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後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

同級会

2011年11月01日 | 戯言

10月17~18日小学校と19~20日と1泊2日大学の同級会が続いた。両方とも一年半ぶりで昔し話に花を咲かせ、近況など語り合い楽しい同級会であった。

小学校同級会(場所;戸倉上山田温泉)
 卒業生59名(男性25・女性34)中、現在鬼籍に入られた方19名(男性12・女性7名)消息不明の
 方5名(男性2名・女性3名)で、同級会開催時の生存者は35名(男性11名・女性24名)である。
 
 今回の出席者は8名(男性3・女性5)で寂しい同級会となった。昨年までは半数近くの15名程集まっ
 たが、体調の優れない方が急増したらしい。女性は圏外に嫁いだ方が多く遠方からは中々都合がつ
 かず1名の参加である。

 男性は既に県外在住は1人もおらず、11人全員が近隣に在住している。そのうち病気治療中の方
 7名・ ・健康な方4名で1人は仕事の都合で欠席となった。鬼籍に入られた方1人は同級会の前々
 日に他界  し、そのこともあって気の重い同級会だった。 それにしても昨年までは6~8名 出席し
 ていた男性が急に3名となり、死亡者(含消息不明)が50%を超えたのには愕然とした。
 女性のそれは30%だ。

 傘寿を超えお互い一病も二病も持つようになり、階段の昇り降りに手すりの必要のない人は殆どおら
 ず、体力も衰えのたことを実感した同級会であった。

大学同級会(場所;水上温泉)
 卒業生22名中鬼籍に入れられた5名で23%の死亡だ。例年6~10名が常連の出席だが、この中に
 都合がつかない方・突然の怪我や病で欠席された方が3名おり出席者7名であった。

 翌日谷川岳天神平へロープウエイ(約15分)で行ったが、更にリフト(約10分)で天神峠まで行った
 のは2人だけだった。やはり傘寿を超えると体力の衰えや足腰が弱くなったことは紛れもない事実だ。

 毎年のことだが学生時代の思い出話しに花を咲かせ・近況を語り合い楽しい同級会だった。なかに
 は絵画が好きでリタイヤ後はプロの画家になった者もおり、毎年地元や所属の第1美術会の展覧会
 に見事な100号の油彩を展示している。

 天神平の紅葉丁度見ごろで谷川岳も素晴らしい眺めであった。

     
        天神平下りのロープウェーから

     
          天神峠からの谷川岳  

     
         天神峠の神社と谷川岳

 

 

 

 

 


八十二文化財団の講座

2011年09月28日 | 戯言

八十二文化財団の教養講座「大作曲家たちとピアノたちの歴史」が二回に亘り開催された。

第1回は9月18日 ハイドン・モーツァルト・青年ベートーベンのピアノとは?
第2回は9月25日 月光ソナタや悲愴ソナタはピアノで弾かれなかった?

事前に申し込んであったので聴きに行った。開場はホクト文化ホール小ホールである。講師はフォルテピアノの演奏家・研究家の平井千絵さんで、NHK の「ハイビジョンクラシッククラブ」、同BS2の「クラシック倶楽部」、同教育テレビ「芸術劇場」でおなじみの方である。

恥ずかしいことだが、フォルテピアノは名前は聞いたことがあるが、いかなるピアノか其の演奏家もいるとは知らなかった。チェンバロの次に発明された鍵盤61鍵の楽器で、弦を弾く構造から弦を叩く構造に変更されており、現代ピアノ(88鍵)の前のピアノだそうだ。

現物のフォルテピアノは木製でペタルは無く、ハンマー・鍵盤(白鍵・黒鍵が現代ピアノと色が逆)・弦の張り方、右ペタルの機能は膝で押し上げる構造になっているなど解説があった。
今回使われたフォルテピアノは先生の所有で2003年のオランダ製だそうだ。。、

