あまくさ人のひとりごち

あまくさ人のひとりごち、つまり独り言です。
撮りだめした写真も併せて載せます。

牛深小森海岸の夕陽

KKC48

第573回 天草大陶磁器展はじまる

2009-10-31 19:54:41 | あまくさ


若手が主役…街中ギャラリー開幕 天草市本渡│ くまにちコム


あまくさで秋の風物詩となった感のある「天草大陶磁器展」が今日から開催された。
で・・・ちょいと行ってこようかと思ったが、他に用事があったので今日は行かなかった。


実はあまくさは、陶磁器の「聖地」である。
日本における陶磁器の始まりは、佐賀県の有田焼が始まりとされているが
実は2番目は「あまくさ」なのである。
それに、あまくさで採れる「天草陶石」は世界的な逸品。
全国の陶石生産量の8割を占めるという。


よって、あまくさには下島を中心にたくさんの窯元がある。
だからこういう陶磁器展が開かれるのだ。
有田の陶磁器市にはまだまだ及びもつかないが
これから発展していきますので、どうぞよろしく。


「天草大陶磁器展」のHPはこちら。
 



第572回 女子プロ野球トライアウト

2009-10-31 08:40:27 | スポーツ

女子プロ野球のトライアウト、71人が参加(読売新聞) - goo ニュース


関西に女子プロ野球が誕生する。
それで昨日トライアウトが行われ、71人が参加したという。
ちょっと気になったので、日本女子プロ野球機構のHPを見てみた。


それによると、女子プロ野球チームを立ち上げたのは
「競技環境が恵まれているとは言えない中、一生懸命に野球に取り組む女子野球選手を見て、野球に専念し、生活できる場を創りたい」
「女子野球を普及・発展させる」
(上記HPより)
のが理由だそうだ。


たかが女子野球とバカにするなかれ。
野球がやりたくてもできないので、他競技に転向する選手が多いとか。
そういった選手がソフトボールのチームを作って、
オリンピックに出場して、
それでどうなったか。


以前、テレビで女子の高校野球を見たことがある。
男子のそれ以上にひたむきで、かつファイト溢れるプレーだった。
つーか、男顔負けだった。


現在作られつつあるチームは2つ。
京都市を本拠とする「京都球団」とあと一つ。 


年間40試合ほどこなすという。
頑張れ。
ところで、いくらなんでも2チームではさみしいので
あと2チームぐらい近年中に作りましょう。

ところで、当ブログでたびたび取り上げた
吉田えりとか
片岡安祐美はこのリーグに合流しないのだろうか。

日本女子プロ野球機構のHPはこちら。


第571回 57歳 ずっと無免許してました

2009-10-30 20:33:41 | できごと

40年間無免許で運転、57歳の男ついに御用(読売新聞) - goo ニュース


すごい話だ。
だって40年間、ずっと無免許だよ。
いや、やったことは確かに悪いことだと思うけどさ。
それより40年もの長きにわたって無免許運転できたという事実にびっくりだ。


その間、ただの一回もばれなかったのだから
このオジサン、よほどの優良ドライバーだったにちがいない。
ただ一つ、免許を持っていなかったことを除いては。


と思っていたら、こんな記事を見付けた。


国立大研修施設職員 約40年間無免許で運転?(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース 

あれれ・・・職業不詳って読売の記事には書いてあったのに。
国立大の研修施設職員とは、ずいぶん結構な身分である。


それにしても。
40年間も無免許で運転していたら、いったいどういう罪になるのだろう。


「自動車学校で運転免許を取得しないと実刑にするぞ」とか。


第570回 三遊亭円楽死去

2009-10-30 20:22:51 | 芸能

落語家の三遊亭円楽さん死去 - MSN産経ニュース


だいぶ前の話になるが
昭和40年代に大ブームになったGS
すなわちグループ・サウンズのメンバーを主役にした映画を見ていたら
ナルシストの警部役で三遊亭円楽が出てた。
この警部、女性にもてることを自慢にしていたという設定で
それを楽しげに演じていた円楽師匠の姿が印象的だった。


あとになって知ったのだが、
当時の円楽師匠は「星の王子さま」という愛称で売り出すほど
イケメンキャラで通っていたという。


「笑点」でみんなから「馬、馬」とバカにされていた円楽師匠がなじみだったワタクシにとっては、ちょっと意外な感じがしたが。 


その円楽師匠が死んだ。
ワタクシにとっての円楽師匠は、やはり笑点のレギュラーという印象が強い。
桂歌丸同様、笑点の第一回からのレギュラーメンバーで
途中「落語に専念する」と言ってレギュラーを降りたことがあったが
急死した三波伸介に代わって笑点の司会の座に。
以後23年間にわたって笑点の司会を続けた。


