「あまくさ人のひとりごち」は、本日29日で今年分を終了します。
理由は里帰りするからです。
来年は4日から再開しようと思います。
買い物のために、近所のショッピングセンターに行ってきました。
注連飾りや注連縄が売られている一方で、ガラスに張ってあったチラシには、「元日も平常通り営業します」の文字が。
こんな田舎でも、元日から営業して、商売になるんだ。
近年はどこでも元日から営業を開始する。
店員はいつお正月を祝うのだろうね。
昔は街を歩くと、ほとんどの店が閉まっていて、「三日から営業」「四日から営業」などと書かれた張り紙がシャッターに貼られていたものだ。
今ではそんな悠長なことをすると、売り上げに響くらしい。
お正月の風景を映して、「日本にはお正月があってよかった」とのたまうCMがある。
でも、あんなベタな正月を迎える日本人がどれだけいるのだろう。
おせちを食べて、お屠蘇を飲んで、たこ揚げや独楽回し、カルタ取りに興じ、年賀状を読む。
そんなお正月風景、どこに行ってもあんまり見ない。
ケンタッキーのCMで、みんなフライドチキンを食べて、おせち料理の重箱が全くの飾りと化してしまっているのが象徴的だ。
「日本にはお正月があってよかった」
でも、お正月らしさをみんなでよってたかってなくしてきたのも事実である。
KKC48
今朝も情報番組のトップは飯島愛の死でもちきりだ。
確かに彼女の死はショックです。
ワタクシとほぼ同年代だし。
でも、あんまり彼女のことを大きく取り上げすぎるのもどうかと思う。
世はまさにリストラの嵐。
非正規雇用者は情け容赦なくクビを切られ、あてもなく都会の路頭をさまよっている。
それに対して、政府も大企業も特に目立った動きはしていない。
本来ならそれに対して怒らなくちゃならないのだけれど。
それよりも飯島愛なのだろうな。
そんなことを言いながら結局は飯島愛の話題になるのだけれど、どうして芸能人の夭逝って、変な死に方が多いのだろうね。
尾崎豊、X JAPANのhide、坂井泉水、そして今回の飯島愛・・・。
当時のことを思い出してみよう。
みんなおかしな死に方が多かった。
尾崎豊は、民家の軒下で傷だらけの全裸姿で死んでいた。
hideは不自然な体勢で首を吊っていた。
坂井泉水は病院の手すりから滑り落ちて死んでいた。
そして、飯島愛。
椅子から身を投げ出すように、うつぶせになって死んでいた。
しかも死後一週間ほど経っているため、司法解剖では死因は特定できず、もう少し時間のかかる病理解剖に回されたという。
だから飯島愛の死も、しばらくは各方面から憶測を呼ぶだろう。
自殺だ、いや実は自殺に見せかけて殺されたのだ・・・とか。
そのことで、彼女のカリスマ性はいやがうえにも高まっていく。
それだけはまちがいない。
ただ、それで飯島愛が生前訴えていたエイズの撲滅につながるかどうかはわからないけれど。
昨日のブログで書いた直後、「8時だヨ!」特番見ました。
とはいえ、4時間は長かったので、前半の半分を見て、あとはBRレコーダーで録画したものを見ました。
どのコントも懐かしかったし、面白かったのですが、一番凄かったのはやはり何と言っても「女子プロレス編」。
しかもほとんどガチンコ勝負。
相手は当時実力ナンバーワンのミミ萩原以下、全員本物の女子プロレスラー。
本当にコーナーポストに頭をぶつけ、本当にリングにたたきつけられ、本当にジャイアント・スイングをかまされる。
志村に至っては、ロープに投げられ跳び蹴りまで食らっていた。
女子プロ側もかなり手加減したと思うのだが、「ここまでやるか!」と正直思った。
ほぼガチンコ勝負でありながら、随所で笑いを取るところはさすがはドリフ。
でも加藤茶の指摘があったとおり、レフェリー役のいかりや長介はほとんど何もしてませんね。
フォール勝ちなのに、カウントも取らなかったし。
あはは。
一つ一つのコントについてコメントするとめちゃくちゃ時間がかかるので、印象に残ったところを一つ。
有名な「大工コント」の屋台崩しがあった。
建築中の家が崩壊するあれね。
客席まで木材が倒れかかって、スタッフが必死で止めてたやつ。
ドリフの「屋台崩し」を語るときに、必ずVTRで出てくるあれ。
あれは後片付けも大変だったということが昨日の番組でよく分かった。
直後にゲストの小泉今日子が出てきて歌い出しても、まだ後片付けやってたから。
で、次にああいう特集を組むときには、もっとレアな映像を見せて欲しい。
例えば、志村けんの見習い時代(いわゆる6人ドリフ)とか。
荒井注が存命の時、フジカラーのCMで七福神をやったときに6人ドリフを見たことはある。
それとか「金田一探偵シリーズ」で、いかりや長介が金田一耕助をやってたバージョンとか。
