―随想―
閉店となっていた藤沢の老舗の“うなぎや”
お盆の墓参りの後に、藤沢本町にある老舗のうなぎ屋に寄った。しかし、店は閉ざされていて、入り口に閉店の貼り紙がしてあった。貼り紙には「創業以来百五十年の長きにわたり、お客様に愛されてきました“うなぎや”は、六月十六日で「閉店」とさせて頂きました。大変ご愛顧いただきありがとう御座いました。うなぎや店主」と書かれてあった.
毎年、お彼岸とお盆には、お墓参りのあと、ここで昼食を頂くのを楽しみにしていたので、突然の閉店でびっくりしてしまった。
貼り紙には閉店の理由は、何も書いてなかったが、昨今のうなぎの高騰で、お店を続けて行く事が出来なくなった為ではないかと思われる。
思えば、藤沢に移り住み、大庭に親の墓を建ててから40年、毎年、墓参りの帰りに、この藤沢本町の“うなぎや”に通ったのに、もうそれが出来なくなってしまうのかと思うと一抹の寂しさを禁じ得なかった。
この店のうなぎは、ネタが厳選されていて、江戸前の、ふっくら蒸し上がった柔らかい蒲焼きに、秘伝のたれをたっぷりかけ、その上に山椒をかけて食べると最高の味であった。あんな美味しいうなぎは、他ではとても食べられない。しかも、それが、手頃の値段で食べさせてくれるのだから、庶民にとってはとてもありがたい存在であった。
確か、この店の主はいい年ではあるが、店を閉じなければならないほどの高齢ではないはずだ。詳しい事情は知るよしも無いが、昨今のうなぎの高騰に、値段を上げてまで店を続ける気がしなかったのだろう。ましてや、国産うなぎを中心に商売をやってきたうなぎ屋を外国のうなぎを仕入れてまでやる気にならなかったのだろう。
150年続けた店の主の心意気が、こういう形で幕引きを迎えようとは、本人も思いもよらなかったに違いない。平成25年、猛暑の夏の、実に寂しい出来事であった。
閉店となっていた藤沢の老舗の“うなぎや”
お盆の墓参りの後に、藤沢本町にある老舗のうなぎ屋に寄った。しかし、店は閉ざされていて、入り口に閉店の貼り紙がしてあった。貼り紙には「創業以来百五十年の長きにわたり、お客様に愛されてきました“うなぎや”は、六月十六日で「閉店」とさせて頂きました。大変ご愛顧いただきありがとう御座いました。うなぎや店主」と書かれてあった.
毎年、お彼岸とお盆には、お墓参りのあと、ここで昼食を頂くのを楽しみにしていたので、突然の閉店でびっくりしてしまった。
貼り紙には閉店の理由は、何も書いてなかったが、昨今のうなぎの高騰で、お店を続けて行く事が出来なくなった為ではないかと思われる。
思えば、藤沢に移り住み、大庭に親の墓を建ててから40年、毎年、墓参りの帰りに、この藤沢本町の“うなぎや”に通ったのに、もうそれが出来なくなってしまうのかと思うと一抹の寂しさを禁じ得なかった。
この店のうなぎは、ネタが厳選されていて、江戸前の、ふっくら蒸し上がった柔らかい蒲焼きに、秘伝のたれをたっぷりかけ、その上に山椒をかけて食べると最高の味であった。あんな美味しいうなぎは、他ではとても食べられない。しかも、それが、手頃の値段で食べさせてくれるのだから、庶民にとってはとてもありがたい存在であった。
確か、この店の主はいい年ではあるが、店を閉じなければならないほどの高齢ではないはずだ。詳しい事情は知るよしも無いが、昨今のうなぎの高騰に、値段を上げてまで店を続ける気がしなかったのだろう。ましてや、国産うなぎを中心に商売をやってきたうなぎ屋を外国のうなぎを仕入れてまでやる気にならなかったのだろう。
150年続けた店の主の心意気が、こういう形で幕引きを迎えようとは、本人も思いもよらなかったに違いない。平成25年、猛暑の夏の、実に寂しい出来事であった。
