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Do be Ambitious! 日記館

あくまでも「Do be Ambitious!」の1コンテンツとして。

世界ノルディックジャンプ大倉生観戦計画に光明/青島幸男さん死去

2006年12月20日 | 2007世界ノルディック札幌大会
まいどおばんでした、野々村です。

世界ノルディック、実は行けるかどうか微妙な線上でした。
と言いますのもジャンプのラージと団体戦が連戦でいずれもナイターなので下手したら
札幌連泊ーなんて可能性もあったんですよ。そうなるとお金が!!
と言うことでしたが、そこは世界選手権、出場選手は個人戦でも50人ですし
そこまで時間はかからない!となると最終日曜の晩は特急で帰って来るというのも
ある意味可能なのでこれで札幌は1泊。
後はネットカフェで夜を明かすという作戦が可能ならば(当日ネットカフェが混んで
なければ)活用する考えもアリ?
一応親には話しましたが1泊だけなら大丈夫と許可はおりました。
ただ2泊となるとダメと(笑
まぁ当然でしょうなぁ、どうでしょうで2日連続バスみたいなもの、ベッドじゃない
ですからね。健康にもどう響くか。
チケットの方もなかなか売れてないらしく、今からでも間に合う模様、予算は大丈夫
です。ともあれ大倉2連戦の現地応援はほぼ可能でしょう!



青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが死去
 前都知事、放送作家 【写真】  2006/12/20 14:16

青島さんと言えば僕の中では作詞家としてのイメージが強いです。
九ちゃんの曲ではデビュー曲「悲しき六十才」、作曲も手がけた「九ちゃんの
ズンタタッタ」やリバイバルでも有名になった「明日があるさ」。
植木等を始めクレージーキャッツでは「スーダラ節」「ドント節」「ハイそれまでョ」
「無責任一代男」「ホンダラ行進曲」「ゴマスリ行進曲」などデクさんこと萩原哲晶
さんと組んだ無責任ソング集・・・
あとは当時の映像をちょっと見ただけですが「シャボン玉ホリデー」の構成もやった
そうで。この番組は一度と通してみてみたい気もします。
なんだか21才の若者とは思えないこんな青島さんのイメージですが・・(^^;
天国に行ったら真っ先に誰のところに行くだろう・・ハナ肇さんかなぁ・・それとも
デクさん?ともあれまたわいわい楽しくやってほしいです。
心からご冥福を祈って、合掌・・・

WNSCコラム:第4回「日本の鳥人たち 第2回・岡部孝信」

2006年12月02日 | 2007世界ノルディック札幌大会
世界ノルディック特別コラム第4回、日本の鳥人たち第2回は岡部孝信選手を
取り上げようと思います。

山椒は小粒でも・・
小さな大ジャンパー、岡部孝信


岡部孝信、その身長は165センチ前後とジャンパーとしては非常に小柄ながら
その卓越した技術で世界の上位に食い込む男です。
2003年に女子バレーの柳本ジャパンが注目された頃は竹下選手にあやかって
「世界最小最強ジャンパー」なんて言われた時期もありました。
彼のジャンプの魅力は、なんと言っても空母から解き放たれた戦闘機のように
浮き上がるような飛行曲線で悪条件をものともせずに距離を伸ばすジャンプスタイル
です。それと片足をやや持ち上げた左右非対称のフォームが独特です。

完璧主義者
彼はリレハンメル五輪の団体銀のメンバーですが、世界デビューはその前の年、
全日本選手権でラージヒルに圧勝し、すでにメンバー6人が決まっていた代表に急遽
追加招集され、それからその後のW杯に参戦し、翌年の五輪にも繋がっていったん
ですね。
翌94-95年シーズンには例の57%ルールで板の全部が短くなる事態に直面するも
カンテ(空中に飛び出すところ)を踏みつけるスタイルに移行し、実力を発揮。
その年のサマーグランプリで3連勝し、W杯でも船木和喜の衝撃的なデビュー戦勝利や
オーストリアのゴルドベルガーを勝たせるための高速運営で飛びすぎを危惧して
100%の力を出せなかったために2位になることが多かったためになかなか満足のいく
シーズンではなかったんでしょうけど、それでもその年のサンダーベイでの世界選手権は
ノーマルヒルで金メダルを獲得(2位は斉藤浩哉で日本人のワンツー)しました。
その後その目標の高さゆえに調子を崩したものの長野五輪には間に合い、団体戦での
金メダルに大きく貢献したのは周知の通りです。
翌年は例の146%ルールで苦しめられ、国内では一時期復活したものなかなか国際舞台
には戻れなかったのですが、去年になってそのとき雪印のコーチになっていた斉藤浩哉の
フォームを参考に新フォームを覚えてついに本格復活!トリノ五輪ではメダルには手が
届きませんでしたが8位入賞を果たしました。

