Do be Ambitious! 日記館

あくまでも「Do be Ambitious!」の1コンテンツとして。

今シーズンの滑りおさめ!旭岳で春山スキー!

2007年04月30日 | スキー・ジャンプ
まいどおばんでした、野々村です。

大型連休にさしかかり、ふもとはすっかり春ですが、山の上は雪がまだたくさんです。
で、今日はスキーシーズン最後、旭岳での春山スキーです。
毎年この時期に滑りおさめやってるんで。

快晴でスキー日和だったんですが、風が冷たかったです(^^;
でも爽快でしたよぉ♪

あと上空をヘリが飛んでまして、あとで写真を調べたらuhbのヘリでした。
JA008H、AS365N3型機です。
まぁ夕方のスーパーニュースか何かで使う予定だったんでしょうね。
チクショウ、見逃したじゃないかw
ちなみに山の上なので、自分たちのいるところより低いところを飛ぶこともあり、
空撮じみた写真も撮れましたw







幸雄さん、今日はタイムリー含めてマルチであと6本です。
3連戦を4安打7打点、絶好調すぎますw
これならドームで達成確実?w
しっかし下の感じでオーダーが落ち着きそう・・・かな?w(ぉぃ
ってか昨日今日のオーダーじゃないかw
1 中 森本
2 二 田中賢
3 右 稲葉
4 指 セギノール
5 捕 高橋
6 遊 金子誠
7 左 坪井or金子洋
8 一 田中幸
9 三 陽

幸雄さん2試合連続弾!!!/Web4コマ「こゆきストレート!」

2007年04月29日 | ファイターズ・野球
まいどおばんでした、野々村です。

いやはや幸雄さんスゴイですなぁw
昨日の代打グランドスラムに続いて今日はツーランです!
いやはや完全に絶好調ですねぇw
え、なのになんで4-1か?
まぁねぇ、今打ちすぎたらドームに戻る前に2000本行っちゃうからでしょう(ぉぃ
今のペース、1日1本ペースで9連戦のあとのドーム初戦でしょ?
それ考えたらがぜんドームでの達成の期待はふくらむわけですわね。
そんなこんなでこんなの描いてみました。
タイトルの元ネタは「まなびストレート!」ですが、
実は僕の「ファイターズDEナイト!」でのラジオネームだったりしますw

あ、いえネタは冗談ですよ?
幸雄さんがそんな姑息なこと考える人じゃないって事は良く分かっていますしw
チームの勝利のために打ち続けた結果ドームで決められたら嬉しいですけどネ☆


外壁塗装の鉄骨で/コンサ強い!首位堅守!/幸雄さんグランドスラム!!

2007年04月28日 | ファイターズ・野球
まいどおばんでした、野々村です。

実は今、我が家の外壁の塗り替え工事をやっているのですが、そのために足場が
我が家を覆っています。ちょうど上の写真の感じで。
で、それに登ってみようって事になって母と登ってみたんですよ。
父も昨日登ったようですw
しかし高所恐怖症気味のあたしには恐いのなんのって!w
腰が完全に引けてましたw
でも眺めは割とよかったですよw




さて、コンサドーレの方ですが、後半に石井謙伍のキーパーの手を弾くゴールで
決勝点=先制点を挙げて1-0で愛媛に勝利、まぁ内容は完勝でしたがw
でも危ないところはありましたけどね、全部芳賀キャプテンが止めてくれましたw
これで首位キープですねぇw
今度はアウエー草津戦、また勝ち点3期待してまっせ!w

ファイターズは金村さんの好投もありましたけどやっぱりアレですね。
幸雄さんの代打グランドスラムですよ!!!!w
いやはや感動しましたねぇw
これで2000本まであと9本、一ケタです!!!
これはこの9連戦中か、そのあとのドーム3連戦中に達成か!?w(ぉ

某社1次試験受けてきました。

2007年04月27日 | 野々村の日常
まいどおばんでした、野々村です。

今日は札幌に某社の1次面接と適性試験を受けに行ってきました。
朝家出たときとんでもない雪だったんですよ、この写真、行きのバスから
撮ったものですが、もう冬に逆戻り!?って感じでした。
それが札幌は風が強いとはいえ快晴ですからねぇ。なんじゃこのギャップはw

とりあえず面接は玉砕気味(ぉぃ
適性試験はまぁまぁで来たかなぁ、というレベル。
まぁ・・最初はこういうものでしょうか?

