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Do be Ambitious! 日記館

あくまでも「Do be Ambitious!」の1コンテンツとして。

廃線探訪・旭川電気軌道東川線(後編)

2007年04月15日 | 鉄道ネタ
まいどおばんでした、野々村です。
ファイターズ猛打爆発でしたねぇ、幸雄さんも2本打ってあと13本、洋平さんも
初アーチが飛び出しました。

今日は昨日の続きで、電車時代の旭川電気軌軌道東川線の廃線探訪サイクリングの
レポを書いていきたいと思います。
実は撮り忘れていた場所が1ヶ所と、帰ってから撮るべきと気付いた場所が1ヶ所
あったので今日撮りに行ってきました。
そういう風に気軽に行けるのも僕にとってはこの路線の便利なところかも知れません。
まぁそれに関してはその都度説明したいと思います。
例によって略図と3枚の地図(うち「地図3」は下の方に)はクリックで拡大です。

[旭川電軌路線略図]

[全体地図]

[地図2]


さて、昨日の記事は千代田駅跡の辺りで終わりましたよね。
そこからは環状1号線を越え、さらにどんどんまっすぐ行きます。
途中生協の辺りでちょっと複雑な?交差点があってそこで少し左に「ずれる」感じ
(下写真参照)で、さらにまっすぐ進み、写真の奥の黄色い大きい看板の
建物めがけてまたひたすらまっすぐ進みます。


で、そこが今は電気軌道直営のスーパー「旭友」の「ア・モールショッピングセンター」
な訳です。一昨年くらいまではそこにダイエーが入っていました。
まぁそれでも半分は旭友だったんですけどダイエーの撤退後は旭友が全部占めた
わけですね。
いやそれは今回は置いておきまして、そのア・モールの駐車場のある場所に、
当時の旭川追分駅があったんですよ。
さらにその手前で、右側にパチンコ屋があるのですが、実はそこを突っ切る
ようにこの駅から分線した東旭川線が旭山方面に延びていたわけです(地図2参照)。
いずれこちらも辿ってみたいところです、実際東旭川では駅の待合室が今もバスの
待合室で使われていますしね!あと車輌もあるそうですし。



実はここにあった旭川追分駅の駅舎、冒頭の写真がまさにそれなのですが、
これが移築されて今でも残っています。
場所は先ほど通った千代田駅のあったと思われる場所より少し先の郵便局の向かいです。
それを知ったのが昨夜だったものだから「しらなカタヨー!(まなび式)」ってw
この日記9月24日の記事で知りました。
なんと建物の2階部分に移築されているんです。なものだから現物見て思わず笑って
しまいましたw
で、それがスナックになっていたのですがもう営業はやめてしまったようで、
かなり寂しいです。何処かの愛好家に売ったらどうなんでしょう?
下の写真がそれです、下の4枚はクリック2倍ですw
しっかしこのレトロな感じがまたたまりませんなぁw




そこから先はというと、地図2の通り今はアモールの建物があって進めないので脇や
道路から回り込む作戦に。
この辺りは駐車場になっていて完全に不明瞭なのでまぁ推測ですがこの辺りを
通ったであろうポイントを撮りました。2枚目はF地の手前の小学校の脇です。
で、そこを通り抜けて3枚目でついに4条通りに出るわけです。
まぁ今はアモールの北側をバスが通っていますが当時はああいう赤いラインの
辺りを通っていたわけですよ。





[地図3]


4条に出たらまたまっすぐ行くわけです。
ここからはバスの路線に沿って真正面にあるJR北海道宗谷本線の高架を目指します。
そしてその高架の手前、旭友ストアと同じマークの「れたす」という生鮮食品店を
過ぎたところで左に曲がってこの「れたす」の駐車場に入ります。
そしてそこが始発の旭川4条駅なのです。
ここで当時は高架ではなかった国鉄と接続していたのです。
ちなみにここから先は旭川駅まで貨物線が走っていましたがそこは月極駐車場の
オンパレードで入れませんでした。
とりあえず無人駅なのをいいことに4条駅に上がってみました。
写真は旭川方面です。
あと、この「れたす」となっている農協の倉庫ですが、郷土館で見た当時の写真には
すでに旭友の店が入っていました。歴史を感じます、この店w






