マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

もらったプレゼントの良さが分かる?

2006-11-17 11:19:01 | 聖書通読
『目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである。』
(新約聖書 第一コリント2章9節)

聖書は、神様が私たちに用意してくださった「救い」を指して、神の賜物(プレゼント)だと表現している。
しかも、それは思いも寄らない驚きに値するプレゼントだと説明している。
また、そのサプライズは生涯に一回だけの経験としてではなく、一生かけて経験していく奥の深いものである。

さて、普通に私たちが家族や友達からもらうプレゼントのことを考えてもらいたい。
みなさんが今までもらったプレゼントの中に、すぐに思い出せる、心に残っているプレゼントがあるだろうか?
どういう点で、そのプレゼントが印象に残っているのだろうか?

自分にとって大切な人にもらったから?
そのプレゼントに特別な思い出があるから?
そのプレゼントから贈ってくれた人の心遣いが伝わってくるから?
自分の趣味に本当にピッタリだったから?

などなど、いろんな理由が考えられる。
まぁ理由はともあれ、自分にとってその贈り物には価値があると認めたことは確かである。
当然、贈った人としては、喜んでもらえてうれしいに違いない。

さて、これは神様の贈り物に関しても同じことが言える。
神様から救いをプレゼントとして受けた私たち。
私たちがどれほどそのプレゼントの良さに気付いているだろうか?

私たちは、救いのことを、「プレゼント」ではなく「もしもの時の保険」くらいににしか考えていないのではないだろうか?

意外に、救いを受けている私たちの心に感動や驚きが少ないのはなぜだろう?
正直に自分自身に問いかけてみると、一つの答えが出る。
それは、救いという「プレゼント」の良さが分かっていないということである。
分かっているつもりなのだが、本当に上っ面のことでしかない。
牧師でさえそうなのだから、一体誰がその良さを知っているのだろう?

聖書は、先の言葉に続くところでこのように言っている。

『神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちはこの世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。
(新約聖書 第一コリント2:10-12)

主イエスを信じる者の中に住むと聖書で約束されている御霊なる神様。
この神の霊である方が、私たちに救いをくれた父なる神様のこころを教えてくれる。
「プレゼント」としての救いに込められた思いを明らかにしてくれるのは、御霊である。
私たちが救いの良さに気付くのは、この方に教えてもらうよりほかない。
神様からのプレゼントの良さの分かる信仰者でありたいと今日も願う。
贈った方の気持ちを理解し、贈り物の良さに気付くことができるように祈りたい。

「神様、あなたが私に下さった贈り物(救い)の良さに気付くことができますように。込められているあなたのこころをさらに深く知ることができますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。」

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