あまくさ人のひとりごち

あまくさ人のひとりごち、つまり独り言です。
撮りだめした写真も併せて載せます。

第2336回 日曜洋画劇場ついに終幕

2013-03-07 18:12:45 | 映画
「日曜洋画劇場」名称変えドラマなども放送
サンケイスポーツ2013年3月7日(木)08:03

 テレビ朝日が6日、「日曜洋画劇場」(日曜後9・0)のタイトルが4月から「日曜エンターテインメント(仮)」に変更することを発表。1967年のスタート以来、国内外の映画を放送してきたが、昨年からドラマ、バラエティーなども放送するようになったため名称を一新。「(映画の)大作の視聴率が獲れない」と説明し、「引き続き洋画を中心にドラマ、バラエティーも放送していくが、それぞれの比率は決めかねている」とした。


ワタクシとしては「日曜洋画劇場」、
よく今までやってこれたなあ、と思う。
なぜなら、ワタクシ的には淀川長治が亡くなった時点で
「日曜・・・」は終わっていたからだ。
だから、今回の記事も「ふーん」ぐらいにしか思わない。
にもかかわらず記事にしたのは、
久しぶりに淀川長治の名調子が聞きたくなったからで・・・


第2292回 大島渚死去

2013-01-15 19:48:04 | 映画
大島渚さん死去 映画監督
2013年01月15日 熊本日日新聞

 「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで知られる映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。80歳。京都市出身。(共同)


昨年の新藤兼人や若松孝二に続き、
大島渚も亡くなったという。

享年80歳。

平成の初め頃の大島渚は
映画監督と肩書きがついているけれども、
テレビのコメンテーターとしてのイメージのほうが強かった。

しかし、映画監督としての仕事は立派なもので、
60年代や70年代には
日本のヌーベルバーグの旗手として
次々に問題作を発表していった。

日本の黒い霧
青春残酷物語
白昼の通り魔
絞首刑
少年
儀式
愛のコリーダ
愛の亡霊
戦場のメリークリスマス
そして、遺作となった(といってももう10年以上前の映画だが)
御法度

あたりが、大島渚の代表作だろう。

TSUTAYAあたりで借りてくるとしよう。

合掌。

第2288回 キネマ旬報ベストテン2012

2013-01-11 20:42:27 | 映画
2012年のキネマ旬報ベストテンが発表された。

日本映画部門第1位はヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」
外国映画部門第1位はタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」
どちらも、監督名がカタカナ表記ってのが何だかなあ。

以下は次のとおり。
日本映画
第2位 桐島、部活やめるってよ
第3位 アウトレイジ ビヨンド
第4位 終の神託
第5位 苦役列車
第6位 わが母の記
第7位 ふがいない僕は空を見た
第8位 鍵泥棒のメソッド
第9位 希望の国
第10位 夢売るふたり

外国映画
第2位 別離
第3位 ヒューゴの不思議な発明
第4位 ル・アーブルの靴磨き
第5位 ミッドナイト・イン・パリ
第6位 アルゴ
第7位 戦火の馬
第8位 ドライヴ
第9位 J・エドガー
第10位 裏切りのサーカス

キネ旬のベストテンを見て、
「ああ、こんな映画が今年は公開されたんだ」と思う次第。
なにせ後追いで映画を見ているので、
残念ながら1本も見ていない。

それよりも、作品を発表すれば
「シコふんじゃった」
「Shall we ダンス?」
「それでもボクはやってない」
と、必ず第1位になっていた感じのある周防正行が
今回は4位に甘んじてしまったことが一番意外だった。
しかも北野武に負けたのがね。
いやいや、たけしの映画大好きだから、決してバカにしているわけじゃないですよ。

さあ、これからキネ旬ベストテン入りした映画のハシゴをするとしよう。

第2246回 木下恵介 生誕100年

2012-11-28 19:57:03 | 映画
黒澤明監督が男泣き…貴重なエピソードに映画ファンが耳を澄ます

2012年11月24日(土) 16:03 シネマトゥデイ

黒澤明監督の交流を懐かしそうに振り返った仲代達矢

 俳優の仲代達矢が24日、「第13回東京フィルメックス」で開催中の「木下惠介生誕100年祭」トークイベントに出席し、黒澤明監督の映画『七人の侍』にエキストラとして出演した当時の思い出を語った。黒澤作品に数多く出演している仲代だが、初仕事となった同作の撮影ではこっぴどく怒られ「二度と出るか」という思いだったという。

