後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

長野市南高田に伝わる「にとはちさま」

2016年11月24日 | 名勝巡り

今春居住地長野市日詰の広報に、日詰が小学校区である長野私立緑が丘小学校の児童による、民話劇「にとはにちさま」という演劇が報じられた。江戸時代の身を賭して農民の
苦しみを救った18歳の青年の話であるという。現在の市内南高田で日詰の隣接する地域の出来事だが、恥ずかしいことに今まで全く知らなかった。
民話劇「にとはちさま」の解説によるとあらすじは次のようだ。(原文のまま)

「江戸時代のことです。松代藩は赤字財政を立て直す為に、藩主真田幸道が籾一俵(五斗三升)は定米(玄米)三斗であると年貢を決めます。隣の上田藩では二斗五升でしたの
 で、かなり重い年貢です。善光寺平の農民は、松代藩に幾度となく減免を訴えるが許されません。そこで江戸幕府に直接訴え出る以外にないと決心しますが、直訴した人の
 家族は全員処刑されるという厳罰を恐れ、先立ちになる者がありません。この時、下高田村(現南高田)に住む助弥という十八才の青年が、農民らの苦しみを救うために立ち
 上がり年貢米二斗八升を実現します。罪を許されて生き残った名主たちは、処刑された助弥や他の名主たちの冥福を祈って善光寺の境内に石塔(千人塚)を建てました。
 また村人は天神社(菅原道真を祭る)と偽って小さな社を建て、弥助の偉業を忘れないように、「にとはちさま」と親しく呼んでいました。これは今も伊勢社の境内に祭られて
 います。また原久司様宅や南高田公会堂にも祭られています。」

 

  ←善光寺東側庭園にある千人塚

      
  説明立札より      
     千人塚(二斗八塚)
  江戸時代初期の慶長年間に起こった百姓一揆の犠牲者の冥福を祈って建てられた塔と言われています。
  また、延宝年間に起こった百姓一揆、二斗八騒動で処刑された人々の供養塔ともいわれています。
   
   

 

 
 

 ←二斗八升神社 

     緑が丘小学校西側にある伊勢社。左方に小さく見えるのが二斗八升神社
    神社右下に添付されている説明文
     二 斗 八 升 神 社
  江戸時代、思い年貢にあえぐ農民を救うため、下高田村(現南高田)に住む助弥という青年が直訴に
  立上がりました。その後、処刑された助弥の偉業を忘れないようにするため、村人は、
  天神社(菅原道真を祭る)と偽って小さな社を建てました。
                                南 高 田 区
 

                               
   南高田公会堂に設置されている助弥の祠     南高田 原 久司様宅に設置されている助弥の生誕地記念碑

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