goo blog サービス終了のお知らせ 

新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

濃硫酸タンク車都道府県別常備駅リスト(多分間違いだらけ)

2018-11-17 20:42:04 | Weblog

 ふと思い立って、濃硫酸タンク車の常備駅って過去どれだけあったのかな、と思いつくままに書き出して、都道府県別にまとめてみました。戦前の神話時代も出来るだけ拾ったつもりですが、多分間違いだらけなので、御指摘等はコメント欄にお願いいたします。途中変更になった駅名もありますが、常備車があった最終時の駅名で表記しました。予想通り東高西低の分布ですが、全体の約2/3の都道府県に分布していたことになりますね。東日本に多いのは、発送元の製錬所が内陸部に多く、また特に冬季の日本海側は海上輸送に気象的障害があるからでしょうか。逆に西日本は主要な製錬所が臨海立地で、しかも気候が穏やかな瀬戸内側に面するので、内航海運の方が有利になるのでしょう。その中でも幸崎(日鉱金属佐賀関製錬所)からの鉄道輸送が細々と続いたのは、冬季は海が荒れて、しかも港湾、道路インフラが貧弱だった益田、江津と山陰に大口需要家を抱えていたからでしょうね。(2024/11/18 少し追記)

北海道(5) 豊沼 港南 国富 東室蘭 五稜郭
青森県(2) 北沼 湊
岩手県(3) 東八幡平 釜石 宮古
秋田県(6) 八森 大館 小坂 秋田港 秋田北港 羽後牛島
宮城県(2) 細倉鉱山 石越
山形県(1) 酒田港
福島県(5) 大寺→磐梯町 郡山 宮下 南宮下 勿来
茨城県(2) 日立 神栖
栃木県(4) 足尾 足尾本山 日光 清滝
群馬県(2) 安中 渋川
埼玉県(0)
千葉県(3) 蘇我 北袖 甲子
東京都(4) 須賀 平井 錦糸町 小名木川
神奈川県(4) 入江 新興 扇町 浜川崎
山梨県(0)
新潟県(9) 太郎代 沼垂 新崎 新潟港 東新潟港 焼島 関屋 柏崎 二本木
長野県(0)
静岡県(2) 岳南富士岡 三保
愛知県(8) 大樹寺 北岡崎 笠寺 名電築港 名古屋港 名古屋南港 昭和町 汐見町
岐阜県(3) 神岡鉱山前 飛騨古川 西大垣
三重県(1) 塩浜
富山県(4) 速星 猪谷 能町 大広田
石川県(2) 松任 東金沢
福井県(2) 武生 敦賀
滋賀県(2) 木ノ本 石山
京都府(1) 宇治
奈良県(0)
大阪府(3) 野田 安治川口 桜島
和歌山県(1) 和歌山
兵庫県(2) 神戸港 別府港
岡山県(2) 汽車会社前→南岡山 笠岡
広島県(0)
山口県(2) 宇部港 目出
鳥取県(0)
島根県(2) 石見江津 益田
徳島県(0)
高知県(0)
香川県(0)
愛媛県(1) 新居浜
福岡県(6) 黒崎 伊田 大牟田 三池港 三池浜 宮浦
佐賀県(0)
長崎県(0)
熊本県(3) 水俣 八代 球磨川
大分県(1) 幸崎
宮崎県(1) 南延岡
鹿児島県(0)


最後のカーバイド専用車考察(2)

2018-10-28 10:57:49 | Weblog

 再びホキ5900の話に戻すと、当時(昭和末期)の近鉄養老線貨物には、このホキ5900の他、西大垣発着の日本合成化学工業扱いのタキ3700(酢酸)、タキ9250(アセトアルデヒド)、タサ4500(酢酸ビニル)等が硝酸タンク車等と共にこれ見よがしに?連結されていたものだから、カーバイドはこの日本合成化学の工場に運び込まれ、これら酢酸誘導体の原料となるアセチレンの発生源となる、と誤解されてしまっていることが多いようです。運用の対岸となる武生、黒井はどちらとも信越化学工業の工場が立地し、同社もかつてカーバイドを造っていたメーカーだったので、余計に紛らわしい? 