意外にユーモアとウィットがある男
岡部選手、クールなイメージがありますが、意外と面白い人で、とりわけ
原田雅彦氏を引き合いに出したものを中心にジョークは秀逸だったりします。
それを何点か(笑

「原田さんが1番役に立ってないのに主役みたいな顔してるんだから(笑」
(97年春、初のW杯国別優勝記念祝賀会で記念撮影の絵はがきを見ながらその年不調で
総合33位ながらその年の世界選手権でメダル3つを獲得した原田氏に向かって)

「2本目はチームの中に一人やる気にさせてくれた人がいましたから・・・
原田さん、ありがとうございます。」
(長野五輪団体が終わったあとの共同記者会見で2本目の137mについて聞かれ、
1本目大雪で79.5mだった原田氏をいじって場内大爆笑)

「ワールドカップから戻ってきたら、自宅前の積雪があまりにもすごかったので、
雪かきをしてからトリノに向かいたいと思っていたんですが、時間がなくて・・・。
それだけが心残りです。」
「今度こそは原田選手より目立ちたいと思っています!」
(トリノ五輪直前、雪印での壮行会で。前者は「トリノまでにやっておきたいこと」を
聞かれたときのものです。)

「原田さんに代わりまして、一番長老になってしまった私がご挨拶申し上げます。」
(06年、原田氏が引退した伊藤杯ファイナルナイター終了後の打ち上げで)

(以下不適切な内容があったため削除しました)

まぁ、そんなこんなで。

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第3回「日本の鳥人たち 第1回・葛西紀明」
第2回「ジャンプの歴史(外国編とスタイルの変遷)」
第1回「今後の掲載予定など」

WNSCコラム:第3回「日本の鳥人たち 第1回・葛西紀明」

2006年11月25日 | 2007世界ノルディック札幌大会
まずは皆様にお詫びを。
全開の最後に、次回は日本、特に北海道のジャンプの歴史を書くと予告しましたが、
日記本編で述べたとおりのPC周りの事情により資料画像を取り込めないので執筆
できない状況になっております。
なのでもうしばらくお待ちください。

その代わりに予定を前倒しにして世界選手権を目指す日本のジャンパーたちを紹介する
「日本の鳥人たち」のコーナーを始めたいと思います。
第1回は葛西紀明選手を取り上げたいと思います。

伝説の天才ジャンパー・カミカゼのりぴー
~葛西紀明~


葛西紀明、土屋ホームスキー部所属。
1972年6月6日、北海道上川館内下川町に生まれる。AB型、
チョコパンが大好物、愛称は「のりぴー」(後述)。

当時史上最年少の14歳で大倉山をテストジャンプで飛んで優勝者より遠くに飛んだり
改修前の大倉山で当時の台のプロフィールからは考えられない135mの超特大バッケン
レコードを樹立して「飛んだ瞬間、意識不明!」と迷言を残したり、98年のW杯
最終戦で船木和喜の総合優勝の夢を打ち砕く147.5mの当時の世界最長記録を
叩き出したり、翌シーズンには身長抜き打ち検査に対応するため厚手の靴下2枚履きの
裏技をかましたり、ファンが冗談で言った「頭にシリコンを入れる」を本気にしたり
アプローチを滑っているときにハトが目の前の助走路でフンをするハプニングを目の
当たりにしながら優勝したり減量のために大好物のチョコパン断ちしたあげくリバウンド
したり真っ黄色のフェラーリを買ったりW杯の最年長優勝記録を持っていたりと
数多くの伝説を残している天才ジャンパーです。
葛西紀明伝説はこのサイトの「Glossary」にたくさんあります(笑

現在岡部孝信、伊東大貴とともに日本のエース格で、世界選手権では03年のイタリア、
バルディフィエメでは団体銀、個人2種目で銅と活躍しました。
それ以前もW杯での勝利も多く、そのアグレッシブなジャンプスタイルで
カミカゼ・カサイの名で世界的にもこの春引退した原田雅彦とともに人気のある選手
です。しかしオリンピックでは個人のメダルには恵まれていません。
彼のジャンプは昔から踏切の時につま先で蹴ってしまう癖があり、そのため
空中に飛び出したときにスキーの先が一瞬下がってしまうことがあり、そういうときは
あまり距離を伸ばせません。トリノ五輪の個人戦の時もこの癖が2本のうちどちらかで
見られました。
しかし板が下がらないと誰よりも遠くに飛ぶ力を持っています。

