音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

クルーゾーは死なず

2009年01月15日 | インポート

Pink_panther

 僕は例外なく笑いというものが好きだ。それも飛び抜けてくだらなくて馬鹿げた笑いだ。人間が生きていくうえで必要不可欠なもの。衣・食・住は今更いう迄でもないだろうが、敢えてそこに付け加えるとしたら笑いの要素だろう。漫才や落語。そしてコメディ映画。でも笑いが心の底から面白いと思えるのは俳優が決して笑わず、真剣な眼差しをして演技している事だ。これはコメディでは意外に重要な要素だと思う。笑わす側の人間が、見る側の人間よりもネタを披露したあとで笑ってしまうと、せっかくのネタの面白さも半減してしまう。これは笑わす側にとっては致命的なミスだ。笑いが本当に面白いのはそこに姑息な計算がないことだと思う。漫才がそうだ。ボケと突っ込み。この永遠の法則があるからこそ漫才は面白いのだ。笑いとは即ち、間違いを指摘する冷静な眼があって、初めて笑いというものがあるのだと思う。

 僕が多感な小学生の頃によく観た「日曜洋画劇場」には忘れられないコメディの傑作があった。なかでもとりわけ『ピンクパンサー』シリーズは秀逸だった。現在のようにレンタルビデオから情報を得る現代と違い、そういった便利なものがなかった頃は、テレビ放映される映画がすべての情報源であり、同時に名作の殆どを日本語吹き替え版によって知る事が当り前の時代だった。だから僕達は『ピンクパンサー』も字幕スーパーではなく、クルーゾー警部といえば、波佐間道夫氏、ドレフュスといえば、内海賢二氏だったのである。そしてあのピンクの豹が登場するお馴染のテーマソングとともにそれが紛れもなくこの映画との親しみ方だったのだ。

 しかしながら、現存するこの日本語吹き替え版が完全なまま残っているものは、第5作目の『ピンクパンサー4』のみだ。だから音声的な欠如を含めいまひとつこの映画を楽しめないのが正直なところなんだが、仮にあの俳優陣(波佐間道夫氏、内海賢二氏)を抜きにして、日本でこれ程知名度を上げるコメディの名作へ伸し上がっていたかはここでは明言を避けようと思う。

 とにかくシリーズでいえば『ピンクパンサー3』でのクルーゾー警部とドレフュスのこのユニークな確執は、トム&ジェリーのそれのように愉快だ。クルーゾー警部殺害を目論み病院を脱走する『ピンクパンサー3』では、「ドレフュスが潜伏する城へ歯科医として潜入するクルーゾー警部が麻酔を吸い過ぎてヘロヘロとなり、笑い過ぎて変装が崩れる場面」に僕は思わず爆笑し、腹が捩れるほど笑った覚えがある。そもそもこの映画は、コメディと銘打ちながらそこそこシリアスな場面も盛り込まれた『ピンクの豹』がシリーズ化になる初めだった。でも第1作目で独特の存在感を露わにしていたピーター・セラーズの演技が認められ、第2作目の『暗闇でドッキリ』からは、ピーター・セラーズが扮するクルーゾー警部が大活躍(?)するドタバタコメディへと路線変更している。それと忘れてならないのが、クルーゾー警部の使用人で奇妙な東洋人ケイトーだろう。ケイトーの吹き替えをしていた千田光男氏(因みにコメディアンのせんだみつお氏とは別人)も独特の雰囲気を醸していた。クルーゾー警部がケイトーと絡むシーン、殆ど対決に近いこのシーンはもう完全にカンフー映画のパロディだ。

 第4作目『ピンクパンサー3』で世界滅亡も企てたドレフュスが、第5作目『ピンクパンサー4』では何事もなかったかのように一線に復帰しているのが前作との繋がりがなく辻褄が合わないが、内容的には第4作目よりも笑いがスケールアップしていてストーリーもかなり凝っていたように思う。残念ながらピーター・セラーズは第6作目製作前の1980年に54歳の若さで他界する。

 第6作目『ピンクパンサーX』は未発表シーンも含めた新撮で製作された追悼作として発表された。

 僕の中ではシリーズ中最高傑作と思っている『ピンクパンサー4』では麻薬マフィアを追い、舞台を香港に移す場面がある。ひょっとしたらシリーズを重ねた何作目かで日本での撮影もあったかもしれないと思うと本当に残念だ。『死亡遊戯』のブルース・リーではないが、死して尚、その偉業を伝説として語り継ぐ俳優が他にいるだろうか。今でもあの喜劇王チャールズ・チャップリンに匹敵する喜劇俳優は、ピーター・セラーズその人だと思っている。

 クルーゾーは死なず…

 その魅力は永遠に霧の中…


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