あまくさ人のひとりごち

あまくさ人のひとりごち、つまり独り言です。
撮りだめした写真も併せて載せます。

牛深小森海岸の夕陽

KKC48

第2174回 浦里小の火事 コメントいただきました

2012-09-07 19:46:37 | 甲信越
ワタクシのブログにコメントが届くのはあんまりないことなのだが、
おそらく上田市のご在住であろう、ひかる様より以下のようなコメントをいただいた。
ありがとうございます。

はじめまして、こんばんは。昨夜の浦里小学校の火事ですが、私の家から車で15分くらいのところにあります。今日、午前中、現場を見てきました。本当に上田市の建造物遺産にまでなっていた建物が焼失してしまったのは上田市民として大変残念でたまりません。
私の出身小学校も私は貝になりたい、とかロケをした木造の小学校です。こちらも木造で、浦里小同様かなり古いので火事にならないことを祈るのみです。
遠い、くまモンの熊本より気にかけてくださり本当にありがとうございます。


いえいえ、どういたしまして。
貴重な建築遺産に対しては、距離が近いも遠いもございません。
長野に限らず、ここ九州にもいっぱい近代遺産はありますので、人ごとではありません。
本当に火事は怖いです。
でも、原因が不審火らしいそうで、
もし放火だったら、許せませんね。
放火した奴が捕まったら、新築費用を全額負担させましょう。

それにしても、木造の校舎があるなんて、うらやましいですね。
くまもとでは、とんと見かけなくなりましたよ。

くまもとに限らず、九州全体が近代遺産の宝庫なのにね。

第2173回 ああなんともったいない 上田の宝 浦里小学校

2012-09-06 19:51:45 | 甲信越
「ひめゆりの塔」ロケ地校舎を全焼…不審火か

2012年9月6日(木)13:56 読売新聞

 5日午後10時5分頃、長野県上田市浦野の市立浦里小学校(児童92人、滝沢俊明校長)から出火しているのを近隣住民が見つけ、119番した。
 大正時代の校舎で映画ロケ地として知られる木造2階の旧管理棟(本校舎)約1100平方メートルと、北校舎約1000平方メートルの2棟を全焼し、約2時間後に鎮火した。けが人はなかった。付近に火の気がないことから、上田署は不審火とみて調べている。
 旧管理棟は1924年(大正13年)の建築で、瓦屋根や木枠の窓などが特徴。「ひめゆりの塔」(95年、神山征二郎監督)や「スパイ・ゾルゲ」(2003年、篠田正浩監督)、「私は貝になりたい」(08年、福沢克雄監督)などの撮影が行われた。


木造の校舎って、ホントに味があるよね。
なんかものすごく懐かしいのと同時に、昔生徒だった人たちのなごりが何かしら残っているんだよね。
こういう校舎で勉強をしていれば、校内暴力なんて絶対に起こらない、起こさせないみたいなオーラというか雰囲気というか、そういうものを醸し出しているんだよね。
うん、ワタクシ本気で思うのだけど、
鉄筋校舎を木造校舎にするだけで、日本の教育問題のほとんどが解決するのではないか。
そういう力を木造校舎に感じるのだよね。
特に年数が経った校舎には。

それだけに、浦里小学校の火事は本当に悲しい。
しかもそれが、不審火の可能性があるという。
ということは、放火の可能性もアリということ。
だとしたら、絶対に許せない。
放火した奴に、校舎再建の全責任を負わせてやりたい。