 仲代が映画デビュー作『七人の侍』で初めて黒澤監督と出会ったのは19歳。オーディションでエキストラの浪人役をつかんだものの、街道を歩くわずか数秒ほどのシーンの撮影に午前9時から午後3時までかかったそうで、「カツラを付けて刀を差して歩くのは初めてなのに、『ダメだ。武士の歩き方じゃないぞ。俳優座は何を教えているんだ』って怒鳴られて」と懐かしそうに回顧。「それから7人の侍役の方々をみんな待たせて何回も歩かされまして、終わったのが3時。二度と黒澤組の作品には出ないぞと思いました」と黒澤監督との強烈な初仕事の印象を語った。

 同イベントではMCを木下監督最後の助監督ともいわれている本木克英が務めており、その口からは木下監督と黒澤監督の交友の様子も語られた。黒澤監督と木下監督はデビューの年が同じということもあり親交も深く、生前の木下監督は、黒澤監督について「あんな勇ましい映画を撮っているのに黒澤君ってうちに来て泣くのよ。あんな女々しい男は珍しい」と話していたとのこと。

 黒澤監督が日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』を途中降板させられた際には「悔しがって涙を流していた」、映画からテレビに移行する時期には「『自分はずっと映画を書いてきたから、連続ドラマというもの書けない』と苦しみながら泣いていた」などなど、黒澤監督の人柄がわかる貴重なエピソードが明かされ、集まった映画ファンは深く聞き入っていた。

 「木下惠介生誕100年祭」は木下惠介監督の生誕100年を記念して行われているもので、12月7日まで東劇にて木下監督作品の中から24本を上映。第13回東京フィルメックス開催期間には、その内の19本が英語字幕付きで上映される(取材・文:中村好伸)


木下恵介。
「大曽根家の朝」
「破れ太鼓」
「カルメン故郷に帰る」
「二十四の瞳」
「野菊のごとき君なりき」
「楢山節考」
「喜びも悲しみも幾歳月」
「笛吹川」
「香華」
・・・
小津安二郎とならび、松竹のエースだった。
黒澤明とデビューの年が同じだったこともあり、
二人はよくライバルのように扱われていた。
「男性的」黒澤に対して「女性的」木下。
国内ではどちらかというと(リアルタイムでは)木下恵介のほうが評価が高かった。
面白いのは、キネマ旬報ベストテンで、
木下映画が1位になるときには必ず黒澤映画がすぐ後の順位に来ていた。
1946年 1位 大曽根家の朝  2位 わが青春に悔いなし
1954年 1位 二十四の瞳  2位 女の園  3位 七人の侍
1958年 1位 楢山節考  2位 隠し砦の三悪人

木下恵介はのちにテレビにも進出し、「木下恵介アワー」や「木下恵介・人間の歌シリーズ」を手がけた。
この点、いまいちテレビになじめなかった黒澤明とは好対照をなす。

市川崑はご存じ「木枯し紋次郎」で大人気を博したし、
小林正樹は名作テレビドラマ「化石」を制作した。
ついでに言うなら山田洋次もテレビドラマ「男はつらいよ」を制作し、映画版が大ヒットして・・・

一方で黒澤明でテレビ番組といえば・・・あれ、何かあったっけ?
と思いたくなるくらいに、テレビとは終生ソリが合わなかった。
だって彼の映画には、ついにテレビは登場しなかったからね
それは徹底してたな。
テレビ局開局以前の「酔いどれ天使」「野良犬」「生きる」はしょうがないとして、
開局以降に制作された「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」「どですかでん」「夢」「八月の狂詩曲」にも全くテレビが出なかった。
それだけテレビが嫌いだったのだろう。

そうそう。
木下恵介の話だったね。
残念ながら木下恵介は、今では忘れられた巨匠になりかかっていた。
クロサワやオヅがワールドワイドな存在になったのと対照的にね。
でも、今年は生誕100年である。
これを機に、木下恵介が再評価されることを切に望む。

