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「国宝 姫路城」 大天守保存修理の前に

2009年08月21日 | 造形憧憬




「平成の大修理の前に」

慶長十三年(1608年)頃に築城したと言われている、国宝 「姫路城」 は、
幾度となく修理修復を繰り返して、現在の姿を保っているのですが、あの
「昭和の大修理」 から45年が経過し、「大天守保存修理(平成の大修理)」 が
来春から行われるようですので、家族でお盆の帰省も兼ねて行ってきました。
( 城内に入って天守閣に登ったのは20数年ぶりになります )


「今更ですが、姫路城の概要」

 姫路城は、兵庫県姫路市にあるお城。江戸時代初期に建てられ、天守や櫓等の
主要建築物が現存しおり、ユネスコの世界遺産や日本国の特別史跡となっている。

 姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城で
ある。日本における近世城郭の代表的な遺構である。この歴史は中世に赤松氏が
姫山に城を築いたことから始まる(異説もある)。戦国時代後期には羽柴秀吉が
居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、のち本多氏や酒井氏
などの譜代大名が入城した。明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が
駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、大小天守群、櫓群が当時の
陸軍省の働きかけによって、名古屋城とともに国費によって保存される処置が
とられ、太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの焼失を免れた。
 現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が
国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定
されている。また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されて
いる。現存天守は、江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の
城の一つであり、いわゆる 「国宝四城」(通例として、国宝指定の天守を持つ城の
ことを指し、姫路城・松本城・彦根城・犬山城をいう)の一つでもある。
 江戸時代や戦国時代を舞台とした時代劇を始めとして映画などのロケが行われる
ことも多く、しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されている。
                           「ウィキペディア(Wikipedia)」 より抜粋

 姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまると伝えられ、その後、豊臣秀吉の
中国攻めの拠点となり、次いで、慶長五年(1600)に関ヶ原の戦いの功により
城主となった池田輝政により増築を含む根本的な整備が行われ、慶長十四年末
には概ね完成したと考えられる。大天守は外観五重、内部七階で、三基の小天守と
渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成している。
 我国の城郭建築最盛期を代表するものとして重要であり、白漆喰塗りの城壁の
美しさから 「白鷺城(しらさぎじょう・はくろじょう)」 の名で呼ばれている。
五重 六階 地下一階、本瓦葺            「文化遺産オンライン」 より抜粋





「天守保存修理の概要とスケジュール」

 兵庫県姫路市の国宝姫路城大天守の瓦のふき替えなどを行う 「平成の大修理」
の起工式が8日、同城三の丸広場で行われた。今年10月に着工し、来春の花見
シーズンを終えてから、大天守をすっぽりと覆う工事用建屋(素屋根)をほぼ1年
かけて建設。平成23年春から素屋根が外される26年までの約3年間、大天守は
外から見られなくなる。
 姫路城は築城して今年で丸400年。昭和30年代に大天守を解体した 「昭和の
大修理」 からも45年が経過し、屋根瓦や漆喰(しっくい)壁の傷みが激しくなった。
 大天守は地下1階、地上6階の高さ46メートル。同市によると、10月から22年
3月までに仮設道路をつくり資器材を搬入。27年春まで瓦のふき替えや漆喰壁の
塗り直し、耐震補強などの工事を実施。総工費は約28億円。市は工事期間中、
登閣者が激減するとみており、外から大天守が見られなくなる間、素屋根の7、8階
に展示室を設けて作業風景を間近で見学できるようにする。
                              (8/9) 産経新聞の記事から抜粋



■ 造形憧憬 ■

“長い歴史を感じる”
そんな言葉を使うことさえ
烏滸がましい気分になる

ただ ただ 天守を見上げ
ただ ただ 階段を登攀し
ただ ただ 廊下を摺り歩む

城内の
静穏さに心癒されたあと
天守の
凛とした森厳な空気に触れ
皆の
背筋がピンと伸びたようだ

まるで、
異次元に迷い込んだ
者たちのように ・・・


第五大成丸



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