第1369回 どこの誰かは知らないけれど

2011-01-16 09:44:04 | 甲信越
佐渡の「月光仮面」、37年欠かさず小銭寄付(読売新聞) - goo ニュース


 プロレス漫画「タイガーマスク」の主人公などを名乗る匿名の人物からの贈り物が各地に広がる中、佐渡島(新潟県佐渡市)の佐渡東署には、1974年から毎年欠かさず、「月光仮面」を名乗る人物からの“お年玉”が届いている。
 届くのは毎年大みそかから元旦にかけて。昨年も大みそかの夜、同署駐車場の車の上に、青いビニール袋が置かれているのがみつかった。中には1~500円玉で364枚、計1万3687円が入っていた。硬貨ばかりでずっしりと重い袋には、「毎日一枚づつ集めた、小銭です。交通事故などで、困っている人に少しでも役だてば、幸福です」と書かれた紙が同封されており、同署は全額を佐渡市社会福祉協議会に寄付した。
 また、同署から約15キロ離れた佐渡西署管内の交番にも87年以降、大みそかから元旦にかけて硬貨ばかりのお年玉が届いている。今回は1万8553円。手紙には無記名で「交通遺児のために使って下さい」などと書かれており、同署は新潟県交通遺児基金に寄付している。両署とも「目的がはっきりしている」として拾得物扱いにしていない。
 佐渡東署の村越則幸次長は「島の人の温かさを感じる。贈り主は特定せず、これからもそっとお年玉を待ちたい」と話している。
 プロレス漫画「タイガーマスク」の主人公などを名乗る匿名の人物からの贈り物が各地に広がる中、佐渡島(新潟県佐渡市)の佐渡東署には、1974年から毎年欠かさず、「月光仮面」を名乗る人物からの“お年玉”が届いている。
 届くのは毎年大みそかから元旦にかけて。昨年も大みそかの夜、同署駐車場の車の上に、青いビニール袋が置かれているのがみつかった。中には1~500円玉で364枚、計1万3687円が入っていた。硬貨ばかりでずっしりと重い袋には、「毎日一枚づつ集めた、小銭です。交通事故などで、困っている人に少しでも役だてば、幸福です」と書かれた紙が同封されており、同署は全額を佐渡市社会福祉協議会に寄付した。
 また、同署から約15キロ離れた佐渡西署管内の交番にも87年以降、大みそかから元旦にかけて硬貨ばかりのお年玉が届いている。今回は1万8553円。手紙には無記名で「交通遺児のために使って下さい」などと書かれており、同署は新潟県交通遺児基金に寄付している。両署とも「目的がはっきりしている」として拾得物扱いにしていない。
 佐渡東署の村越則幸次長は「島の人の温かさを感じる。贈り主は特定せず、これからもそっとお年玉を待ちたい」と話している。


全国に広がった「タイガーマスク運動」。
それとは別に、佐渡では34年の長きにわたって月光仮面をしていらっしゃる方がいた。
頭が下がる思いである。


こないだ聞いた朝のラジオ番組で、「タイガーマスク運動」が取り上げられていた。
この手の寄付をする人たちは、なぜみんな匿名でなさるのか
それは、日本には寄付文化なるものが根付いていないからだという。
欧米では、政治家や大富豪がいろんなところに寄付をするのが当たり前になっている。
ところが、日本でそれと同じことをしようとすると、
「何か下心があるに違いない」とか、
「選挙目当てでしょ」とか言われて、
逆に白い目で見られてしまう。
あるいはやっかみの目で見られてしまう。
だから匿名にせざるを得ない、と。


一理ある。


ただ、ワタクシはこう思う。
匿名で寄付をするのが日本の文化なのではないか、と。


昔、江戸の町に「ねずみ小僧次郎吉」なる義賊が現れた。
悪い商人の家から金品を盗み、それを貧しい人々に分け与えていたという。
もちろん、「ねずみ小僧次郎吉」名義で。


そういえば、月光仮面やタイガーマスクに限らず、
日本の正義の味方は、たいてい仮面をかぶるなどの変身をしていた。
正体がばれた時が最終回だったりしていた。


そう考えると、日本人には、
「良いことは匿名ですべきだ」というDNAが刷り込まれているのではないか。
と思う次第である。


第1330回 クニマス西湖にいます

2010-12-15 19:10:57 | 甲信越
絶滅種クニマス、70年ぶり確認=秋田・田沢湖の固有種、山梨・西湖で-京大教授ら(時事通信) - goo ニュース


 環境省のレッドリストで絶滅種に指定されている魚「クニマス」が、山梨県にある富士五湖の一つ、西湖で生息していたことが15日、分かった。京都大の中坊徹次教授らが発見、確認した。生息が確認されたのは約70年ぶりで、絶滅したとされていた魚類が再発見されたのは初めて。
 クニマスはサケ科の淡水魚で、本来秋田県の田沢湖にだけ生息する固有種。体長は20~30センチで、体の色が黒っぽいオリーブ色であることなどが特徴とされる。かんがいと発電所建設で田沢湖に強酸性の水が流入したため、1940年ごろに絶滅したとされていた。
 今年2月、クニマスを資料に残そうと、中坊教授が
東京海洋大客員准教授で、イラストレーターでもあるさかなクンにクニマスのイラストを書くよう依頼し、ヒメマスを参考にするようアドバイスした。さかなクンが全国各地から取り寄せ、3月に中坊教授の所に持ち込んだ西湖の「ヒメマス」が実はクニマスではないかと思い、4月に教授自ら西湖で採取。体の色や遺伝子分析などをしたところ、クニマスと判明した。産卵時期も1~3月で、クニマスの特徴と合致したという。
 西湖には35年、隣りの本栖湖、琵琶湖と共に計40万匹分の卵が田沢湖から放流されており、西湖の環境に順応し生息してきたとみられる。
 中坊教授は「生物学者として、これはものすごく面白い魚。絶対に滅ぼしてはいけない。興味本位で捕ったりしないでほしい」と話している。 