愛称の「のりぴー」は、信じられないかもしれませんが生みの親は葛西選手本人で、
98年長野五輪の直前に公式スポンサーのVISAのHPで名乗ったものだそうな。
ほかに「のりちゃん」「のりのり」などの愛称もあって全部本人が考えたそうな(笑

実はこの葛西選手、僕の中学時代の教頭先生の元教え子だったりします。

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第2回「ジャンプの歴史(外国編とスタイルの変遷)」
第1回「今後の掲載予定など」

NWSCコラム第2回「ジャンプの歴史(外国編とスタイルの変遷)」

2006年11月17日 | 2007世界ノルディック札幌大会
おばんでした、野々村です。
ちなみにタイトルの「NWSC」とは「Nordic World Ski Championships」の略で、
今後はタイトルでは攻略させていただきます、文字数の関係で。

さて、普段の日記とは別に来年札幌で行われるノルディックスキー世界選手権を
盛り上げようと言うこの企画、第2回はジャンプの歴史を簡単に紐解いていきましょう。

ジャンプの始まりは諸説あります。ノルウェーの処刑方法だったという説や、
はたまたノルウェーでも心優しい王様がいかに捕虜を面目を保ちつつ逃がすかを考えた
手続きみたいなものとか色々ありますけどどうやら子供達の遊びから生まれたのが
真相のようです。
記録としてはノルウェーの靴屋の青年がクリスチャニア(現オスロ)の丘で20何
メートル飛んだというのがあるそうです(詳細はいまのところわかりません)。

最初期のジャンプはそれこそ直立姿勢で飛ぶものでした。
下の写真の感じで手はグルグル回し、最初の飛距離はそれこそ20~30mでした。



1930年代まで、ジャンプはノルウェーの独壇場でした。
しかし1924年にシャモニー(フランス)で冬季五輪が始まるとオーストリア、
さらにノルウェーから移住したが競技を続けノルウェー技術を改良したアメリカも力を
付け、ノルウェーの牙城を崩しにかかっていました。
(この頃、日本でもジャンプ技術向上が取り組まれていました)

そこでノルウェー勢もジャンプ王国の面目を保つべくアメリカで改良された技術を
逆輸入し上位を保ち続けます。
とはいえ1032年のレークプラシッド(米国)、36年のガルミッシュ(ドイツ)の
2大会連続で五輪を制したビルガー・ルード(ノルウェー:下写真)をはじめとした
その頃のジャンプはまだ両腕をグルグル回すスタイルでした。


その頃にはジャンプの国際化も進み、飛距離もどんどん伸びて行き1936年、ついに
世界で初めての100m超のジャンプが、何とノルウェー人ではなくオーストリア人の
ゼップ・ブラドルによって達成されました。

その後第二次大戦を挟んだ戦後、しばらくは上のルードのスタイルが多かったのですが
1049年、日本で驚くべき空洞実験が行われました。
それによれば、腕は回さずに体側に止めた方がいいというもの。
これを受けて3年後のオスロ五輪の頃には手を身体につけるスタイルが出来、
56年のコルチナ・ダンペッツォ(イタリア)五輪には下のような深い前傾のスタイル
(日本ではこの大会を制したアンティ・ヒバリーネン選手の国籍からフィンランド
 スタイルと呼ばれていたようです)が出来ました。


しかしその4年後のスコーバレー(米国)五輪で勝ったのは東ドイツのヘルムント・
レックナーゲル(下写真)、この選手のスタイルは競泳の飛び込みのように両腕を
前方に止めるもので、これもあり当時は腕を身体につけるフィンランド型か前に出す
レックナーゲル型かで二派に分かれていたそうです。


しかし64年インスブルック(オーストリア)、68年グルノーブル(フランス)を
フィンランド型の選手が勝ち、レックナーゲル型は姿を消していきました。
そして日本中が日の丸飛行体の快挙に酔いしれた1972年札幌五輪でついに、
手は収まるところに収まったのです(画像はノルウェーのインゴルフ・モルク)。


