後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

談山神社と室生寺旅行 其の一

2017年12月09日 | イベント・祭り

11月30~12月1日オークツアの旅行(1泊2日)に行って来た。参加者は1人での参加は私が1人、夫婦・家族連れや女性2~4人のグループで合計49名であった。

  日程
  1日目: 長野駅東口ーーー途中名神高速草津SAで昼食――春日公園(東大寺・2月堂)ーーー唐招提寺ーーーホテル
  2日目: ホテルーーー談山神社ーーー室生寺ーーー名阪国道(国道25号)・道の駅「針テラス」で昼食ーーー長野駅東口21:00

20年程前、春日公園界隈や室生寺は訪れたことがあるが、記憶は薄れており談山神社は初めてなので参加した。談山神社は紅葉で有名だが今回は既に終わりに近く色も褪せておりi残念だった。10日ほど遅かったようだ。

◎東大寺
  東大寺には 大仏殿法華堂二月堂戒壇堂があるが、駐車場で待っていた専門の案内人が大仏殿と2月堂を案内してくれた。

  *大仏殿

    正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。創建から2度に
    わたって焼失、
鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱と
    した。そのため、創建時に11間
(86m)あったが7間(57m)となった。それぞれの再建された大仏殿の模型も展示されていた。
              現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、
現在でも世界最大級の木造建築であるという。日本の国宝に指定されている。
              
              
安置されている大仏は正式には「盧舎那仏坐像」で「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている

   
  
      
         南 大 門
                                 中 門                        大 仏 殿

                

             
       左脇侍 虚空蔵菩薩                     盧舎那仏坐像               右脇侍 如意輪観音  

   大仏の大き
       座高:14.98m 顔縦:5.3m 手のひら:1.48m 広げている右手:2.56m  蓮華座高:3.04~3.05m


  *展示されていた焼失後再建された大仏殿の模型

                            
                     大仏殿鎌倉期再建時模型(平成16年)         大仏殿江戸期再建時模型(平成14年)
   それぞれ奈良少年刑務所の受刑者が精魂込めて実物の約1/50の大きさに再現したもので全国矯正展で法務大臣賞を受賞したもので、
   所内総合訓練施設木造建築科・
木材工芸科の訓練生30名が製作したものだと説明文にあった。 

  *2月堂  
    旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の
    戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おお
    かんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。
    建物は2005年12月、国宝に指定された。    

             
       二月堂への参道                      二 月 堂                          閼 伽 井 屋  

    重要文化財 閼伽井屋 鎌倉時代初期 
  
 この
閼伽井屋は、修二会に際し毎年3月12日(13日午前1時過ぎ)この屋内にある井戸より
 本尊十一面観音菩薩にお供えする御香水(閼伽
水)を汲む儀式を行うところである。
 天平勝宝四年(752)実忠和尚が二月堂で初めて修二会をおこない諸神を勧請し際、若狭の国の
 遠敦
明神が献じたものであるところ「若狭井」とも呼ばれる。
 現在の建物は、13世紀初期に再建されたものであろう。

 

  

  *2月堂参道脇には東塔跡あり、東塔が復元されるそうだ。大仏殿への参道脇には鏡池がった。

         
      鏡池越しの中門と大仏殿             鏡   池                2月堂参道脇の東塔跡          

 ◎唐招提寺
  
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院で、南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊廬舎那仏
  開基(創立者)は鑑真である。、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財がある。

        
                             大門より金堂を望む                    金  堂        

         
          
講 堂                     鼓楼(舎利殿)

  鼓楼:金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物で、名称は「鼓楼」だが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、
 「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれている。

        
     開山御廟                 開山堂                 鑑真大和上御身代わり像
 

 鑑真大和上御身代わり像:開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため
             現在の位置へ移築された。国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として
             参拝されていたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25(2013)、
             大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶した。

   注
     1.東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、
                     実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始され
た。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
                    修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、
      二月堂の本尊である
十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。(東大寺HPによる)

     2.2日目の談山神社と室生寺は 其の二に譲る。

 

  


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