なるか、世界のキノシタ。

P.S.ここで、木下忠司の話もしておこう。
彼は木下恵介の弟である。
兄の映画の音楽を多く担当し、なかでも
♪おいら岬の 灯台守は~
「喜びも悲しみも幾歳月」は大ヒットを飛ばした。

水戸黄門の主題歌「ああ人生に涙あり」も彼の曲である。


第2217回 マダガスカル・アクティビティ

2012-10-25 20:08:14 | 映画
パニック!ファミリー向けアニメ「マダガスカル3」と「パラノーマル・アクティビティ4」を間違えて上映!

2012年10月24日(水)16:15 (クランクイン!)

 イギリスの映画館で、子供たちを恐怖のどん底に突き落とす、とんでもないハプニングが発生した。
 Cinemablendによると事件が起きたのは、親子連れで賑わう「マダガスカル3」(12)の上映劇場。しかし、胸躍らせる大勢の子供たちを前に、スクリーンに映し出されたのは血まみれの女性!会場は阿鼻叫喚、逃げ惑う子供たちでパニックに。
 実はこの映像、「パラノーマル・アクティビティ4」(11月1日公開)の冒頭シーン。なんと劇場側の手違いで、「マダガスカル3」の劇場に流してしまったのだ。子供を連れて行った観客の1人は上映直前に何か変だと感じたものの、考える間もなく突如血まみれの女性がカメラに向かってくるシーンが映し出されたのだという。その瞬間は「大の大人が飛び上がるくらい驚いた」のだとか。「その場は子供たちの泣き声やら叫び声でいっぱい。もう、みんな出口に詰めかけてたわ。すごく動揺してた。たった2分くらいだったけど、子供たちを死ぬほど怯えさせるには十分だった」。
 劇場側は観客に謝罪し、チケット代の返金にも応じたそう。その後、劇場に残っていた観客は無事に「マダカスカル3」を鑑賞できたという。


うわ~。
こりゃ誰でもびっくりするだろう。
子ども向けの映画と思ったら、いきなりホラーなんだから。

てか、なんでこんなオソマツな事態になるのだろう。
何を上映するのか、ちゃんとチェックしていたのか。

第2213回 さよならエマニエル夫人

2012-10-18 19:37:29 | 映画
エマニエル夫人…シルビア・クリステルさん死去

2012年10月18日(木)18:39 読売新聞

【ブリュッセル支局】映画「エマニエル夫人」(1974年)で知られる女優のシルビア・クリステルさんが死去した。

 60歳。AFP通信などが18日、伝えた。


シルビア・クリステルさん死去=「エマニエル夫人」が世界的ヒット
時事通信 10月18日(木)18時23分配信

【パリ時事】世界的ヒットとなったフランスの官能映画「エマニエル夫人」で主役を演じたオランダの女優シルビア・クリステルさんが死去した。60歳だった。AFP通信が18日報じた。
 6月に咽頭がんの治療を受けた後、脳卒中を起こし危険な状態が続いていた。
 アムステルダム郊外のユトレヒト生まれ。20歳の時にミス・テレビ・ヨーロッパで優勝し映画デビュー。エマニエル・アルサンの小説を映画化した1974年公開の「エマニエル夫人」で、奔放な性生活を送る主演の若妻役に抜てきされた。同作品は記録的ロングランとなる成功を収め、一躍トップスターの座を射止めた。


ああ、若すぎる。
なんと早すぎる死だろう。
シルビア・クリステル死去。
享年60歳。

シルビア・クリステルといえば、イコール エマニエル夫人。
官能映画としては、超異例の大ヒットとなった「エマニエル夫人」。
男性ばかりか、女性にも大いに人気があったという。
とはいえワタクシ、残念ながら未見である。
いつかは見たいな見たいなと思いながら、結局見ずじまいだった。
この機会に、ガッツリ見てみようと思う。

