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後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

無線OB会

2011年02月10日 | 戯言

2月4日18時から無線OB会の宴席に久し振りに出席した。無線会は電電公社・NTTのOBで、以前縦割組織の中で、技術系の無銭部門に所属していた信越管内職員の集まりである。元々私は技術系で線路部門であるが、無銭部門にも4年席を置いたので会員になっている。その中で長野周辺の在住者が2カ月に1回集まり懇親している。

後期高齢者の年よりから、昨今退職した60代の方々まで多才な集まりで、2~3年前迄は毎回殆ど出席していたが、年配の出席者も少なくなり、昨年は1回参加しだけだ。これも年をとると、体力・気力の衰えと共に、体のあちこちどこかしら悪くなった結果か。加えて、会員の年齢構成が変化し、たった4年の在職なので、初めて逢う人もいて参加をためらう気持ちも多少はあるのだろう。なかなか楽しい宴席で、これからも出席する気にもなった。先輩風を吹かして言いたいほうだいで申し訳なかった。

 

 


正月あれこれ

2011年01月08日 | 戯言

元旦は何時もと変わらず起床、8時前に「ぞうに」で新年を迎える。東京へ嫁いだ次女が2日帰省、長女は寒気が体調を崩すので、ここ数年正月は帰省していない。3日次女・妻と3人で善光寺へ初詣、相変わらずの混雑である。

4日次女帰京。5日ホクト文化ホールへ、ウィーンフォルクスオーパー交響楽団のニューイヤーコンサートを聞きに行く。テノール・ソプラノの独唱・二重唱や、ダンサーの踊りもあって、楽しい素晴らしい音楽会であった。

6日は既に抜歯したあとの奥歯二本の処置について歯科医院へ行く。入れ歯は初めてで型をとる。二週間後に出来るとのことだ。80(才)-20(本)というが何とか傘寿を迎える今年28本(親知らず2本を含む)の歯が残っている。

7日は人日(じんじつ)の日、七草粥を食べる事から七草の節句とも言うのだそうだ。春るの七草は、

芹(せり)   薺(なずな-ペンペン草の事)   御形(ごぎょう-母子草の事)   繁縷(はこべら-はこべの事)
仏の座(ほとけのざ-田平子の事)   菘(すずな-蕪の事)   蘿蔔(すずしろ-大根の事)

子供の頃見た記憶はあるが、普段食くする「だいこん・蕪」以外は、最近殆ど見たことがない。

7日までは松の内、正月も終わり、門松も外した。今年も頑張って楽しく生きていこう。

    
       善光寺参詣者2001年1月3日本堂から            本 堂            山 門

 
七草籠(墨田区 向島百花園) 「季節の花300 http://www.hana.300.com」より


年の暮れあれこれ

2011年01月01日 | 戯言

年の瀬が押し迫った11~12月の時期は、今年最後の行事や忘年会などで何かと忙しい。。

11月20日大人のピアノの発表会が問御所のキルズバーであった。今回は午後5時からの最後のグループだった。他の先生のグループと一緒に希望者で懇親会を開催した。総勢17人の参加で、和気あいあいと皆さんとお近ずきになれて楽しい懇親会であった。懇親会は、我共のクラスが忘年会の変わりとの思いで発案したものだった。

12月3日は無線OB会今年最後の例会で、大分ご無沙汰していたので出席したかったが所要で欠席。

11日は成人学級の太極拳の忘年会、若槻団地のコートダジュールというカラオケルームでやる。私を除き全員が専業主婦で、会場が生活圏外で夜間の為か、出席者は先生を含め6人だった。カラオケは皆さんお上手で大変好きなようだ。私は3年振りのカラオケである。一足先に最終バスで帰宅。