モーツアルトはフォルテピアノの時代で作品は総て61鍵の中に治まっているのだそうだ。ベートーベンも若い頃はフォルテピアノの時代で「悲愴・月光・テンペスト」はこの61鍵の中だそうだ。
講座の最後には「月光ソナタ」を演奏して下さり、歯切れの良いすっきりした音色で感嘆した。

 

 

 

 


清水寺至宝展

2011年09月15日 | 戯言

長野市内の水野美術館で8月6日から開館10周年特別企画展「清水寺の至宝展」が開かれている。清水寺へは昔参詣した覚えはあるが、神社・仏閣・仏像・古美術に興味があるわけでもなく本殿の舞台しか記憶がない。せっかくの機会なので先日水野美術館を訪れた。

仏像・古美術には全く造詣が無いので感じ入るばかりである。鑑賞に来ている方々は思ったより大勢いたが殆ど中高年で、当然だろうが参詣に来たわけでは無く仏像の鑑賞に来たのだろうから、仏像の前で手を合わせている方はいなかった。しかし僧侶など仏教徒だったらどうだろう。

展示作品は仏像・古美術併せて55点展示されていた。普段清水寺へ参詣に行っても見ることの出来ない秘仏の仏像もあって、それが真近に見られるとは思いもよらないことだ。
展示仏像の主たるものは

本堂; 御本尊十一面千手観世音菩薩立像(秘仏)の御前立立像
     並びに 雷神像・風神像 及び二十八部衆の内 
     摩羅伽王・広目天・増長天・持国天・多聞天・迦楼羅王の各立像

宝蔵殿; 毘沙門天立像・十一面観世音菩薩立像 共に重要文化財

奥の院; 三面千手観世音菩薩坐像(御本尊)重要文化財 秘仏
      
      地蔵菩薩立像・毘沙門天率像 共に脇侍で 秘仏  

古美術では「清水寺参詣曼荼羅」が京都府指定文化財に又、真興筆 縛日羅駄都私記が重要美術品に指定されており、私の目をひいたのは月照上人の書と仏画、及び江戸時代のものだが清水寺境内図屏風・清水寺遊楽図屏風であった。     

10月下旬には京都世界遺産巡りのツアーで比叡山・金閣寺・清水寺・西本願寺を回ろうと思っているので、この展示品を思い出しながら清水寺を参詣するつもりだ。


白内障の手術ー3(最終)

2011年09月06日 | 戯言

8月23日の診察では徐徐に回復、点眼回数は1日4回となった。

2週間後の9月5日再度診察殆ど回復、次回は1カ月後の診察となった。この日の視力は左右とも悪く左0.6右0.4であった。左はレンズを入れ1.0だが右は0.6だった。

このままでも今の眼鏡で特段の支障は無く、従来通りの生活は出来るのだが、1か月後の診察の際今の眼鏡の補正が必要か医師と相談するつもりだ。
兎も角不注意から治癒に普通より1カ月程長期間を要したが無事終わったということだ。


白内障の手術ー2

2011年08月10日 | 戯言

7月26日は左眼の手術の日だが、この日までには右眼の術後の視力が正常に回復するはずと思っていたが、25日になっても遠近共霞んて見える。26日診察前の視力等の検査で右眼0.4だった.近くは今までの老眼鏡では用をなさないのは当然かもしれないが拡大鏡でもはっきり見えない。左眼を手術すれば術後視力が正常になるまで活字が読めなくなってしまう。

左眼は手術しなくとも眼鏡矯正で視力1.0位は確保出来るので相当視力が低下するまで手術はしないほうが得策と考え、この日の左眼の手術はキャンセルした。

前回の診察で術後順調に回復しており時間の問題だと言われ、視力0.7まで回復したのが徐徐に悪くなり0.4まで下がった。この為霞んで見える事や視力の悪化について眼底検査を行った。其の結果はっきりしないので様子を見ることで1週間後8月2日再度眼底検査を行うことになった。