合掌。

第2184回 高倉健も もう81歳か

2012-09-17 19:51:11 | 映画
黒澤映画への出演話を断る=高倉健さん、インタビューで秘話披露
時事通信 9月17日(月)14時51分配信

 6年ぶりの主演映画「あなたへ」が公開中の高倉健さん(81)。監督の降旗康男さん(78)とは、今作を含む20本の映画でタッグを組んだ盟友関係にあるが、1980年代、降旗監督の作品に主演するため、黒澤明監督の出演依頼を断っていた―。そんな秘話を、高倉さんが時事通信とのインタビューで明らかにした。
 「出演できるという話があった」と高倉さんが語る黒澤映画は「乱」。それ以前から黒澤監督の作品に「憧れていた」というが、当時、降旗監督による「居酒屋兆治」の撮影準備が進んでいた。「自分が『乱』に出ると、『居酒屋兆治』の撮影がいつ始められるか分からない」。そう考えた高倉さんは、降旗監督の作品への出演を選んだ。
 「黒澤監督は僕の家に4回来て、『降旗君のところへ謝りに行く(から出演してほしい)』とまで言ってくれた。でも、『二つをてんびんに掛けたら、誰が考えても世界の黒澤作品を選ぶのが当然でしょうが、僕にはできません』と謝った。黒澤さんには『あなたは難しい』と言われました」と、高倉さんは振り返る。
 その後、高倉さんは降旗監督と共に「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」など数々の名作を生み出していく。今回、「あなたへ」で久々の映画出演を決意したのも、信頼を寄せる降旗監督の存在を「もっと多くの人たちに知ってほしかった」からだ。高倉さんの願いはかない、映画は250万人の観客動員が見込まれるヒット作となっている。


ちなみに、高倉健が「乱」で演じる予定だった役は、鉄修理。
主人公・一文字秀虎の次男、次郎の部下。
実際の映画では井川比佐志が演じていた。

西村雄一の本(『黒澤明 音と映像』)にもそのへんの記述が書かれてある。
もしも高倉健がこの役を演じていたら、「乱」の評価もまた変わっていたのではなかろうかとも。





第2177回 黒澤系女子 命日しのぶ 映明忌

2012-09-09 19:48:11 | 映画
黒澤明監督しのぶ「映明忌」 女子大生企画し実現 神奈川・鎌倉
2012.9.5 21:00 ZAKZAK

 日本映画界の巨匠で平成10年に88歳で死去した黒澤明監督をしのぶ「映明忌(えいみょうき)」が命日の前日に当たる5日、黒澤監督の墓がある神奈川県鎌倉市内の寺で初めて開かれた。女子大生を中心とする映画サークルが企画し、黒澤家の承諾を得て開いたもので、立教大4年の苗村佳美さん(22)は「黒澤映画を後世に伝えるためにも、毎年開催したい」と話した。(川上朝栄)

 ■女子大生が企画

 黒澤監督の法要はこれまで近親者らによって営まれてきた。しかし、映画関係者や映画ファンが黒澤監督をしのぶ機会はなく、苗村さんらが「太宰治の『桜桃忌(おうとうき)』、三遊亭圓朝の『圓朝忌(えんちょうき)』のようなものはできないか」と発案。黒澤監督のおいで苗村さんらが通う就職塾を主宰する元記者の高田城さん(67)を通じ、黒澤家の賛同を得たことで映明忌の新設が決まった。「映明」は監督の戒名の一部だ。

 ■常連役者も参加

 鎌倉市の安養院で開かれたこの日の法要には、映画ファンなど約30人が参列。黒澤作品の常連俳優として「七人の侍」など16作品に出演した加藤茂雄さん(87)は「黒澤監督は命がけで映画を撮っていた。あの情熱は現代にも通じるものがあるはず」と語った。また、黒澤監督の長女で映画衣装デザイナーの黒澤和子さんも「父は若い人を育てることを使命としてきた。女子大生が企画したことを喜んでいるはず」とのコメントを寄せた。