13日はゴルフの仲間と忘年会、長野駅前「油屋」で7人の参加、何時もの事ながらゴルフ談議に花が咲き楽しい一夜であった。

16日は電電公社OBの長田氏の叙勲祝賀会が、長野駅前ホテルメトロポリタンで開催され出席した。懐かしい方々ともお会いできて良かった。

17日は今年最後のピアノレッスン。例年だと忘年会で最後を締めくくるのだが、今年は11月20日の発表会で懇親会があったので、お歳暮だけにした。

22日は須坂のピアノ同好会「フォルテの会」。これは前のピアノ先生関係の10数人の集まりでで4半期ごと(3・6・9・12月)に集まっている。皆さん日頃の成果を披露しあう会である。

24日のクリスマスイヴは、クリスチャンでもないので何もしない。お坊さんまで参加するドラマまであったりして、クリスマスイヴは全くのお祭りになった。ミサを行うキリスト教の信者の方々はどう思っているのだろう。

30日は「しめ飾り」を玄関に飾った。戦前昭和1桁生まれの我が家は昔からの慣習が抜けないでいる。しめ飾りの飾る日は、29日は「二重に苦労する」とい語呂合わせで、31日は一夜飾りで良くないということで、27・28・30日に飾るのが習しらしい。1夜飾りは良くないという説は、「お正月の飾りというのは福の神を迎えるための準備である。餅も神様にお供えするものなので、余裕をもって準備をし神様をむ迎えるのが良いとされ、忙しい一夜飾りは良くないとされている。」という説と、「お通夜の時の飾りを連想させ、縁起が悪いので一夜飾りは良くない。」という説があるようだ。

晦日ら元旦にかけ、それぞれ神社・仏閣或るいは、両方に参詣するのが日本人の大半の習慣である。子供の頃は実家の近くの武水分神社(千曲市の八幡神社)に2年参りに行ったものだが,成人になってからは全く2年参りの参詣はしていない。

今年は金婚式の年、家内ともども健康で無事に過ごせ何よりであったのだが、それにしても今年の日本は、はらわたの煮えかえる様な普天間基地移設問題・尖閣諸島沖での漁船衝突問題での対応や、疑問符のつく高速料金・農業の個別保障・児童手当等の政策、不透明な政治と金の問題と政権党内の対立等々、全くやりきれない年であった。来年に期待したいものだが、このままでは何とも心もと無い限りである。

 


新聞記事から

2010年11月06日 | 戯言
11月1日の信濃毎日新聞朝刊、掘田力氏の月曜評論「政治家をどう選ぶか」を読んで、胸のつかえが下りた思いがした。マニュフェストが実行出来ないばかりでなく、金のバラマキ・事業仕訳・政治主導・有言実行など、票目当てのパフォーマンスとしか思えない。今の政権政党ばかりでは無い、以前の政党しかりである。政策を見て投票する政党・政治家を選びたいのだが、何とも選びようがない。ではどうするかと常々思っていた処、今回の「月曜評論」である。

要約すると次のようである

個々の政治家はどんな政策を持っているかは、まず解らない。そこでかっては政党によるおおまかな政策による選択だった。そこで何を基準に選ぶか、政策が解らず選ぶとなると候補者の価値観で選ぶしかない。価値観を区分する基準として「自助」「共助」「公助」というのはどうだろう。

「自助」路線は小泉純一郎氏一派で。アメリカの共和党が元祖で、小さな政府、「官から民へ」、あなたの責任で自由にやりなさいという路線である。

「共助」路線はかってなかったといってよい。この路線を明確したのは鳩山由紀夫氏で、「新しい公共」とは共助の事をいう。この路線はまだ熟していないが新しい政治家にはこの傾向を見せる人も少なくない。

「公助」路線は、税金で救済使用というもので次の三つに分けられる。

*旧保守派は、保護して発展した企業から吸い上げた税金を地方や弱小企業に提供し(公助)、発展を図ろうというも 
  のである。

*旧革新派は企業が吸い上げた税金を経済的弱者に提供し(公助)、平等を目指そうというものである。

*ここへ来て、新しい「公助}路線の1派が現れた。新公助派は、育児とか農業など、支援したい一定の層を選んでそ
  の全員に税金を提供するというものである。

ただ、自助、共助、公助の一つに純化する政策はありえず、人により重点の置き方や三者の混合比率が違うに過ぎない。政治家を選ぶ時は、自分の生き方あるいは考え方に似た重点の置き方や混合比率の人を選ぶ方法があるだろう。

