
日本人HIV感染に関するノンフィクション。
いろいろ勉強になったし、考えさせられた。
いくつか参考になる文章を紹介する。
まず、一般的な知識となる文章から。
(このブログ横書きなので、読みやすいよう数字表記を変えている、御容赦)
P8-P9
95年までは、国内の新規感染者は毎年200人以下でしかなかった。だが、96年に200人を越えると急に増えはじめ、5年後の2001年には621人、05年には832人になった。そして、09年には1021人に膨れ上がっている。1日に3人近くのHIV感染者が見つかっている計算だ。現在の日本全国にいるHIV感染者/エイズ患者の総数は、薬害エイズ事件の被害による人を含めると、19,031人にも上る。先進国で感染者の増加率が上がっているのは日本だけだといわれている。
HIV感染症とは、俗にエイズ・ウイルスと呼ばれるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)がが体内に入り込んで起こるものだ。このウイルスの感染力はとても弱く、普通に性行為をするだけではなかなか感染しない。だが、肛門性交など、粘膜を傷つけるような行為をすると、この傷がHIVの侵入経路となってしまい、感染率が高まることがある。
(中略)
エイズというのは、感染後主に数年から十数年経って免疫力がほとんどなくなったときに起こる状態である。(中略)この免疫力が極度に弱まった状態が、エイズ(後天性免疫不全症候群)と呼ばれている。
以上、これで語彙の理解が出来たでしょうか?
HIVとエイズの違いが解ったでしょうか?
私も昔の職場で、「よく読むように」と、全職員1人1冊ずつHIVパンフレット配られた記憶がある。(これは、本部が印刷したか、あるいは、厚生省(=現在の厚生労働省)の印刷物と思う)
・・・でも、ほとんど忘れていた。
今回、改めて、HIVとエイズの違いを認識したしだいである。
P44、感染率について書かれている。
男性・・・0.05%、コンドームをつけずに感染者とセックスしても、二千回に一度の確率。
女性・・・0.1%、こちら男性の倍、千回に一度の確率。
ただし、同性間性的接触の感染は一気に上昇する。
以下、転載。(P45)
同性愛の性行為では、タチ(挿入する側)とウケ(挿入される側)に分かれるが、リスクが大きいのがウケである。ウケは肛門にペニスを挿入され、ウイルスの混ざった精液を射精される。その際、肛門の奥にある腸がそれを吸収してしまうことがあるうえに、肛門性交によって粘膜が傷つき、そこがウイルスの侵入口となって感染率が高まるのである。このため、女性の約六倍の0.57パーセントという高感染率になる。
P63(薬害エイズの被害者の言葉)
人は、他人に心の内をすべて見せられるわけじゃない。隠しているから、うまくいくことだってある。人間関係を成り立たせるには、見せる部分と隠す部分をうまくつかいわけていかなければならないんだ。
しかし、HIV感染者になると、人はいやおうなしに丸裸にさせられてしまうことがある。
無理やり引っぺがされて、人間の本性をむき出しにさせられるんだ。そのせいで、なんとかバランスがとれていた人間関係が音を立てて崩れてしまう。
(中略)
このころになって、ようやく患者たちの間に「エイズで死ぬことはまずない」という認識が広まった。僕も「命拾いした」と胸をなで下ろすことができた。
しかし、世の中というのは皮肉なもので、国との和解が成立してエイズが死なない病気になると、それまでこの問題に熱心だった人たちは急によそよろしく遠ざかっていくようになった。潮を引くように原告団や市民団体から離れていき、連絡すら取ってくれなくなる。もう過去の人間になってしまったということなんだろうな。
ボランティアに来ていた若い女性たちも同じだった。それまでは国家の犠牲となって殺されていく薬害エイズの被害者に同情し、最後まで苦しみを分かち合いたいと言ってくれていた。中には交際や結婚を求めてきた子だっていた。だが裁判に区切りがついて、エイズが死なない病気になったとたんに、僕たちと会話することがなくなり、周りからいなくなってしまった。死に際の男には言いようのないロマンがある。だが、新しい治療法が確立したとき、僕たちは、ただの障害者年金暮らしの病弱な男に成り下がった。それに愛想をつかしたということなのだろう。
