音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

非ハードボイルドな日常

2008年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 ―これから語るメモ的記録は金曜と土曜にかけての僕の行動を纏めたものだ。時々体調が崩れて、いざパソコンに向かうと眩暈や眠気を覚え筆が進まないので、つい2日間の行動を一度に投稿しなければならなくなった。2日分の記事を書こうとすればかなりな量となるし、僕自身そんな体力は持ち合わせていないので、今回ばかりは多少の脚色を交えながら終始辻褄合わせに徹した。「非ハードボイルドな日常」と銘打っているが、文体は限りなくハードボイルドに近づけたつもりである。いつか機会があれば書こうと思っていた憬れのレイモンド・チャンドラー風日誌である―

 日常品などの買い物はなるべくまとめて済ませるようにしている。高騰を続けるガソリン価格。その理不尽とも言える上昇率は怒りの度合いを越えている。朝刊を読む限り、来月にも1リットルが190円となる予想のようだ。きょうは母親を車に乗せて駅前のショッピングセンターへ。屋上の駐車場は平日にも拘わらず満車状態だった。それでもなんとか隙間を見つけて駐車すると、買い物に付き合うことは出来ないので僕は車に残って読み止しの文庫本を開く。横溝正史の『病院坂の首縊りの家』の上巻。少し前から読み始めて漸く上巻の終盤に差し掛かっている。映画でもこの作品はみたけれど文庫で読むのはこれが始めて。映画ではストーリーが凝縮されていたが原作では事件発生から解決まで凡そ20年という歳月をかけている。映画化するに当たってはさすがに原作どおりという脚本には無理があったみたいだ。映画には『犬神家の一族』に引き続き、横溝正史とその細君が出演している。役者としてはずぶの素人なので勿論台詞は棒読みだ。けれどその存在感たるや名だたる俳優陣をも凌いでいた。

 母親を待つ事30分。さすがに車内も炎暑な熱気が籠もり始める。暑さで錯乱する寸前で車外へ逃亡する。ショッピングセンターの中は程よい冷房が効いている。まっすぐ自販機の前に直行した僕はシナモンラッテを購入する。円卓の傍の椅子に腰掛け通路を歩く人を眺める。夏休みという事もあり女子学生の姿が目立つ。女性物の衣類を専門に扱う店には尻の大きな女の定員がいる。そのデカさは半端ではない。尻の大きな女は嫌いではない。しかしそれには条件がある。太ももに豊かな充実感があり、脹脛は細く、足首にしても同様に細くなくてはいけない。あいにくこの店の女店員は僕の理想に反している。

 シナモンラッテの芳香が口一杯に広がる。紙コップの半ばを飲み終えたところで氷を噛み砕く。携帯の時間を覗き込む。すると先ほどより更に30分が経過している。僕は残りを飲み干し1階の食品売り場へと足早に急ぐ。

 午後からは馴染みの散髪屋へ行く。でもその前に腹ごしらえだ。学生の頃によく通った軽食喫茶。軽食と書いてあるが、この店は焼き飯をオーダーすると通常の2倍の量の焼き飯が運ばれてくる地元でも有名な喫茶店だ。学生の頃は店に置いてある大量の漫画本目当てによく通ったものだが、偶々飯を頼んだところ、想像を絶する量の焼き飯が出されたものだから、部活が同じ自称『どか食いの」友人を引き連れてよくこの店に行ったものだ。あれからもうかれこれ20年ぶりくらいにこの店の玄関を潜ったが、内装は殆ど変わらなかったように思う。相変らず客層は、漫画好きの痩せた青白い顔をした男か、もしくはフードファイターのような体つきをした頑健そのものの男達がいて彼らの溜まり場になっている。相当冷房は効いている筈なのに彼らが発する熱気で店内は生ぬるい。むさ苦しい男達に混じって恋人らしい男女がいたが、女の方が店の雰囲気に呑まれて圧倒されながら辺りをきょろきょろ見渡している。男達はご飯を喰う事もそこそこに一様に漫画を読む為に箸を休める。子供の頃はなにかをしながら食事をすると行儀が悪いとよく母親に叱られたものだが、ここではそんなことが平然と罷り通っている。そしてあの頃のように僕は焼き飯をオーダーする。本当は出されたおしぼりで貌を拭くのは汚らしくて嫌なんだけどぎらぎらする貌の表皮が気持ち悪くて、今回ばかりは許し乞うように叩く感じで貌を拭いてみる。

鎮魂歌は歌わない (文春文庫 ウ 20-1) 鎮魂歌は歌わない (文春文庫 ウ 20-1)
価格:¥ 780(税込)
発売日:2008-07-10

 飯が来るまでの間、僕はまたもや鞄の中から読み止しであるロノ・ウェイウェイオールの『鎮魂歌は歌わない』を取り出して読む。この本は完全なるハードボイルドだ。復讐を膨大なエネルギーに変えて疾走する本書は久しくその勢いを失っていたハードボイルドが甦った小説である。これぞ、ハードボイルドをこよなく愛する作家と訳者、それに編集者が絶妙なタッグを組んで築き上げた渾身のレクイエムである。無駄を一切欠いたストレートな文体は、怒りの情念を呼び起こすには充分すぎる風格をしている。ハードボイルド風スタイルを銘打つ姑息な小説が蔓延る中、久々に届けられた本格的なハードボイルド『鎮魂歌は歌わない』が読めるのは至上の喜びである。しばらくするとオーダーした焼き飯が運ばれてきたが、それをみた僕は声には出さないが、歓喜の雄叫びを上げていた。物価高云々はなんのその皿に盛られた焼き飯はあの頃のように桁違いの量だ。値段は680円という激安さ。その量に多少怯んだもののスプーンでご飯を掬い取りながら喘ぎ喘ぎ、山盛りご飯の「山」を削り取って行く。ほかの連中のようにながら食事は無理だと思い無心にその焼き飯と格闘する事30分。漸く完食し終えた皿には一粒の飯も残っていなかった。