ちなみに空いた時間に札幌のアニメイトに行ったのですがねぇ、
「会長はメイド様!」買おうかどうか迷ったあげく結局買わなかった
野々村でした。

コンサ首位キープ/経県値&経県マップ/カミカゼカサイの驚異のジャンプ

2007年04月25日 | スキー・ジャンプ
まいどおばんでした、野々村です。
本館のタイトル写真、やっと変えました。今日撮ったふきのとうですw

コンサドーレ、ベガルタが今日モンテディオと引き分けたので単独首位キープですね。
まだこの時期なのでまぁ気にするほどのことではないのかも知れませんが、
やはり2000年以来の首位には心躍るってモノですよ、ねェw

さて、たつきさんのところで面白いモノを見つけました。
「経県値&経県マップ」というものでして、これまで行ったり、住んだりした都道府県が
色分けされて表示される、というものなんですよ。
で、早速やってみたんですが、あたしの場合はこうなったんですよ
ちなみに岐阜、愛知、静岡、神奈川は高校の修学旅行の時に新幹線で通っただけで、
東京千葉もその時行っただけだったりします。
それ考えたらプライベートじゃ関西しか行ってないんだなぁ・・w


さて、日本を代表するスキージャンパー、葛西紀明選手は、皆さんの中でご存じか
どうかはわかりませんが、大倉山のバッケンレコードを持っていた時期があります。
その中でも特筆すべきなのが、1994年1月30日のNHK杯の2本目で見せた135mという
驚異的バッケンレコードです。
今でこそラージで135mというとW杯の優勝レベルを考えたら大したこと無いようにも
見えてしまいますが、ところがどっこいこの時の大倉山はK点115m、しかも
札幌五輪の時のK=110の台をいじっただけなのでK点から先のRは短く、
上から見たらほとんど真っ平らなところに降り立つような感じです。
で、その映像をゲットしたのでYouTubeに載っけて貼りたいと思います。



で、これ見て思ったこと。
○この頃から板が下がる癖があったんですよね。だけど当時はビンディングをどこに
 つけてもよかったから今より10㎝も後ろにつけて板の前部分の浮力を活かして
 あんな凄い前傾をとっていたわけです。
○アプローチの速度は87.1、当時としてといいますか、長野五輪の時点でもまだ低速と
 言える状況。当時としたらもうねぇ・・・
○フライトの高さが尋常じゃねぇ!w
○最後は無理矢理降りた感じ、何でも飛行中意識が飛んでいたとか(ぉぃ
○それまで同点首位にいた西方仁也、岡部孝信の両選手、あまりの凄さにぽかーん、
 開いた口がふさがらずアゼンとしていました。そして葛西さん、ヘルメットを投げて
 大はしゃぎw
○そしてメジャー計測の位置がK点のはるか下!もはやRの真ん中ぐらいじゃないん
 ですか?

いやはや、凄すぎですわw

卒研の打ち合わせで大学に行くも・・!?

2007年04月24日 | 野々村の日常
まいどおばんでした、野々村です。

きょうは卒研の打ち合わせで大学に行ってきたのですが、
予想外の事態に見舞われました。
といいますのも、担当の先生の研究室に行ったら鍵がかかってるんですよ、
いる形跡がない。
もちろん他の生徒もまたしかり。
で、休講通知を見たらその先生、お父さんが亡くなられて葬儀のために
休講でした。
先生のお父様のご冥福をお祈り申し上げます。

というわけで予定より1時間早く帰宅することとなってしまいましたとさ。
まぁおかげでファイターズの試合中継を最初から見られましたが、まさか
負けるとは・・
でも幸雄さんがあと10本です、2000本まで。
突っ走って早めに達成して、そのあとまたどんどん記録を伸ばしてほしいものですね。
今日の1本が小林雅からで、しかも対左より対右の方が打っているので、
もう相手投手の左右に関係なくスタメン固定してもいいと思うのですが。

洞爺湖サミット/スキージャンプ夜話 第2夜:ジャンプの歴史(日本編その1)

2007年04月23日 | スキージャンプ夜話
おばんでした、野々村です。

[洞爺湖サミット 来年夏開催決定
 警備、環境を評価 閣僚会合は他地域で(04/23 23:47)]

[号外pdfその1:洞爺湖でサミット 来年夏の開催決定(1554KB)]
[号外pdfその2:警備しやすい「山城」(1892KB)]
いやはや、洞爺湖に決まりましたかぁ!
と思いきや閣僚会合なんかは他の候補地でやるそうですが(^^;
まぁでも財政負担考えたらそういう風に分担してやった方がいいやも知れませんね。
さて、この洞爺湖サミットが低迷しっ放しの北海道経済の起爆剤となるか、見モノです。

さて、今日の本題行きましょう!!
スキージャンプのコラム第2弾、ジャンプの歴史、前回の海外編に続き今度は日本編
その1です。では行きましょう!

