音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

藤原新也著『なにも願わない手を合わせる』

2007年01月01日 | インポート

 藤原新也氏はぼくが好きな作家である。作品は旅先で撮った写真が添えられたフォト・エッセイの趣きが強く、硬質で骨太な氏の作品を柔らかく包んでいる。本書『なにも願わない手を合わせる』も例外なく氏の持ち味が出ており興味深い。ぼくのBlogは氏の作品を参考に作らせて貰っているので、非常に感謝している。『なにも願わない手を合わせる』は氏があとがきで述べているように死についての出来事が散文的な筆致で纏められている。二十二編のそういった作品の中でひと際ぼくの眼を惹いたのは「死蝶」という題名の、氏が遭遇した不思議な話が語られた作品である。「死蝶」からの引用である。《あの老蝶はあの世の母の遺骨に重なり合った父ではないのか。私は瀬戸内海の小さな静寂の島の一角で、そのあの世の一瞬を映す鏡をじっと見つめていたのではないか……。》さらに氏は老蝶の死の間際の最期の飛翔のあとでまるで時間が止まったように急降下していった老蝶を追って、腰まで生え茂った金魚草の茂みに分け入り、驚くべき光景を眼にするのだ。《しかし次の瞬間、さらに信じられないことが目の前に展開された。死蝶の羽の下に何かその形に似た白い影のようなものがあるような気がして、蝶の羽を持ち、そっと持ち上げてみたのだ。驚きというより不可解な思いに襲われた。死蝶の羽にちょうど重なり合うように、そこにはもう一頭の死蝶が横たわっていたのだ。すでにそれは死んで久しい時が経つものと見え、その羽はちょうど木の葉の葉脈が浮き出るように、羽の筋だけが白く居残ったものだった。》                                           藤原新也氏は旅人である。死者の魂を鎮めたいという想いから四国遍路を旅し、八十八ヶ所を巡礼する。それは殆ど衝動的で賭け値なしの旅だ。氏が遭遇したいくつかの偶然の出来事も氏の無垢な想いが吸い寄せた奇跡かもしれない。_362_3


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