この頃のアプローチの姿勢はクラウチングを組むときに両腕を身体の前に垂らす
フォアハンド・スタイルでした。あの笠谷幸生もこのスタイルです。
しかし1976年のインスブルック五輪(前回開催から12年しかたっていませんが、
開催予定だったデンバー(米国)が返上したため急遽施設が揃っているここで開催
されたのです)で70m級(現ノーマルヒル)を制した東ドイツのハンス・ゲオルグ・
アッシェンバッハ(下写真)が現在のバックハンド・アプローチを編み出しました。


その後1980年代後半に入ると東ドイツのバイスフロクなどが出てきますが、
そんな中フィンランドからとんでもないジャンパーが出てきました。
当時はまだ板を揃えるため「落ちる」要素が強かったジャンプの中で1人「飛ぶ」
ような他を寄せ付けないジャンプを連発し「鳥人」と呼ばれたマッチ・ニッカネンです。
84年のサラエボ(当時ユーゴスラビア)で90m級(現ラージヒル)を制すると
そして88年のカルガリー(カナダ)ではなんと、70m級、90m級で金、そして
この大会から新設された団体戦でもフィンランド代表として勝ち、五輪史上唯一の
三冠王に輝きました。


しかしこの2年前の1986年、ジャンプ界の革命をもたらす新しいスタイルが
1人のスウェーデン人選手によって生み出されていたのです。
ニッカネンさえ敵わないほど飛距離を伸ばすそのスタイルは、スキーの前面を
大きく開く画期的なものでした。
しかし当時はスキーを平行にしないと飛型点を大きく減点されるルールだったため
なかなか勝てなかったのですが、その男、ヤン・ボークレブ(下写真)はさらに距離を
伸ばすようになりついに飛型点の不利さえ跳ね返すほど飛距離で差をつけるようになって
88-89年のW杯で5勝して総合優勝、90年代に入り他にも彼のようなスタイルで
飛ぶ選手が出てきて活躍しだし、風洞実験の結果この方が距離が伸び、かつより安全だと
科学的にも証明されたため91-92シーズンからこのスタイル、V字ジャンプの
飛型点の減点が撤廃されました。


その後も幾多のルール変更などもあってジャンプのスタイルは目まぐるしく変りました。
94年頃は板の前面を伸ばし、そこの風圧を利用して深い前傾をとるスタイルが流行、
しかし95年にビンディングを先端から57%以内につけなければならないルールに
なってからは船木和喜の出現で身体とスキーが一体になる深い前傾が定着、
現在ではパワーで踏み切り身体をやや折り曲げた立体的なスタイルが主流になって
います。思えば98年長野五輪当時の原田雅彦のスタイルに近いものがあります。
(写真はフィンランドのヤンネ・アホネン)


ということで、ジャンプの歴史を当時活躍した選手を織り交ぜつつ駆け足で紹介
していきました。
次回は日本(主に北海道)のジャンプの歴史を紹介していきたいと思います。
お楽しみに!

バックナンバー

第1回「今後の掲載予定など」

世界ノルディック特別コラム第1回「今後の掲載予定など」

2006年11月14日 | 2007世界ノルディック札幌大会
おばんでした、野々村です。

来年2月から3月にかけて札幌で行われるノルディックスキー世界選手権に向けて、
ジャンプ競技を盛り上げる意味も込めて、普段の日記とは別に特別コラムを不定期に
掲載していきたいと思います。
これまでジャンプを見たことがない、ジャンプに興味がない、と言う方もどうぞどうぞ、
気軽に読んでください(^^
まだまだ観戦歴9年弱、至らないところもあるかもしれませんがよろしくお願いします。

さて、どんなことを書いていくかと言いますと・・

ジャンプの歴史とルール解説
 言わずもがな、スキージャンプの歴史や大まかなルール、用語などを書いていきたい
 と思います。ある程度の知識を持っていれば、観戦も100倍楽しくなりますよ。

鳥人コラム
 これは青波さんのブログでやっている「球人コラム」よろしく、世界選手権を目指す
 現在ホットな注目して欲しいジャンパー達を紹介していこうというコラムです。
 大会終了後も過去の選手から若手の有望選手まで色々紹介していきたいと思います。

インフォメーション
 最新の情報などを随時載せて行けたら、と思います。
 僕も混ぜてもらっているジャンプ界全体を応援する応援団「ノイズチーム」の仲間から
 情報が入ることがあったらそれも載せていくかもしれません。

こんな感じで書いていこうと思います。
ともあれ絶対に三日坊主にはしてはいけないこの記事、頑張らなきゃ!