8月2日の眼底検査の結果、眼底が壊れていると診断、注射による治療を行った。この日の視力は1段と悪化0.2である。原因は手術翌日糸が切れる程の圧迫によるものか医師は明言しなかった。翌日は少し回復の兆しが出てきた。3日目くらいから徐々にぼやけが減少良く見えるようになって来た。それでも左眼のようにははっきり見えない。

1週間後9日の検査では視力0.6霞みも大分無くなり、診察では眼底の異常も回復、視力も徐徐に回復するとの事だった。点眼薬2種類に変更された。院内の眼鏡店で、使用中の眼鏡がゆるくなってきたので弦の調整を行い、その際白内障の手術後の眼鏡の作成について聞いたところ、視力が安定し眼鏡を作る時期は術後2カ月以上先だそうだ。

次回の診察は2週間後8月23日になった。多分このまま順調に回復するだろうと楽観することにした。兎も角眼鏡の作成は未だ1カ月先、それまで多少の不便は我慢しなければなるまい。


白内障の手術-1

2011年07月17日 | 戯言

白内障はその原因が加齢やアトピー性皮膚炎・糖尿病などの合併症による発症だが、私は勿論加齢性白内障で老化現象だ。3~4年前から発症してから毎日点眼していたが、治癒するわけでもなく進行を遅らせるだけだ。今年に入り右眼が徐徐に悪くなり医師からも手術を勧められその気になった。

最初6月28日に予約したのだが、25日になって夏風邪か喉が痛く、咳が出るようになった。26日日曜日なので売薬で対処した。翌朝25日更に症状がひどくなり、明日の白内障の手術はおぼつかなくなり、キャンセル1週間延期した。掛かり付けの耳鼻咽喉科で診察・薬の処方を頂いた。翌週の手術までに直さなければと好きな晩酌も止め治癒に努めた。

5日(火)
なんとか風邪も治まり手術を受けに10時眼科医院へ、視力の検査の後瞳孔を開くため点眼し診察を受けた。10時30分病室へ、ベットに入らずロビーでTVを見ていることにした。手術は12時半からだがその間5回の点眼があった。麻酔薬・瞳孔の開く薬・その他計4種類の点眼薬だ。11時30分昼食としてパン食が出た。12時に術後の点眼薬・飲み薬が渡され説明があった。12時10分最初の患者が手術室に入室。

12時35分頃看護師がモニター画面で手術の進行状況を見て、手術室前室へ案内手術室入口で3~4分待ち、40分ごろ入室手術台へ座る。目の局部麻酔で手術が始まったが気持ちの良いものではない。10~15分程度で終わりベットに戻る。13時だった。

化膿止めの抗生物質薬の点滴、約30分くらいで完了。タクシー呼んで帰宅。まだ全く見えない。寝室で休み最初の点眼時間16時、ようやくぼんやり見えるようになる。以降1時間おきに点眼22時に今日最後の点眼で就寝。このころは大分見えるようになる。

6日(水)
朝から大分見えるようになったが左目よりは悪い。今日は3時間間隔の点眼である。午後には明るく見えるようになった。16時検診のため3時40分出発の予定で20分頃点眼した際誤って右眼瞼を圧迫く、傷みが伴い若干出血した。16時の診察で、手術の糸が切れており、直ちに手術、切れた所を再度縫い合わせた。診察予定時間の事故だったので幸いだった。点眼薬を追加され1時間間隔で点眼することになった。明日診察する必要があり9時30分に予約する。

7日(木)
9時30分診察。手術結果良好とのこと。1時間間隔の点眼を続けるよう指示され次回9日の診察となった。夕方の点眼の際又上瞼に若干触れ少々痛みが走った。問題なさそうだが少々心配。