以上が掘田力氏の評論である。来年は衆議院議員の選挙もあることなので同感した。評論を参考に一票を投じたいものであるが、果たして候補者が、どのような考えか判断出来るか甚だ疑問ではある。
書き終わって投稿しようと思っていたやさき、今日(11月3日)の朝刊の1面(斜面というコラム欄)に子供手当について、思いもよらぬ事が書いてあった。

要約すると
子供手当1万5千円が自動養護施設に暮らす子供にも対象(当初は対象外であった)にはなったが、実際は以下。
*良好や買い物に使った分を後日精算する。
*本年度中に使うこと、残金は返還する。
*貯金はまかりならぬ。
という国の通知である施設側は困惑する。「本当は積み立てて上げたい。子供にお金が必要になるのは施設を出て自立する時だ。高校までの貯金が多いほど助かる。」手当の増額のまえに、施設で暮らす子供にもきちんと支給されることを法に明記すべきだ。

今まで、こども手当はすべての子供が対象とばかり思っていた。これを読んで唖然とした。今の政治・政策はどうなっているのだろう、次期選挙には、どの党を、誰を、どう選ぶか難しい。

金婚式&江戸東京博物館

2010年10月12日 | 戯言
1.金婚式

10月7日は結婚記念日、今年は結婚して50年目を迎え、嫁いだ2人の娘夫妻が金婚式を祝ってくれた。

百科事典Wikipediaによれば,「結婚式からの経過年数によって名称があり、その名に相応しい贈り物を夫婦間で交換する。」とある。私共は記念日に何もしていないどころか結婚記念日を忘れたことも再三である。

イギリス式では以下のとおりである(Wikipediaより)

  • 1周年:婚式
  • 2周年:婚式、綿婚式
  • 3周年:婚式、糖果婚式
  • 4周年:婚式、(婚式)、婚式(皮革婚式)、書籍婚式
  • 5周年:婚式
  • 6周年:婚式
  • 7周年:婚式
  • 8周年:青銅婚式、ゴム婚式、電気器具婚式
  • 9周年:陶器婚式
  • 10周年:アルミ婚式、婚式
  • 11周年:鋼鉄婚式
  • 12周年:婚式、亜麻婚式
  • 13周年:レース婚式
  • 14周年:象牙婚式
  • 15周年:水晶婚式
  • 20周年:磁器婚式、陶器婚式
  • 25周年:婚式[1]
  • 30周年:真珠婚式
  • 35周年:珊瑚婚式
  • 40周年:ルビー婚式
  • 45周年:サファイア婚式
  • 50周年:婚式
  • 55周年:エメラルド婚式
  • 60周年:ダイヤモンド婚式
  • 75周年:プラチナ婚式
  • ちなみに「平成22年高島暦」の結婚記念日の欄には
     十年錫婚・二十年陶婚・二十五年銀婚・三十年真珠婚・五十年金婚・六十年ダイヤモンド婚
    が記載されている。

    祝賀会場は丸の内ホテル内の「大志麻 椿寿」で、孫(次女の娘)も参加7名で何年振りかで一同に会した。
    加賀料理の会席で美味しく頂きながら歓談し思い出に残る金婚式であった。
    ダイモンド婚式まで生きながらえるか心元無いが精々2人で精進するつもりだ。

    2.江戸東京博物館

     久しぶりに来た東京なので、金婚式当日の午後、長女から聞いていた両国の「江戸東京博物館」へ行ってみた。

    特別展は江戸時代の隅田川及び流域の名所を含む多くの優品として収集された館所蔵の「描かれた隅田川」を中心に、葛飾北済や歌川広重等多数の画家の屏風絵・絵巻・掛物などの作品が展示されていた。