注:五輪などの話題に乗っていらっしゃった皆様へ。
こ、この記事はあくまでもいちファンの個人的な趣味と「もっと色んな人にジャンプを知ってもらいたい」
って感情にまかせて本とかで調べたのを自由研究のノリで勝手にまとめただけなんだから、
変な勘違いしないでよね!?




北海道にスキーが初めて持ち込まれたのは明治42(1909)年の春、東北帝国大学農学部
(現北海道大学、以下北大)予科でドイツ語講師をしていたハンス・コラーがお国自慢で
話したところ学生に好評でコラーが取り寄せたのが始まりだそうです。
時を同じくして新潟の高田でオーストリアのレルヒ少佐が正式にスキーを教えていると
知って、そり屋に4~5台作らせて三角山で猛練習を積んだのが草分けだそうです。

日本で初めてのジャンプが行われたのは明治44(1911)年か、大正2(1913)年のこと。
当時小樽中学(現小樽潮陵高、以下樽中)2年生の大矢敏範がジャンプの映画を見て
その爽快さに心打たれて自分でも始めたのが始まりだそうです。
その後北大に進学した大矢は三角山に仮説台を作り、コラーの助言も得ながら一人で
練習を重ねて15mくらいは飛べるようになったそうです(下写真)。



大正4年頃になると北大スキー部の先輩であった木原均、前年に北欧から帰った
遠藤吉三郎教授が助っ人として加わります。木原は部員に「本当のスキーヤーになり
なろうと思う者はジャンプをやらなければならない」とゲキを飛ばし、
遠藤は本場ノルウェーで仕込んだ技術でもって選手を指導したそうです。
さらに遠藤教授は雪で作った台ではなく固定ジャンプ台が必要だと提言、
大正6(1917)年には自ら大工道具を持ち出して小樽にジャンプ台を完成させ、
この年には三角山にも仮説の台が出来、他の部員も飛ぶようになったそうです。
そして翌年、北大スキー部で正式な台を作る予算が認められ、三角山北側の
通称シルバースロープに仮設台が完成、この頃には「ジャンプは最高のスポーツ」という
考えが浸透して選手も増えだしたといいます。
大正9年頃には札樽の各中学校などにスキー部が出来て、遠藤、大矢両氏が指導に協力
する、ということがあったそうです。中でも2月に小樽商業学校(現小樽商業高校)での
練習で、遠藤の指導で仮設台を作り、そこで大矢が21mという当時としては大記録と
なるジャンプを披露したそうです。
この頃には三角山の台で初の大会が行われましたが優勝記録は14.6m、この頃には
世界のジャンプは60mクラスに達していたため、よりいっそうの進歩が図られるように
なりました。
先の三角山の台では20mそこそこしか飛べない台であったため、完全固定型の30mは
飛べる台を作ることになり、同じシルバースロープに大正11年、日本初の固定ジャンプ台
「シルバーシャンツェ」が完成しました(下写真)。




1月6日、この台のこけら落としの飛躍が行われましたが、図を見たらわかるかも
知れません、ランディングバーンがカンテからいきなり30度の急斜面の上、80mと
長く選手達は恐怖心からまともなジャンプが出来ず、転ばなかったのは緒方直光
ただ一人という散々たる結果だったそうです。
元々ヨーロッパの水準に追いつくために作った台でしたがいきなり大型すぎたのです。
実際3ヶ所あったスタートゲートのうち頂上から出たのは青山馨ただ一人でこのとき
24mという日本新記録を作っています。
(写真はシルバーシャンツェでの大会の様子)



大正12(1923)年、小樽で第1回全日本スキー選手権が開催されました。
このとき小樽に乗り込んだ信越と関東の選手団は距離コースとジャンプ台に
アッと驚いたと言います。
ちなみにジャンプ台は遠藤教授が指導した20m級だそうです。
何しろ彼らのスキーはレルヒが持ち込んだオーストリア・スキー術、いわばアルペンで、
方や北海道はコラーが持ち込み遠藤教授が指導したノルウェースキー術、ノルディック
なものだから大論争に発展したのです。
結局ノルディック式競技会が認められ、樽商の讃岐梅二が優勝しています。
余談ですがヨーロッパでも当時世界的に競技として認められていたのがノルディック
だけだった中ノルディック対アルペンのスキー論争が起こりますが、この日本での
ことより後のことでした。