途中「若竹」という寄席を作るも、平成元年に閉鎖。
その当時、よくこのことがネタになってたっけ。


どんな答えにも「ガハハハハ」と大笑いして
そのくせ座布団を取り上げたりする姿が印象的だった。



【円楽さん死去】三遊亭楽太郎さん「ただただ悲しい」 - MSN産経ニュース


「腹黒キャラ」こと三遊亭楽太郎は、ご存じ円楽の弟子。
来年6代目円楽を襲名することになっていた。
心中はいかばかりであったろう。



【円楽さん死去】三遊亭円歌さん「ショックで頭がパニック」 - MSN産経ニュース



【円楽さん死去】「笑点」の日テレが追悼特番 - MSN産経ニュース


とにかく今はひたすら合掌するのみである。
 


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第569回 ライオンズ菊池誕生か

2009-10-29 19:22:40 | スポーツ

花巻東・菊池、西武が交渉権獲得…6球団が競合(読売新聞) - goo ニュース


今年のドラフトの星・菊池雄星。
結局は6球団が競合し、埼玉西武ライオンズが交渉権を獲得した。
イマイチ影が薄かったライオンズにとっては朗報であろう。


もっとも、交渉権を獲得しただけで、正式入団には至っていない。
とはいえ、「ユニフォームで野球をするわけではない」と言ってた彼のことだから
スンナリ入団を決めることだろう。


菊池雄星はどうコメントしたかはこちらをクリック


で、その菊池とセンバツで投げ合って優勝した清峰の今村猛は広島が1位指名した。
夏の大会で菊池と投げ合って敗れた明豊の今宮健太はソフトバンクが1位指名。
春・夏を湧かせた選手たちがこぞってプロ入りする。
彼等はいずれ、「菊池世代」と呼ばれるようになるのだろうか。


第568回 酒井法子に読ませてみよう

2009-10-28 21:37:09 | ワタクシごと

前回のブログに対し、
とある介護士からこんなコメントをもらった。


私はある施設で介護士として働いている者です〓報知新聞に酒井被告が介護の仕事をしたいと書いてあったが私を含めスタッフは反対もしくはふざけるなといってます〓介護はいわゆる3K(キツい、汚い、危険)といわれるほどです〓罪滅ぼしか何かわかりませんが上のブログのように仕事は大変です〓また給料も安いです〓

酒井法子がどういう理由で介護士になりたいと考えたのかは定かではないが
とてつもなく唐突な感じがするのだよね。
上記の介護士氏が嘆くのもうなずけるような気がする。


介護の仕事はこれだけすさまじくリストラが進む世間にあって、すさまじく人手不足が問題とされている分野である。
理由は簡単。
恐ろしく仕事がハードで、かつ給料が安い。


ワタクシが数年前実習をしたホームで、体にコルセットを巻いた職員がいた。
理由を聞くと
「介護の仕事は基本的に立ち仕事なので、こうしてコルセットでも巻いていなければやってられない」
とのことだった。



酒井被告が女子大生に 介護志望は本気(日刊スポーツ) - goo ニュース
酒井被告 通信制で介護の専門学校に入学へ(スポーツニッポン) - goo ニュース


前回のブログで書いたとおり
酒井法子が介護士を目指しても別に構わないんだよね。
ただ、どこまで本気で考えているのかどうか疑問だというだけだ。


メディアも疑問なのだろう。
だって、彼女が進学するところが「大学」なのか「専門学校」なのかズレが生じているわけだから。


ところで、久しぶりにというかまたまたというか。
オバKのT太郎からこんなメールが届いた。


今年の日本シリーズは巨人が4勝2敗でいただきですわはははは


いつもの馬鹿通信だが。
今までのと違うのは。
そうならなかったら、今度会ったときに中華のフルコースをおごってくれるそうだよオバKのT太郎が

ずいぶん太っ腹ではないかT太郎。
腐れ縁なだけの甲斐はある。
そういえば、福岡に10万円のコースがあるそうだから
とりあえずそれで。 



 



第567回 酒井法子 介護士になるというけれど

2009-10-28 19:40:58 | 事件

「糞尿の処理できるのか」…酒井被告に現場から厳しい意見(スポーツニッポン) - goo ニュース


介護の仕事はハードである。
数年前にワタクシ、介護実習をしたことがある。
わずか5日間の実習だったが、メチャクチャ大変だったのを覚えている。


ちなみに、ワタクシが行った老人ホームは二階建て。
一階がデイサービス。
二階が特別養護用である。


デイサービスとは、
日中だけホームに預かるサービスのことである。
だから毎日、車で迎えに行かなければならない。
車は特別仕様のライトバンである。
何が特別仕様かというと、車いすのまま乗せることができる装置がついているのである。
ホームに着いたら、まず手を消毒。
そして、レクリエーションである。
レクリエーションといっても、氷川きよしの歌に合わせて手を握ったり足を上げたりするだけのもの。


それが終われば昼食になる。
デイサービスの利用者は、自分で食事できる人がほとんどなので、
やることと言ったらお茶をついでまわるくらい。
それからお昼寝。
ぼちぼち「水戸黄門」を見て
午後4時過ぎに車で家まで送る。


