湘南ファイブ通信

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尖閣諸島問題は、1972年の日中合意をベースに話し合い解決を

2012-10-07 09:45:04 | 日中友好
尖閣諸島問題は、
    1972年の日中合意をベースに話し合い解決を


我国の尖閣諸島国有化を巡って、中国各地で激しい反日デモがおこった。中国側の言い分は、1972年、日中国交回復時、中日両国首脳(中国周恩来、日本田中角栄)が確認した、、尖閣諸島の領土問題については棚上げにし、、将来の問題とする、、この間、日本の実効支配は認める、という合意に背き一方的に日本が国有化したことはけしからんというものである。
これに対する日本側の言い分は、、1972年国交回復時そのような合意は無かった、、尖閣諸島は日本の固有の領土である、、領土問題について日中で話し合うべき問題は何もない、というものである。日本の尖閣諸島領有には歴史的・法的根拠はあるが、だからといって、このような木で鼻をくくったような対応では、相手を納得させる事はできない


1、今回の紛争の発端は、1972年の日中合意を認めない日本政府の閣議決定

日中国交回復時に日中首脳でそのような合意は無かった等という日本政府の言い分は正しくない。1978年日中友好条約締結のため来日した小平も棚上げ発言をし、日本側はこれを否定せず、中国側も1991年作製地図を見ると尖閣諸島付近の領海線は明記せず実質上日本の実効支配を認めており、この間、日中間に問題は起こらなかった。

問題が起こったのは2010年、日本政府が日中の間に棚上げの約束は存在しないと閣議決定した時からである。その後石原都知事の尖閣諸島購入問題が起こり、野田内閣の国有化決定に至り、今日の険悪な日中関係に発展してしまったものである。1972年の日中合意は、日本は平穏に実効支配をするという事であり、中国も尖閣列島の領有問題を将来の問題にし、棚上げにするという取りきめである。日本政府の国有化問題とそれに続く中国の過剰な反日デモは、平和な日中関係を壊す72年の棚上げ合意に反する行為といわなければならない。

2、日本政府の尖閣諸島国有化は、平穏な実効支配を維持するのが目的

日本政府は尖閣列島の国有化問題について、もっと中国側に目的を説明し理解を求めるべきであるのに、日本固有の領土を国が所有して何が悪い、と言った開き直ったような態度で、目的や意図を十分中国側に説明しないところに問題がある。国が尖閣列島購入を決定したのは、石原東京都知事などが尖閣諸島を購入し、日中関係を荒立てようとする動きを押さえるために、平和的かつ平穏な実効支配を続けようと国が購入を決定したものであり、新たな日本領土化宣言をしたものではない。日本のような資本主義国に於いては、私有財産制が中心で在り、国の土地所有も個人の私的所有の延長で在り、社会主義国に於ける土地の国有化とは意味合いが違う。ここの所を相手に十分説明せず、また胡錦濤国家主席などの不快感の表明にも留意せず事を進めてしまった日本政府にも問題がある。

3、日中双方は、田中角栄、周恩来の敷いた1972年合意に基づき話し合い解決を

添付の、1991年作成の中国側の地図を見ると、中国側も尖閣諸島付近の領海線は明記せず実質上日本の実効支配を認めており、1972年の合意を守っている。日本政府はそのような合意は無かったと言い張っているが、これでは話し合いの糸口すら見えない。日中最高指導者同士の合意は、たとえそれが文書化されていない合意であっても、国境問題と言った政治的問題にとっては極めて重要で在り、今日の政治家は日中両国の先輩政治家の敷いたレールに沿って話し合いで解決すべきである。