いや、記念すべき第一回放送とか、視聴率50.5パーセントをはじき出したときの回とか。
いっそ、番組内で話があったように、和田アキ子をリーダーにして「全員集合」を復活させるとか。
意外とウケるかも。
ワタクシ、あんまりこのテの番組は見ないけれども、今晩のTBSの「バラエティ番組誕生50周年記念 8時だヨ!全員集合年末スペシャル」はぜひ見てみたい。
4時間という長丁場は、おそらく「8時だヨ!」がらみのスペシャル番組としては史上最長ではなかろうか。
6月にあった「番組発生40周年記念」も、なかなか面白かったので、今度も期待が持てそう。
ドリフ初体験という人も、ワタクシみたいにドリフにどっぷり浸かっていた人も、みんなこの番組を見ましょうね。
「8時だヨ!」は長年見てきた人ならだれでも知っているとおり、荒井注がいた時代と、志村けんが加入して以降の二つの時代に分けられる。
一時期だけドリフの兄貴分のクレージー・キャッツで「8時だヨ!出発進行」という番組が放送されたことがある。
荒井注の脱退と、新加入の志村けん不人気で、番組の人気が下がり、1975年の8月には番組を中断こともある。
今では信じられないかもしれないが、加入当初の志村けんは、全く受けなかったのだ。
1976年に「東村山音頭」が大ヒットを飛ばし、志村けんは一躍人気者になる。しかし、1981年に裏番組で「オレたちひょうきん族」が現れ、「8時だヨ!」人気は一気に下火。ついに1985年、16年間、803回で番組は終了する。
ワタクシは昭和50年頃からリアルタイムで「8時だヨ!」を見だした。
だから、志村や仲本工事がノミ行為で番組に出られなくなった時代も、あの伝説の停電事件も、みんなリアルタイムで見てた。
そういえば「ギロチン事件」なんてのもあったな。
新聞沙汰になった、あれ。
公開生番組なので、今では考えられないようなトラブルや抗議がいっぱいあった。
今なら一発で番組中止だろう。
当時の番組のスタッフやドリフのタフさには驚かされる。
やはり、それだけ番組が面白かったからだろう。
というわけで、番組がもうすぐ始まるヨ、全員集合!
東京タワー50年おめでとうございます。
でも、新東京タワーが2012年にできあがるので、そのときはどうなるのでしょうね。
他の近代遺産のように、観光の名所として生きていくでしょう。
取り壊されることは、よもあるまい。
ワタクシ、今年の一月に東京タワーに行って参りました。
高いことは高いのですが、目の高さにビルがいくつもあって、「ひえー高けー」という感覚はあまりありませんでした。
そういえば外から見たときも、何だか周りのビルに圧迫されて、縮こまっているように見えました。
新東京タワーは、現東京タワーの約2倍の高さなので、またまた東京中を睥睨することができるでしょうけど。
でも、現東京タワーのように、明日の日本の象徴にはならないだろうな。
東京タワーができた昭和33年は、まだ戦後間もない頃で、高層ビルなんてあんまりなかった。
だから東京のどこからでも、東京タワーができていく様が見て取れた。
それを見た人々は、日本の復興が着々と進んでいることを実感したはずだろう。
さて、東京タワーは当時の都内でこれだけ目立つ建物ですから、当然怪獣の襲撃を何度も食らうことになる。
昭和35年、江戸川乱歩は小説「電人M」でタコみたいな火星人を東京タワーの展望台にうねうねとからみつかせた。
そして翌36年、あの「モスラ」が公開。
東京タワーをへし折って、繭をかけるという、映画史上に残る名場面を生み出した。
39年には、「三大怪獣 地球最大の決戦」でキングギドラが引力光線で東京タワーを粉砕。
41年にはテレビ番組「ウルトラQ」でガラモンが東京タワーをへし折る。
42年には「キングコングの逆襲」で、キングコングとメカニコングの決戦場になった。
平成7年には、「ガメラ 大怪獣空中決戦」でギャオスの巣になったし。
どうでもいいことだけど、河崎実の「電エース」では正義のヒーロー・電エースの武器にされてたし。
怪獣にぶち壊された建造物はいっぱいあるけれど、回数的には東京タワーがダントツではなかろうか。
でも、意外なことに昭和のゴジラは東京タワーを破壊してないんだよね。
平成のゴジラはあんまり見てないのでわからないけど。
なんで東京タワーは、そこまで執拗に怪獣の標的にされたのかというと。
やはり首都・東京のシンボルだったからでしょう。
そこでこんなことを考えた。
やせても枯れても、東京タワーは今でも東京のシンボルです。
よもや取り壊されることはないだろうけど、
もし万が一そうなることになったら、
その時はぜひ、
ゴジラに壊させてください。
あまくさ島はキリシタンの島だ。
戦国時代、長崎経由でキリスト教が布教されて以来、ずっとそうだった。