大正12年には三角山南東の尾根にある鞍部に固定シャンツェ第2号の建設が決定、
斜面距離が約80mと短かったが、初心者ジャンパー妖精のためには十分なサイズである
ことからここに15m級のアルファシャンツェが作られました(下写真)。
名前の由来は初心者用であったためアルファベットの最初の文字から取られたそうです。
こけら落としは大正13年1月27日の第5回札樽中学校スキー競技会のジャンプ大会で、
樽中の秋山武夫が12.8m、193.35点で優勝しています。



大正15年、翌年の第5回全日本スキー選手権が札幌で開催されることが決まり、この時
札幌市議会で、3つめのシャンツェ建設の予算案が可決されました。
今度の台は35mの飛距離が可能とされ「東洋一の大シャンツェ」のふれこみで、
12月25日の大正天皇崩御で年号が変わった翌昭和2(1927)年1月に完成、
「札幌シャンツェ」と呼ばれました(下写真右側、下図)
この年の全日本選手権は崩御のため中止になり、こけら落としは翌昭和3年1月21日、
22日の第5回北海道選手権でした。
この大会では網走から来た弱冠19歳の新人、永井勝夫が26.8mの最長不倒で優勝、
2月4日、5日の第6回全日本選手権では北大の神澤謙三が27mのバッケンレコードを
樹立しました。




これと同じ昭和3年といえば、日本が初めて冬期オリンピック(第2回サンモリッツ大会)
に出場した年でもありました。
ジャンプ代表は北大の伴素彦(ばん・もとお)でしたが、いかんせん60m級の台など
飛んだことなど無かったため本場のジャンプに圧倒され、優勝したノルウェーの
アンデルセンが60mと64mだったのに対し、伴は34mと39mでいずれも転倒、
最下位に終わりました。


1928年2月18日 サンモリッツ
1 ANDERSEN, Alf-Sten NOR 19.208 60.0m 64.0m
2 RUUD, Sigmund NOR 18.542 57.5m 62.5m
3 BURKERT, Rudolf TCH 17.937 57.0m 59.5m
38 BAN, Motoo JPN 4.000 *34.0m *39.0m 伴 素彦(北大)
*=Fall
しかし、この経験がその後の日本ジャンプの成長の糧となったのは言うまでもない
訳でして、さらに彼の助言でノルウェーから専門家を呼んで、大倉シャンツェ建設に
つながっていくのですが、その話はまた後日、第3回でしたいと思います。

ヴェルディ(と家本)に勝って首位!!!

2007年04月22日 | FORZA CONSADOLE!!
まいどおばんでした、野々村です。

今日はコンサドーレで行きますよぉ!!


4-3東京V


いきなり前半16分までにソダン、ダヴィ、征也と立て続けにゴールを奪ったときは
一体今日は何点取るんだろうと思ったのはサポーター共通なのでしょうか?w
ソダンのヘッドはもう教科書通りといいますか、西谷さんのコーナーも絶妙でしたw
マラドーナ⇒バルデス⇒ゴールネットのホットラインよりも綺麗でしたし!!w(何
ともあれこのときは主審があの家本だと言うことをすっかり
忘れていました。
ええ、これまでもあの采配で負けをもたらされたことが何度あったか(==
その家本劇場が後半炸裂したときはどうなるかと思いましたねぇ。
あのPKの件もそうだし、こっちの選手が交錯で倒れてもプレー続行しやがるし。
やたらとカード出てくるし。相手オフサイド見逃されるし(あ、これは線審のミス?)。
確かにコンサの方も追いつかれたときなんか守備の甘さもありましたけど
あれだけポンポンとカード出されたら接触プレーもなかなか出来ないですからねぇ。
といいますか同じことやってこっちの選手はカードもらってあっちの選手は
ノーファウルって何さ(==#

でもダヴィが落ち着いて勝ち越し点を奪い、最後はチームとサポーターが一丸で
その1点を守りきりました!
最後は総力戦でフッキを止めて試合終了!!!
ついに首位に立ちました!!
まぁコンサの試合がない次節仙台が勝ったらすぐ2位になっちゃいますが(^^;
でもすぐ取り返せばいいし!!!w

フッキは結局PK以外はしっかり抑えましたがやっぱし突破力凄いわ、
あと船越と金澤がこわかったけど引っ込んでくれて助かった感はありますね。
3失点中2点は金澤だし全部船越が関わってたような・・
ともあれフッキが外すたびの「フッキコール」はw

でもドームでテレビ中継のある試合で(しかも我らがHBC!実況管野アナで解説は
もちろん俺達のキャプテン・ノノ!)勝ち点3をモノに出来たのは大きいですよね。
次は愛媛線、がんばれ!!w

POWER to 1 !