P227(HIV感染者の出産について)
当時は「やがて死んでいくHIV感染者が子供をほしがるのはエゴにすぎない」とか「母子感染があったら誰が責任を取るのか」という議論があり、基礎研究しかできなかったという。だが、2000年に新潟大学が臨床実験を受け入れ、母子感染の予防に成功。それからHIV感染者でも子供を産めるとう認識が広がったのである。現在では、医師もよほどのことがない限り、出産を勧めるようになっている。
P289
現在、HIV感染症は、医療者の間では糖尿病と同じような慢性疾患の一つとしてしかとらえられていない。適切なケアを受け入れていれば、死に至ることはないし、子どもを産むこともできるし、感染率もゼロ近くまで抑えられる。
にもかかわらず、かかわった人々の人生を大きく揺さぶるのは、HIVが性行為を通してうつるものだからだろう。性行為は人と人とを結びつけるのに大切な役割を持つ。人々はウイルスによってその人間関係を試されたり、破壊されたりする事実に震えあがり、過大な恐怖を抱く。「エイズなんだから、抱いて」と乞われても拒絶してしまう。ゆえに感染者もとり乱し、自ら破滅の道を辿ってしまうことがある。
いわば、みなHIVの幻に翻弄されているのだ。
以上、印象に残った文章を紹介した。
非常に興味深いノンフィクションで、読みやすい文章だから、よかったら手に取ってみて。
同じノンフィクションでも、先日読んだ「キャパになれなかったカメラマン」より、ずっと読みやすい。
【ネット上の紹介】
『神の棄てた裸体』『絶対貧困』で世界の奈落を追ったノンフィクション作家・石井光太が初めて手掛けた衝撃の国内ルポルタージュ! ベッドで腕枕をして「HIVなの」と囁いたとき、二人は―― 日本人初のエイズ患者報告から25年。治療法の確立によって、決して「死の病」でなくなったが、HIV感染者は静かに広がっている。世間から「忘れられた」2万人の日本人HIV感染者は、宣告後の人生を、どう生きているのか? 告知、恋愛、家族、出産――それぞれの人生に重くのしかかる「HIV」というウイルス。100人を超える感染者の現実を克明に取材した33歳の著者が出会った現実。本格書き下ろし! 「HIVに感染していたの……検査でそう言われた……お願い、あなたも調べてもらって。あなたにうつっているかもしれない」 「私は、いまだに試されているんですよ。今もエイズはどこかで生きていて、私がどう苦しむか、悩むか、嘆くかをじっと見詰めているんです」 (本文より)

●(P79)死後二十日で発見された方のお宅へ行って、その方が倒れていたトイレの清掃と死臭を取ってほしいということでした。
●(P102)あたり一面血だらけで、部屋は破壊の限りを尽くされており、なぜか階段の手すりまではずれて投げ捨てられていました。ここでヤクザの抗争事件があったと言われても信じていたと思います。
人間心理の複雑さ、人間が一人で生きていくことの難しさというものをあらてめて感じされられる出来事でした。
●(P129)初めの頃は、私は無意識のうちに独居老人の孤独死は七十歳以上の方であるという先入観を持っていました。ところが実際は、五十五から六十五歳にかけての年齢層の方が非常に多いのです。
●(P167)亡くなった方のお部屋には、アダルトビデオが山のように積み上げてあり、壁には子どもにはちょっと見せられないようなポスターがあちこちに貼られていて、床もその手の写真集で埋め尽くされていました。
・・・以上、いくつか転載したが、いかがでしょうか?
「20歳で美しくなく、30歳で強くなく、40歳で賢くなく、50歳で金持ちでない人間には、もはや望みはない」

「性愛英語の基礎知識」が面白かったので、この本も取り寄せて読んでみた。
読んでいて、桐島洋子さんの「淋しいアメリカ人」(1971)を思い出した。
(実際、著者も桐島洋子さんを意識されている)
しかし、桐島洋子さんの時代と比べて、世の中大きく様変わりした。
つまり、デジタルな時代になった!