4、日本政府は話し合い解決を恐れるな

日本政府の尖閣諸島固有の領土論、話し合い不要論では、問題は解決しない。
日本は、尖閣列島は台湾併合の前に領有を宣言したもので在り、日清戦争で奪い取ったものではない。中国の言うように侵略戦争で奪った物ならば返還する必要があるが、そうでないかぎり日本の領有には正当性があるといわなければならない。但し、1972年の沖縄返還まで、中国側に尖閣列島領有問題について反論権が十分保証されていなかった事も事実である。日本側は、この間、中国側は何も言って来なかったではないかというが、1895年から1945年までの日本の台湾支配の時代、また1945年から1972年までのアメリカの沖縄統治の時代、中国側に尖閣諸島問題について発言できる条件に無かったと言うのが実体であり、日本は、この間、中国側が何も言ってこなかったからと言って話し合いを拒否すべきではない。
また、日本が尖閣諸島を中国侵略で奪ったものではないと言う事も、もっと説明すべきである。但し、この問題についても、日本側に中国侵略ではない、南京大虐殺も無かったなどと中国の人々の感情を逆撫でするような事を言う人々もおり、問題を複雑にしている。日本は、悪かった事は悪かったと潔く認め、主張すべきは主張するという、正々堂々とした話し合いを進めるべきである。話し合いを恐れ、あれこれと詭弁を弄するような姑息な対応で、「小日本」などとバカにされないようにしてもらいたいものである。
iti

1991年の中国地図にみる尖閣諸島の扱い

2012-09-20 18:49:08 | 日中友好
1991年の中国作成の地図にみる尖閣諸島の扱い


荷物を整理していたら、1991年10月に中国旅行をした際に購入した中国全土の地図が出て来ました。大きな地図なので、台湾、尖閣諸島付近だけをコピーしたものが下の地図です。地図の印刷時期は、1991年2月となっています。
この地図を見ると、台湾と釣魚島との間は空白になっており、釣魚島が中国領土とはなっておりません。1972年の日中国交正常化時点でも、1978年小平が来日し日中友好条約を締結した時点でも、中国指導部は尖閣諸島の領土問題は棚上げにし、将来の問題とし、日本の実効支配を認める立場を暗黙の了解としていました。1991年の古い地図にはこうした中国指導部の立場が反映されていたものと思われます。
最近の一連の騒動は、お互い友好関係を著しく阻害するものであり、田中角栄や周恩来など日中の先輩政治家の姿勢に学び、紛争は避け、一日も早く話し合いで解決するよう望みたいものです。


<1991年の中国作成の地図>
   台湾、尖閣諸島付近







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ニエ・アル生誕100周年碑前祭開催 中国大使夫人も参加 藤沢鵠沼海岸

2012-07-19 07:06:34 | 日中友好
ニエ・アル生誕100周年碑前祭開催 中国大使夫人も参加 
       2012-7-17 ー藤沢鵠沼海岸ー



2012年7月17日、中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲家であるニエ・アル(聶 耳)の生誕100周年の碑前祭が記念碑のある藤沢鵠沼海岸で開かれた。
彼は1912年生まれで今年が生誕100年目に当たり、また日中国交正常化40年当たるため、鈴木藤沢市長、程永華中国大使夫人など、日中友好運動の関係者が多数参列して盛大に行われた。ニエアルは、1935年、来日中、24歳の若さで鵠沼海岸で遊泳中遭難死した事を悼み、藤沢市と市民が記念碑を建立し、毎年命日の7月17日に碑前祭をおこなってきたものである。
今年は、中国からの参列者も多く、200名を超える参列者があった。鈴木藤沢市長、程永華中国大使夫人などが追悼の挨拶を行い、藤沢市消防音楽隊による中国国歌演奏が行われた後、参列者一同献花を行った。
日中関係が厳しい情勢の中で、日中友好を促進させる貴重な行事であった。

碑前祭の模様は動画でも見られます 


ニエアル記念碑に向かって献花


流暢な日本語で挨拶された程永華中国大使夫人



挨拶する地元・鈴木藤沢市長



旧満蒙開拓団慰霊碑撤去問題と日本で行なわれているニエアル碑前祭

2011-08-12 12:06:35 | 日中友好
旧満蒙開拓団慰霊碑撤去問題と日本で行なわれているニエアル碑前祭

8月3日の朝日新聞国際面に、中国満蒙開拓団慰霊碑建立を巡る記事が掲載されていた。中国方正県が、第2次世界大戦敗戦で、旧満州から引き揚げの際死亡した多数の満蒙開拓団の慰霊碑の建設を巡って、中国国内から批判の声が上がっているとの記事であった。ところが、8月7日の記事によると、こうした批判の声に押され、8月5日当局が建設した慰霊碑を撤去したとの事であった。

