マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

なぜそんな読み方をするの?

2006-05-20 15:11:09 | 神学校・講座
今朝は久しぶりに晴れ間が見えた。寝たのが3時頃だったので、起きたのは8時半頃。窓の外を見ると、日差しと新緑が非常に鮮やかに目に映る。

出かける準備をしたが、今日はもうチャペルには間に合わないと諦めた。

講義にはゆとりをもって間に合った。途中、小作駅から学校までの10分くらいの徒歩で汗が出た。蒸し暑い。

講義の時間になり、E先生が教室に来た。「さぁ、クイズ(小テスト)をしましょう!」教室が「えっ?」という感じでざわついた。今日はレポート提出日でクイズはないはずだから。やれやれ抜き打ちか?と思ったら、どうやら冗談だったらしい。ホッ。

先生が聖書の一節を朗読。ヤコブ書1章の始めの部分。知恵のない者にも、とがめることなく知恵を与えてくださる神様を心に留めた。

今日は福音書の概観の続きだった。共観福音書を比較してそれぞれの特徴を考えた。また著者についての説明も聞いた。たとえば、マタイの福音書は十二弟子の一人であるマタイが書いたとされているが、福音書本文には明記されていない。マタイが著者であるという根拠は、使徒後の教父たちの著作に言及されているからということ。もう一つは、ごく初期の写本にマタイの福音書と記入されていることによる。それ以上に客観的に主張できる点は乏しいようだ。おもしろいのは、こじつけに近い説明もあることだ。たとえば、マタイは取税人だったので、他の福音書記者より細かい記述ができている(?)取税人は几帳面?

毎回、パソコンをプロジェクターにつないで写真付で説明してくださる。今日は死海文書で知られるクムラン宗団が共同生活をしていた施設の跡を写真で見た。
その施設には洗礼槽や写本を写す部屋、写本を入れる瓶を焼く釜戸の跡などが見つかっている。

共観福音書の起源を巡ってリベラルな学者たちの間では論争が絶え間ないそう。説明を聞いていても複雑で分かりにくい。真剣に論じている人達には悪いけど、意味がなさそう。仮定の上のさらに仮定でしかない。E先生も「みなさんは福音派で幸せですよ。」と閉じた。確かにそのまま自然に受け止めればいいのだから。今までごく当たり前に教えられてきたことが、大多数のキリスト教会では分らず、一生懸命人間の知恵を絞って推測して論じているのだから、イエス様もそんな様子を見て苦笑いしてるのではないだろうか?
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