J1

都市伝説先生の言ったことは正しかった!

2007年04月21日 | 野々村の日常
まいどおばんでした、野々村です。

今日HBC(TBS系)でやっていた「ドッカ~ン!」、僕はIQサプリが終わった
8時前から見出したのですが、ちょうど都市伝説先生の途中でした。
なんかGoogle Earthで見つけた地上の凄い地形とか凄い衛星写真とかを
紹介してたんですよ。
で、僕が見たのはアンデスの地上の巨大な人面と、カナダの横顔の谷、
さらにアメリカはネバダ州(というか実際はカリフォルニア州でした)の
住宅街上空のUFO!
まさかぁと思って放送終了後確かめてみましたよ。
あったよ本当に!!!w∑(T_T|;7
下の画像がそれです。クリックで拡大されますよぉw
って拡大しなくてもわかりますね、ハイw



ちなみに20秒で幸せが訪れるってのはあれですよね、残像現象を利用したネタですね。
出てきたのは幸せをもたらすあの方ですがそれをネガ反転した模様になっていた
わけです。それが目に焼き付いて反転された色が映るわけです。
これだけはちょっとパチモノくさいかな?w

今日はこれだけです、おやすみなさいw

いろいろ漫画の類を買ってきました

2007年04月20日 | 野々村の日常
まいどおばんでした、野々村です。

どうでしょうのサイトの昨日の藤村Dの日記に対し、うれしーも
感銘を受けていたようですねぇ。
ちょっと抜粋してみますと

出来た順に買って飲んでいく。
世の中全体のことを考えれば、それこそが「かしこい」わけですよね。

そんなあたり前のことなのに言われるまで忘れてる。

競争社会とか、能力主義とか、
そういうことが言われて久しいから、
ぼくも、知らないうちに自分のこと基準でしか、ものごとを考えられなくなって
しまっているのでしょうか?
(中略)
世の中を好くすれば、自分の人生も好くなるんですものね。
とりあえず私も、賞味期限の迫った牛乳から先に買って行くことにします。
なんたって抜きやすい場所にあるわけだし

さすが嬉野先生といいますか、嬉野先生らしい視点で語っていますね。
確かに我々、そういう競争主義において自分勝手になってきているのかも。
競争なんてスポーツの大会やコンクールぐらいでいいのに。


さて、今日はいろいろ買ってきましたよぉw

ネギま!18巻
祈念すべきアキラメインの話が収録された単行本です。
実は17巻の背表紙は超さんにして18巻でアキラを背表紙&裏表紙、と思っていたら
超さんはこっちで背表紙でしたか。
ともあれ「第1部」がここまで、次から夏休み編となるわけでして。

ネギパ!Vol.9
このシリーズを買うのは初めてですが何かバックナンバーも買った方がいいような
気がしてきてしまいそうな、連載ものの数々(何
とりわけひとこと大喜利にまさかのドツボだったりするのですがw
ともあれ表紙のアキラの表情、こういう表情も初めて見た気がしますw

おこしやす1巻
待望の単行本です!
初めてゆいなちゃんを見たときは「木乃香!?」と思ったのは内緒です。
あの髪型に京都弁、ネギま!を知るものが見たらそう思っても仕方のない話
やも知れませんが。
作者が生まれも育ちも京都というだけあって京都の魅力てんこ盛りの一冊です。
京都の日常というのがよくわかりますねぇw
北海道も京都も、真の姿は住んでいる人間にしかわからないのです。

無敵のビーナス第二部 3巻、5巻
これは中古ですね、これまで2度買って2度手放したこの漫画ですが(爆
女子野球漫画の最高傑作(と勝手に思っています)です!
実はネギま!のメンバーでオーダー組んでおみつたち朝香のメンバーと試合やらせる
というとんでもない構想を考えていたこともありましたが。
とりあえずオーダー考えてみると・・
ネギま!の方は最新版で、まぁこれまでと同じようにキャラの特性を考えて
組んでみたわけですが、詳しいことはまた別の機会に。
あと学生野球なので指名打者はもちろんありません。
麻帆良学園朝香女子高
春日美空西 一子
佐々木まき絵倉星理沙
大河内アキラ白石ちから
龍宮真名安原奈美
神楽坂明日菜大村詩子
雪広あやか斉藤 光
朝倉和美長谷川哲代
長瀬 楓高見靖子
明石裕奈高見雪子