確かに、慰霊碑建設を批判している中国の人々の指摘するように、日本の満州侵略によって中国の人々の土地が奪われ、民族差別が行なわれたことも事実である。しかし、方正県で亡くなった開拓団員は、婦人や、子供、年寄りなどが多く、帰国の途中、飢えと寒さで亡くなった人々である。これらの人々の墓が、1963年、中国方正県の人々によって公墓が建てられ、そして今年慰霊碑が建てられることになったのだという。恩讐を捨て、今回、慰霊碑を造ってくれた事に、私も旧満州からの引き揚げ者の一人として感謝の気持ちで一杯だった。

1963年、故周恩来首相の承認の下に中国方正県に建てられた日本人公墓(2002-8撮影)
   ー今回、この後方に建てられた慰霊碑が撤去されたというー






今回、このような事態になって誠に残念である。中国の皆さんの気持ちも分からないではないが、過去の過ちは再び繰り返さず、今生きる私達が、碑の建設の是非よりも、お互いに平和な友好関係を深めることによって、過去の問題の解決を計るべきではないだろうか。

日本にも、日本で無くなった中国人の碑を作り、追悼行事が行われていることを中国の皆さんにも知って貰いたいと思う。具体的には、日本で死んだ中国の国歌「義勇軍行進曲」の作曲家であるニエアル(聶 耳)に対し、地元藤沢市民の手によって記念碑が建てられ、毎年、碑前祭が行われているということである。一部の日本人の中には、中国国歌の作曲者の記念碑など建てるのはけしからんと、碑にいたずら書きをする者もいると聞くが、記念碑の撤去までは行っていない。ニエアル(聶 耳)という人は、1935年、訪日中、藤沢市鵠沼海岸で遊泳中24才の若さで亡くなった人であるが、今年も、彼の死を悼み、命日である7月17日、中国大使館代表や藤沢市長、さらに多数の市民も参列して式典が行われた。式典では、消防隊によって彼の作曲した中国国歌「義勇軍行進曲」も演奏された。
(注、今年のニエアル祭の模様は、動画youtubeで見られます。http://www.youtube.com/watch?v=2LJtAxb9Plc)

今年7月17日行われたニエアル碑前祭(藤沢市鵠沼海岸)



日中の長い歴史の中には、かつて唐の時代、長安で亡くなった日本の留学生「井真成」が、現地の人々によって墓碑が建てられ追悼されたこともあり、日本でも、ニエアル祭のように中国の国歌作曲家の死を悼む行事が行われている。これからも、日中国民の交流がますます盛んになる中で、お互いに異郷で亡くなった人の死を悼み、過去の不幸な出来事はお互いの友好親善を深めることによって慰霊碑建設問題等は解決されるべきではないか。



ニエアル(聶耳)碑前祭行なわる、中国国歌「義勇軍行進曲」作曲家 2011-7-17

2011-07-19 11:12:54 | 日中友好
7月17日、中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲家であるニエアル(聶 耳)の碑前祭が行われました。彼は1935年7月17日、来日中、藤沢市鵠沼海岸で遊泳中水死しました。(中国昆明生まれ、享年24才) 
藤沢市では、彼の死を悼み、日中友好を願って、江ノ島の見える鵠沼海岸に記念碑を作りました。そして、毎年碑前祭を行っています。今年も、藤沢市長、中国大使館代表の他、一般市民も100名以上集まり、式典が行われました。藤沢市消防隊による中国国歌の「義勇軍行進曲」の演奏も行われました。
彼が亡くなった鵠沼海岸には、今年も大勢の人々が集まり、海水浴を楽しんでいました。76年前もこのような暑い日だったのでしょうか。
彼の死が、日中友好の架け橋となり、両国の友好親善がますます深まる事を願うものです。ちなみに、藤沢市では、ニエアルの生まれた中国昆明市とは、友好姉妹都市となり、毎年交流を続けています。
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式典の模様の動画が見られます

<写真1>今年(2011-7-17)のニエアル碑前祭


<写真2>ニエアル記念広場に設置されたニエアルのレリーフ


<写真3>ニエアルが76年前水死した鵠沼海岸(碑前祭当日の映像)