新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

酒田港公共臨港線

2024-01-13 23:45:57 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 酒田港駅から東北東ソー化学酒田工場の北側を回って、旧日新電化工場(現、東北東ソー化学酒田西工場)と米田物産へ至る専用線について、日新電化と米田物産の構内で各1回ずつスイッチバックしていたり、何だか不自然な線形だと前から思っていたのですが、かつては海沿いを通り、大浜運河を跨いで工場内に入る専用線だったんですね。

https://akumisakata.exblog.jp/29511405/

当然運河の入り口に鉄橋があれば、大きな船や艀は出入りできないので、後に北側に迂回する公共臨港線が建設され、こちらの線路は廃止されましたが、大浜運河はその後も本来の目的で十分活用されることなく現在に至っています。お馴染みの羽越線資料館

https://uetsumuseum.web.fc2.com/sakatako.html

でも良く見ると配線図にさらっと紹介されていたのですが、このあたりの経緯については詳しく記述が無かったので見逃していました。どうせなら可動橋にしてくれれば面白かったのですが、この位の距離なら迂回線を敷いた方が、後々の維持費が有利と判断したのでしょう。時系列的には、

 1937(昭和12年) 鐵興社酒田大浜工場(現・東北東ソー化学酒田工場)開設
 1943(昭和18年) 帝國マグネシウム工業所(後の日新電化酒田工場)開設
           ※この時に大浜運河入り口の鉄橋を架橋?
 1955(昭和30年) 鐵興社工場北側を迂回する山形県営公共臨港線開通(鉄道公報掲載は昭和31年10月)。
           これにより日新電化/米田物産の旧専用線を廃止。
 1961(昭和36年)頃 大浜運河の鉄橋を撤去。
 1969(昭和44年) 米田物産専用線開通。
 1975(昭和50年) 鐵興社が東洋曹達工業に吸収合併。
 1980(昭和55年) 日新電化が東洋曹達と業務提携。
 1983(昭和58年) 旧鐵興社の酒田大浜工場が分社化、東北東ソー化学に。
 1988(昭和63年) 日新電化が東北東ソー化学に事業譲渡。同社の酒田西工場となる。
           ※この頃に旧日新電化線の使用を休止?
 2008(平成20年) 新専貨全廃により東北東ソー化学の専用線扱い廃止。同時に公共臨港線使用休止。

日新電化線の先に接続していた米田物産に関しては廃止時期は判然としませんでしたが、少なくとも昭和58年の専用線一覧表には掲載があるので、ヤード系輸送が無くなった59-2頃かと思われます。それにしても日新電化に関する情報がネット上に極端に少ないのは何故でしょう? 法人格が消滅している(だよね?)とは言え、そこそこの規模があった中堅化学メーカーなのに、と思うのですが。一方の鐵興社は傍系だけど、東ソーのサイトでも沿革は簡単に紹介されていますが、日新電化は完全スルーです。

 

晩年の旧日新電化線は、ご存じの通り、使わなくなった貨車の捨て場になっていました。既に旧鐵興社の工場と施設の統合が進んだ結果、旧工場施設は大半が撤去され、荒涼とした異様な風景が広がっていたのが記憶にあります。昭和63年に事業譲渡とありますが、私有貨車は昭和62年時点では全て東北東ソーに名義変更済みで、実態は既にほぼ抜け殻になっていたみたいですね。


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