キリシタンの反乱として知られる「島原の乱」は、そもそも始まったのがあまくさだ。
リーダーは、言わずとしれた天草四郎。
当時のヨーロッパ人には、あまくさはとてもメジャーな土地だった。
ヨーロッパ人が制作した当時の日本地図で、やたらとあまくさがデカく描かれているのはそのためだ。
大江天主堂と崎津天主堂が建てられているのはダテじゃないのだ。
日本における活版印刷も、実はあまくさが最初である。
かように、あまくさとキリスト教の関係は、とても深い。
だから、日本で本当にクリスマスを祝っていいのは、長崎とあまくさではないかと考えている。
そこで、「クリスマスならぜひあまくさで!」という構想をぶちあげてみてはどうだろうか。
じゃ、構想が具体的にどういうものになるか。
一晩寝てから考えよう。
p.s.飯島愛が死亡しました。
別にファンではありませんが、彼女が広めた「Tバック」、いろんな意味でお世話になりました。
謹んでご冥福をお祈りします。
元来が筆無精のワタクシ、実はあんまり年賀状を書いたことがない。
メールは鬼のようにしますが。
だいたい小学校の時からしてそうだった。
年が明けて、年賀状が来てから返事を書いていた。
自分宛に一通も来ないと頭にくるくせに、である。
自分勝手なガキだった。
しかし、今年は転居をしたので、お世話になった昔の職場の方々に年賀状を送ろうと思う。
といっても筆にいささかの自信のないワタクシ、横着してほとんどパソコンで書くことにした。
当然こういうときに重宝するのが、フォトショップ。
まず、背景。
昔撮影した牛深の魚貫崎(おにきざき)海岸の画像を加工し、絵画風にする。
さらにその上からピンクのグラデーションをかけて、いかにも新年風を演出する。
次に、「迎春」と「2009」のロゴ。
真ん中に「謹んで年頭の御挨拶を申し上げます」。
それだけでは寂しいので、手書きで一言メッセージを寄せる予定だ。
だけど、ここまで作るのに40枚ほど年賀状を無駄に使ってしまった。
印刷が全て終わってから、上下逆さまだったのに気づいたり、印刷がダブってしまったり・・・。
でも、どうにかこうにか30枚ほど完成品が仕上がった。
明日郵便局に出すとしよう。
でも、一昨日本屋で立ち読みした「週刊プレイボーイ」にとんでもないことが書いてあった。
郵政民営化の影響で、年賀状が元日に届かないかもしれないという。
まあ、あまくさではそんなことはないだろうけれど、ちゃんと届けよ。
(引用します)
客減り燃料高…赤字1億7000万円 マリンビュー
2008年12月21日付熊本日日新聞
本渡~熊本間で高速船マリンビューを運航する熊本市の「熊本フェリー」(森敬輔社長)は二十日、同航路の二〇〇八年度の赤字は約一億七千万円に達し、前年度の二倍以上に膨らむ見通しを明らかにした。
利用客の減少と燃料費の高騰が原因。同社は天草市に対し、〇八年三月末で自社船舶による運航を断念する意向を伝えている。
市には同船の購入なども打診しており、同社は、市の回答を待って年内にも同航路の「運休」か「廃止」を正式に決める。
同社によると、今年四-九月期の利用客は前年同期比20%減の二万二千八百十四人。四月から運休日をなくし、期間限定で増便などにも取り組んだが、年間では前年度を六千人以上下回り、約四万二千人となる見通し。
一方、四~九月期の燃料費は56%増の約六千五百万円。年間では前年度の約三千万円増の約一億二千万円まで膨らむとしている。
県と天草市、熊本市が本年度から始めた年間五千万円の補助で補てんしても、前年度を大きく上回る赤字となるのは必至で、運航断念を決断した。
マリンビュー(一五四トン)は一九九七年就航。百四十人乗りで、熊本港~本渡港を七十五分で結び、一日三~四往復している。(原大祐)
(引用終わり)
マリンビューには一回だけ乗りました。
船自体は早いのですが、乗り継ぎに結構時間がかかり「車で行ってもそんなに変わらないよね」と思いました。
それと往復で5400円てのも、ちょっと高い気がしました。
フェリーでそのぐらいの金額なら「まあこんなものか」と思うのですが、乗るのは人間だけとなれば、割高感は否めない。
マリンビューがフェリーだったらなあ。
もうちょっと利用してたのだけど。
こうなったら、その代わりとしてあまくさに高速道路を作ってほしい。
松橋ICにジャンクションを作って、本渡まで延ばすというのはどうでしょう。
大矢野・有明・本渡にそれぞれICを作って、松島にPAを作るとか。
天草五橋はどうなるんだ! という声が出そうですが、それなら三角でいったん降りて、五橋を渡ってから再び高速に乗るというのはどうでしょう。
それか、五橋を大改造して、高速道路仕様にするとか。
夢のような話ですけど、今ある天草五橋だって、アイデアが出た頃は、夢物語でしかなかったでしょ?
