今、長崎空港 です。
これから帰ります。体調が優れず
明日は医者に行ってきます。
* * *
3月16日 (水)
昨夜空港の辺りで、気温16℃だったので、
昼間は どれくらいまで あがるのでしょう~~
モーニングコールの時、
レバノン山脈の麓に位置する「ブシャーレ」は、残雪があるので
との、情報が入ったので、少し温かい服装にチェンジです。
レバノンの内戦・1975年~1990年の 15年間続いたそうです。
首都・ベイルートの人口・200万人。
此の街のシンボル{鳩の岩=ピジョンロック}46mの岩。
鳩には、どう見ても 見えない~~~のに?
やっぱり~~ィ
古代の通信手段は伝書鳩―――此処を基地としてたからですって。
日本人が目ずらしいのでしょうか?
見物の人達が、カメラに入って~~と 近寄ってくる。
けど、小学生位の女の子の 物乞いも~~~
内戦で家族を亡くしたらしい~~可哀相だと思うけど~~
ベイルートは、商業・金融が盛ん。
また、いろんな宗教が、混じっている街でも あります。
戦いの後、東側がイスラム、西側がキリスト教と 分断。
19世紀頃から 公益中心の街として アラブで一番栄えていた。
絹の生産が 大きい。
街の交差点・角々に、戦車が置かれ、軍人も乗ってて~~
いつでも動かせるような 雰囲気で 見張ってる。
でも、若い兵隊は、ニコニコしてて戦争なんか~~と
笑顔で手を振ってくれるが、カメラを向けると、
途端に顔が曇って、首を横に振る。
(建物には 銃弾の跡が 無数に空いてて・・・)
昨日、私達が降り立った「ラヒック・ハリー空港」
空港の名前の由来は、
元元帥で、暗殺された方の名前が、付けられている。
市内観光第一番目の見学場所は、「国立博物館」
1973年~~内戦 閉鎖してたが、2000年から オープンした。
此処に至る一般道、スピードが出せないよう、ジグザグ運転するよう
鉄柵が 嵌め込まれてたり~~
中心街は、早朝ラッシュなので、今、地下道を造っているので
それも、また 混雑の原因になっているのです。
ガソリン・1ℓ= @90円
博物館に入ったけど、寝不足で目が痛く
元々好きじゃないのもあって、私の休憩時間とする。
其の後は、歩いての観光ですが、
今建設中?? と思ったら、
2013年<戦争博物館>として オープンするアパート。
銃弾の跡が・・・・
交差点を渡ると海が見え、遠方には 雪を被った山・ヘルモン山?
・ ・・と確認したら。反対側に在るようで、~~
旧市街に入ると、教会・モスクが~~多宗教と言うのが判ります。
フランス時代の建物を修復した街並みには、
シャネル、ルイビトン, イブサンローラン、~~~etc
ブランドのお店がテナントとして入ってて、 パリの街?
モンマルトルのカフェ ? と 見間違うほど
美しく整備されています。
然し、建物の下には、古代の建造物が埋っている事から、
その頃の土台は もっと 低かったわけですよね。
内戦後、ベイルートをもう一度再建しようと立ち上がった 首相。
古い建物を修復して~~再建に力を尽くしてたのですが、
強烈な爆弾テロで、10数人の政府要人と共に死亡
其の墓も此の傍に ありました。
そんな街の中心街に、ローマ時代の風呂も発見され、修復中です。
ニューヨークの、ウォール街と同じ目的を持つビルも~~
~~~~と 12時、
コーランが「エトワール広場=星の広場」の七つの角の中心に
植え込みと 鉄塔がシンボルとしてありますが、
あちらこちらのモスクから流れて、大合唱のように反響してる。
・ ・・内緒だけど、耳を覆いたくなります。
其の一つの角に「セント・ジョージ・大聖堂」
入り口の鉄の扉には、銃弾の穴が無数に空き、戦争の跡を残してる。
・ ・・だけど、今日だけは目が刺して痛くって
バスへ早く戻り、横になる。
これから帰ります。体調が優れず
明日は医者に行ってきます。
* * *
3月16日 (水)
昨夜空港の辺りで、気温16℃だったので、
昼間は どれくらいまで あがるのでしょう~~
モーニングコールの時、
レバノン山脈の麓に位置する「ブシャーレ」は、残雪があるので
との、情報が入ったので、少し温かい服装にチェンジです。
レバノンの内戦・1975年~1990年の 15年間続いたそうです。
首都・ベイルートの人口・200万人。
此の街のシンボル{鳩の岩=ピジョンロック}46mの岩。
鳩には、どう見ても 見えない~~~のに?
