マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

教会の問題

2006-05-24 16:06:13 | 神学校・講座
今日も午前は神学校。
教会史と旧約通論の講義があった。小テストは両方ともできた。
あと自分のボックスにルカの福音書のレポートが返却されていた。
Aの評価を頂いたが、多分甘くしてくれたのだと思う。
前回のマタイの福音書のレポートより出来は良くないと自分は思う。
作成のためにかけた時間も前回より少なかった。
前回より手抜きになってしまったことは否めない。

教会史は2-3世紀の教会のことを学んでいる。
前回の続きから話が始まった。
教会は、外に迫害、内に異端という問題を抱えていた。

当時教会の中に発生した問題で、モンタヌス運動がある。
形式主義と組織化に反対して起きた。
しかし、熱心になるあまり、極端に行き過ぎた。
聖霊と再臨の教義を強調し過ぎた。
結局、逆の極端に走り、指導者モンタヌスが語ったことは、聖霊が使徒たちを通して語ったことと同等の権威があると主張した。
しかも、天国はフリギヤ(モンタヌスの拠点)に建設されるだろうとまで言った。

次に、単一神論。イエスの神性を認めない。
神が唯一のお方であることを強調しすぎて生まれた。
イエスを善人としては認めるが、神であるとは認めない。
機械的単一神論とも呼ばれる。
アンテオケの監督であったパウロスという人物が提唱。

サベリウスという人が提唱したもう一つの単一神論。
これは非常に微妙なところで、現代の福音派の中でもこれに近い教え方をする教会もある。
それは様態の三位と説明される。
あるときは父として現れ、あるときは子として、あるときは聖霊として現れると説明する。三つの人格があることを否定する。
分かりやすい説明として、水を例に挙げられた。ある条件下で氷、またあるときは水、また水蒸気にもなる。一つの物質でありながら、様態が変わる。
説明は簡単だが、これで三位一体を説明したことにはならない。

父、御子、聖霊がそれぞれ人格をお持ちでありながら、唯一の神であるというのは確かに人間の理解には収まりきらない。矛盾するようだ。
しかし、本来聖書が示す三位一体はそれであると信じている。

今回、現代の教会が抱えている問題は、新しいものではないと教えられた。
教会は、その歴史の初めから内側にそのような問題を抱えながら克服してきた。
もちろん表面的には、時代に応じて多少様相が異なるかもしれないが、
本質の部分では変わらないような気がする。
そういう意味では教会史を学ぶことがますます楽しくなってきた。

こうして講義の内容を振り返っていると、ついつい長くなってしまうが、
今晩の祈祷会の準備もあるので、今日はこの辺で終わりにしよう。
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