まさに和製のシーラカンス。
さかなクンあっぱれ。 



第1279回 高校でクルマが売れちゃった

2010-11-14 18:55:34 | 甲信越
高校学園祭、軽乗用車2台売れちゃった!(読売新聞) - goo ニュース


 甲府市上今井町の甲府商業高で13日、食品、雑貨など様々な商品を売る「甲商デパート」が開かれた。
 学園祭最終日の伝統行事で54回目の今年は軽乗用車を売る店が登場、2台が売れた。
 出店したのは3年4組の生徒たち。「学園祭で車を売った前例はないだろう」と、同高OBが社長を務めるカーディーラー「羽中田自動車工業」(甲府市)の協力で実現した。
 実際の販売業務は同社の社員が行い、生徒たちは営業を担当。事前にチラシを配布したり、来場者に熱心に勧誘したりした。その結果、同高創立109周年にちなんで109万円(諸費用込み)と値付けしたダイハツ・タント(2010年型)など2台が成約にこぎつけた。
 担任の白井茂樹教諭(44)は「車の販売は話題作りという面もあったが、まさか本当に売れるとは」と驚いた様子だった。


くまもとの商業高校でも同様の学園祭が開かれるけれども、
まさか、こんなものが売れるとはねえ。


まあ実際の販売業務はディーラーの社員が行ったそうで、
生徒は営業を担当したそうだが、
それにしても前代未聞。


よし、こうなったらくまもとの商業高校も負けじと、
鉄男・鉄子を相手に、
昔の市電まるごと一両分を売るのだ。


少なくともワタクシは買うぞ。
表示板ぐらいは。 



第1172回 61歳女性 奇跡の生還

2010-09-01 20:05:21 | 甲信越
asahi.com(朝日新聞社):食料たっぷり、天気も味方 北ア・16日ぶり生還の女性 - 社会



 北アルプスで行方不明になった東京都江東区の女性会社員(61)が30日、無事、発見された。3泊4日の予定で出発、足取りが途絶えてから16日ぶりの救助。その生還は幸運が重なった結果だった。


■岩陰、沢歩きの一行が発見
 「助けて下さい」――。沢を下っていた8人パーティーの先頭を歩いていた東京都杉並区のデザイナーの男性(61)は、岩陰から顔をのぞかせて泣き声で訴える女性を見つけてびっくりした。登山道もないこんな場所に、なぜ女性が1人でいるのか、と。
 発見された場所は三俣蓮華岳東面標高1700メートル付近の湯俣川の河原。かつて沢沿いに釣り橋や桟道が連続する登山道「伊藤新道」があったが、30年ほど前から通行不能になっている。水量の多いこの時期、沢登りに習熟した人でないと通れない。
 8人パーティーは、長野県松本市波田の山岳ガイド、木村道成さん(53)が引率する4泊5日の沢歩きツアーの一行だった。木村さんの山仲間でガイドを手伝ったデザイナーは「行く人は極めて少ない場所で、我々が通らなかったら(女性は)ダメだったと思う」と語る。
 発見されると、女性は石に腰かけ、堰(せき)を切ったように自分の行動を話し出した。13日に入山、14日に双六小屋を出て三俣蓮華岳に向かうまき道(迂回〈うかい〉路)をたどり、間もなく迷ってしまった……。
 余りに日がたっている。デザイナーが念を押したが、女性は「(13日に)間違いありません。お盆前に入山しました。メモしてあります」。道を失ってからは、さまよいながら沢を下った。発見現場近くで水に流されたため、動くのをやめ、岩陰で3日間過ごしたと説明した。
 木村さんらはお茶をわかし、コンデンスミルクを入れて飲ませた。メンバーが持っていた残りの食料から、食べやすそうなカステラを渡すと、おいしそうに食べた。
 受け答えははっきりしていた。「食器がある?」と尋ねると、しっかりした足取りで5、6歩歩いて自分で取りに行ったという。    連絡先などもはっきり答え、木村さんが連絡のために1人先行し、下流の山小屋晴嵐荘から警察に通報した。
 双六小屋から三俣蓮華岳に至る登山道は稜線(りょうせん)伝いのルートと、東面の山腹のまき道がある。女性はまき道を行って湯俣川源流の樅(もみ)沢に迷い込んだ、と木村さんは推測する。
 幸運にも、迷い込んだ沢は比較的歩きやすい地形だった。好天気も続いた。女性自身、「天気が良かったのでもった。雨に降られたらダメと思った」と語ったという。発見場所から5キロほど下流の晴嵐荘は28日夕、大雨だったというが、局地的な雨で女性もぬれずにすんだようだ。
 木村さんらは「女性は強いですね。16日間も山中を迷って、なぜあんなに元気なのか」と驚いていた。