ということで今回の廃線探訪はこれにて完結と相成りました。
もうほとんど面影を残さないこの廃線ですが、この地の歴史の大切な1ページとして
忘れ去ってほしくないものです。
さて、今度は東旭川線も自転車で辿ってレポしたいと思います。いつになるかは
わかりませんがw

DMV試験営業開始!/廃線探訪・旭川電気軌道東川線(前編)

2007年04月14日 | 鉄道ネタ
まいどおばんでした、野々村です。

まずはこのニュースから。
[■動画ニュース 鉄陸両用の夢のDMVが試験的な営業運行へ    2007/04/14]
[夢の車両運行開始 小清水-網走 DMV試験営業(04/14 13:52)]
いよいよ実用化ですかぁ。
今回は浜小清水-藻琴を行きは鉄道、帰りは道路で運行という形ですが。
なんか乗ってみたい気もしますねぇ。


さて、今日はファイターズの試合を聴きながらですが自転車で旭川電気軌道
電車時代の路線跡をたどってみました。
まぁまえにもバスでやったんですが例のHDD破損事故で(以下略
まぁ自転車なので好きなタイミングで対岸に渡って遠くから撮ることもできますし。
本当は郷土館で撮った写真と一緒にといきたかったんですが、例の事故でファイルが
使えず、郷土館も5月まで開いてないので今回は今回撮った写真のみで。
あ、一部それより前に撮っていたのもありますからそれは貼ります。
学校前駅だけですが。
ときどき地図も出していきます。略図と地図は以降全てクリック拡大です。

[旭川電軌路線略図]

[全体地図]

[地図1]


まず自転車で東川駅跡へ移動します。
まずは駅跡全景をどうぞ。
奥の倉庫は当時からある農協の倉庫です。
東川駅は旭川に向かい、軌道が接していた基線、道道旭川旭岳温泉線から少し
北側に入ったところにあります(地図1のA地点)。
ちなみにこの辺りは一昨年くらいまでバス転換後の東川線の終点でしたが、
今は路線が1区間延長になったためバスが乗り入れなくなってしまいました。


駅舎跡には記念碑が建っていて、説明書きがされています。
裏には尽力した人の名前がびっしり書かれていますがさすがにプライバシーに関わる?
事なのであえて載せません。
右の説明書きの写真はクリックで拡大です。


ホームは原形をかなりとどめていて、しかもこの時期なのでクモの巣も
気にせずに入れました。
そしてそこには当時のものと思われる枕木も散乱して埋まっています。
ちなみに冬場雪捨て場になっていたようで雪山が残っていました。
この4枚もクリックで拡大です。



駅を出ると手前の道路を越えてすぐに農協倉庫の前から左の方、ちょうど左奥の倉庫の
方に曲がり、旭川へと通じる町の基線の方に向かっていきます。
そのあと最近隣町と合同で消防団を設立したために今は使われていない?
消防署の左脇(今は住宅が建ってますが)を抜けて基線に入るわけですね。
ちょうど下の写真の位置、上の地図で言うB地点です。


基線に入ってから200メートルも進まないうちにある西4号通りを超えたところに
東川学校前の駅がありました。
昔は地元高校に通う旭川の子なんかもここで乗り降りしていたんですね。
ここからしばらく北側の白線と歩道の間が空いていますが、おそらく軌道が無くなった分
下り車線が中央に寄った名残でしょうかねぇ。

そのあと少し車道の真ん中を進んだあと今のセブンイレブンを過ぎたあたりで
車幅がやや狭くなったので(地図1のD地点)、おそらくここで軌道が路肩に
寄ったのでしょう。



