1991年の中国作成の地図にみる尖閣諸島の扱い
荷物を整理していたら、1991年10月に中国旅行をした際に購入した中国全土の地図が出て来ました。大きな地図なので、台湾、尖閣諸島付近だけをコピーしたものが下の地図です。地図の印刷時期は、1991年2月となっています。
この地図を見ると、台湾と釣魚島との間は空白になっており、釣魚島が中国領土とはなっておりません。1972年の日中国交正常化時点でも、1978年小平が来日し日中友好条約を締結した時点でも、中国指導部は尖閣諸島の領土問題は棚上げにし、将来の問題とし、日本の実効支配を認める立場を暗黙の了解としていました。1991年の古い地図にはこうした中国指導部の立場が反映されていたものと思われます。
最近の一連の騒動は、お互い友好関係を著しく阻害するものであり、田中角栄や周恩来など日中の先輩政治家の姿勢に学び、紛争は避け、一日も早く話し合いで解決するよう望みたいものです。
<1991年の中国作成の地図>
台湾、尖閣諸島付近
まし
荷物を整理していたら、1991年10月に中国旅行をした際に購入した中国全土の地図が出て来ました。大きな地図なので、台湾、尖閣諸島付近だけをコピーしたものが下の地図です。地図の印刷時期は、1991年2月となっています。
この地図を見ると、台湾と釣魚島との間は空白になっており、釣魚島が中国領土とはなっておりません。1972年の日中国交正常化時点でも、1978年小平が来日し日中友好条約を締結した時点でも、中国指導部は尖閣諸島の領土問題は棚上げにし、将来の問題とし、日本の実効支配を認める立場を暗黙の了解としていました。1991年の古い地図にはこうした中国指導部の立場が反映されていたものと思われます。
最近の一連の騒動は、お互い友好関係を著しく阻害するものであり、田中角栄や周恩来など日中の先輩政治家の姿勢に学び、紛争は避け、一日も早く話し合いで解決するよう望みたいものです。
<1991年の中国作成の地図>
台湾、尖閣諸島付近
まし