 またちょっと脱線して、そのアセチレンから合成される主な製品をChemSketchでヘタクソな落書きをしてみました。(間違っていたらごめんなさい。これを貼ってみたかったからの企画?)

 

 しかし、これらの反応式で示される製品の原料は、60年代半ば~70年代にかけてカーバイド由来のアセチレンから、石油由来のエチレンやプロピレンに代替されていきます。その理由は、カーバイドは石灰とコークスをアーク炉で焼成するため、電力コストの高騰で競争力を失っこと、(1)の水と反応させてアセチレンを発生させた後に大量の廃棄物(不純な消石灰スラグ)が発生すること、止めは(2)のアセトアルデヒドプロセスで触媒として使われた硫酸水銀(II)が副反応で危険なメチル水銀を生成したことで、これらはホキ5900による輸送が開始された82年には工業的にはとっくに過去のものになっている筈です。

 しかも、日本合成化学大垣工場の隣にはカーバイドを焼いているメーカー、揖斐川電工→イビデン、が立地しており、ここに酢酸誘導体合成プラントを建設したのも、揖斐電のカーバイド在りきなので、わざわざ輸送コストを掛けて遠くから運ぶ理由が無いですね。と言う事で、ホキ5900の発送元はイビデン、荷受人は信越化学工業と推定されます。裏付けに「第三者使用 イビデン株式会社 臨時常備駅 西大垣駅」とおぼろげに読める画像も発見しています。次に信越化学では何に使っていたのか、と言う疑問ですが、同社では2002年まで石灰窒素を生産していたので、主にその原料と推定されます。信越窒素肥料として創業時から造っていたのに、82年になって何故いきなり輸送開始されたか?ですが、カーバイドの需要が減少したため、リストラで自社のプラントを廃棄して、外部調達に切り替えた、と言う事でしょうか。

 まあ恐らく古くからの貨車ファンには今更な話題で長々と能書き垂れましたが、鉄道友の会貨車部会の過去の資料でも漁れば運用面での疑問は簡単に解けるのでしょうが、今は会員じゃないので、現時点ではこの程度が限界かな?

 


最後のカーバイド専用車考察(1)

2018-10-27 22:49:47 | Weblog

 次のネタを何にしようかと考えていたところ、少し前にネタ振りした西大垣のホキ5900、ちょい調べてみると色々興味深いことが判明。最後まで残っていた割には、趣味者的視点で詳しく語られた文献に乏しく、ただ西大垣と武生、黒井との間で運用されていたことが辛うじて分かりました。

 国鉄末期の昭和62年時点で残っていたカーバイド専用車の運用は、電気化学工業のホキ6000形による青海-八木原間の工場間輸送と、このホキ5900形による西大垣-武生/黒井間の輸送のみで、三菱化成は塩浜にホキ6000形1輌の車籍を残していたものの、その使用実態は永年無かったものと思われます。電化の輸送は国鉄民営化直前に消滅し、西大垣拠点運用も昭和63年に近鉄養老線の貨物扱終了と共に終焉を迎え、カーバイドの専用貨車による鉄道輸送の歴史に終止符を打ちました。

 ちょっと話を逸らして、カーバイドの用途として、
(A)ガス溶接、溶断、灯火用アセチレンガスの発生源
(B)有機合成原料
(C)カーボンブラック原料
(D)石灰窒素(肥料兼農薬)原料
(E)製鋼用脱硫剤

と言ったところが主なものでしょうか。昭和30年代は多くの化学メーカーや電炉メーカーが参入し、隆盛を極めましたが、2018年現在で日本国内で生産しているのは、デンカ(青海)とイビデンケミカル(青柳)、あと日本カーバイド工業(魚津)は現在はプラント停止かも? その中でも国内シェア90%を占め、工業的に大規模生産しているのはデンカのみです。有名な青海の原石線で運ばれる石灰石は、カーバイド工場で消費される分を輸送している模様です。(セメント工場は直結のベルトコンベアがあります)


