湘南ファイブ通信

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4月28日は、「主権回復記念日」では無く、「日本の真の主権回復を目指す日」とすべき

2013-04-21 14:52:23 | 時事問題
<主権国家のあり方について考える>
4月28日は、「主権回復記念日」では無く、
         「日本の真の主権回復を目指す日」とすべき


安倍内閣は、1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立を回復した日を「主権回復・国際社会復帰の日」として記念式典を開こうとしている。
しかし、サンフランシスコ講和条約は、日本の主権に対し様々な制限が加えられており、主権回復の日とするには不適当であるといわなければならない。むしろ、4月28日は、「主権回復記念日」では無く「日本の真の主権回復を目指す日」とすべきではないか。


サンフランシスコ講和条約では、完全に日本の主権は回復されていない

日本は、1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して終戦を迎えた。ポツダム宣言においては「連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退する」と規定されている。しかし、サンフランシスコ講和条約においては、これが完全に履行されずに領土問題では一部占領が継続される条項が加えられ発効したところに問題がある。サンフランシスコ講和条約は、①北方領土のソ連への割譲、②沖縄のアメリカの信託統治という形で占領の継続、③更に、日本本土もサンフランシスコ講和条約では3ヶ月以内の占領軍の撤退が規定されているのに別協定で米軍の占領の継続を認めるなど、ポツダム宣言に逸脱し、日本の主権を引き続き侵害する条項が加えられた屈辱条約となっている。

沖縄・日本本土の米軍基地、ソ連に割譲された北方領土を取り戻して、
        はじめて日本の真の主権回復といえる


サンフランシスコ講和条約発効20年後の1972年に信託統治されていた沖縄は日本に帰ってきたが、20年間で作られた沖縄基地はそのまま巨大な米軍基地として残され、本土基地とともに日本の主権の及ばない米軍の軍事基地として占領状態が継続されることとなった。主権回復と言っても、国内に巨大な外国の軍事基地をそのまま存続させるようでは主権国家と言うことはできない。これでは、米国依存国家、従属国家と揶揄されても仕方が無い。日本の米軍基地について、日本の国を守るため、安保条約によって基地を提供しているとの建前になっているが、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争などに見られるようにアメリカの世界戦略の最前線基地として使われているというのが実体である。一日も早く米国の占領状態を認めた安保条約を解消し、沖縄並びに日本本土の米軍基地を取り戻し、日本の真の主権を取り戻すべきである。安倍首相のいう4月28日「主権回復の日」とは、こうした未達成の主権を回復し「真に独立した日本を取り戻す日」であらねばならない。
又、北方領土についてもサンフランシスコ講和条約で日本が千島、樺太の権限を放棄したわけだが、こうした千島割譲条項もポツダム宣言に違反する不当な条項であることには間違いがない。沖縄・本土のアメリカの軍事基地、そしてロシアに不当に占拠されている北方領土を取り戻して始めて日本の主権が回復されたと言うことができる