要は熱意だと思うんです。
「日本の宝島」と自負するのであれば、一考の余地ありだと思う。
でも、マリンビューの存続も考えてほしい。
それもこれも、熊本新港が市内からのアクセス面がちょっと悪いからだ。
新港が単なる通過点になっているのも原因だと思う。
新港から九州中どこでも行けるようなネットワークを作ったらどうだろう。
新港~交通センターまたは熊本駅はては熊本空港まで直通の地下鉄を通すとか。
せっかく新幹線も通ることなので、そのくらい思い切ってやってもいいと思う。
大江天主堂から10分ほど南へ下ったところに崎津天主堂がある。
あまくさ下島を顔に見立てると、ちょうど口をあんぐりと開けたような形になるのが羊角湾。
崎津天主堂は大江天主堂とは対照的に、羊角湾に面した漁村の真ん中にたたずむ教会。
いつもなら8時頃にはあちこちの店が閉まっているのだろうけど、この期間は特別らしく、ほとんどの店が開けていた。
駐車場を降りて、天主堂へ行く道は、いつも磯の香りがそこはかとなく漂ってくる。
さすが「日本のかおり100選」に選ばれた地域である。
さて、崎津天主堂。
ここもまさに満艦飾。
さまざまな色の電飾を身にまとった天主堂は、あまくさの夜空に、煌々と冴え渡っていた。
こちらは人の出入りは大江ほどではなかったが、本渡からなら大江~崎津が行きやすいことを考えると、これから大勢駆けつけるのではないかという気がした。
世の中は暗い。
どうしようもなく暗い。
非正規雇用者は容赦なく仕事を追われ、住むところもなく暮れの街をあてもなくさまよう。
そんなことはかつての日本ではなかったことだ。
正社員ですらも、明日は我が身とばかりに縮こまっている。
大学生や高校生の内定取り消しは、今も相次いでいる。
大江や崎津のイルミネーションは、そんな世の中への「貧者の一灯」のように思えた。
それにしては豪華だけど。
来年はもっとキツい年になるかもしれないけど、国や大企業の代わりに、地方自治体や中小企業が困っている人たちを救っているところに、案外この時代の救いがあるのかもしれない。
ここで聖書の一節でも書いてみるとカッコいいけれど。
あいにくワタクシ、そこまでの信仰心も教養もありません。
ではまた。
崎津天主堂付近の地図はこちら。
昨日は家に帰ってからすぐに寝てしまったので、とうとうブログを書けずじまいでした。ごめんなさい。
さて、ワタクシのいるあまくさは、キリシタンの島である。
だから当然、クリスマスは盛大に祝う。
あまくさには二つの教会がある。
天草町大江にある「大江天主堂」と、河浦町崎津にある「崎津天主堂」。
「大江天主堂」は、昭和8年、フランス人宣教師ガルニエ神父によって建てられた。
また、「崎津天主堂」は、昭和9年にハルブ神父により創建された。
施工したのは、どちらも長崎出身の鉄川与助。
いずれもあまくさを代表する観光の名所だ。
ここで毎年恒例のイルミネーションが始まった。
同じイルミネーションでも、教会のそれはまた格別なものである。
というわけで、ワタクシ行ってみました。
天草町高浜から大江、崎津までちゃんとしたバイパスが延びているので、大江~崎津間は車で10分ほどで行ける。
昔は山を一つ越えなければならないので、1時間ほどかかった。
バイパスで大江を通ると、お目当ての天主堂が高台の上にキンキラキンと建っている。
バイパスから旧道へ出てしばらく行くと、大江天主堂の駐車場へ出る。
そこからも結構な天主堂が見えるのだが、やはり間近で見ようということで、高台を登った。
意外とたくさんの車が停まっていた。
教会の真下に、「メリークリスマス」とカタカナが光っているのには笑えた。
教会の中からは、祈祷があっているのだろう、賛美歌が聞こえてくる。
天主堂内部は撮影禁止となっているので、写真には撮らなかった。
どうもこのブログ、写真は一枚しか載せられないようなので、崎津はまた明日。
大江天主堂付近の地図はこちら。