マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

課題

2010-07-05 16:43:43 | 教会の風景
ここ2回ほど続けて、キリスト教系の学校の生徒さん、学生さんが礼拝に出席してくださいました。
学校の課題とは言えども、礼拝に参加して、聖書の言葉に耳を傾けている姿にこちらも励まされます。
それに、私たちに与えられた宣教の機会として、神さまに感謝しています。
神さまを知るための一つのきっかけになってくれれば、これに優る喜びはありません。

さて、学生さんたちも忙しいと思いますが、私も課題があります。
明日からは夏期研修講座を受講しますので、テーマとなる聖書箇所を読んでおこうと思います。
それに、この夏の間に読んでおく本、まとめておきたいレポートがあります。
そう思うと、この夏の時間もかなり計画的に使わないいけないな~と、少々焦りも感じます。
とは言うものの、忙しいのはみなさん同じですので、優先順位の見極めや取捨選択のために的確な判断力を身につけなきゃいけませんね。


月報用にまとめた6月の礼拝説教のあらすじを掲載します。

山上でモーセが主からのことばを授かっている間に、イスラエルの民はモーセの帰りを待ちきれなくなった。彼らはアロンに要請し、金の子牛を鋳造させ、「エジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言い出した(4)。アロンも、「主への祭り」と称して偶像崇拝を助長してしまう(5)。自分たちの思いのままに「神」を造り上げ、自分たちの思いのままの礼拝行事を行うイスラエルの姿から、私たちは『本当の礼拝とは』何かを考えさせられる。新約聖書の第一コリント10章では、この時のイスラエルの記録を引用して、「戒め」(6,11)「教訓」(11)としている。私たちは勧告と約束を心に留め(13)、神に召された真の礼拝者、信仰者の生き方を常に求め続けたい。

 主は、麓のイスラエルの偶像崇拝を「堕落」(7)と言い、イスラエルを「あなた(モーセ)の民」(7)「うなじのこわい民」(9)と表現した。そして、主はモーセに「わたしのするままにせよ」(10)と言っている。この場面での『神の怒りとモーセの嘆願』の様子は、恐ろしい怒りの神に対峙する孤高の指導者モーセの必死の説得のようにも見える。しかし、実際は神ご自身がお立てになった仲介者のとりなしの祈りで、「主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された」(14)のであるから、イスラエルの犯した罪に対する怒りと同時に、イスラエルに対する神ご自身の憐みと忍耐深さをも見出すべきであろう。また、主は選び(11)と契約(13)に対して真実な方であることを心に留めたい。

 モーセは下山し、民の醜態を目にする。彼は、怒りのままに、神から授かったばかりの契約の板を砕いてしまう。そして、金の子牛の像を速やかに処分した。留守を託したアロンを詰問し、偶像崇拝に耽る者たちを処罰した。モーセは、主の御前では民のために切実なとりなしの祈りをささげ、問題の現場では毅然たる態度を取って対応したのだった。「主は民を打たれた」(35)とあるとおり、モーセの下した処罰は、当初の滅びの宣告を控えた神の懲らしめであり、警告であった。『真の問題解決、本当の悔い改めとは』決して手軽なものではなく、厳粛なものである。神のみこころに従って歩むことの大切さと、与えられた罪の赦しの重大さを再確認したい。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


礼拝堂内にある観葉植物です。
冬場に葉を落としていた観葉植物も、この時期になると随分葉がついて伸びてきました。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする