湘南ファイブ通信

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自民党は参院選挙に勝ったが、安倍首相の直接改憲の狙いは失敗

2013-07-30 07:08:37 | 憲法問題
自民党は参院選挙に勝ったが、
       安倍首相の直接改憲の狙いは失敗



今回の参院選は自民党の圧勝で終わった。
しかし改憲阻止の立場から見ると、負けたとは言え、①自民党単独での参議院過半数を阻止できたこと、②改憲推進の自民、維新、みんなの三党合わせても2/3の議席を阻止できたこと、③安倍首相が最も嫌がる共産党が議席をふやしたこと、④選挙を通じ国民各層に自民党改憲案への危惧が広がったこと、等は成果といえるのではないか。

安倍首相等の、今度の選挙で一気呵成に憲法改悪の道に突っ込もうと目論んだ思惑が、阻まれたのは何故か。
第一は、国民の根強い改憲に反対する世論を見誤り、性急にことを進めようとした所にある。彼らはアベノミクスに対する国民の期待にかこつけて、9条、96条、更に復古的な自民党憲法草案までも選挙公約に掲げ、2/3の改憲に必要な議席獲得を狙ったが失敗したわけである。民主党の凋落によって自民党は選挙区では多数の議席を取ったが、比例区では34%の支持しか得られなかったことは、今回の選挙で、国民が自民党の改憲公約を支持したものでは無いことを物語っている。
第二は、安倍首相の掲げる改憲公約に対し、内外の世論から厳しい批判が巻き起こったことである。橋下維新の会共同代表の慰安婦問題の発言は安倍首相の考えとも共通したもので在り、侵略戦争肯定論も、靖国参拝肯定論も教科書問題も押し付け憲法論も安倍首相の考えが源にある事を党派を超えて多くの国民が気づき、またアメリカを含め良識ある世界の世論もそのことに気づき警鐘をならしはじめたことによる。

選挙の結果を受け、早速、安倍首相等は直接改憲方針を変え、8月には首相の私的諮問機関の「安保法制懇」を発動させ、①集団的自衛権の解釈改憲、②国家安全基本法制定による立法改憲の企てを始めようとしている。直接改憲阻止の参院選挙は終わったが、改憲阻止の新たな闘いが始まったといえる。

岩見隆夫氏の7・6毎日新聞記事「国破れて憲法残るでは」に反論する

2013-07-11 18:15:50 | 憲法問題
岩見隆夫氏の7・6毎日新聞記事      
         「国破れて憲法残るでは」に反論する


                        2013-7 「ふじさわ・九条の会」 小林麻須男

7月6日付け毎日新聞「近聞遠見」欄に、岩見隆夫氏の『「国破れて憲法残る」では』という投稿記事が掲載されていた。氏は、この論文で9条擁護論者に、徹底論議を求めてきているので、九条の会メンバーの一人として、これに反論したい。

<岩見氏の主張>

最初に、岩見氏の投稿記事の論点整理をしておきたい

第一の論点は、岩見氏が、野坂昭如氏や大江健三郎氏の主張に反論し、「9条さえ守れば平和は永続するのか」と述べ、野坂、大江氏らが<国を守る>とは何か、考えたことがあったのか、「国破れて憲法残るにならないか」と問題提起をしている点である。

第二の論点は、岩見氏が、安倍首相の「現在の陸海空自衛隊は国際社会が認めるれっきとした軍隊なのに、9条2項の<陸海空の戦力は保持しない>とする条項に合わない」という主張はその通りで、誰も反対できない。しかし、9条擁護論者の「9条の理想主義を掲げ、文言を変えないことこそが平和を実現する道」と主張する論理とは形式論ではかみ合わない。そこで、「国を守るとは何をする事なのか、と言う問題に議論を深めなければならない」と問題提起している点である。

第三の論点は、岩見氏が自らの戦争体験を上げ、「二度と戦争を起こしてはならないが不幸にして侵略を受けたら、戦争に絶対に負けてはならないこと、敗北は民族の大悲惨である」と問題提起している点である。岩見氏の上げた戦争体験とは、次の様なものである。「私は敢戦後の旧満州に1年半残留し、11歳の時日本に引き揚げてきた。1945年8月8日、ソ連軍(ロスケと呼んでいた)が怒濤のごとく満州を南下。ソ連兵の狼藉によって命を落とした在満日本人は数知れず、ごく一部が残留孤児になった。 ポツダム宣言受諾によって戦争が終結(8月15日)したあとも、満州では非戦闘員の犠牲が続いたのである。敗戦までの内地空襲、広島・長曖原爆投下、沖縄地上戦、サイパンなど南の諸島玉砕を含めると命を奪われた非戦闘員は優に100万人に上る。これが戦争だ。」というもの。

第四の論点は、戦後の日本は、政治も世論、教育も<不戦>の誓いを唱えることばかり熱心だったが、<不敗>の備えを固めるのには関心が乏しかった。なぜか、いずれ触れる機会があるだろうが、とにかくこれまで平和が続いたから、これからも続くに違いない、という信じがたい楽天主義の国になっている。独立国として、また<不敗>の備えとして精強な軍隊を持つのは初歩で在り、軍事大国とか軍国主義とは無縁なものだ。9条擁護論者はそれに反対している、徹底討議が必要だ。という問題提起である。


<岩見氏の主張に対する反論>

①、9条を守れば平和が守れるのではない、
9条を活かした平和外交を進めることによって国は守もれる


よく改憲論者は9条を守れば国を守れるのか、外国から攻められたら素手で戦うのか。と言われる。外国から攻められない様にするためには備えが必要だというものである。しかし、この考え方は、アメリカのガン社会の様に自らの身を守るためには鉄砲は必要だという論理と同じである。現在、銃のない社会をアメリカも求めているように、世界の国々も戦争の無い社会を求めている。軍隊を持たず、平和な社会を実現することは人類の理想であり、日本の9条は正にそれを実現をめざしたものにほかならないしかし、9条を守っていれば平和が保証されるというものではない、9条を活かした平和外交を日本が積極的に進めることによって平和が保たれるのであって、平和外交の努力無くして安全は保たれない。平和外交とは何か、話合い外交である。尖閣諸島問題一つとっても、日中国交回復時に、田中・周恩来会談によって棚上げし、将来話合い解決しよう、その間尖閣諸島の日本の実効支配を認めるという合意ができていたのに、日本政府が、そんな合意は無かった等と言って話合いを拒否したのが昨今の紛争の始まりである。実効支配を認めている尖閣諸島の領域を侵す中国のやり方も不当であるが、話合いを拒否する日本政府のやり方にも問題がある。国際紛争を力の外交で解決してはならないというのが日本国憲法の定めである。
しかし、あらゆる外交努力が実を結ばないとき、専守防衛の自衛隊を活用し侵略を阻止することは必要だろう。鎌倉時代、蒙古来襲の時に戦った鎌倉武士の様に、現実に攻められたとき戦うのが、現在の憲法下で認められている自衛隊の役目である。


②、自衛隊は国際法上軍隊と認められるからといって、憲法を変え国防軍にする必要がどこにあるのか

そもそも自衛隊は、警察予備隊、保安隊を前身に生まれた組織である。歴代内閣は、憲法9条との関係で、自衛隊は9条に言う軍隊では無いという位置づけの下で存続してきた。そうした中で、現在の自衛隊は、諸外国の軍隊に匹敵する実力を持つ組織になっているのも事実である。だが、装備が充実し強い実力を持つようになったからと言って、自衛隊は軍隊になったと言えるのか。装備が充実したから軍隊になった等と言えない。自衛隊が軍隊でない理由は、憲法上、海外に出て行かないことを決めている組織であるからである。これに対し自衛隊を国防軍に変えようとする改憲論者の狙いは、自衛隊が専守防衛だけに
留まらず、集団的自衛権の名の下に米軍と一緒になって海外に出掛け、日本の大企業の海外の権益をまもろうという狙いを秘めている点を見落としてはならない。自衛隊はあくまでも自衛の為の組織であるが、国防軍は海外に出掛ける攻撃の為の軍隊に他ならない。


③、岩見氏の戦争体験の取り上げ方の問題点

岩見氏は、自らの戦争体験を通じて、戦争に負けたら悲惨だ、絶対に戦争に負けてはならないと、戦争の勝ち負け・敗戦体験によって、戦争の悲惨さを訴えようとしているところに問題がある。氏は、ポツダム宣言受諾後も戦闘が続き、内地の空襲、広島・長曖原爆投下、沖縄地上戦、サイパンなど南の諸島玉砕を含めると命を奪われた非戦闘員は優に100万人に上る。と言っているが、ポツダム宣言が出た直後(7月26日)に受諾を決定しいていれば、内地の空襲も、ソ連の参戦も、広島・長崎への原爆投下も無く100万人もの人が命を失うことは無かったのに、いたずらに戦争を長引かせ、犠牲を多くした戦争指導部の戦争責任が見落とされている。氏は、負けたら悲惨だ等と言う自らの敗戦体験を語るより、先の大戦に於いて多くの海外の人々が殺害された責任、敗戦色濃くなると祖国防衛と称して日本国民が多大な犠牲を強いられた戦争責任は何処にあるのか、東京裁判によって裁かれたで済まされる問題では無い。日本国民による戦争責任の糾弾が残されていると言わなければならない。

④、<不敗の備え>は<不戦の誓い>から始まる

岩見氏は、「戦後67年、<不戦の誓い>ばかり熱心で、日本はこれまで平和が続いたから、これからも続くに違いないという楽天主義の国になっている。独立国として、また<不敗>の備えとして精強な軍隊を持つのは初歩で在り、9条擁護論者はそれに反対している。徹底討議が必要だ」という問題提起をしている。
氏は、この間の戦争を誰が始めたかについて全く無頓着である。アメリカに対する真珠湾攻撃も、中国に対する柳条湖事件も日本の軍部が始めたものである。戦争を始めた責任を明らかにし、不戦の誓いをする事が、何処からも攻められない不敗の備えになることは明らかである。不敗の備えとして精強な軍隊を持たなければ何処が怖いのか。先の戦争に反省が無い人々にとっては精強な軍隊による<不敗の備え>が必要かも知れないが、戦争放棄の憲法の下に、<不戦の立場>を貫き、平和外交を進めれば決して戦争は起こらないものである。


⑤、日本国憲法は「国破れて憲法残る」などと揶揄されるような軽いものではない

日本国憲法は、戦争に敗れて日本国民が勝ち取った宝物である。平和、民主主義、自由、基本的人権、国民主権など、日本の民主化は敗戦によって始まったといえる。多く国民の尊い戦争の犠牲によって勝ちとったものである。多くの戦没者は、お国の為に犠牲になったと靖国神社に奉られるより、戦後の民主化によって、多くの日本人が幸せになったことを喜ぶだろう。戦後の日本の平和と民主化は、空気の様に我々を包んでくれているので、その有難さは忘れられがちだが、日本史上に於ける大変革であったと言わなければならない。日本国憲法は「国破れて憲法残る」などと揶揄されるような軽いものではなく、「国破れて民主国家(憲法)誕生」と言わなければならない程大切なものである



<資料>

岩見隆夫氏・7・6毎日新聞掲載紙