後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

長盛会旅行湯田中温泉

2017年11月03日 | イベント・祭り

日詰長盛会(日詰区の老人クラブ)の秋季旅行で10月30~31日1泊2日湯田中温泉へ行って来た。当初参加予定者は31名だったが、欠席者があって参加者26名だった。長盛会の会員は129名だが、何時も30~35名の参加で今回は少し少なかった。長盛会の旅行は春・秋2回で費用も限られるので、旅行先の選定には会長始め幹事の方々は頭を悩ませているところである。

  今回の日程  
     30日:日詰13:00------志賀高原熊の湯散策------湯田中温泉ホテル
     31日:ホテル9:00------(宗)大悲殿「世界平和大観音」------梅翁寺・湯気けぶり地蔵尊-------ホテルで昼食------中山晋平記念館-------日詰帰着    

13時ホテルの送迎バスが迎えに来て、湯田中温泉を通過、志賀高原に向かうが車窓から志賀高原方向の山々を見るに、うっすら雪化粧している。途中雪が降り始め、志賀高原丸池では本降りとなった。紅葉を期待して計画したようだが1~2週間遅かった。熊の湯迄行く予定を変更、丸池から引き返し湯田中の今晩の宿に16時前に到着した。

18時から宴会・夕食、カラオケで盛り上がるが、歌い手が少なく早めの散会となった。

翌30日(宗)大悲殿世界平和大観音・梅翁寺・湯気けぶり地蔵尊を参詣、ホテルへ引き返し昼食を摂り12時半出発、中野市の中山晋平記念館を見学する。
記念館見学後帰途に着く。

 *世界平和大観音

                         
         世界平和大観音                        大  悲  殿                                     大悲殿本尊

            
        大 悲 殿 本 尊            本尊前にある平和の灯(広島平和記念公園の平和の灯から)     世界平和大観音の原型像(本尊の隣に安置)

        
    平和大観音像のから見た境内(中央鐘楼・右大悲殿)               梅  翁  寺                         湯けぶり地蔵尊(通称ぴんしゃん地蔵)
 

  慈救山 梅翁寺(曹洞宗)
  梅翁寺は、寛保中(1741~1743)僧実源により県立された古刹です。湯田中温泉は、俳人「小林一茶」ゆかりの地として
  しられていますが、一茶が、湯治に訪れた際に詠まれた句2「雪散るや 湧き捨ててある 湯のけぶり」にもあるように、
  古くから、こんこんと湧き出る温泉卿として有名です。また、延宝六年(1678)松代藩士、真田幸道公の母君が境内の
  湯口から湧き出る温泉を樽につめ、松代まで八里の道を運ばせたという記録が残されている名湯です。

 びんしゃん 「湯けぶり地蔵尊」
  梅翁寺境内には今も当時からの源湯があり福々と湯が湧いていますが、前庭の一隅に身の丈三尺三寸(1m)ほどの足湯に
  つかるお地蔵様がいらっしゃいます。お地蔵様の肩や腰などを湯に浸した白布でさすることで、温泉の持つ効用が伝わって
  ピンピン・シャンシャンになれるという言い伝えのある、かわいらしいお顔の霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。

*中山晋平記念館
       
                              中 山 晋 平 記 念 館                                        中山晋平之像

  中山晋平之像
  中山晋平は、明治20年3月22日長野県下高井郡日野村(現在中野市)新野に生まれ、幼少にして父に死別し、苦労の中で
  勉強に励み、16歳で小学校の代用教員となったが、18才で上京、島村抱月の書生として師事しながら東京音楽学校(現在
  東京芸術大学)を卒業した。大正3年弱冠27歳で作曲したカチューシャの唄をはじめ船頭小唄、シャボン玉等、歌謡、
  新民謡、童謡の多くの分野の名曲を世にに出し日本の大衆音楽の基礎を築き、昭和27年日12月30日65才で永眠した。
  この像は生誕百年を記念し県立したものであり、この記念館を訪れる人々に温かい心と潤いを与えるとともに、偉大な
  作曲家中山晋平を郷土之誇りとして顕彰するものである。
    1987年 6月
                            中野ライオンズクラブ
                               中野市長  土屋武則 撰書


 


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