特別養護用は
いわゆる「寝たきり」や重度の認知症を抱えた方たちがほとんどである。
だから日常的な動作がきわめて困難である。
したがって、すべてにわたって介護をしなければならない。
食事、入浴、そして排便・・・。
ワタクシはそのうち、食事と入浴の介護を体験したが
ひどく大変である。
食事一つ取っても、一人ひとり食べるペースが違うので
それに合わせて食べ物を口に運ばなければならない。
また、利用者によっては咀嚼が困難な方もいる。
そういう方のために、食べ物もペースト状になっている。
「2001年宇宙の旅」における、宇宙船内での食事風景を思い出した。

入浴介護はもっときつい。
自分で湯に浸かれる方はよいとして
そうでない方は、服の着脱から体や髪を洗うまでを、全てこちらがしなければならない。
しかもそれぞれ入浴スタイルが違うときている。
湯の熱さは、熱すぎてもダメ、温すぎてもダメ。
気を遣うことこのうえない。


排泄は・・・・。
何しろしまりのない方ばかりなので、オムツがはずせない。
一回オムツの取り替えに立ち会ったことがあるが、
ワタクシだったら、うまくできるのだろうかと思った。


わずか五日間の実習でも、ハードだったのである。
蝶よ花よのタレントだった酒井法子に、果たして耐えられるのだろうか。
現役の介護士でも「?」と感じているし、ワタクシも疑問だ。
介護士になるのは勝手だが、介護士の大変さがどれほどのものか分かっているのだろうか。
単に執行猶予を勝ち取るための手段だったとしたら、これほど介護をナメた話はない。

よって、提案。
執行猶予期間中に、都内某所の特別養護老人ホームにインターンとして働いてもらう。
もちろん、昼夜交替制で。


どうせ専門学校だか大学だかで実習することになっているのだ。
これぐらいのことはやってほしいものである。



 



第566回 阿蘇山に雲海

2009-10-27 20:10:15 | くまもと

幻想的なベールに覆われ…阿蘇・南郷谷で雲海│ くまにちコム


あまくさもめっきり冷え込むようになった。
車のウインドは露にびっしょり濡れるようになったし。
朝晩などはどうかすると、吐く息が白くなる。


昔いた人吉・球磨は今頃霧が発生していることだろう。
朝霧が発生すると、その日は必ず晴れる。
ただしその霧の濃さたるや、ハンパではない。
数メートル先が見えなくなるくらいなのだ。
だからこの時期、この地域では頻々として事故が起こる。


秋もだいぶ深まった。


阿蘇では雲海が発生したそうだ。
実はワタクシ、くまもとにいながら阿蘇の雲海を見たことがない。
あまくさの海なら飽きるほど見ているけどね。


そして今は紅葉の見頃である。
去年片道5時間かけて、八代は五家荘に紅葉を見に行った。
今年はどこ行こう。
そうだ、島原は雲仙に行ってみよう。 



第565回 工藤公康47歳、まだまだいきます 

2009-10-26 20:56:45 | スポーツ

工藤が西武へ、古巣で47歳現役!(日刊スポーツ) - goo ニュース


あぶさんは62歳まで現役だった。


工藤公康はどこまで行くだろう。


昔、浜崎真二という人がいた。
以前もブログで取り上げたことがあるが、この人は45歳でプロ入りした超遅咲き。
そして、48歳4ヶ月で現役最年長勝利投手になっている。


西武の渡辺監督がいう
「最年長勝利投手の記録を破ってほしい」
というのは、この浜崎真二の記録を指す。


さて、その渡辺監督が率いる西武ライオンズに
工藤公康が来シーズンからカムバックする可能性が濃厚になった。
工藤公康は47歳。
渡辺監督は45歳。
おお、選手より監督が年下じゃん。
ともにライオンズの黄金時代を支えた二人。
来季はいったい、どうなりますことやら。



 



第564回 「小学五年生」「小学六年生」休刊へ

2009-10-26 20:35:31 | うんちく

「小学五年生」「小学六年生」休刊へ(読売新聞) - goo ニュース


「少年画報社」という出版社がある。
もともとは「明々社」という名前の会社だったが
昭和20年代に創刊した雑誌「少年画報」がヒットし、社名変更。
「少年画報」は「赤道鈴之助」や「まぼろし探偵」が連載されていたころ100万部を突破。
しかし、漫画雑誌の週刊化の流れについていけず、ついに昭和46年に休刊。
「少年画報」は、今や社名にその面影を残すのみとなった。 


「少年クラブ」「ぼくら」「少年」「少年ブック」といった月刊誌たちも、同じような運命をたどった。

そういう意味では、同じ月刊誌である「小学○年生」はよく続くなあ・・・と舌を巻いていた。

1922年の創刊。
なんと80年以上の歴史を持つ雑誌。
全盛時代には5~60万部の売り上げを誇ったこの雑誌も、
今では売り上げが10分の1ほどに落ち込んでは、どうしようもなかったか。

「ゲーム、スポーツなど趣味の多様化が進み、男女の性差も顕著になる中、学習から生活まで幅広く網羅する編集方針が読者のニーズに必ずしも合致しなくなった」
とのことだが、要は月刊誌のスローモーさに読者が飽きたということなのだろう。
出版元の小学館は、「小学○年生」を出版しているからこの名前がついたという。
いずれの日か、上記の「少年画報社」のようになるのだろうか。

合掌。


天草西海岸の夕陽