8日(金)
目覚めるとぼやけて翌見えない。予約日は明日だが昨夕の事が心配で早めに眼科に出かけ8時40分に受付。診察の結果異常なし徐徐に回復するとのこと。この時刻には大分見えるようになっていた。

9日(土)
9時半診察、経過良好視力も大分回復してきた。起床時か霞んでで見える野は睡眠中液がたまるためで時間の経過とともに回復するとのことだ。次回1週間後(16日)の診察で点眼は2時間置きに緩和された。不注意から2回目の手術や、点眼液・回数の増加・診察日増加などで、正常の術後の回復より5日程度遅れたのだう。自業自得だ。左眼は26日の予定だがどうするか悩ましいところだ。

16日(土)
予定の診察日で検診の結果は経過良好、次回は26日左眼の手術予定日に検診することになった。左眼は白内障の進行も遅く、今直ちに手術の必要は無いのだが左右の視力や明るさの差異、又何れ手術が必要だとすれば両眼同時期治療も悪くは無いと思い手術することにした。

 


近隣の桜

2011年05月13日 | 戯言

体力も衰え、寒さにも弱くなってきた昨今、昨年末から散歩も控えもっぱら室内で30分のSTEPWELL(15cm程度の段)昇降運動に変えた。暖かくなってきたので散歩も徐徐に再開するつもりで、先日近くの国道18号沿いに桜が見えたことを思いだし行ってみた。芋井神社のすぐ隣で南向塚古墳に10本程の桜があった。古墳があることは聞いていたが史跡の案内板で多少由来が解った。桜は左程見応えのあるものでは無く、長野市内の桜の名所になっていないのもうなずける。

 
       史跡南向塚古墳                          後円部にある馬頭観音堂

 
                         古     墳      の     桜

 
                        近 所 の 邸 宅 の  し だ れ 桜                                    

                                                   


カルチャー

2011年04月15日 | 戯言

昨年度は、趣味や健康の為、太極拳・シルバー健康体操・大人のピアノ教室に通っていた。今年は更に1件追加したいと思い調べたら、月曜日に血液サラサラ健康体操というのがあった。今年度はこれを加え、週4回の教室通いという事にした。どの講座も1回1時間~2時間ではあるが、半日つぶれる。

11日(月)が血液さらさら健康体操の日で、名簿を見ると20名男性は1人だけである。殆どが60歳前後の女性で一寸気がひけるが、バレーの白鳥の湖ではないが大勢の女性ダンサーの中に、年寄りのおじさんが王子様のつもりで踊るのも一興と思い続けることにした。ストレッチ・体操・遊戯など後期高齢者には丁度良い運動である。

ちなみに数年続いているシルバー健康体操は40数名で男性は7名、太極拳は17~8名の内男性3名、専門的なカルチャーは別として殆どのカルチャーは女性が主体である。シルバー健康体操は、先生が専門の教育を受けた若い男性で、遊びがありながらも充実した運動に感じる。

血液サラサラ健康体操の先生は、子供の体操教室(ダンスらしい)でその先生に誘われアシスタントを務め勉強した若い女性だ。、教室の生徒とは女性特有の「おしゃべり」で賑やかだ。ストレッチ・体操・遊戯とあまり「血液さらさら」と直接関係無いと思うが、運動そのものが「血液さらさら」に効果があるのだろうから、良しとしなければならない。 

 


法要

2011年04月10日 | 戯言

27日(日)10時から上山田普携寺で義兄の7回忌法要があった。普携寺は曹洞宗で私の実家の宗派と同じ本山は永平寺である。7回忌は命日から数えて万6年目に営まれ法要で、年回忌は亡くなった翌年に営まれる1回忌、その翌年が3年目を迎えるということで3回忌、以降7回忌・13回忌・23回忌・27回忌・33回忌・50回忌とある。33回忌を年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いそううだ。

平均寿命をまっとうして亡くなった方の33回忌の供養を、連れ合いが営むのは大変難しことだろう。義兄の33回忌は26年後だから、2月に傘寿を迎えた姉は114才で、33回忌法要を営むなら子息ということになるのだろう。

長男子息のはからいで、故人を偲んでの宴席をセットして頂き、上山田温泉の旅館で1泊した。一ヵ月前に姉の米寿を祝う宴席があったばかりだが、ほぼ同じメンバーでカラオケもあって楽しい宴会となった.