夏の恒例行事で

2018-07-08 15:37:10 | Weblog

 余り買うものも無くなっちゃったな、と毎年思いつつも惰性の様に通い続けるJNMAフェスティバル、昔の仲間と近況報告している中で、「新貨車通信」とかの貨物系掲示板に良く出入りしていた人たちってどうしているのかな?と言う話題。何人かは今でも場所を移して活動しているのは存じていますが、大多数は新専貨の消滅と共に卒業してしまったのかな?という感じで、リンク集にあるWebサイトも無料ホームページサービスの終了と共に消滅か、残っていても何年も更新していない様なのが悲しいことに大多数です。

ただ、新専貨消滅から10年経ち、その現役時代を知りたくとも、一般に容易に入手可能な体系的資料が紙媒体、Web双方非常に少ないのが憂慮すべき状況です。その片鱗だけでも当時を知る者としては、次世代に語り継いでいくことも責務なのかな、と思いつつも、なかなか筆が進まない昨今で…ふと、かつて新貨車の掲示板に集った方に、もう一度どこかで集まりません?と呼びかけても、果たしてどれ位集まってくれるかな、なんて…


これはどうかな?

2018-04-15 18:36:35 | Weblog

 Googleストリートビューで何気なく山峡の某化学工場の専用線跡あたりを観察してみたら、何やら怪しい物体を発見。昔から1/80で模型化されているから有名な割には、実際に実車を見たことがあるという人が少なそうな某粉モノタンク車と特徴が一致するのだけど、果たして正体は...


夢の跡

2017-08-17 19:45:51 | Weblog

 かつて60輌余りのタキ4000形及びタキ5750形が常備され、国内有数の硫酸発送拠点であり、一時は民鉄トップクラスの貨物取扱量を誇った山上の楽園の跡、その賑わいは既に無く。

近年まで色々と遺構が残っていましたが、廃止から40年以上を経て、その面影を残すものも殆ど姿を消してしまいました。


試行中

2017-05-27 00:05:26 | Weblog

 フィルムスキャナによる電子化は結構手間なので、もっと簡単に程々のクオリティでポジフィルム画像の電子化を模索し、ペンタックスK-1+SMC50mmF4マクロ+中間リング+ニコンES-1で等倍複写を試行中。取り込み速度は圧倒的に速いし、ライブビューで見ながらフレームの微調整が出来るし、画像クオリティもISO100で撮影すれば余り遜色は無さそう、と言うかピントに関してははこっちの方が良い様な気もします。(OpticFilmは固定焦点なので、マニュアルフォーカスで調節できるデジイチデュープの方が焦点精度では有利なんでしょうね)

20年以上前の神栖で、案外見かけなかった日陸のタキ4200、元日新電化だったかな? 隣の信越化学のはタキ9000だったかな?


何時の間にか消えた社名

2017-04-24 00:30:14 | Weblog

 私有貨車を追い掛けていた時代は、社名変更や合併と聞くと、その会社の持っていた私有貨車の動向が気になったものです。合併を機に私有貨車を全て手放してJOT等輸送会社にリースバックする例もあったし、社名や社章変更も間を置かずに一斉変更される例もあれば、塗り替えが必要になったタイミングで少しずつ順次、というパターンあり、最後まで旧社名のまま放置あり、と様々ですが。でも放置かな、と思っていたら、数年後に一斉に変更された日石や太平洋セメントとかもあるので油断なりません。

大阪曹達は通称として業界的に通っていた「大曹=ダイソー」に正式社名を変更したまでは良かったが、後からやってきた通称が同名(正式社名は別だけど)の某小売業の方が遥かに知名度が高くなってしまったので、「大阪ソーダ」に戻ってしまいましたね。当時の発案者のやるせなさが伝わってきそうです。

