マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

Footprints6

2011-06-22 16:03:36 | Footprints
「心を尽くして主に拠り頼め。
 自分の悟りにたよるな。
 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
 旧約聖書 箴言3:5,6

先々週の神学校のチャペルで、T先生が信仰と使命に導かれた証しをしてくださいました。
神学者、教師として長年尽くしてこられたT先生の経験。
「主はあなたの道をまっすぐにされる」という神の約束が真実であることを私は教えられました。

そして、先週の牧会塾で、F先生の学生時代の進路決定と臨床の経験について伺いました。
方向転換をしながらも、それらがつながっていて、F先生の活動をより豊かなものとしているのだという印象を受けました。
やはり、主の導きの確かさと奥深さを教えられました。

ここ最近、そのようにおふたりの先生の信仰と人生の証しを聴く機会が重なり、私自身のことを振り返っています。
今までも観察や解釈を重ねてきましたが、ここでまた立ち止まって考える機会を頂きました。
当時はなかなか自分でも受け入れられなかったことを、また少しその意味を整理することができたように思います。
こうした機会が備えられていることを主に感謝しています。


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Footprints5

2011-03-31 17:32:10 | Footprints
牧会の5年目が過ぎました。
東村山に来て5年間。

経過してみると、ただひたすら目の前の仕事や課題に取り組んで、あっという間だったようでもあり・・・
以前にはない新しい経験や知識の習得で、ゆっくりではあるものの自分なりの成長や進歩もあり・・・

もう少し卒なく振舞って、万事を緩やかに軌道に乗せられたのではないかという幻想もあり・・・
でもやっぱり、自分の力量と状況の中での最善の決断と選択をしてきたのだという納得感もあり・・・

今年度は牧会塾も受講することにしました。
藤掛明さんのクラスです。
前々からいつか受講してみたいと思っていましたので、楽しみにしています。
前期 「他人を知る講座」 ・ 後期 「自分を知る講座」

神さまの恵みの中で今の私があること、周囲の多くの方々の理解や祈りに支えられてきたことを感謝しています。
神さまへの期待を抱きつつ、6年目、そして次の5年間に向かおうとしています。


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Footprints4

2011-02-28 16:54:49 | Footprints
最近のYouth For Jesusで使徒の働き16章を学んできました。
パウロの第2次伝道旅行、ピリピでの宣教の記録です。

その十年余り後に書き送られた手紙が、新約聖書のピリピ人への手紙です。
その中に、このような一節があります。

「それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。」(4:14)

パウロの宣教活動は、多くの収穫ばかりではなく、非常な困難も伴いました。
ピリピの教会の信者たちは、そのような困難も共有していたとされています。

さて、ちょうど2年前、2009年2月28日に、私はこの章を読んでいてこの節に目を留めていました。
福音宣教の働き、教会の交わりには、困難をも共有するという一面があるということです。
当時は、なぜこのことばを意識させられているのかは明確にはわかりませんでした。
ただし、主に従う決意を新たにしたことを覚えています。
それで、カードに書きとめて、何冊かある聖書の一冊に挟んでおいたのでした。

それから2年が経ちました。
あの時に、この聖書のことばを心に留めていたことの意味は・・・
パズルのピースが、また一つはまったような感覚です。
主のことばは、折々に私たちの支えと指針になります。


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Footprints 3

2008-04-29 13:19:44 | Footprints
私は3年前から5年間日記をつけています。
時々、振り返るのも楽しいものです。


3年前の4月29日は、私にとって一つの節目となる日でした。
それは一つの決心をした日でもあります。
聖書の中のある言葉が私の心に留まりました。
それは非常に静かではありましたが、自分にとってインパクトの強いものでした。


旧約聖書 創世記12:1
「あなたは、
あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。」


それまで何度もこの聖書箇所は読んだことがありましたが、この時は特に何かを訴えているように思えたのでした。
その時点では、まだ東村山教会での牧師の仕事の話は聞いていませんでしたが・・・。
何か神様の導きがあって、自分が具体的に行動するように促されているように思えました。
ですので、3年前のこの日、私の心の中ではすでに神様の導きに従いたいという決心ができていました。


そして・・・
東村山教会の牧師招聘の話を耳にしたのが、連休明けでした。
その話を聞いた瞬間、「このことのためだったのか」と納得したのでした


そんな出来事があって3年が経ちました。
神様は本当に真実な方です。
あの時決心して良かったな~とつくづく思います。
神様の導きは常に最善であることを経験しています
神様の語りかけ、導きの手に素直でありたいと改めて思います。


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Footprints 2

2008-02-08 15:37:36 | Footprints
前回「Footprints1」を書いてから随分たってしまいました。
なんだか先延ばしになってましたが、続きを書きたいと思います。
「マイペース」と言ってるだけのことはあります。
この次もいつになるかわかりません。
ごめんなさい。


さて、前回は小学生の時に初めて教会に行ったいきさつを書きました。
でも、そこからすぐにキリスト教一色であったわけではありません。

これも小学生の頃のことです。
クラスの友達に誘われたので、天理教のイベント(天理市で開かれた)にも旅行気分でいったことがありました。
もうあまり覚えていませんが、教祖が祀られている(「お隠れになっている」って言ってたかな・・・)施設にも行った記憶があります。
ホントかな?なんて思って興味津々で覗き込んだら、「ダメ」って言われちゃった~。

他にも・・・小学5年生の頃、母方のおじいちゃんの一周忌の時にはわざわざ永平寺まで親戚で出かけたこともありました。
こちらもほとんど記憶には残っていませんが、なんだか陰鬱な雰囲気だったように思います。
もちろん、おじいちゃんの一周忌ということで行ったわけですから、そのせいもあったのでしょうが。


たぶん神さまの目から見たら、少年A(当時の私)はあっちへフラリ、こっちへフラリとしていると思われたことでしょう。
それでも、神さまは見捨てなかったわけです。

旧約聖書を読んでいると、選ばれていながら簡単に神さまを捨ててしまうイスラエル人の様子がよく分かります。
そして、そんなイスラエル人を主は本当によく忍耐しておられる。


旧約聖書のイスラエル人の姿、なんだか他人ごととは思えないですね。
主の忍耐と憐れみの心は本当に深い!
だからこそ、この方が本当の神であると知った今は、この方を大切にしていきたいと思うわけです。

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