法要の後、夕食まで時間があったので、千曲川万葉公園を散策した。公園の中にマレットゴルフ場もあった。日曜日だが公園にはマレットゴルフ1組だけ、他に釣り人が2名だけであった。快晴だが冷たい風が強く、寒い日だったので人出が少なかったのかどうか。

     
                                        万 葉 公 園 - 千 曲 川 河 川敷
    

      
         温泉の開祖の碑                             温泉中興の祖
     坂井量之助翁(1859~1905)                                畑山国三郎翁の頌徳碑(左)

      
                歌詞千曲川の記念碑   平成3年 秋  作詞者山口 洋子

 *マピオン大百科より

坂井量之助
坂井家は江戸時代から続く下戸倉宿の名主。15代目の量之助は明治期には戸長から貴族院議院互選人となった。私財で戸倉温泉を掘削・開湯し、戸倉駅誘致に尽力したが、温泉施設は毎年千曲川の水害で流失して損害を被り、坂井家は2度の破産に見舞われた。1905年(明治38年)に戸倉駅開業を待たずに没した。

坂井家は1596年(慶長元年)以来の酒蔵でもあり、現在も戸倉駅付近で旧家を改装した酒屋として営業している。1760年(宝暦10年)建築の母屋をはじめとして、宝暦、寛政、慶応、明治、大正、昭和期の酒蔵が残され、国の有形文化財に登録されている。

 畑山国三郎
上水内郡牟礼村に生まれ、若いうちから長野市で事業で成功する。坂井の後を継ぎ、千曲川の築堤や架橋、温泉掘削や施設の整備を行い、現在の戸倉上山田温泉の礎を完成させた。

 


傘寿&米寿「年齢と呼称」

2011年03月02日 | 戯言

2月28日は誕生日である。満80歳傘寿という。何時の間にか80歳となってしまった感じである。平成20年の厚生労働省の統計では日本の男性の平均寿命は79.29歳(0歳の平均余命)というから長生きしたという事か。80歳の平均余命は8.49才だから何とか米寿まで生きられそうだ。

2月22日は実姉の誕生日で満88歳米寿である。実姉&長男から米寿のお祝いに招待された。お子さんや、お孫さん等、近親者20名の参加で1泊の祝賀会、楽しい宴席であった。女性の平均寿命は86.05歳だから、88歳では長生きかどうかは兎も角お目出度いことだ。女性の88歳の平均余命は6.61歳だから、平均的には94歳まで生きられが、あくまでも平均だから白寿も十分望める。是非白寿を超えて長生きして頂きたいものだ。

姉は連れ合いが6年前他界し、現在長男夫妻とのんびりと暮しており、東京の娘2人にさそわれ旅行したり、東京の娘の所に滞在したりして楽しんでいるようだ。昨日姉の長男が父の7回忌の法要の案内に、姉を伴って来訪した。4月1日が命日なので3月27の日曜日菩提樹で執り行うとのことだ。故人は米寿を目の前にして他界され残念だった。亡くなった翌日が88歳の誕生日だったそうだ。

高島暦では還暦(60歳)古稀(70歳)喜寿(77歳)傘寿(80才)米寿(88歳)卒寿(90歳)白寿(99歳)上寿又は百寿「もも寿」(100歳)とあるが、Wikipediani によれば108歳(茶寿)111歳(皇寿)120歳(昔寿又は大還暦)等年齢とその呼称は沢山ある。大還暦はかって長寿世界一「泉重千代」を讃えるために作られた言葉だそうだ。