    常設展の5~6階は「寛永の大名屋敷・町人地・棟割り長屋・両国橋西詰・三井越後屋・芝居小屋・助六の舞台、明治からの鹿鳴館・銀座煉瓦街・凌雲閣・朝野新聞社」など、広いフロアーいっぱいに展示されていた。

    企画展は徳川御三家のようには知られていない徳川御三卿(田安・一橋・清水の三徳川家)の各家に残る名品と、三卿の果たした役割の展示説明である。時間がなく詳細に見れ無かった。御3家と同じく将軍家の跡継ぎを輩出する事を目的に創設されたものだそうだ。

                               
          江戸東京博物館    寛永の大名屋敷     三井越後屋江戸本店  凌雲閣(12階)
                         松平忠昌邸
       
           
                     江 戸 城 本 丸 
              左;大広間   中;松の廊下   右;白書院

          
                   隅 田 川 両 国 橋
          
                
                     助 六 の 舞 台                 

    3.旧安田庭園と国技館

    博物館の東隣に国技館その北隣に旧安田庭園がある。旧安田庭園を30分程散策、さほど広くないが綺麗な回遊庭園だ。国技館は相撲博物館を見たかったが時間がなく外観を見るだけ。

                 
       国技館                   旧    安    田    庭    園  

    午後4時半頃ホテルへチェックイン。5時半長女が迎えに来る。6時金婚式場の「大志麻椿寿」へ出掛ける。


    徒然の散歩(3)

    2010年09月08日 | 戯言
    今冬より散歩の変わりにとSTEP WELLを購入し週4~5回程使用していたが、足の負担や体力の事に疑問が生じた。散歩を主にSTEP WELLは補助的に利用する方がよさそうなので、最近より朝の散歩を再会した。

    散歩は自宅から直線距離約1.5Km程度の範囲だが、範囲内の神社は昨年8月のブログで紹介したが12社あった。お寺も気になっていたので今回参詣する事にした。

    先日の散歩でお寺を目標に散策した。風間に藤興寺(尼寺)・常福寺、南高田に西光寺、中千田に瑠璃光寺・観音寺・専福寺・養林寺の計7寺がある。電話帳で調べたところ旧長野市(松代・篠ノ井・豊野戸隠・信州新町等を除く)には善光寺・および関係の院・坊を除き概算135寺ある。近隣で多いのは長野市松代の33寺である。

    今回散歩の範囲、日詰・風間・中千田・川合新田・母袋地域で7寺、神社12社の約半数で少ない気はするが、地域の神社はお祭りなど、何かにつけて祭事に伴う民族行事を地域ぐるみで行う、地域のコミュニケーションの場でもある。お寺は葬儀・お盆・彼岸など、檀家(含墓檀家)にかかわる事が多く、地域ぐるみの仏事などはないので当然か。

    8月に購入した地図には、西光寺の南隣に万行寺・専福寺の南隣に浄願寺が記載されていたが、存在しなかった。住職が居なくなり廃寺となったのだろう。
                                       
                
    曹洞宗 藤興寺(尼寺)      浄土真宗 常福寺        浄土真宗 西光寺

                     
    (浄土宗)瑠璃光寺         浄土宗 観音寺          浄土真宗専福寺
     
       ( )は宗派 未確認 
     浄土真宗 養林寺

    盂蘭盆会

    2010年08月17日 | 戯言
    盆・暮れには実家に帰る風習があるが、今年は娘2人共盆過ぎ18日に来るそうだ。仕事の関係で連れ合いや子供は来れない。私は14日実家にお参りに行って来た。

    先日民放TVでお盆の解説をしていた。私の実家(千曲市桑原)では8月1日を「石の戸」と言ってお墓の掃除をする日となっていた。早朝朝食前お墓を掃除に行くのだが、1年に一度で雑草が生い茂っている。朝食は今は長野の名物となっている「お焼き」であった。何故「お焼き」なのか解らない。現在は殆どのお墓が綺麗に整備され雑草も無く多分掃除をする程の事でもないと思うが、どうしているだろう。