 法要後には妙本寺(鎌倉市)で「羅生門」の上映会が開催され、約60人の映画ファンが集まった。

 ■県内に深いゆかり

 「世界のクロサワ」と呼ばれ、海外の映画人にも多大な影響を与えた黒澤監督だが、横浜市緑区に製作拠点となるスタジオを設けるなど県内にもゆかりが深い。

 初監督作品の「姿三四郎」は横浜市西区の浅間神社でロケされ、「天国と地獄」では横浜市内の高級住宅地と暗黒街と化した黄金町一帯の描写が話題となった。

 高田さんは「回を重ねるごとに映明忌は国内外の映画人から注目を集めるはず」と強調し、「映画ファンが集うイベントとしてゆかりの街を元気づけることができれば」と訴えた。


黒澤明と女子大生。
現役時代の黒澤を知るワタクシとしては、あまりにも意外。
黒澤明は女子にウケない。
というのが半ば常識になっていたからだ。

だってそうだろう。
細面のヤサメンイケメンがモテモテなご時世に、
三船敏郎や志村喬といった男臭いキャラが豪快に暴れ回る、
やたらと暑苦しいクロサワ映画なんて、
ひ弱な現代には受け入れられないだろう。
そう一方的に思っていた。
実は今でも思っているけど。

だから、黒澤明の命日をしのぶイベントを企画したのが女子大生ってのが、
いまだに信じられない。

てのは単なる偏見で、
生ぬるい邦画しか見ていない世代にとっては、
黒澤映画はとてつもなくカッコイイ映画に見えているのかも。


第2117回 40年目のマジンガーZ対デビルマン

2012-06-21 20:08:43 | 映画
『マジンガーZ』兜甲児と『デビルマン』不動明が握手! 39年ぶりに夢の共演

2012年6月20日(水)22:30(マイナビニュース)

今年で生誕40周年を迎えるロボットアニメの金字塔『マジンガーZ』の劇場版7作品をコンプリートした、シリーズ初のBlu-Ray『<初回生産限定>マジンガー THE MOVIE Blu-ray 1973~1976』の発売を記念し、『マジンガーZ』の主人公・兜甲児役の石丸博也と、『デビルマン』の主人公・不動明役の田中亮一が20日、東京・麻布十番のアオイスタジオにてコラボCM(7月よりオンエア開始予定)のアフレコ収録を行い、再び共演を果たした。

40年経った今もなおファンから愛されている『マジンガーZ』と『デビルマン』の2作品だが、両者の共演は1973年に劇場公開された映画『マジンガーZ対デビルマン』以来39年ぶりのこと。石丸は「デザインがいいね。くどくないし、すっとしているのにかっこいい。大人でもおもちゃ屋へ行くと"あれ?"って思っちゃうデザインだよね」、田中は「『デビルマン』は夜8時半頃からやっていたアニメだけど、ちょっと色っぽくてエッチな感じもあった。当時としては異例であり、新しさもあり、面白かったんじゃないかな」とそれぞれに作品の魅力を語り、時折当時を懐かしむ様子も見せていた。

本作が上映されていた1973年は、昨今のようにアニメ1本で劇場版が制作されることはなく、数本を集めて春や夏に「東映まんがまつり」としてまとめて公開していた時代。石丸は「大作で2時間やるっていうのは最近の話で、当時はマスコミだって騒ぐわけじゃない。普通のテレビ映画と同じくらいの感覚でやってたよね」と明かし、アニメにまだ日が当たりにくかった当時を振り返る。若手声優自体が非常にまだまだ少ない時代でもあり、田中が「俺らがやってたころは、まだ神谷(明)とか古川(登志夫)はまだいなかったの。もう少し後の話。だから俺が『デビルマン』を"やれた"みたいなもん。少年の声が出せるっていう理由で使ってもらったのね。そういう幸運があることはある」と語ると、石丸は「まぁ時代だよね、今だったら一発でクビだね」とつっかかって報道陣の爆笑を誘った。

また、アニメーターや声優のギャラを上げ、業界の活性化を図るため日本俳優連合にも所属していたという石丸は当時の苦労話も明かす。「アニメ1本のアフレコが3,000円だからね。アルバイトの3,000円は手取りだけど、アフレコはそこから税金や事務所の手数料で4割くらい引かれる。こんなひどい世界はないよ。そのためにストやデモもやってきた。『マジンガーZ』で機械獣に叫んでいた台詞は心の叫びでもあるな(笑)」と冗談めかしていた。