そのあとしばらく進むと西6号バス停があって、多分ここに西6号駅が
あったのでしょうかね。ただ少し手前のお寺の近くの可能性もあります。
そして次の駅が西8号、当時は西川といいました。
ここは駅の横の倉庫が残っていまして、今は家具の販売店になっていたりします。
ちなみに手前の空き地には僕が中3ぐらいまでローソンがありました。
さらに次の西10号にも当時のものと思われる倉庫が併設されています。
電軌は農業輸送もやっていたのでそれを置いておく倉庫が駅の横についている
場合が多かったそうなのです。東川駅にも倉庫が並んでましたし。



続いては路線の中でけっこう重要な役割をしていた旭正駅です。
といいますのもここは上下線の入れ替え駅だったのです。
他にもここは倉庫も多いですし、かなりの量を積んでいたのでしょうかね。
ちなみに駅舎は今のAコープのようですが?(この2枚は対岸より撮影)



次の坂ノ上は旭川に中の前にありまして、その名の通り、ここを過ぎると下り坂になる、
まさに「坂の上」です。
写真の商店ですが、郷土館で見た写真にもそれらしき建物が駅の後ろにあったので、
ここにホームがあったのでしょう。


そこから長く緩い坂を下っていくと観音と言うところにつきますが、そこにも駅があり、
今ではバスのターミナルと営業所が近くにあります。
さらに四号線を越えた次が千代田です。
ここにかなり古い建物があり、まさか駅と関係あるのかな、と少し思っています。


時間がかかりすぎたし長いので今日はここまでにします。
続きは後編として明日お送りしたいと思います。

説明会道中旧線めぐり!?/このクールのアニメって・・・(^^;

2007年04月09日 | 鉄道ネタ
まいどおばんでした、野々村です。

今日は札幌に企業説明会に行ってきたんですけどね。
ええ、会場の厚生年金会館です。
ちなみにソフィーさんも来ていたそうなのですがすれ違ったのかな?w

さて、行くときは特急で移動したわけですが、まず気になったことが。



向こう側のホームは実は2番ホームです、つまりホーム間に4本の線路が走っている。
旭川駅でこういうのってあるんでしょうか?まぁ札幌方面から来る貨物列車は
通り過ぎて北旭川貨物駅で止まるからそこを通るんでしょうかねぇ。


そういえば函館本線って1969年の滝川-旭川間の複線電化前の旧線が
サイクリングロードになってるとJR北海道社内誌3月号掲載分の堀淳一さんの
コラム「風に吹かれて一人旅」に書いてあったのを思い出して撮影に着手。
しかしうっかり見逃したり撮り逃がししてあまりロクなのが撮れませんでした(^^;
とりあえず撮れたのを2枚。




さらに手元の今月号分の同コラムに岩見沢から別れる室蘭本線のことが。
この室蘭本線、94年までは岩見沢を出てすぐ曲がっていったのが志文まで
旧貨物線を転用することになったため、今では岩見沢を出て3キロほど函館本線と
平行に走ったあと旧岩見沢操車場を巻くように離れていくのです。





なんかこうやって本やコラムで見た知識を自分の目で確かめるって楽しいですよね。



さて、4月になって新しいアニメも始まるのですが、北海道ではいつもクールに
「萌え」系と言われそうな作品は週1回あるかどうかだったのが今季はなんと
月曜日に「流されて藍蘭島」「らき☆すた」「アイドルマスター」と3連チャン!?
こんなの初めて経験しましたが、藍蘭島はまぁ内容がないようだしその前に
Fの炎とかドラバラと前半が重なるのでいいとしまして、らき☆すたは原作の雰囲気に
なじめなかったのですが、果たしてアニメ見てどうか。アイドルマスターは
ゲーム時代からコンセプトが気になっていましたし。

で、らき☆すたですが、なんかあずまんが大王を第3話辺りから見たような始まり方で、
キャラ紹介も何もない、その前にOPがモロ電波ソング的なんですが(^^;
まぁ中身は間があずまんがに近いからか思ったよりは見やすかったですが。
ただOPは聴いてるだけで頭痛くなりそう(^^;
まぁ中身は見やすいので見てみることにしましょうか。
しっかしあのOP畑亜貴さんが作詞とは・・・w
そしてあの主人公の声がまさか平野綾さんとは・・!w
シンジラレナ~イ!!
(追記:OPのアニメのクオリティがやけに高いと思ったらハルヒと同じ
京アニだったんですねぇ。)