やっぱり~~ィ
古代の通信手段は伝書鳩―――此処を基地としてたからですって。
日本人が目ずらしいのでしょうか?
見物の人達が、カメラに入って~~と 近寄ってくる。
けど、小学生位の女の子の 物乞いも~~~
内戦で家族を亡くしたらしい~~可哀相だと思うけど~~
ベイルートは、商業・金融が盛ん。
また、いろんな宗教が、混じっている街でも あります。
戦いの後、東側がイスラム、西側がキリスト教と 分断。
19世紀頃から 公益中心の街として アラブで一番栄えていた。
絹の生産が 大きい。
街の交差点・角々に、戦車が置かれ、軍人も乗ってて~~
いつでも動かせるような 雰囲気で 見張ってる。
でも、若い兵隊は、ニコニコしてて戦争なんか~~と
笑顔で手を振ってくれるが、カメラを向けると、
途端に顔が曇って、首を横に振る。
(建物には 銃弾の跡が 無数に空いてて・・・)
昨日、私達が降り立った「ラヒック・ハリー空港」
空港の名前の由来は、
元元帥で、暗殺された方の名前が、付けられている。
市内観光第一番目の見学場所は、「国立博物館」
1973年~~内戦 閉鎖してたが、2000年から オープンした。
此処に至る一般道、スピードが出せないよう、ジグザグ運転するよう
鉄柵が 嵌め込まれてたり~~
中心街は、早朝ラッシュなので、今、地下道を造っているので
それも、また 混雑の原因になっているのです。
ガソリン・1ℓ= @90円
博物館に入ったけど、寝不足で目が痛く
元々好きじゃないのもあって、私の休憩時間とする。
其の後は、歩いての観光ですが、
今建設中?? と思ったら、
2013年<戦争博物館>として オープンするアパート。
銃弾の跡が・・・・
交差点を渡ると海が見え、遠方には 雪を被った山・ヘルモン山?
・ ・・と確認したら。反対側に在るようで、~~
旧市街に入ると、教会・モスクが~~多宗教と言うのが判ります。
フランス時代の建物を修復した街並みには、
シャネル、ルイビトン, イブサンローラン、~~~etc
ブランドのお店がテナントとして入ってて、 パリの街?
モンマルトルのカフェ ? と 見間違うほど
美しく整備されています。
然し、建物の下には、古代の建造物が埋っている事から、
その頃の土台は もっと 低かったわけですよね。
内戦後、ベイルートをもう一度再建しようと立ち上がった 首相。
古い建物を修復して~~再建に力を尽くしてたのですが、
強烈な爆弾テロで、10数人の政府要人と共に死亡
其の墓も此の傍に ありました。
そんな街の中心街に、ローマ時代の風呂も発見され、修復中です。
ニューヨークの、ウォール街と同じ目的を持つビルも~~
~~~~と 12時、
コーランが「エトワール広場=星の広場」の七つの角の中心に
植え込みと 鉄塔がシンボルとしてありますが、
あちらこちらのモスクから流れて、大合唱のように反響してる。
・ ・・内緒だけど、耳を覆いたくなります。
其の一つの角に「セント・ジョージ・大聖堂」
入り口の鉄の扉には、銃弾の穴が無数に空き、戦争の跡を残してる。
・ ・・だけど、今日だけは目が刺して痛くって
バスへ早く戻り、横になる。
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