    解説・事典等などによれば、盂蘭盆の語源はサンストクリト語の「ウラバンナ」で、日本語に音訳し倒懸と訳されており、倒(たおして)懸(つるす)ということになる。逆さまにブラ下られる耐えがたい苦しみ、先祖がそのような苦しみにあっているとしたら、どうしても救ってあげたいと思うのが人情です。そのための供養がお盆の行事である。

    8月1日は仏様が西国浄土から帰れるよう、閻魔様が地獄の扉を開ける日だそうだ。1日に冥土を出発13日にたどり着くのだそうだ。扉をあける事から1日を「石の戸」と言ったらしい。又お盆には仏壇にキュウリとナスに4本の足を付けて飾るが、キュウリは馬でナスは牛だそうだ。来る時は早く来るように馬に乗り、帰りはゆっくり帰るように牛に乗るのだそうだ。

    毎年お盆になると、成仏したら何処に埋葬するか考えてしまう。我が家は娘2人とも他家へ嫁いでおり、跡取りはいないのでお墓を作っても後々の維持管理が出来ない。散骨もする場所も難しいので簡単には出来そうにない。
    今年は色々調べてみたら、長野周辺の寺院の中には跡取りのいない人、墓を守る継承者が無い人ても安心できるよう永代供養合祀墓を案内していた。これには永代供養料個人墓・合祀墓等色々な納骨の方法があって一霊15万円~60万円である。善光寺雲上殿は一霊60万円~200万(夫婦家族で300万円もある)で管理費年5千円である。このほか雲上殿では分骨だけの納骨(5万円管理費不要)や信仰されたいた他の方々と共に雲上殿の境内に合葬(1万円)することも出来、管理費等は必要無く永代にわたって預ける事が出来る。

    さて何れにするか迷うところである。あわてないでゆっくり考える事にする。

    最近の新聞記事から

    2010年08月12日 | 戯言
    信濃毎日新聞夕刊1面に「今日の視角」というコラム欄がある。先日「まつりごといじじり」のタイトルで、なるほどそういう事かと、我が身にも思い当たるエッセイであった。 「執筆者:池内紀 ドイツ文学者・エッセイスト」

    要約すると
     {時々旧友と会って夕をともにする。あるころから、それまで話題にならなかった政治の事が話題になるようになった。どうもある年齢になると政治が面白くなってくるらしい。党派性がなく、冷静で、大局的な見方がで出来るようになったのか、どうも疑わしい。要するに世の中の事が解らなくなっただけではないのか。野球・サッカー・テレビ・映画を問わず新しいスターも知らないし、なじみも親しみない。食べ物・飲み物・モード・風俗・不慣れなカタカナ名が横行している。息子や娘に尋ねてもトンチンカンぶりを笑われる。そんな中で政治だけは日ごとに大量の情報が入ってきて、善玉・悪玉風に解りやすく自分も投票というかたちで加わっている。レッキとした現役というものだ。人生の役割のおおかたをすませた世代が、政局に息まき、国の将来を案じたりするのは、少しコッケイではあるまいか。ひそかに盆栽いじりの変形で「政治いじり」と名ずけている。}

    政治以外の他の情報もテレビのワイドショウ・バライテーショウや、週刊誌・インターネット等々で入手出来る筈である。テレビで見るのは報道番組や年寄りに人気のある水戸黄門・特定の推理番組等で、映画やドラマ・歌番組等は殆ど見ておらず、新しスターもアイドルも知らないし、親しみのないのは当然なんだろう。また、次から次と新しいカタカナ語が横行し解らないのには困惑している。先の見えた人生、政治に息まいてもストレスがたまるばかり、全く意味のないことだと解ってはいるのだが、同年代の知人や友人との会食等での話題が何時の間にか政治の事になっている。まさに「政治いじり」におちいっているようだ。