そして驚いたのが「アイドルマスター」、先週から始まってしまっていて
第2回から見るのですが、なんか思いっきりロボットアニメ!?
一瞬北海道で急遽番組差し替えになったのかと思いましたよ(^^;
実は「アイドルマスターXENOGLOSSIA」といって
キャラの名前と姿以外はどうやらコンセプトも設定も違うようで。
しかも「アイドル」の意味付けまで変わってるし(^^;
でも最後まで見てみてなんか見る価値ありそうな感じです。
取りあえずこれも見ましょうか。

の日記7月18日「電気軌道の跡?をたどって(その1)/劇的逆転勝利」

2006年07月19日 | 鉄道ネタ
おばんでした、野々村です。

今日僕の住む町でこの町在住の竹田津実さん原作の映画「子ぎつねヘレン」の上映会
と竹田津さんの講演会があったのですが大学があったため泣く泣く断念しました(TT
といいますか何でまた平日なんでしょう。

さて、昨日旭川電気軌道の電車時代の駅の話をしましたが、今日はその路線跡と思われる
場所の話をしたいと思います。
そのまえに、大学の帰りに寄り道して町の郷土館に行こうと思い、4時半すぎにそこに
着いたらもう4時には閉館していたのでちょっとガックリ。というのも郷土館で東川駅を
出たあとどこを通って基線(要は旭川に通じる道路で、当時の軌道は大部分がその脇を
通っていたんです)に出ていたのかが知りたかったのです。

そんなこんなで基線に出たあと学校前までの道を歩いていたら脇の自転車やの前にこんな
もの、というか溝を発見!ってこれってまさか・・?



何だか路面電車の路上線路くさい感じです。ってこれ小さすぎかな、指1~2本入るか
どうかくらいの幅しかなかったですし。
ん、でもそのくらいなものだったべか。何しろ小6以来踏切を歩いて渡っていないので
鉄道の踏切や市電の線路の溝の太さがわからないのです。今度また見てみるかな。
ともあれこれがそうであった場合には地形から考えるにもう1本は車道側で、しかも
アスファルトに埋もれているので確かめようがなく。
ただマンホールが邪魔だしやっぱり違うのかなぁ・・
まぁあくまでも「可能性がある」ってコトで。



上の写真はかつて「学校前」駅があったところ(の近く)から撮ったものです。
この辺りは道路の真ん中を軌道が走っていたそうです。
道路の向かって右側の白線の外がバス停みたいに広くなっていますが昔は車道がそっちに
あって真ん中には軌道が走っていたわけですね。昨日載せたあの比較写真を参考にしても
いいでしょう。



で、上の写真の辺り、イレブンを過ぎて少し歩いたところですが、その辺りで道が普通の
広さに代わり、その代わりに歩道の脇に下の写真のような平らな部分が現れます。
道路と電柱の間です。恐らくこの平らな部分、まぁ今の歩道にもかかっていたでしょうが
ここに恐らく線路が走っていたのでしょう。
当時の写真に写っていた道路との位置関係上ここで間違いなさそうです。
といいますかこちら側の電柱はどれも車道から妙に離れているのですが、これはやはり
軌道の名残なんでしょうかね。



(下の写真)さすがにこの平らな部分だけじゃ狭いでしょう、歩道にもかかっているはず。
だって幅1~2mしかないんですもの。



そんな感じで線路は旭川まで続いていったのでしょうが、このあたりで帰宅のために
道を外れ、廃線探訪はいったんここまで。
明日辺りバスの車窓から一気に路肩を撮り貯めようかな。



それにしても改めて思ったのですが、僕が毎日大学に、そうでなくとも旭川に行くときに
乗るバス、この路線はこの旭川電気軌道の中でも本当一番古い歴史のある路線なんですね。




さてさてさて!
今日のファイターズ勝ちましたよぉ!!