かしこい主婦は手前の牛乳を買う

2007年04月19日 | 北海道の話題
まいどおばんでした、野々村です。

長崎の伊東市長射殺事件はショッキングでした・・
伊東市長といえばいつだったか8月9日の長崎の平和祈念式典での平和宣言で
某核の超大国を名指しで批判したエピソードが有名ですが・・
広島の秋葉市長とともにそういう思いは強いイメージがありました。
心からご冥福を祈るとともに核兵器が、戦争が1日も早く消えることを祈る次第です。

さて、水曜どうでしょうのHPの日記に興味深いネタが。

藤村Dの書いた日記で「かしこい主婦は手前の牛乳を買う」というものです。
皆様がこれをご覧になる頃にはもう更新されて消えてしまっている可能性もあるので
少し抜粋させていただきますと・・・

さてずいぶん前になりますが、新聞広告で「おぉ、なるほど」と、目からウロコの
キャッチコピーを目にいたしました。

「かしこい主婦は手前の牛乳を買う」・・・だったかな、言葉はハッキリ覚えちゃ
いませんが、要はこういうことです。

スーパーに並んだ牛乳。手前の取りやすい所にある牛乳は賞味期限が迫った牛乳で、
新しいものは奥に並んでいる。コンビニの弁当なんかもそうですな。まぁ、スーパーの
そういうやり口を知っている「かしこい」私なんかは、必ず奥から賞味期限の長い、
新しい牛乳を買っておるわけです。

しかし、この新聞広告はこう言うわけですよ。

いいですか。手前に並んだ古い牛乳は、早く飲んであげないと廃棄処分になって
しまいます。捨てられてしまうんです、と。

だから、「ほんとにかしこい」主婦は、手前の牛乳から買っていくと。
(4月19日 藤村)


もう藤村Dでなくとも感服させられました。
僕もそうですが、お使いを頼まれるときに賞味期限がより遠い奥のものを取る事が
多いんです、まぁ僕個人的に買うときは一番手前から取ってますけど。

確かに皆が皆どんどん奥のを取ってしまうと手前の売れ残ったのは賞味期限が
過ぎてしまい、結局は廃棄されてしまう。
酪農家が牛乳を大量廃棄せざるを得なくなったというニュースがありましたが
ケースは違うとて捨てられるものが牛乳であることには何ら変わりないのです。
つまりですよ、手前の牛乳を取る、そしてそれを積極的に飲めばすぐ飲みきるから
賞味期限を気にしなくてもいいし、実際空けたら1日2日以内に飲まなきゃダメですから
実際は賞味期限なんて有ってないようなものです。
で、そうすることによってどんどん年功序列的に牛乳が消費されて行くことで
廃棄される牛乳も減るという寸法。
確かに飲む人が少なくて1日辺り同じだけ廃棄されると言うことにも成りかねませんが
一気に大量に捨てられるよりは全然いいですし、牛乳の良さが見直されれば
また多くの人が飲むようになると思いますよ?
ともあれ牛乳のために、手前の牛乳を買う「かしこい」人間でありたい、と思いました。

PS
調べてみたら正しくは「賢い主婦はスーパーで手前に並んでる古い牛乳を買う」
だそうです。
2006年のコンテストの最優秀作品だそうな(こちら)。

金子さん誕生日おめでとう!!/北海道の今クールはアニメ多し!?/牧野由依さんNHK-BS

2007年04月18日 | 漫画・アニメ
まいどおばんでした、野々村です。

まずは・・
金子祐介選手31歳のお誕生日おめでとうございます!!!
来シーズンはまたあの豪快なジャンプを期待したいですが。

南高が鵡川に練習試合で勝ったそうですねぇ。浅沼君が1安打1失点(自責0)、
奇襲とエラーで1点取られただけという危なげない試合運びでしたね。
夏期待できそうですw

そういえば前にも書いたっけ?北海道でこのクールの放送アニメが多めって言うの。
といいますが僕の興味のあるアニメということですけどね。
とりあえず最低見ていこうと思ってるのが3本、まぁ見たり見なかったりなのが1本、
放送開始前なのが1本ということですね。
月曜:ながされて藍蘭島らき☆すたアイドルマスターXENOGLOSSIA(ゼノグラ)
木曜:風の聖痕スティグマ
土曜:おおきく振りかぶって
まぁ藍蘭島はドラバラと重なることもありますしストーリー的にちょっとアレなので
見ないこともあると思いますが(^^;
あのテのは原作の方が読みやすいのです。
しかし週3~4本というのはね、先月まで週1でしたから。
先月まではまなびだけでしたし(そしてこいつが歴代マイベスト作品!)、その前は
る~んだけでした。
その前はホスト部と時々ハルヒだったかな?ハルヒは知ったの遅かったし。
しかしゼノグラはあれですね、まさか
北海道での放送が全国で一番早いとは
シンジラレナ~イ!!
そりゃ世界日本ハムさんが放送から数日レポ書かないわけですよ。
おかげで第1話を見逃したわけですが(^^;
まぁそのうちYouTubeで補完しますかね、まなびに1~3話みたいに。