■動き回らず、消耗防ぐ


 大町署は31日、松本市内の病院で女性に事情を聴いた。女性は多量の食料を携行していたことや、あまり動き回らず、体力消耗を防いでいたことが分かった。
 14日、双六小屋でラーメンを食べた後、出発。雨で登山道が水浸しになり迷った。18日、手持ちの水がなくなり、沢に下りて岩陰でビバーク。26日か27日に食料が尽きた。
 夜は、替えズボンやヤッケ、雨具上下などを着込み、さらに緊急用の保温シートをかぶって寒さをしのいだ。30日朝、うとうとしていると人の声が聞こえ、思わず「助けて」と叫んだ。「軽はずみな行動からご迷惑をかけ、反省しています」と話し、31日昼前、退院し帰京した。(山田新)


いやあ、よかったよかった。


てか、本当に女性は強い。


なにせ「食料たっぷり」と言っても、以下のような食料だったのだから。



【女性が携行した食料】 バナナ2本▽キュウリ1本▽アルファ化米1袋▽袋菓子2▽あめ20個▽パン2個▽イカの薫製1袋▽ミニドーナツ1袋▽みかん1個▽オレンジ1個▽ゼリー5個▽インスタントみそ汁3▽お茶漬けの素▽栄養補助食品


第1127回 円周率5兆ケタ

2010-08-06 07:13:20 | 甲信越
asahi.com(朝日新聞社):円周率5兆けた、PCで計算 長野の会社員、3カ月かけ - PC・ゲーム - デジタル

3.141592……と続く円周率を、長野県飯田市の会社員近藤茂さん(54)らがパソコンで小数点以下5兆けたまで計算した。計算が正しければ、フランスのエンジニアが昨年末にパソコンで出した記録(約2兆7千億けた)を大幅に更新し、世界一になる。2兆けたの壁を初めて破った筑波大の研究まではスーパーコンピューターが主流だったが、長大な円周率計算もパソコンでできる時代になった。
 計算には近藤さんのウィンドウズ・パソコンを使った。プログラムを作った米国のアレクサンダー・J・イーさんとメールをやりとりしながら、5月4日に計算を始め、3カ月後の今月3日に終了。フランスの計算のときに行われたように、検証のため最終けた付近の32けた(16進法)を別の公式で計算したところ一致した。
 計算で大量のデータを記憶させるため、パソコンには通常の数十台分にあたる22テラバイトのハードディスクを搭載。演算速度などを決めるCPUはインテルの最高レベルのもの(3.33ギガヘルツ)を使った。パソコンの費用は百数十万円かかったが、市販製品でまかなえた。
 近藤さんは高校生のとき、コンピューターによる円周率計算に興味を持ち、「未知のけた」をずっと追ってきた。「フランスでパソコンでも記録が出せるのを知って挑戦してみようと思った。今度は10兆けたに挑みたい」と話す。
 スパコンで世界で初めて1兆けたの記録を作った金田康正・東京大教授は今回の計算について「別の公式で全けたをチェックしていない不完全さはある」としながらも、パソコンの性能が向上して「家庭用のパソコンを使って力ずくで長大な計算が行える時代になったのは確か」とみている。 

パソコン使って10余年 今じゃ信濃の有名人
計算づくめの毎日で 出した円周率5兆ケタ
(サバ云うなコノヤロー)


たぶん上記の替え歌のネタが分かる人は、そうとうなご年配である。

それにしても、円周率である。

円周率を計算するのに血道をあげる人がいる一方で、
円周率を暗誦するのに一生懸命な人もいる。

かように、円周率は、人のロマンをかきたてる。

しかし、5兆ケタまで計算したというのもすごいが、
5兆ケタまでいってもまだ終わりのない円周率っていったい・・・。

 


天草西海岸の夕陽