安倍首相のいう「主権回復」とは、戦後の平和・民主・立憲国家の原則を覆し、
        日本の歴史を戦前に戻すことか


こうした中で、安倍首相の言う「主権回復」とは、サンフランシスコ講和条約で奪われた北方領土を取り戻すことや占領状態の継続である沖縄や本土に米軍基地の返還を求めるのでは無く、戦後連合国の駐留の下で制定された憲法を押しつけ憲法だと決めつけ、自主憲法、国防軍をつくることだというのである。国民の圧倒的支持を受けて制定された新憲法を変えようとするのは、主権の回復どころか歴史の逆行以外の何物でも無い。
一体、安倍首相は、先の大戦で日本がポツダム宣言を受諾し戦争を終結させたことの意味をどのように受け止めているのだろう。単に、戦争に負け、占領軍から憲法を押しつけられた、講和条約発効で主権を回復したから自主憲法を作るのだという単純な発想はあまりにも稚拙過ぎる。これでは一国の首相として戦争責任が全く感じられない。先の戦争は、日本が中国に、満州に、アメリカに戦争を仕掛けて始まった戦争である。開戦の詔勅は、「米英が、日本に敵対する中国蒋介石政権を支援し、日本に対し経済断行を行って来た。自存と自衛の立場から、決然と立ち上り、一切の障害を破砕するため」としている。しかし、こうした理由が世界に人々からは受け入れられず、世界の人々から日本の戦争が侵略戦争だと反撃を受け、ポツダム宣言を受け入れて戦争を終結するに至ったものである。敗戦が決定的であったにもかわらず、国体護持のためと称して軍部が戦争を長引かせた結果、広島,長崎に原爆を投下され、ソ連の参戦を受け、国民は多大な犠牲を強いられたが、8月15日、無条件降伏を受け入れたものである。そして国民は、平和国家、民主国家、主権在民の国家として再出発する事を誓って、新憲法を受け入れたものである。多くの国民には、敗戦によって押しつけられた憲法だから変えねばならぬ等と言う発想は全くないと言うことを、自民党や安倍首相は知るべきである。国民は、あの戦争を米英、アジアの国々に対する侵略戦争だった事を潔く認め認め、平和国家、民主国家として再出発することを誓ったのに対し、安倍首相や戦前の国家主義を信奉する人々が、先の大戦は侵略戦争ではない、東条秀樹等戦争を開始した人々は戦犯ではないなどとグジグジと言い訳がましい御託を並べ、戦争責任を取ろうとしない態度は、女々しいというか、見苦しい、の一語に尽きる。戦争に負けたことを潔く認め、新生日本を造り、再び世界に進出した戦後の日本の歴史に誇りを持つべきである。


主権国家なら、アメリカ追従の安保条約を解消し、真に独立自衛の日本を目指すべき

安倍首相は、「主権回復」の名の下に、憲法を変え自衛隊を国防軍にし、アメリカと一緒になって集団的自衛権の名の下に海外でも戦闘行為ができるようにしようとしている。とんでもないことである。これでは主権回復どころか、ますますアメリカに従属し、アメリカの雇い兵のように最前線に立って戦わされるだけである。
そもそも、自衛隊の前身である警察予備隊は、日本国民の要請によってできたものではない。1950年の朝鮮戦争勃発時に、日本国内の米軍基地を守るために、マッカーサーの指令で急遽創設されたものである。その後1952年のサンフランシスコ講和条約発効後に保安隊と改組され,更に1954年に自衛隊と改組されたものである。
自衛隊について、政府見解によれば「憲法は自衛権の放棄を定めたものではなく、その自衛権の裏付けとなる自衛のための必要最小限度の実力は憲法第9条第2項にいう「戦力」には該当しない」との解釈にたっている。
しかし、自衛隊は、もう一つの日米安保条約で、日米協力して防衛に当たるという顔を持っている点が問題である。日米安保条約によって自衛隊は実質的にアメリカの指揮下に置かれている。しかも、沖縄・日本本土に造られた広大な米軍基地を守るのも自衛隊の任務とされているのである。安倍首相が「主権回復の日」に当たって、こうした米国追従の安保条約の実体から脱却し、自分で自分の国を守るという独立自衛の立場で憲法問題を論ずるならいざ知らず、自衛隊を国防軍と改称し、アメリカ軍にくっついて海外に出掛けられるようにするための憲法改正なら真っ平ご免である。主権国家なら、いつまでもアメリカに追従せず、安保条約を解消し、真に独立自衛の日本を目指すべきである。

以上、4月28日の安倍首相の提唱する「主権回復の日」に当たって、「主権国家とはなんぞや」について色々と考えてみた。


(注)、安保条約を解消し独立自衛の日本を目指せとは、憲法9条を改正せよと言うことではなく、憲法9条の規制を受けた現状自衛隊の下で、独立自衛の日本を目指すべきということ。