新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

最後のカーバイド専用車考察(2)

2018-10-28 10:57:49 | Weblog

 再びホキ5900の話に戻すと、当時(昭和末期)の近鉄養老線貨物には、このホキ5900の他、西大垣発着の日本合成化学工業扱いのタキ3700(酢酸)、タキ9250(アセトアルデヒド)、タサ4500(酢酸ビニル)等が硝酸タンク車等と共にこれ見よがしに?連結されていたものだから、カーバイドはこの日本合成化学の工場に運び込まれ、これら酢酸誘導体の原料となるアセチレンの発生源となる、と誤解されてしまっていることが多いようです。運用の対岸となる武生、黒井はどちらとも信越化学工業の工場が立地し、同社もかつてカーバイドを造っていたメーカーだったので、余計に紛らわしい? 

 またちょっと脱線して、そのアセチレンから合成される主な製品をChemSketchでヘタクソな落書きをしてみました。(間違っていたらごめんなさい。これを貼ってみたかったからの企画?)

 

 しかし、これらの反応式で示される製品の原料は、60年代半ば~70年代にかけてカーバイド由来のアセチレンから、石油由来のエチレンやプロピレンに代替されていきます。その理由は、カーバイドは石灰とコークスをアーク炉で焼成するため、電力コストの高騰で競争力を失っこと、(1)の水と反応させてアセチレンを発生させた後に大量の廃棄物(不純な消石灰スラグ)が発生すること、止めは(2)のアセトアルデヒドプロセスで触媒として使われた硫酸水銀(II)が副反応で危険なメチル水銀を生成したことで、これらはホキ5900による輸送が開始された82年には工業的にはとっくに過去のものになっている筈です。

 しかも、日本合成化学大垣工場の隣にはカーバイドを焼いているメーカー、揖斐川電工→イビデン、が立地しており、ここに酢酸誘導体合成プラントを建設したのも、揖斐電のカーバイド在りきなので、わざわざ輸送コストを掛けて遠くから運ぶ理由が無いですね。と言う事で、ホキ5900の発送元はイビデン、荷受人は信越化学工業と推定されます。裏付けに「第三者使用 イビデン株式会社 臨時常備駅 西大垣駅」とおぼろげに読める画像も発見しています。次に信越化学では何に使っていたのか、と言う疑問ですが、同社では2002年まで石灰窒素を生産していたので、主にその原料と推定されます。信越窒素肥料として創業時から造っていたのに、82年になって何故いきなり輸送開始されたか?ですが、カーバイドの需要が減少したため、リストラで自社のプラントを廃棄して、外部調達に切り替えた、と言う事でしょうか。

 まあ恐らく古くからの貨車ファンには今更な話題で長々と能書き垂れましたが、鉄道友の会貨車部会の過去の資料でも漁れば運用面での疑問は簡単に解けるのでしょうが、今は会員じゃないので、現時点ではこの程度が限界かな?

 


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