マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

イースターの朝

2006-04-16 20:16:06 | 教会の風景
イースターの朝、今日はイエス様の復活を記念してイースター礼拝をささげた。今朝は6時から礼拝。

4時半に起床。5時過ぎには教会へ。ひんやり肌寒いが足取は軽い。イエス様が甦られた朝のことを思い巡らしながら、足早に教会に向かう。イエス様の納められた墓に向かう女達の足取はもっと重苦しかったに違いないなんてことをふと思った。復活の予告を明確に理解していなかった彼女たちには辛い道のりだっただろうと思う。それを思うと後の時代の私たちの立場は随分違う。歴史上の事実としてキリストの復活を伝えられているのだから。

教会についてみなさんを迎える準備をして礼拝に備えた。遠方から車で40分かけて来られる方も無事到着して、ほぼ定刻に始まった。

イエス様の復活を記念する讃美歌と聖歌をそれぞれ3曲ずつ歌った。心励まされる思い。喜びと希望が湧いてくる。

今朝の説教は、第2テモテ2:8―13から語った。「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえられたイエス・キリストをいつも思っていなさい。」使徒パウロが愛する弟子テモテへ書き送った手紙の一部分に注目した。

「ダビデの子孫として生まれた」とは、イエス様が完全に純粋な人であったということ。私達と同じ生身の体を持つ存在てあったということ。イエス様であっても疲れたり、渇いたり、眠ったり、苦しんだり、体を傷つけられて苦しい死を経験なさった。神の子だからといって免れたということはない。私達のように罪をおかすということがなかったが、体を持つ上での制限を受けられた。私達の身代わりであるために、あえて100%純粋な人とならなければいけなかった。もしそうでなければ、私達の身代わりにはならない。十字架の死が有効にはならない。イエスの人性は福音には欠かせない要素である。

そして「死者の中からよみがえられたイエス・キリストをいつも思っていなさい。」と続く。もしイエスという方が復活されていなかったら、キリスト教は今日存在しなかっただろう。また復活を否定するキリスト教も実体がないと言える。なぜならキリスト教はイエスの生涯という歴史的事実に基づくからだ。イエスの教えや道徳性も大事なことだが、それにも増して大事なことがある。それがイエスの十字架の死と復活ということである。出生が完全に人であることを現すのに対して、復活は神であることを現す。イエスというお方は人でありながら神であられる。イエスの人性と神性は、聖書の提供する救いの理解には不可欠だ。

迫害の激しい時代、死期が近づくパウロが教会を案じて与えたアドバイスは「人であり神であるイエスをいつも思っていなさい」だった。福音の真理にしっかり心を留めることが大切だ。私達は目の前の問題にいかに対処するかに心を奪われるあまり、聖書が示す優先すべきことを見失いやすいことに注意したい。

私達がどうあるべきかとか何をするかは二の次だ。私達は時に不真実だが、彼は常に真実だ。神の約束は彼によってことごとく果たされた。この方の死と復活が、すでに歴史上の事実となっている今、私達はそれが私達の救いのためであると素直に受け入れれば良い。イエスの身代わりの死を贖いの供物として受け入れ、イエスを甦らせた神は、その力をもって信じる者を救い、新しく造りかえることができる。それが福音の真価である。

礼拝後はサンドイッチをみんなで食べながら楽しい語らいのとき。ついつい時間を忘れて話し込む。

その後、信徒総会が開かれた。先週の役員会での決定事項などの採決や連絡が行われた。段取り上手の役員の方々のおかげもあって、スムーズに進んだ。もちろん、すべてのことを計らいまとめてくださるイエス様に祈った上であることは言うまでもない。祈りに始まり、祈りで閉じる。感謝。

その後も私は教会におり、朝も早かったので牧師室で1時間ほどゆったりと休んだ。妻は元気だ。東京にたまたま出て来ている京都の友達に会うために出かけて行った。

私も3時半には東京教会に。出かけた妻とは現地集合。今日のユースの集まりの準備をした。4時半から始まった。始めたばかりで10人程度の集まりだが、普段朝の礼拝には出ていない青年たちも集まる貴重な機会。数曲歌ってから、ショートメッセージ。礼拝で語ったことをダイジェストにして言葉を選びながら話した。一つでも何か心に留まってくれているとうれしいが…。私はいつも決してうまく話せたとは思えない。声も通らず、淡々と、もしくはボソボソといった感じでしか話せない。聞く人にとってもっと興味深く、もっとインパクトを与えるように話せるといいなぁという一種の憧れはあるけれど…。正直なところ自信はない。しかし、聖書のみことばを聞くことは、決して無駄にはならないと信じている。

後はゲーム。今日はイースターエッグ探しとUNOアタック大会。結構盛り上がった。楽しかった。それでも時間を区切って7時過ぎには解散。担当者の打ち合わせと祈りの時。

今は、妻は5月のリトリートのコンサートでいっしょに出演する仲間と練習中。

日曜日は特に一日が早い。盛り沢山のスケジュール。でも充実している。こうした日々が与えられていることにどんな感謝をしたら良いだろうか?本当にハレルヤ!である。

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