さて、牧野由依さんの出演するNHK-BS永遠の音楽「アニメ主題歌大全集」の
放送日時が決まってましたね。
5月26日(土)、20:00~22:00ですね。
周りは豪華メンバー、見逃せないですね☆

スキージャンプ夜話 第1夜「ジャンプの歴史(外国編とスタイルの変遷)」

2007年04月17日 | スキージャンプ夜話
まいどおばんでした、野々村です。

今日は大学で胸部X線撮影があったので札幌での合同説明会をパスして
大学に行ってきました。ついでに卒研の打ち合わせが今日あったので休みをあらかじめ
入れて置いたのですが行ってみたら他に説明会に行くと言っていた人もレントゲンで
来ていましたw
自分だけじゃなかったんですなw

さて、世界選手権の前にやろうと思っていたジャンプのコラムですが、いい加減
ほっとくのも何ですし、またやろうかと思います。
とりあえずその時書いたジャンプの歴史外国編を少し手直しして載せようかと思います。
ではどうぞ。

注:五輪などの話題に乗っていらっしゃった皆様へ。
この記事はあくまでもいちファンの個人的な趣味と「もっと色んな人にジャンプを知ってもらいたい」
って感情にまかせて本とかで調べたのを自由研究のノリで勝手にまとめただけなんだから、
変な勘違いしないでよね!?;




ジャンプの始まりは諸説あります。ノルウェーの処刑方法だったという説や、
はたまたノルウェーでも心優しい王様がいかに捕虜を面目を保ちつつ逃がすかを考えた
手続きみたいなものとか色々ありますけどどうやら子供達の遊びから生まれたのが
真相のようです。
記録としてはノルウェーの靴屋の青年がクリスチャニア(現オスロ)の丘で20何
メートル飛んだというのがあるそうです(詳細はいまのところわかりません)。

最初期のジャンプはそれこそ直立姿勢で飛ぶものでした。
下の写真の感じで手はグルグル回し、最初の飛距離はそれこそ20~30mでした。



1930年代まで、ジャンプはノルウェーの独壇場でした。
しかし1924年にシャモニー(フランス)で冬季五輪が始まるとオーストリア、
さらにノルウェーから移住した選手が競技を続けノルウェー技術を改良したアメリカも
力を付け、ノルウェーの牙城を崩しにかかっていました。
(この頃、日本でもジャンプ技術向上が取り組まれていました)

そこでノルウェー勢もジャンプ王国の面目を保つべくアメリカで改良された技術を
逆輸入し上位を保ち続けます。
とはいえ1932年のレークプラシッド(米国)、36年のガルミッシュ(ドイツ)の
2大会連続で五輪を制したビルガー・ルード(ノルウェー:下写真)をはじめとした
その頃のジャンプはまだ両腕をグルグル回すスタイルでした。
冒頭の写真もそんな感じですね。そちらは五輪初代チャンピオンのタムス選手です。


ルード氏のジャンプは動画も残っています、下の画像をクリックしてみてください。


その頃にはジャンプの国際化も進み、飛距離もどんどん伸びて行き1936年、ついに
世界で初めての100m超のジャンプが、何とノルウェー人ではなくオーストリア人の
ゼップ・ブラドルによって達成されました。

その後第二次大戦を挟んだ戦後、しばらくは上のルードのスタイルが多かったのですが
1949年、日本で驚くべき空洞実験が行われました。
それによれば、腕は回さずに体側に止めた方がいいというもの。
これを受けて3年後のオスロ五輪の頃には手を身体につけるスタイルが出来、
56年のコルチナ・ダンペッツォ(イタリア)五輪には下のような深い前傾のスタイル
(日本ではこの大会を制したアンティ・ヒバリーネン選手の国籍からフィンランド
 スタイルと呼ばれていたようです)が出来ました。


しかしその4年後のスコーバレー(米国)五輪で勝ったのは東ドイツのヘルムント・
レックナーゲル(下写真)、この選手のスタイルは競泳の飛び込みのように両腕を
前方に止めるもので、これもあり当時は腕を身体につけるフィンランド型か前に出す
レックナーゲル型かで二派に分かれていたそうです。