日本で『出会い系サイト』、と言うといかがわしい雰囲気を醸すが、アメリカでオンライン・デーティングと言えば、最高の収益をあげる、有料で合法なインターネット・サーヴィスのひとつ。
大手サイトに自ら登録し、その経験を赤裸々に書き上げたのがこの著書。
大学教授でアメリカ文化史、ジェンダー研究者だけあって、文化、政治にも言及されているので、いわゆる『突撃体験レポート』の類と一線を画している。(中村うさぎさんが書いたら、それはそれで面白いでしょうが)
いくつか印象深い文章を、下記に転載する。
三十代も後半になれば、私たちはそれぞれいろいろな人生を背負ってきている。人を深く愛したこともあれば、憎悪の感情を抱いたこともある。人をとても傷つけてしまったこともあるし、自分が深い傷を負ったこともある。自分が求めるものを手に入れるために、がむしゃらに頑張り、それを手に入れる喜びを経験したこともある一方で、力の限りを尽くしても求めるものが手に入らない失望も知っている。自分自身の弱さも経験したことがある。自分そして相手の、そうした人生の勲章や傷をすべて受け止めたうえで、相手を愛するのが、大人の愛情というものだろう。
しかしそれと同時に、そうした経験を経て、自分の人生や人との関係に、私たちはかなり特定なものを求めるようになる。どうしても、歳をとるにつれて、自分が心底受け入れられるものや共感できる相手というのは、より限定されてくるという気がする。自分の求めるものが特定化されてくるにつれて、「ケミストリー」といった、言葉にしにくいようなものも、実際どんどん重みをもってくるかもしれない。惚れた腫れたと大騒ぎしたり、どきどきするような魅力を感じる相手を見つけるのはそう難しくはないかもしれないが、人生を共にしたいと思う相手を見つけるのは、どんどん難しくなってくるかもしれない。
(中略)
私くらいの年齢になってくると、意識的あるいは無意識のうちに、やりなおしの利かない人生の選択をいくつもするようになる。勇気を出してする選択によって、かけがえのないものを手に入れることもあるし、大事なものを失って二度と取り戻せないこともある。これまでもっていたものを失うのも辛いが、これから先にもつことができたであろうものを永久に手放してしまうことの痛みも同じくらい大きい。それでも、そうした選択の結果を、他人や状況のせいにすることなく、自分自身で引き受けることが、大人になるということだろう。
如何でしょうか?
重い言葉の連続、である。
でも、内容は具体的且つ詳細に、ネットで出会った様々なアメリカ人が語られる。
実際の『オンライン・デーティング』では、月2000円くらい支払って、自分のプロフィールを写真と共に掲載して、自分に合いそうな方を検索、メールを送ったり、送られたり、って行為の後、「実際会ってみよう、会いましょう」、って段取りになる。
以下、「魂萌え!」(桐野夏生)より引用・・・
独りでいるということは、穏やかで平らかな気持ちが長く続くことなのだ。人に期待せず、従って煩わされず、自分の気持ちだけに向き合って過ぎていく日常。そういう日々を暮らすのは、思いの外、快適かもしれない。
【参考図書】
「性愛英語の基礎知識」吉原真里
【ネット上の紹介】
「オンライン・デーティング」とは、インターネットのサイトを使ってデート相手を探すことである。年齢・職業・人種・地域を超え、今や、アメリカ主流文化の一部となっている。新しい出会いを探すには、ウェブが最も便利ということだろう。大手サイトに登録した著者は、ニューヨーク、そしてハワイで、さまざまなアメリカ男たちと「デート」する。出会い、つきあい、そして別れの中から、人間臭いアメリカが見えてくる。
この著者、大学教授・アメリカ文化研究者にして恋愛の達人、である。
まことこのような本を著すのに適されている、と思う。
ただ、このタイトルは内容に即していない。
(おそらく編集者が、オヤジの下世話な好き心を煽るために考えたのだろう)
実際は「恋愛英語の基礎知識」とした方が、内容に即しているし、女性読者の購読意欲を刺激して、結果として発行部数をもっと伸ばしたと思う。
まぁ、編集部批判はともかく、内容はよく書かれている。
具体的な例文として次の2作品が取り上げられている。
『Sex and the City』(通称SATC、主人公のキャリーがミスタービッグがthe One(後述)であるかどうか悩んで何シーズンにもわたって悶々とする←著者文中表現)
『When Harry Met Sally』(邦題:『恋人達の予感』、恋愛・友情を扱った映画の古典)
さて、具体的にいくつか興味深い表現を紹介する。(転載)
the One
soul mateであれなんであれ、「自分にとってこの人が最良の相手だ」「自分が求めている相手、自分が人生を共にしたいのはこの人だ」と思える相手のことを、the Oneと言う。世の中に同類のものは他に存在しない、唯一の相手、という意味がこめられているのであるから、定冠詞のtheをつけて、oneの初めは大文字で表記することが肝心である。
high maintenance, low maintenance
高級スポーツカーのように、調子良く行っているときにはとても愉快であるものの、その人を満足させてその愉快さを保つためにはしじゅうさまざまな注意や投資が必要な人のことである。言葉やプレゼントなどを通した愛情表現や、その人がどれだけ魅力的かということを伝える行為を続けていかなければ、機嫌を損ねたり不安がったりするのがhigh maintenanceな人である。逆にlow maintenanceな人とは、精神的にも物質的にも自立していて、交際相手がそれほど手間ひまかけたり気を遣ったりしなくても、自分や二人の関係について自信と満足をもって暮らすような人のことである。
in touch with one's emotions
自分の感情を認識・把握し、それに正直に対応している、といったことである。
Poul is really not in touch with his emotions.