「旭電化工業」も何時の間にか「ADEKA」に変わってしまいました。化学製品だけでなくマーガリンやホイップクリームとか食品も造っている会社だから、イメージ的にイマイチ、と言う事なんでしょうが、同じ様な理由で?社名変更された鐘淵化学工業=カネカ、と混同しそう…

三菱系化学メーカーの系譜は複雑だけど、三菱化成と三菱油化が合併して三菱化学になったのが最近の事だと思っていたら、それすらも更なるM&Aでまた社名が変わってしまいました。わざわざカタカナ表記にしなくても「三菱化学」のままで良いじゃん、とか思いたくなりますが、吸収された側への配慮なんでしょうか。

貨車ファンには余りにも有名だった、タンク車印の日本陸運産業も社名変更で消えてしまった一つですね。  日本石油輸送もそのうちに、「株式会社JOT」とかになりそう…現に石油製品とはかけ離れたものも多く扱っているし。


予告編?

2017-04-13 00:00:32 | Weblog

 本当に久しぶりの更新です。約2年間放ったらかし…

多分もう出てこないだろうと思っていた足付きタムの廃車体が2輌も、しかも1輌は昭和19年製という凄いものが発見されたのですが、所在地がちょっと厄介で…6年前までは普通電車だけで日帰り出来たのに、あの日以来行く事すらままならなくなっていた場所なので。まあ少しずつではあるが状況も改善し、新幹線使えば何とか日帰り出来るし、状況からして早いところ行っておきたい雰囲気なので、近く訪問出来ないか思案中。


あれからもう31年

2015-02-01 11:32:23 | Weblog

 所謂「58-X」計画、昭和59年2月白紙ダイヤ改正が実施された日から今日でもう31年が経ちました。ついこの前の事だと思っていたのに、もうそんなに経つんですね。で、そんなタイミングで、こんなムックが出ています。(タイトルは「あの日から30年」ですが)未だじっくりと見ていませんし、出版社がアレなので、精査するとツッコミどころが山ほど出て来るかも知れませんが(以前の国鉄バスのムックが本当に酷かった…キャプションと写真が合っている部分の方が遥かに少ないし、呉羽バス窓ボディのP-LV314がこの世の中のどこにあるんじゃい)まあ著者が吉岡心平氏なのでたぶん大丈夫でしょう。

 この改正でヤード系輸送が事実上終焉し、それに依存していた私鉄貨物や、夥しい数の多様な黒貨車たちにとっては壊滅的なものでした。新しい直行体系ではフォローし切れない需要に対する救済措置として設定され、大いなる喪失感を味わった多くの貨車、貨物列車ファンの最後の心の拠り所でもあったヤード系輸送の末裔、「新専貨」列車も事実上姿を消してからもう7年も経ちます。昨今、環境やトラックドライバーの長期的不足傾向の観点から、鉄道貨物が再び見直される傾向がありますが、これを見ていると国鉄が昭和40年代以降に失った物の大きさ、そしてそれが今のJR貨物に至るまで尾を引いていることを改めて感じました。当時の最先端技術と巨費を投じながら、約10年で放棄せねばならなかった総合自動化ヤード、武蔵野操車場を筆頭としたヤード輸送の近代化と、直行高速輸送の拡充は、もっと早く手を付けるべきだったと思います。結果的には迅速な直行輸送を望む顧客も、少し時間がかかっても全国津々浦々を網羅するきめ細かい対応を望むヤード系輸送に適した顧客、双方を失ったのですから。経営側がもうちょっと毎日現場で昼夜問わず危険な作業を黙々とこなす労働者に対し敬意を払っていれば、そして労働側も国鉄の置かれた経営環境を直視する姿勢を持っていれば、どうなっていたのでしょうか。労使双方が自分たちの権利を主張するばかりで、相手のことを理解しようとしなかった結果、双方にとって不幸な結末が訪れた様な気がしてなりません。