ファイターズ 5-4 バファローズ
【F公式】

最初金村さんが4失点したうえにチャンスを生かせなかったりしたときはどうなるかと
思いましたが、中継ぎ陣が押本-武田久-岡島とパーフェクトリリーフでつなぐ間に
終盤に追い上げて9回、賢介さんのソロ弾で同点、SHINJOのタイムリーでついに逆転、
こうなったら最後はもうこの男しかいません、マイケルがヒットを1本打たれたものの
しっかり押さえて勝利!連敗を2で止め、金村さんの対オリックス連勝ストップも阻止です!
何よりオールスター前最後の試合を白星で飾ったのです!
で、ツーさんが去年のあのサヨナラ満塁打以来のお立ち台で高らかに「MBP」宣言!
ってMVPじゃなくてMBP(the Most Bakusho(爆笑) Player)かよ!!(笑

の日記7月17日「駅の跡を見に行ったらマジ!?レイニーデイ」

2006年07月18日 | 鉄道ネタ
おばんでした、野々村です。
タイトルの元ネタは某出席番号31番です(ぁ

今日は雷が鳴る雨模様でしたがそれが落ち着いた頃を見計らって散歩に出てきました。
最初図書館に行く予定だったのですが、小学校の近くにある古い建物を見て、ちょっと
気が変わりました。
というのも去年の8月9日11日に町の郷土館に行った時に見た往年の電車時代の
旭川電気軌道の写真、小学校の前にあった駅からの写真に写っていた建物だったんです。
似たアングルからの写真2枚がこれです。
クリックして倍にして見ることをでっかいオススメします



左から写真のそれぞれ約2/3のところにに写っている左に屋根が傾いた白い建物が
それ。こう見ると本当街並みもすっかり変わったものです。

で、そこから1キロほど先まで歩き左の方に入っていくとそこから1分ほどで旧東川駅
があります。去年の9月3日に一度来たことがあるのですが、ここ、未だにホームが
残っているんですよ。





何だか線路のあった位置に沿うようなかたちで草が少ないのですが、まさか線路の位置
って未だに草が生えにくいんでしょうか?それとも農業用の重機が入った?
農業関係の倉庫は使われてるようですからね。でも車の轍じゃないんですよ。
去年見に来たときはどうだったかな。と思ってその時撮った写真を見てみると
こちらも線路のあった場所は草が薄かったのです(下の写真がそうです)。



考えたら各所の廃線探訪関係の記事なんか見てると線路の跡ってけっこう草薄かったり
しますし、やっぱりこれも線路の跡なんでしょうかね?
だとしたら、34年間、線路の跡がずっと残り続けているって言うことなんですね。
つまり、ここには当時ここから旭川の方に向け電車に乗り込んだ人たちの思い出が
今も残っているんでしょうね。
藍華「恥ずかしいセリフ禁止!」
えーっ!?(ぉぃ

で、ちょっとここに電車が入っている様子をイメージしてみました。
去年郷土館で撮った写真を合成したので色合いとかめちゃくちゃおかしいのはご愛敬(ぇ
それにこれに写っているモハ101が2両編成で運行されていたかどうかさえわからない
のですがそこも気にしないで下さい、だって僕素人ですし。



あと足下には当時の枕木らしき木材が散乱して土に埋もれていました。
これも当時の人たちの思いが一杯つまったタイムカプセルみたいなものですよね。
藍華「恥ずかしいセリフ禁止!」
えーっ!?(ぉぃ



その近くにはここに駅があったことを示す碑が建っていまして、この駅に関することが
書かれていました。碑の写真をクリックするその文章が読めます。



さて、そんなかたちで撮影を終えて帰るとき、図書館に寄って道新と道スポを読んで、
そのあと町のイレブンで雑誌(まんがタイムラブリーなんかを読んでいたんですが、
ついに女クラ終わっちゃったんですね・・・)を立ち読みしていていざ帰ろうとしたら
何と土砂降りの雨じゃないですか!!