(ポールはほんとうに自分の感情に背を向けているのよ)
何か失敗したり、恋人にふられたり、プライドを傷つけられたりして、本当は深い傷や悲しみを負っているのに、そうした自然な感情を自分で受け止めようとせず、無理に強がっている人とか、また、誰かを深く愛するようになってもその感情に素直になれなかったり、自分が本当に求めているものに敢えて背を向けていたりするような人について、こうした表現をする。
最後に、私がこの本を読んでいて、「実際、使ってみたい」、という表現があった。
別れの際の、この表現である・・・
I can't give you what you want.
(君の求めているものを僕はあげられない)
う~ん、一度でいいから使ってみたい!
【ネット上の紹介】
性愛に関する英語表現には、アメリカの文化が如実に反映している。「デートする」とは具体的に何を指すのか。なぜ正常位が「宣教師の体位」と呼ばれるのか。「ティーバッグする」とは何のことか…。その様は、滑稽で、エッチで、時に愛おしい。アメリカで“ネットを通じた出会い”を実践した記録『ドット・コム・ラヴァーズ』で話題を呼んだ著者が案内するアメリカ恋愛模様。

最近発売されたばかり。
購入しようと思ったら、売り切れ状態。
図書館で予約を入れたら、こちらはあっさり入手できた。
内容はタイトルどおり。
世界中の『国語』教科書を比較しよう、って企画。
(なかなか良い企画じゃないか、編集者エライ!)
さて、古代ギリシャの学校は「閑暇(ヒマ)の家」といわれた、らしい。
以下、引用。
時間の余裕のなかで「教養」を学ぶという考え方の誕生だ。
閑暇はギリシャ語でスコレー。スクールの語源である。
さらに興味深い話がある。日本のような国語教育が行われている国は少数派である、ってこと。
国による教科書検定制度が無い国はフツーにあるし、教科書さえ無い国もある。
以下、転載。
本書では便宜的にすべての国の公用語教育を「国語」と呼ぶものの、公用語であり、母語でもある言語を「国語(national language)」として学ぶことができる日本のような国は、実は少数派だ。国内で様々な言語が使われているがゆえに、公用語を法律で定める国のほうが世界には多いのである。
[要旨]
アメリカでいちばん知られているのは、誰の伝記?躍進著しい中国は、次代の国民をどう育てようとしている?小学校の国語の教科書には、それぞれの国の理想や信条、現実が濃密に詰まっている。欧米から中国、韓国、ケニアまで、各国の教育事情を知る第一線の研究者11人が集結し、国語教科書の面白ポイントを紹介する初めての本。
[目次]
第1章 アメリカ―多民族を抱える超大国の「夢」と「平等」;
第2章 イギリス―英国紳士・淑女のユーモアは双葉の頃から磨かれる!;
第3章 フランス―「共和国は学校が作る」決意に基づくハイレベルな文章;
第4章 ドイツ―「仕事」に誇りをもつ国の切実、質実な教育;
第5章 フィンランド―独立を祝う気持ちが実を結んだ、世界一の読解力;
第6章 ロシア―短文中心の教科書ではドストエフスキーは読めない!;
第7章 中国―13億人が学ぶ言葉 科挙と革命、そして開放へ;
第8章 韓国―ハングル・アリランラブ 愛国心で目指す「完全なる人」;
第9章 タイ―微笑みの国を襲った経済危機と復興;
第10章 ケニア―独立から半世紀、厳しい現実に抗う教育