    年寄りの戯言

    2010年07月20日 | 戯言

    19日(月)は祝日、海の日だそうだ。。信州の海の無い県に生まれ育った者にとっては海は想像しがたく、小学校5年生の時(この年から国民学校初等科となった)修学旅行で今の上越市へ行き春日山の山頂で初めて海を見た。その時の感激は今でも忘れず、皆感嘆の声をあげたのを覚えている。観光バスのツアーなどでバスガイドが冗談まじりに長野県人は海をみると感嘆の声を上がる人が多いと言っていた。海の日のいわれも知らず7月にも祝日があるが何んの日だろうと思う程関心が無かった。百科事典ウィキペディアによれば「海の日」とは次ようである。

    *海の日
     海の日は、1996年(平成8年)に制定された日本国民の祝日の1日である。祝日化される前は「海の記
     念日」であった。制定当初は
    7月20日だったが、祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003年(平成15年)から
     7月第3月曜日となった。 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄
     を願う」ことを趣旨としている。国土交通省の文書の記述などによると「世界の国々の中で『海の日』を国民の祝日として
     いる国は唯一日本だけ」という

    *海の記念日
     海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治
     丸
    」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことに因み1941年(昭和16年)に逓信大臣村田省蔵の提唱によ 
     り制定された。
    明治丸はその後、東京商船学校(現東京海洋大学)の練習船として使用され、現在は東京海洋大学中 
     島キャンパスに保存されている。

    祝日が年間15日あるが何の為祝日が制定されたのか釈然としないのがある。成人の日や海の日・体育の日など私にはハッピーマンデー制度とかで、連休を作るため祝日を作ったのではとさえ思える。お勤めの方々には何んであれ祝祭日が多いのは有り難い事だろうけれど。

    毎日が日曜日の者にとっては曜日でさえ忘れかねず、精々旅行の際は高速料金の土・日1,000円の制度による混雑を避けウィークデーにしたい位で、日常は休日とは無縁である。特に「海の日」は世界で日本だけあるとは思いもよらなかった。日本と同じく海に囲まれた英国でさえ無いのにである。


    父の日雑感

    2010年06月26日 | 戯言
    6月第3日曜日20日は今年の「父の日」である。長女・次女の夫妻からお祝いを頂いた。毎年の事だが嬉しい限りである。5月9日は母の日で同じく毎年頂いている。この日がいつ頃何故出来たかも解らず、商魂たくましいデパートや食料品業界などの思惑によるものだろう位にしか考えていなかったので念の為で調べてみた。

    [ 父の日は父に感謝を表す日で6月第3日曜日(その年の6月15日~21日の間にある日曜日)である、1909年にアメリカ・ワシントンのJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。母の日は当時すでにあったので、彼女は父の日もあるべきだと考え「母の日と同じように父に感謝する日を」と考え牧師協会に嘆願して始まった。1916年アメリカ合衆国で父の日が認知され、1972年(昭和47年)アメリカでは祝日に制定された。日本では1950年頃から広がり始め、一般的行事になったのは1980年代である。 

    母の日は日本では、1931年に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節を「母の日」としたが、1937年に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949年ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。なお、5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律(祝日法)では、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあり、その意味ではこどもの日も「母の日」であるといえよう。

    母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ドット夫人が、父の日に父親の前に白いバラを供えたからとされている。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的となっているが、最近ではカーネーションに限らずバラ、ガーベラなども好んで贈られる。]

    両方とも親に感謝する日で親の方からとやかく言う筋合いのもにでは無く、昭和1桁生まれにとって両親にたいしては親孝行が基本で、特定の日に感謝することなど考えもしないし、ましてや国民的行事など全く思いもしないことであった。父の日などは戦後間もなくアメリカの文化に追従し、それぞれの業界の思惑により行事化されたのだろうと思われる。クリスチャンでもないのにクリスマスイヴやバレンタインデーなど正に日本的でないものが、デパート・食料品業界等の思惑の通りになっているような気する。