いやはやスコールですよこりゃ!
外に出ようにもドアを開けた瞬間に強烈な雨が顔を打ちつけるんですよ。
これじゃあ出られないので雨が収まるのを待っていました。
で、雨が収まるのを見計らって雷がゴロゴロ鳴る中ですが次スコールが来るよりはマシと
家路についたのですが帰りがまたまた大変で、すぐのところで排水口の水があふれて
歩道が寸断されていたり(何とか脇を通ってやり過ごしましたが)、



雨の景色を撮ってよし、いいのが撮れたっていう瞬間に右側後方から来た大型車両に水
引っかけられたり(大したことなくてよかったけど。写真じゃわかりにくいですが
ズボンもだいぶ濡れました)、


まぁ、雨も大好きですし、こういうのもまた乙かな、と。
トラックに水はねられるなんてけっこう美味しいでしょうし(お前が言うか
ですが何ともまぁ、大変なお散歩となってしまいました(^^;



さて、今日のファイターズは・・・

F 1-6 Bs
【F公式】

大量点のきっかけはことごとく厳しいコースをボール判定されたり村松に打ち取った
当たりを同点タイムリー内野安打にされたりしたあとに中村ノリに走者一掃の3点
タイムリーをやられたのです。
それより何より攻撃陣、13残塁って・・・(--;
幸雄さんもノーヒットだったし・・orz

の日記4月21日Part1「ありがとう、さよなら、ふるさと銀河線・・」

2006年04月22日 | 鉄道ネタ
おばんでした、野々村です

「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」が残念ながら20日をもって廃止となってしまいました。
僕は小5から小6の12月までその銀河線の沿線の町に住んでいました。
毎日列車が走る音を聞きながら暮らし、学校に行くときは毎日踏切を渡り、
学校行事やプライベートで何度か乗車していました。
他にも野球少年団の後輩が利用していたり・・
小学校でも学年通信の名前が「銀河」だったり運動会では全校リレーが、
銀河線の車体を模したものを8人で運ぶ「銀河線リレー」だったり(各組でそれぞれ
「車体」をオリジナルにデザインして作ったんですよね・・フレームに模造紙貼っただけ
のものですが)・・
あと駅裏の公園が「銀河公園」と言われていましたっけ・・
置戸や陸別など他の町もそうだったそうですが沿線の町の生活と一体になっていたんですよね。
あとね、銀河線って普通列車がワンマン列車だからですかね?駅できっぷを買った人も
乗るとき整理券を取るんですよ。それもあって後ろの理前降りなんですが。
これは某所で書いてあったのですが、実際乗ったときいつも前降りだったなぁ・・
それで終点まで乗ったらなんだったかな・・整理券を車掌さんに渡すんだったかな?
そうしたら何か、パンフレットだったか証明書か・・なんだったかな?交換するんですよ。
そうそう、【精算証明書】って言うの。
それをね、改札で駅員さんに見せると右側の証明書部分は切り取られて残ったところは
持ち帰り可能なんですよ。あれ残ってたかな・・・・
きっぷを保存している箱の中を探したけど見つかりませんでした。
チクショウ、取っておけばよかった(苦笑

そんな銀河線がとうとう廃止・・・
廃止が決まってから一度はまた乗りたいと思っていたのですが結局叶わずじまいでした。
何だか悔しいなぁ・・・

廃止から一夜明けて転換されたバスの運行が始まりましたが銀河線の利用者だった人いわく
「狭い」そうです。
そうですね、汽車のあのゆったりとした空間は他の何にも変えがたいものですから。
あの銀河線の空間をもう味わえないのが本当に残念です・・・

<20日以降の道新記事一覧>
銀河線きょうお別れ 【写真】  2006/04/20 07:08
銀河線お疲れさま 7駅でお別れ式 【写真】  2006/04/20 14:06
95年の旅、終着駅 北見に最終列車 ふるさと銀河線 【写真】  2006/04/21 07:24
汽笛消え…銀河線代替バス発車 駅名表示板や遮断機の撤去も 【写真】  2006/04/21 14:00