マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

連休前の講義

2006-04-27 01:14:48 | 神学校・講座
連休前の講義が済んだ。今日の旧約通論と教会史の小テストも無事済んだ。

教会史は、初代教会の宣教の広がりの背景を学んだ。キリスト教がエルサレムに始まり、サマリヤ、地中海沿岸に広がっていく要因について考えさせられた。

教会内の過ちが戒められること(使徒5章)や迫害(同8章)という一見教会にはマイナスと思われることも福音宣教の広がりにも結果として役割を果たした。

また、ユダヤ人だけの教会からユダヤ人以外の民族も含む教会へと変化していく過程を学んだ。本来ユダヤ人の間には選民意識が非常に強かった。彼らにとっては異邦人が救われることは考えがたいことだった。だから、サマリヤ人が救われたという報告が伝えられたとき、エルサレムの教会はペテロとヨハネという指導的立場にある人物を派遣した。しかも聖書を見ると、二人が行くまで、サマリヤ人信者に聖霊の賜物が与えられるのは控えられていた。ユダヤ人ばかりの教会にサマリヤ人が迎え入れられるためには、当時の教会指導者二人が現場に居合わせることが望ましいとの説明。また、ローマ軍の百人隊長コルネリオ一家が救われた記事でもペテロといっしょに6人のユダヤ人クリスチャンが同行していた。その6人も目の前で異邦人が聖霊体験をするのに驚いた。彼らがエルサレムに戻ったとき、案の定ペテロはユダヤ人クリスチャンから非難を受ける。しかし、コルネリオをはじめとする異邦人に聖霊の賜物が与えられたという証言は、反対者が黙るのに決定的な決め手となる。

こうして、福音がユダヤ人から始まり、異邦人世界へ段階的に広がっていく。しかし、残念なことにやがて逆転現象が生じる。つまり教会には異邦人ばかりが集まるようになり、ユダヤ人としてのアイデンティティを捨てられないユダヤ人信者は追いやられていくのである。長い歴史の中でユダヤ人は教会から冷遇される。

しかし、20世紀末、イスラエルにメシアニックジュウと呼ばれる人々が起こされる。イエスが救い主だと信じるユダヤ人たちだ。彼らは自分達のユダヤ人としてのアイデンティティを保ちながら、三位一体の神を信じる。

それを受けて、第2回エルサレム会議を開こうという動きがキリスト教界にあるそう。かつて約2000年前のエルサレムで、異邦人が救われるのにユダヤ人の律法に従う必要がないことが確認された。救いは、ただイエスを信じる信仰による。今度は、ユダヤ人がそのままのスタイルでイエスを救い主として信じれば良い、と教会が宣言しようということだ。これも今までの教会の歴史からすると画期的な転換だといえる。

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