しかし64年インスブルック(オーストリア)、68年グルノーブル(フランス)を
フィンランド型の選手が勝ち、レックナーゲル型は姿を消していきました。
そして日本中が日の丸飛行体の快挙に酔いしれた1972年札幌五輪でついに、
手は収まるところに収まったのです(画像はノルウェーのインゴルフ・モルク)。


この頃のアプローチの姿勢はクラウチングを組むときに両腕を身体の前に垂らす
フォアハンド・スタイルでした。あの笠谷幸生もこのスタイルです。
しかし1976年のインスブルック五輪(前回開催から12年しかたっていませんが、
開催予定だったデンバー(米国)が返上したため急遽施設が揃っているここで開催
されたのです)で70m級(現ノーマルヒル)を制した東ドイツのハンス・ゲオルグ・
アッシェンバッハ(下写真)が現在のバックハンド・アプローチを編み出しました。


その後1980年代に入ると東ドイツのバイスフロクなどが出てきますが、
そんな中フィンランドからとんでもないジャンパーが出てきました。
当時はまだ板を揃えるため「落ちる」要素が強かったジャンプの中で1人「飛ぶ」
ような他を寄せ付けないジャンプを連発し「鳥人」と呼ばれたマッチ・ニッカネンです。
84年のサラエボ(当時ユーゴスラビア)で90m級(現ラージヒル)を制すると
そして88年のカルガリー(カナダ)ではなんと、70mm級、90m級で金、そして
この大会から新設された団体戦でもフィンランド代表として勝ち、五輪史上唯一の
三冠王に輝きました。


しかしこの2年前の1986年、ジャンプ界の革命をもたらす新しいスタイルが
1人のスウェーデン人選手によって生み出されていたのです。
ニッカネンさえ敵わないほど飛距離を伸ばすそのスタイルは、スキーの前面を
大きく開く画期的なものでした。
しかし当時はスキーを平行にしないと飛型点を大きく減点されるルールだったため
なかなか勝てなかったのですが、その男、ヤン・ボークレブ(下写真)はさらに距離を
伸ばすようになりついに飛型点の不利さえ跳ね返すほど飛距離で差をつけるようになって
(追記:飛型と着地が安定して板を開く以外の減点がほとんど無くなったことも大きかった)
88-89年のW杯で5勝して総合優勝、90年代に入り他にも彼のようなスタイルで
飛ぶ選手が出てきて活躍しだし、風洞実験の結果この方が距離が伸び、かつより安全だと
科学的にも証明されたため91-92シーズンからこのスタイル、V字ジャンプの
飛型点の減点が撤廃されました。


その後も幾多のルール変更などもあってジャンプのスタイルは目まぐるしく変りました。
94年頃は板の前面を伸ばし、そこの風圧を利用して深い前傾をとるスタイルが流行、
しかし95年にビンディングを先端から57%以内につけなければならないルールに
なってからは船木和喜の出現で身体とスキーが一体になる深い前傾が定着、
現在ではパワーで踏み切り身体をやや折り曲げた立体的なスタイルが主流になって
います。思えば98年長野五輪当時の原田雅彦のスタイルに近いものがあります。
(写真はフィンランドのヤンネ・アホネン)


ということで、ジャンプの歴史を当時活躍した選手を織り交ぜつつ駆け足で紹介
していきました。
次回は日本(主に北海道)のジャンプの歴史を紹介していきたいと思います。
お楽しみに!

参考文献、転用元:Wikipediaとかいろいろ。動画キャプもあり(もう覚えてねぇ)

スキージャンプニュースいろいろ話

2007年04月16日 | スキー・ジャンプ
まいどおばんでした、野々村です。

今日はジャンプのネタだけで行ってみようかと。
[ジャンプ、低迷打破へ若手選抜し異例の欧州合宿計画 2007年4月16日18時57分 報知]
[ジャンプの若手選抜、異例の欧州合宿 2007年4月16日19時7分 ニッカン]
こういう事やるんですねぇ・・
成果が出ればいいんですけど。
とりあえずファンとしたら7月中に合宿なので朝日と名寄で彼らが見られないのが
実にキツイですが(^^;(ぉ

あとガルミッシュの台が取り壊されたそうです
ベルクィーゼルの時と同じ爆破解体だったんですねぇ。
改修された新しい台がどんな感じになるか楽しみです。
そしてもう少ししたらホルメンコールバッケンも改修ですね。

そのノルウェーですが、トミー・インゲブリクトセン選手が現役引退だそうです。
なんかいろいろあったらしいですが・・
本当にお疲れ様です。