28.11.17(THU) 今日もいい天気です....晩から朝方までは、かなり冷えてきましたね..“油断大敵”、風邪にご用心(^_-)
福岡の道路陥没から復旧....ちがった意味では、日本の災害復旧技術を世界に知らしめる発信源として....良い面もあった。
あっと、68年ぶりの“【スーパームーン】”見られました?.....下の画像は、十六夜で...わずかに右が欠けている。
家で撮影...クレーターらしきがハッキリと映りました (*^_^*)
今は去ること....半世紀、50年前頃の見島事情のひとつをお話しします....(-_-)
当時、農家が田畑で野良仕事に朝早く出掛け、夕方の日の暮れまでは戻ってきませんでした。
耕耘機が普及するまでは、見島牛が頼りがいのある同朋でした。夕方まで帰らないと言うことは、弁当持ちで出掛けます。
弁当入れは、杉と竹でできた【曲げわっぱ】でした。
①....『現在の曲げわっぱと利用の様子』
★ とても貴重な高級品で.....手が出ない名産品となっています
大館曲げわっぱ 【お弁当箱/ランチボックス】 【秋田杉 はんごう弁当箱 】
( 資料映像 )
“お昼とかの弁当” 例.....こんなおかずで昼ご飯だったら.....(^_^;)
( 資料映像 )
②....『見島の弁当入れ〈曲げわっぱ〉』
蓋と底は杉板で、ぐるりは竹製 10cm超の上下がカポッとはまって一人分
※ 古びているが.....それだけ年季が入り使用してた証拠 ^^;
③....『ご飯の入れ方』
“上下それぞれ”に白ご飯を入れる.....下の方がやや多めにして、上蓋の方は少し減らす...蓋をするため。
一回に持っていく量としては、1.5合以上になる。下に梅干しを入れたりはする。
こんな時代も、やってくる
( 資料映像 ) おかず入れ
★ アルミの弁当箱は、日の丸(梅干し)弁当で腐食して、穴がよく空いた。
④....『食べる回数とおかず』
◎ 朝の10時ころ.....午前の一服で、上蓋の半分程度腹ごしらえをする。(今日のパンやお菓子はない(>_<))
◎ 昼飯...........上蓋の残りと下の半分強を食べ、上蓋が湯飲み代わりになる。
◎ 午後3時ころ......下の残りご飯を食べて、日の暮れ前までひと仕事にもたせる。夕方茶(“ようかたじゃ”と言った)
☆ おかず..........大概、魚の塩焼き(シイラやヤサデやサバにアジ)と味噌に漬け物(玉子焼きやソーセージ無し)
シイラ、こんな感じの塩焼き....頭も旨い
( 資料映像 )
※ むかしの人は、とにかくご飯をしっかり食べて、力仕事をしていた。かといって....太っていなくて、筋肉質
( 資料映像 )
⑤....『予定外のおじゃまむし』
時折、私のような小さい子が仕事の邪魔ばかりか、お昼を食べたりする“厄介者”が出没する。
『猫も茶を飲む』....見島のことわざか、子供もいっチョ前に大人の食事をすることをからかって云う。
父母や爺ちゃんから、上蓋の残りをちゃっかり頂戴する。
箸(はし)が無いので....鎌でススキの根元を二本切って、代用品をよく作ってもらってた。すごくこれがまたいい。
これが、ススキのインスタント箸です.....前方のススキ群
⑥....『作業を終え家路につく』
牛も一緒に山から家へと共に帰る。(べえのこ...仔牛が待っているので、疲れていても速度が速い。)
牛の背には、わらやたき物や収穫の野菜とか....両側にきびっていた。
私は歩かなくて済むので、この背中に乗せてくれと、よくせがんだものだ....「乗牛」とでも。
( 資料映像 )
もう私らの世代には「郷土資料館」にしか残っていないような感じです。
わっぱの弁当の食べ方も素晴らしいですね。
見島牛もこんな風に利用されていたとは。
家族皆さん、季節の変わり目ご留意ください。
学校で完全給食が始まるのが小五だったと思います。
それまで、弁当持参か走って家に帰るかでした。
玉子焼きとソーセージがご馳走...肉のおかずなんて
弁当に使うの?って感じだったな。
遠足や自分でこさえて北灯台まで、皆と出かけたり。
弁当には、今回の事もあり....いい思い出。
実は、高校の下宿の弁当が不味くて...苦労した。
高二の時、親友の母が僕の分まで...(>_<)
懐かしい古き良き時代..裕福でもないが頑張ってたかな。