紆余曲折ありながらもここまで声優を続けてこれた石丸。その理由は、やはり好きだということにつきるという。「それしかなかったから。他へ行ったって何もできないから。そこにしがみついて一生懸命がんばるしかなかった。俺みたいな下手なやつでもがんばればうまくできるようになる。好きになればうまくなっていくものだよ」と話し、最後には好きなことだったらなんでもいいから、ずっと続けてみろ!ってことだね。子供たちに言いたいことは……いや、孫にだな」と若者たちへエールを送った。

そして田中は、劇中でマジンガーZのヒロイン・弓さやかが本編最後に語った台詞を引用して「『デビルマンはいつまでも私たちの心の中に生き続けるわ』って台詞があったけどさ、そういう思い。ずっとみんなの中に生きていることがありがたく、幸せだと思います」と最後にファンへの感謝を述べた。

『<初回生産限定>マジンガー THE MOVIE Blu-ray 1973~1976』の発売日は10月21日。本作には、1973~76年に「東映まんがまつり」で上映された『マジンガーZ対デビルマン』『グレートマジンガー対ゲッターロボ』『マジンガーZ 対暗黒大将軍』、そしてスーパーロボットたちが大集合する『決戦! 大海獣』など劇場用オリジナル作品を収録。また、実際のCMで不動明の「珍品・傑作が粒ぞろい!」というナレーションのとおり、ボーナスディスクには、『これがUFOだ! 空飛ぶ円盤』のほか、『ゲッターロボ』や『UFO ロボ グレンダイザー』などブローアップ5作品も完全網羅されている。Blu-Ray化にあたり、新たに擬似5.1ch音声を収録(一部作品を除く)、シネマスコープサイズで製作され、作品をこれまでになく楽しめる内容となっている。


マンガの実写化がはやる昨今。
ワタクシが激しく実写化を希望しているのが
この「マジンガーZ」だ。

しかし、ヤワな実写化だけはしてほしくない。
サラサラ~なマジンガーZなんて、見るに堪えない。
マジンガーZは、無骨なのがいいのである。
空にそびえる鉄の城でなければならないのである。

別にCGでかまわない。
マジンガーらしさを出してもらえれば。

それができなければ、実写化したって無駄の無駄。

第2091回 新藤兼人監督死去

2012-05-30 20:03:40 | 映画
「裸の島」「原爆の子」、新藤兼人監督が死去

2012年5月30日(水)16:10 読売新聞

 「裸の島」「原爆の子」「一枚のハガキ」など数々の名作を残した脚本家で映画監督の新藤兼人(しんどう・かねと、本名・兼登)さんが、29日午前9時24分、東京都港区赤坂の自宅で老衰のため死去した。
 100歳だった。告別式は6月3日午前11時30分、港区芝公園4の7の35増上寺光摂殿。喪主は次男で近代映画協会社長の次郎氏。
 同協会によると、最近は寝たきりの状態が続いていて、29日朝、容体が急変、孫の 風 かぜ さんが医師を呼んだが亡くなっていたという。
 広島県生まれ。1934年に新興キネマに入り、後に松竹に移った。「安城家の舞踏会」(47年、吉村公三郎監督)などの脚本を担当し、50年に吉村監督らと近代映画協会を設立、独立プロの先駆けとなった。
 51年に亡き妻との生活を基にした「愛妻物語」で監督デビュー。主演の乙羽信子さんとは、乙羽さんの遺作「午後の遺言状」(95年)まで、公私にわたるパートナーだった。反戦・反核を貫き、52年に「原爆の子」を発表。2011年公開の遺作「一枚のハガキ」も戦争体験を基にしている。海外の評価も高く、60年には「裸の島」でモスクワ国際映画祭グランプリを受賞した。02年に文化勲章受章。


ワタクシ、映画はけっこうたくさん見ている方なのだけど、
新藤兼人監督の作品はあまり熱心に見ていない。
それでも、「裸の島」や「裸の十九歳」は見ている。

だからあんまり新藤監督のことをあれこれ評する立場にはないのだけど、
100歳になってからもまだまだ映画に対する情熱は衰えなかったと聞く。

またひとり、戦後の映画界を代表する巨匠が亡くなってしまった。

合掌。