後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

善光寺大本願お上人

2017年01月19日 | 神社・仏閣巡り

平成29年善光寺初詣のブログで出仕する大本願上人に出会ったと記したが、鷹司誓玉上人ではなく副住職だった。以前から鷹司誓玉上人が体調がすぐれず副住職が諸行事をお勤めなさっているとは聞いていたが、副住職がどんなお方か存じ上げず初めて拝顔した。
副住職がどんな方か善光寺大本願のHPにもないので、ネットで検索したところ、長野郷土史研究会副会長小林玲子の2008年4月2日の「小林玲子の善光寺表参道日記」にあった。それには副住職に就任された鷹司誓栄尼について次ように記されている。

 ” SBC信越放送で鷹司誓栄尼が大本願の副住職に就任されたと報じられた。2年前(2006年)から大本願で修行されていた誓栄尼。昨年(2007年)秋に、鷹司誓玉上人の養女と
 なられていました。今後はお上人様に替わって、本堂でのお勤めもされるそうです。”

又、一昨年(2015年)の御開帳の際、信濃毎日新聞の浄土宗の中日庭儀大法要に関する記事に次のように報道されている。

   ”善光寺大本願副住職鷹司誓栄さん(52才)が、5月9日に行われる浄土宗の中日庭儀大法要で、103年前に56歳の若さで亡くなった第118世勸修寺勇心上人の袈裟衣を
  まとう。大法要は御開帳の重要行事の一つ。激動期の善光寺と大本願を影で支えながら住職在住は1年と短く、資料がほとんど残っていない勇心上人に対し、
  深く思いをいたしてのお勤めになる。
   誓栄さんは大法要で、導師の大本願住職誓玉上人(85歳)を補佐する。勇心上人着用と伝わる袈裟は、鮮やかな赤の絹地に金糸で聞くや牡丹、桔梗をあしらっている。
  大本願によると、1912(明治45年)の御開帳の時に身に着けたとみられるが、勇信上人は長患いが悪化し、同年6月に亡くなった。”   
   

 

 

 



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